あなたは本当に人間ですか?

私たちは人間です.しかし人間は人間という成分だけで成り立っているわけではありません.

なるほど,そうだったか!あの昆虫のたくましさの秘密を垣間見たようですごく納得です.

「ゴキブリ共生細菌Blattabacteriumによる窒素再利用と栄養源供給」
Zakee L. Sabree, Srinivas Kambhampati, and Nancy A. Moran. Nitrogen recycling and nutritional provisioning by Blattabacterium, the cockroach endosymbiont. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, PNAS published online before print October 30, 2009, doi:10.1073/pnas.0907504106
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19880743?dopt=Abstract


この米国科学アカデミー紀要に発表された論文には,ゴキブリとその共生細菌Blattabacteriumとの驚くべき関係が報告されています.ゴキブリの体内に共生しているバクテリア(細菌),Blattabacteriumは,必須アミノ酸,種々のビタミン類,その他様々な栄養物質をゴキブリに提供します.しかし,それら種々の栄養素は外から取り入れるのではなく,ゴキブリが生活することで生まれる老廃物,尿酸を使って作られているのです.尿酸は尿素に,尿素からアンモニアに,そして最終的にはグルタミン酸に変換され,このグルタミン酸から再び様々な栄養素が生み出されます.

つまり単純に説明するなら,非常に効率的な物質循環系がゴキブリの体内で生まれているということ.ほとんど何も食べず,またほとんど何も排泄せずとも,ゴキブリは長期間健康に生きることができますが,このバクテリアの共生がその理由を説明しています.

一方,私たちの老廃物はいったん体外に出してからでないと循環は起こりません.例えば,私たちの排泄物は畑の肥料になります.私たちの排泄物が土壌細菌などによって代謝され,植物が栄養源として利用可能な窒素化合物が再び生まれます.そしてその窒素化合物を吸収して畑のトマトは生長し,夏に実ります.このトマトを私たちが食べるとようやく循環達成ですね.私たちの排泄物が,長い旅を経て再び美味しいトマトになって戻ってきたわけです!

しかし,ゴキブリはこんな面倒なことをせずとも,自分の体内の腸管の中で,Blattabacteriumと手を取り合って循環を完成させているわけです.

一方,ゴキブリは多くの栄養の生産をこのバクテリアに依存しています.ですから,Blattabacteriumと一緒じゃなきゃ,ゴキブリは生きることさえできません.(この事実は以前から知られていたようです.)食物から摂取しても充分にまかなえず,自身で作ることもできないとなると,全く生命を維持できなくなるわけです.


****

昆虫恐るべし,と言いたい所ですが,人間も同じようなものです.例えば,人の体は約160兆個の細胞でできています.あれ?昔生物の教科書で60兆個と習った気が...という方,確かに正解.人の遺伝子を持った正真正銘の人の細胞は約60兆個と見積もられています.じゃあ残りの100兆個の細胞はというと,ゴキブリのBlattabacteriumのような存在.つまり共生している微生物たちの細胞です.皮膚の上や消化管(腸内)や口の中や,ありとあらゆる場所にはおびただしい種類と数の共生細菌が住んでいて,私たち人間の健康な命を支えています.まあ,支えているという言い方はちょっと人間中心的で,彼らも居心地がいいから人間の体に住んでおり,人の細胞と共存の関係を構築しています.結果的に,私たちは共に生きて行くことになっているわけです.

どこまでが私でどこからが私じゃないの?

自分の意識や気持ちは自分自身のもの,と当然思われますが,本当にそうでしょうか.急に部屋の換気をしたくなったのは,本当にあなたですか? ひょっとしたら,共生微生物が部屋の中のアンモニアなどの汚染物質の濃度上昇を感じ取り,人間の細胞に情報を伝えているのかもしれませんよ.そのおかげで部屋を換気したくなったのかもしれません.人間の細胞と共生微生物の細胞はとても複雑な情報のやりとりを行っていて,相互に常に影響を与え合っています.うつ病と腸内共生細菌との関連性を指摘した報告だってあるのです.

そもそも「自分」というものの定義を変更すべきなのかもしれません.自分=人間,じゃあないのです.自分とは,人間も含んだ様々な種類の生物の巨大な集合体です.そう考えれば,部屋を換気したくなったのは,やっぱり「自分」で合っていますね..もし宇宙人に「あなたは何という生物か?」と聞かれたら,「一種類じゃなく,かなりたくさんの生物が集まって私ができあがっていますが,一応人間と呼ばれています」と答えるのが正しいでしょう.

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ずっとティファール♪

一度使えばずっとティファール.だって劣化しないから買い換えられない.うちのフライパンはいつ劣化が始まるのだろうか...

ご存知の方も多いと思いますが,T-falは,世界的に有名なフランスの調理器具メーカー,グループセブ(Groupe SEB)が擁するひとつのブランドです.豆知識ですが,T-falと表記するのはアメリカ,カナダ,日本などで,本国を始めほとんどの国での表記はTefalです.世界で仕様は違わない共通のブランドなのに,なぜにあえて表記を違えているのか....

まあ表記の件は本題ではないので置いておいて,次にキャッチコピーの話です.日本でのT-falのキャッチコピーは,「一度使えばずっとティファール」というもの.ウェブサイトでは,T-falのロゴの下にそう記述してありますし,様々な通販サイトにもこのうたい文句を見かけます.ちなみにまたまた即席豆知識ですが,このキャッチコピーも国によって違うようです.本国フランスは,"Comment s'en passer?"(どうやって無しで済ます?) アメリカは"Solutions you can't live without"で,英語圏のほとんどは"Ideas you can't live without"となっています.

日本のこの「一度使えばずっとティファール」というキャッチコピーは,そのあまりの自信ぶりに昔から心に響いていたのですが(相手の思うつぼです),僕はこれを「一度使ったら虜になってしまってずっとティファールを買い続けることになるよ」という意味として捉えていました.しかし短期的にそれは間違っていると最近思い知らされています.というのも,





このT-falの樹脂加工型フライパン.正確な日は覚えていないのですが1年以上前に買ったもので,我が家ではほとんど毎日使っているものです.もちろん使わない日もあるけど,一日に何度も使うこともあるし,平均すればだいたい毎日一回は使っていると思います.ところがです.このT-falのフライパン,僕は本当に自信を持ってこう言います.

未使用だと偽って今から売り場に戻しても絶対にばれません!!

それどころか,自分もどれが自分のか分からなくなると思います.^^;

それくらい全く劣化していないんですよ.これは驚きです.あと何年この状態が続くのか想像できないのですが,そこでキャッチコピーを思い出したわけです.虜になるも何も,そもそも劣化しないから買い換えられない,だからずっとティファールなのかと.笑 まあ,そんなつもりじゃなく,メーカー的にはやっぱり最初の意味かもしれませんが...経験的に,ここまで酷使すれば量販店で売っている安い樹脂加工フライパンはすぐにへたります.だいたい1年で焦げ付き始めます.趣味的にこだわるなら鉄やアルミのフライパンはいいのですが,現実的な日々の暮らしのことを考えると,やはり樹脂加工フライパンは便利なわけです.

しかし,ティファールのフライパンがそんなに長寿命という話はネットで調べても出てきません.これはどうしたことか...うちで気をつけていることといえば...

・空焚きしない.
・長時間強火で調理しない.
・徐々に温め,徐々に冷ます.(特に調理後いきなり水につけない)
・金属製フライ返しなどは使わない.
・優しく洗う.

というごく当たり前のことをしているだけなんですけども...逆に言えば,量販店の安い樹脂加工フライパンは,これをやっていても約1年でへたります.

フランス製調理器具といえば,うちにはあの「ル・クルーゼ」もあります.こちらは4年くらい前から使っています.多少鍋内が変色してきている程度でまだまだ新品同様です.しかもホーローは半永久的なので,本当に一生ものかもと思っています.(というか,ルクルーゼは数世代に渡って受け継いでいける代物だという話ですが...)

そういえば,忘れてはいけないもうひとつのフランス工業製品!我が家のプジョー206はフランス車です.5年乗っていますが,やはりほとんど劣化しません.インテリアもエクステリアもシートクッションも本当に新車同様.メカだけは組み付けが馴染んで,とても柔らかく変化してきているけど...つい最近知人を乗せたときも,最近新車で買ったと間違われたくらいです.5年前の車だと言っても,信じてくれなかったですよ.

フランス人の作る工業製品というものに,僕の心はますます大きく揺さぶられています.その偉大なる安心感といったらないのです.安心を作ろうとして生まれた安心じゃなく,最も底辺にある基本というものが全く揺らがない安心感,です...しかしフランスは基本的に農業国なのになぁ.いやいや,そういうところがまたフランスという国の魅力なんですが...

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反紅葉主義?

秋になると,鮮やかな紅葉にカメラを向ける人たちで溢れます.もちろん写真が好きな人に限らず,秋の紅葉狩りというのは日本では春の花見と同じような定例行事です.赤や黄色に色づく木々に魅了されている所為でしょうか.紅葉スポットなる場所は日本では極めて重要視されますし,ニュースも大々的に取り上げますね.






しかし,鮮やかさこそが秋だとは僕はあまり思っていません.鮮やかな色を現すのは,数ある植物のうちのわずかでしかなく,ある植物は次第にただ枯れていき,ある植物は枯れることなく冬を越えます.赤や黄色に染まることはありません.









色づかずとも,秋に起こる様々な変化はとても美しいと感じます.枯れるという行為は,環境が変化していくことに対するとても前向きな生命の意志です.植物にとって秋に葉が枯れていくことは,春に芽吹くことと等しく前向きなことではないでしょうか.
















とうとう札幌の週間天気予報に雪だるまのマークが登場してしまいました.世界屈指の豪雪都市に,今年もまた冬がやってきます.

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自立とは(日本人向け)

自立とは,何にも依存せず,自分で考え,自分で行動し,自分の力で生活する,ことでしょうか? 僕は違うと思います.

「自立」はとても難しい言葉です.例えば,ずっと親元を離れず暮らしている人は自立していないと思われ,一人暮らしをして,ちゃんと就職して収入もある人は自立していると思われがちですが,本当にそうでしょうか?

例えば,毎日夜遅くまで残業をして,食事はほとんどコンビニ弁当,家の掃除は手につかず,という一人暮らしの日本人独身男性はまあ多いと思いますが,これが果たして自立している人の生活と言えるのか,ということです.

そうするとこんな反論があるでしょう.仕事が忙しくて時間がなくて,自炊は無理だし,掃除をする時間もない,仕方ないんだ.時間にゆとりがあればできるのに...と.ならば私は即座にこう言います.じゃあ少なくとも,電気湯沸しポットだけじゃなく,仕事にゆとりができた時にそなえて,鍋やフライパンくらい買ったらどうか,と.ちなみに,あなたの得意料理は何ですか?という質問とともに...(いやな奴)

また,こんな反論もあるかもしれません.自分はコンビニ弁当が大好きで,自炊した食事よりも美味しいと思う,家は汚くてもぜんぜん気にしないし,むしろ綺麗に片付いているほうが落ち着かない,だからこれはポリシーなんだ,と...ああそうですか.じゃあ,コンビニ弁当が大好きで,家は散らかって埃っぽいほうが落ち着くという女性との出会いを探さなければいけませんねぇ.だって掃除されたり手料理作られたら,あなたは迷惑でしょう? これはなかなか大変ですよ.笑


上のような人,いちおう「自分で考え,自分で行動し,自分の力で生活している」と言えるでしょう.でもぜんぜん自立しているようには思えないわけです.

僕が考える人間の自立は,むしろ逆なんです.人は必ず依存するものですよ.だから,自立とは,依存というものをちゃんと正視し認知することです.一方,自立していない人は,依存を依存だと全く気付いていなくて,ただ当然だと思っている.この違いはとても大きな違いです.

例えば,実家を出たことない,一人暮らしをしたことない人でも,自分が実家暮らしに「依存」しているんだと認知している人は,実家での日々の生活というものにちゃんと目が向きます.そして毎日の家事の大変さも分かっているから,できる限り手伝おうと思うものです.そうして,食事を作ったり,洗濯をしたりして,実家の生活に参加している人は,自立していると思います.

一方,自分のことは何でも自分でやれる,自分の好きなようにやる,という人は,上の独身男性の例のように自立していると僕は感じません.自分で何でもやる,好きなようにやる,という,その部分が目的になっていて,でも具体的に何をやりたいのかは全く曖昧だったりするし,自分が好むやり方しか受け入れないので,どのような状況でも生きていく適応力とか精神力の強さのようなものを全く感じないわけです.そして何より,何にも依存しないぞという頑なさが社会性を無くさせ,意思疎通というものから疎遠になり,決して首を縦にふらない頑固親父ができあがってしまいます.笑

結局,正しく依存して,それを認知できている人は,気持ちが外に向いています.だから,僕が考える自立している人というのは,人の気持ちを考え,理解し,共有することが自然にできる人とも言えます.こういうことができる人は,コミュニケーション能力も磨かれています.話す言葉がとても分かりやすく,何を言っているかさっぱり分からない,なんてことはまずありません.また,世界が自分の内側だけで完結せず,外側に大きく広がっていて,自分が所属するコミュニティや社会というものに対して客観的に理解していると感じます.だから自分の立ち位置や,自分が今何をすべきか,やりたいこと,ということが自然と見つかり,行動力・実行力もあります.

一方,自立していない人というのは,自分と関わる人の気持ちを理解したり,共有することができない人です.コミュニケーション能力が低いことが多く,文章の主語がなかったり,自己主張が過度だったり,やたらと同意を求めてきたりします.基本的に世界が自分の中で完結しており,自分がどういうコミュニティに所属しているのか,社会がどういう構造になっているのか,そういうことを何も考えていません.だから与えられるものを当然だと思うよりなく,それに対する自分のアクションに関して考えることができません.自分が何をすべきかを見つけられず,行動力に乏しく,だからこそ心の奥では何かとても不安で,ある種の不幸を常に感じています.

自立は今の日本人に最も必要なことだと思います.自立は今の日本人が感じている精神的なもやもやや,不幸感,のようなものを薄める力があると僕は思います.まあただ,一般的な日本の家庭の場合,親が子供が自立しにくい環境を整えていますから,やっぱり実家を飛び出す必要はあると思います.

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カントリーロード versus 未来へ

久しぶりに「耳をすませば」が見たくなりました.見るたびにいろんなことを考えてしまう映画です.


  カントリーロード 
  この道 ずっとゆけば
  あの街に つづいてる
  きがする カントリーロード

  ひとりぼっち おそれずに
  生きようと 夢みてた
  さみしさ 押し込めて
  強い自分を 守っていこ

  カントリーロード 
  この道 ずっとゆけば
  あの街に つづいてる
  きがする カントリーロード

  歩き疲れ たたずむと
  浮かんで来る 故郷の街
  丘をまく 坂の道
  そんな僕を 叱っている

  カントリーロード 
  この道 ずっとゆけば
  あの街に つづいてる
  きがする カントリーロード


全歌詞:http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND41475/index.html




私はスタジオジブリ世代なので,どの映画にも概ねどっぷりと浸かって生きてきています.笑

これはあのスタジオジブリ製作の映画,故・近藤喜文監督作品「耳をすませば」の主題歌「カントリーロード」.これを聞いて泣きそうになる日本人はたくさんいるでしょう.映画を見て魂抜かれたみたいになる人いるんじゃないかな.笑 

この歌は,日本の従来からの共同体意識の上に成り立つ依存関係を断ち切り,自立した一人の強い人間として生きていきたいと決意する歌だと僕は思っています.映画のテーマもそれを含んでいますね.でも歌詞の内容から,この歌の主人公が後ろ髪引かれる思いであることは間違いありません.つまり共同体の一員に未練は少しある...共同体は,この歌では故郷,あの街,という言葉で現れます.

この歌に感動する人は,自立した強い人間として生きていくことに憧れている人.でもあくまでそれは「憧れ」,現実は違うはずです.現実は共同体的な非自立的な個人として社会の中に身をおいているでしょう.何かへの強い依存の上にあなたは成立しているはずです.哲学者ハイデガーの言葉を借りるなら,感動は手が届いていない憧れを見せられると生じるのです.

一方,カントリーロードの正反対と僕が感じる歌は,キロロの「未来へ」という歌です.


  ほら 足元を見てごらん
  これがあなたの歩む道
  ほら 前を見てごらん
  あれがあなたの未来

  母がくれたたくさんの優しさ
  愛を抱いて歩めと繰り返した
  あの時はまだ幼くて意味など知らない
  そんな私の手を握り
  一緒に歩んできた

  夢はいつも空高くあるから
  届かなくて怖いね だけど追い続けるの
  自分の物語だからこそ諦めたくない
  不安になると手を握り
  一緒に歩んできた

  その優しさを時には嫌がり
  離れた母へ素直になれず

  ほら 足元を見てごらん
  これがあなたの歩む道
  ほら 前を見てごらん
  あれがあなたの未来

全歌詞:http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND10398/index.html





この歌で「ほら足元を見てごらん」と優しく声をかけるのは母親でしょうか.これがあなたが歩くべき道よ,そしてほら,未来はちゃんと見えるでしょ,だから安心してしっかり歩きなさい,と言ってくれます.自力で努力して考えて,オリジナルな人生を歩む,夢をつかむ,のではなく,ずっと未来へ続く道(敷かれたレール)があって,それを見失わずに進めば何も心配などいらないよ,さあ,進みなさい,と言ってくれるのです.しかも,また道が見えなくなったら,きっと手を握り一緒に歩んでくれることでしょう.ああ,なんという優しさ,安心感!

この歌は「カントリーロード」とは立ち位置と見ている方向が全く逆の歌です.今は自由で個人主義の時代で,そういう法律や社会システムはかなり浸透してますから,共同体に美しさ,安心感をおぼえる人たちにとってはすごく不安な時代のはずです.見えていたはずの未来が見えなくなり,不安なのですよ.この歌を聴いてじーんとくる人,感動する人は,共同体の中の依存関係の中で満たされて生きて行きたい,と憧れている人です.でも現実には,そのような過去の完成された美しき共同体は失われています.母親もきっとあなたにそれほどの安心感のある道を示し,未来を提示してはくれないでしょう...この感動もハイデガーの言うとおり,存在しないから,手が届かないから憧れなんです.

ああ,日本は今,どちらにも属していません.自由というものを理解し,自立した人間として考え,行動し,人とかかわり,人を思うことができる人はあまりいません.だからといって,全くぶれていない共通の価値観,そして共通の過去と共通の未来を一緒に共有できるような,過去の完成された共同体はどこを探してもやはり見当たりません.たぶん,今日本人はどうしていいのか分からないのだろうと思います.その中途半端さが,憂鬱,不安,無関心,絶望,そしてやり場のない憤りとなって社会を満たしています.


僕は,どちらの歌に感動することも分かるのですが(どちらへの憧れもあるのでしょう),それでもやはり,どちらかと言われればカントリーロード派です.

時間は戻りません.矢のようにまっすぐに飛んでいくのです.時間は物事を修正したり巻き戻したりはしません.コップの水はこぼれ,その水がひとりでにまたコップの中に戻っていかないように.

カントリーロードの中ではこう歌われています.


  心なしか 歩調が速くなっていく
  思い出 消すため

  カントリーロード
  この道 故郷へつづいても
  僕は 行かないさ 行けない
  カントリー・ロード


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Kalk Semen Kuri-no-Hana

「加爾基 精液 栗ノ花」(詠み方:カルキ・ザーメン・栗の花)は,椎名林檎さんの3rd アルバム(2003年2月発表)のタイトルです.私が椎名林檎さんの曲からどうにも離れられなくなったのは,このアルバムとの出会いがきっかけと言っても過言ではありません.こういうタイトルですから,ファンもこのアルバムをどう呼ぶか,それはとても難しいところで,一般には「カルキ」と略されていますが,頭文字をとってKSKという人もいます.

このアルバムに収録される曲は11曲.

宗教
ドッペルゲンガー
迷彩
おだいじに
やっつけ仕事

とりこし苦労
おこのみで
意識
ポルターガイスト
葬列



なんといっても私はこのアルバムが大好きなのです.いや,単純に好きというのとはちょっと違う次元で魅了されています.このアルバムが提示する世界観が,自分の中にある何者かと力強く共鳴している,そういう感じがします.揺さぶられるんです.このアルバムは私にとってけっこう危険な麻薬です.

例に漏れず曲目に対称性(シンメトリー)が生じており,字数や字種だけでなく,曲に参加したミュージシャンや使用楽器にまでシンメトリーが及んでいます.そして,CDを挿入し総演奏時間を表示すると,44分44秒と出るのですが,それを安直に凄いとか思われることは,彼女は多分望んでいないでしょう,と思います.これは意図されたものではないのに立ち現れた姿,表現だと感じますが...まあそんな深刻なことじゃなく,ある種の遊び,余興のようなものかもしれません.そういえば,このアルバムの中には他にも隠された様々な余興が多く存在します.言葉遊びもしかり,彼女の過去の音楽や,動物や,物理現象や,いろんなノイズ,そういう様々なものがモザイク状になって音楽に形を変えて散らばり隠されています.

具体的にこのアルバムで語られるものが何か,それは未だに私は理解できません.まあ,ありふれた言葉でいうなら,「輪廻転生」とか,そういうものが語られているように思うのですが,言葉にした瞬間に,それは違うと思ってしまうのです.

最近は,本当はテーマなどないんだという気がしています.東洋圏にはテーマという概念,ロジックはそもそもないのですよ..このアルバムでは,イメージがまず忽然と現れ,そのイメージを強化する言葉や楽器や音やノイズが選ばれると勝手に音楽として成立する.それを繰り返しているだけで,約束されたかのようにこのアルバムの世界が現れる,そういう気がします.しかしこれは一種の予定調和です.

根拠がない.論理がない.安心できる地面がない.つまりひとつひとつの言葉や音を裏付ける確固たる何かが実は何もない.これがこのアルバムを聞いて多くの人が感じるらしい「怖さ」だと私は解釈しています.論理や理由や合理性にかなり慣らされてきた現代の私たちにとって,どこか薄ら寒いのです.(制作者側から見れば,「こういう世界」を構築するための階段はしっかりと見えているのかもしれませんが...)

この怖さから私は「再度の怪」を連想します.再度の怪をご存知でしょうか? 有名な話は,のっぺらぼうです.ある行商人が山でうずくまり泣いている女性を見つける.心配で大丈夫かと声をかけたところ,ゆっくりと振り向いた女性の顔にはなんと眼も鼻も口もない.あまりの恐ろしさに商人は山をかけおり,村の蕎麦屋を見つけ飛び込む.そして蕎麦屋の主人に今体験した怖い話を息せき切って打ち明ける.しかし怖さのあまりうまくは話せず言葉が詰まるわけで...そうすると蕎麦屋の主人はゆっくりと振り向き,「つまりそれは,こういう顔でしたかい」と...なんということか,その顔にも眼も鼻も口もついていない...恐怖のあまり商人はそこで気を失う.とこういう話です.

再度の怪の恐ろしさは,二度経験することで,全ての希望を絶たれるかのように見えること.例えば,山ののっぺらぼうは狐が人を騙していたんだ,というようなロジックが蕎麦屋での体験で崩壊し,絶対にありえないことの方が真実であり,そこから全く逃げられない絶望を認知するという恐怖です.

要するにこのアルバムから感じる恐怖は,ロジックが実は通じないんだという怖さとして,私にとっては共通なんでしょう.1曲目の宗教の中の「花は咲いた 蜂を呼び寄せた」という淡々と語られるフレーズが最も怖いんです.これはもうロジックじゃなく,そういうもので壊しようがないものとしてこのアルバムの中では見せ付けられるわけです.それが何度も何度も繰り返されていく...私は花が咲くことも蜂が飛んでくることにも,無意識に理由を求めているんですね,恐らく...

ということで,このブログでいろいろ日本のことを考え,論理的にこうしたほうがいいとか,こうすればもっと社会は明るくなるんじゃないか,とか思うわけですが,そういうことをしても全て無駄ですよ,というような感覚をこのアルバムの音楽が持っているという気がします.ああ,怖い.

一方,このアルバムはもっと多面的でもあり,私が感じないものを多くの方は感じたりしているようで,それはどんな人生を送ったかによるのかもしれません.

例えば,このアルバムは女性の人生を歌っているという人がいます.その視点で聞くと,確かにそうなのかもと思います.まあ実体験的な感想はもてないのですが...また,「子孫を残そうとする生物の宿命」がテーマだと言う人もいるようですが,それもそうかもと思います.「茎」の意味は「陰茎」のことだと林檎さん本人も言われています.そして,この茎だけがペアを持たない(シンメトリーの中心)曲であり,一番生きている情感に溢れる曲であることが面白いです.この茎を中心に,両側に行けば行くほど,生きているのか死んでいるのかよく分からない,いや生死の別などが馬鹿馬鹿しくなるような,混沌の世界へと落ちていきます.

このアルバムは構成する11曲を分解することはできません.大きな壁画に描かれた部分を取り出してその絵を批評できないのと同じで,一曲ずつ取り出すと,このアルバムの世界は瞬時に壊れます.シャッフル演奏をしても変になります.

ご無沙汰だったカテゴリー「りんごさんのことば」ですが,今回,あえてアルバム自体に焦点を当ててみました.今後このアルバムから何曲か書いてみる予定です.

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恋するしっぽ

ちょっと時間に飛躍があり,これは一年前ごろの動画ですが...偶然You tubeで見つけたもので,思わずアップしてしまいました.





この歌は,任天堂DSのゲーム「夢ねこDS」のプロモーションに使われた歌.あのゲド戦記の手嶌葵さんが歌います.


あなたは寝ていると
思っているでしょ

違うのよ 本当はね
夢を見ているの

私が人間に
なれたらあなたは

今よりも微笑んで
くれるか不安よ


 「恋するしっぽ」より
詞:岡林和也



****

はっきり言いますと,私は一般的にこのタイプの歌は嫌いなのです.どういう歌かというと,人間以外の動物たちや植物たちの視点に立った歌.人間以外の生き物の気持ちを代弁するような歌.それは人間の思い上がりでしょ,あんたの願望でしょ,妄想でしょ,と思ったりして,むしろ人間の身勝手さを感じてしまう,そういう事が多いからです.

しかしこの歌は,出だしの数行の言葉たちによって救われています.「もし私が人間になったら,あなたは今よりも微笑んでくれるか不安よ」という猫さんの言葉に,人間の私が共感をおぼえた,というなんともいえない状況です.笑 もうこれは作詞家の腕に感服です.猫さんの視点を借りて,さりげなく私たち人間自身を見つめる歌なんだと感じる,そういう歌です.まあ,後半はそうでもないのですが...

猫さんたちのしっぽ,別の生き物のように動くしっぽ.しなやかなしっぽ.ひょうきんなしっぽ.静かなしっぽ.しっぽはこの世の中で最高に素敵な何かを連想させる! 人間にもしっぽはあったほうがよかったなぁ...と思います.

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テーマ : 癒し・ヒーリング - ジャンル : 心と身体