車と走り,車と対話する

今日はちょっと車の話.

ミニバン全盛の日本で,しかもこれほど環境問題が意識されてきては,もはやスポーツカーのような車が生き残る道はないのでしょうか.確かに,時代に逆行していると言えばそのとおりかもしれませんが,少し寂しい気もします.がしかし,ワゴンやミニバンのような「重たい」車を,たいていひとりで通勤に使っていても文句言われないのに,走り系の車を楽しそうに運転していると白い目で見られるような境遇は少々残念です.涙

ところで,日本で一般にスポーツ走行のような走り好きのドライバーは,何を車に求め,何が楽しくて,何に感動しているんだろうか,とよく考えます.というのも,雑誌などを読んでいると,どこか自分と温度差を感じるからです.こんなこと考えるのは,もう車馬鹿の暇つぶしでしかないのですが,どうも考えてしまうんですよね.

巷の自動車雑誌なんかを見ていると,スポーツドライブを語るとき,「思い通り」とか「意のままに」という言葉がひとつのキーワードになっているように感じます.車がドライバーの思い通りに加速し,思い通りに曲がり,思い通りに止まる.このような走りを達成することができる高性能な車を運転すると,「思い通り」という感覚が強く意識され,その先に「車を自在にコントロールできている」という満足に到達するのだと思います.そしてこの感覚を味わうことがスポーツドライビングの醍醐味であるかのように謳われています.

「意のまま」とはそんなに素敵なことなんでしょうかねぇ.実はどうも納得できません.

車は機械であり,物理法則を超越するような振る舞いは決して起こしません.「意のまま」などと言った所で,その物理法則の範囲内だけで通用することです.そういう範囲内であれば,動力性能・シャシー性能・制動性能が高く,走行インフォメーションの多いスポーツカーのような車は,基本的に意のままにドライブできて当然です.

日本の車雑誌によく現れる「思い通りの走り」「意のままに操る喜び」のような言葉が出てくる状況,それは,車の性能が乗り手の技術のはるか先に存在する時に,限界のずいぶん手前でドライバーが勝手に喜んでいる状態だと私は感じてしまいます.確かにNSXやS2000やインプレッサWRXのようなレーシングカー様な車をドライブすると,わずかなスロットルワークやステアリング操作に対して車がリニアに反応する様に,思わず「すごい!」と感動します.しかし同時に,車の作られている次元はこんな低次元な世界ではなさそうだ,とも感じるため,心のどこかで冷めてしまうんです.なんというか,「すごい」とは思えても「楽しさ」はないんですよね.車の成り立っているステージが違いすぎる.つまり,意のままに操っても,私は楽しさを見出せないんです.

スポーツドライブの本当の醍醐味は,物理法則が破綻するかどうかのぎりぎりの状況に存在すると思っています.タイヤがグリップ性能の限界を超えれば,もはや車は思い通りに曲がらなくなるので,それを知覚と知性と体力によってぎりぎりつなぎ止めてタイムを削る.例えばこういうことができた時,車は持てるポテンシャルの100%を発揮して美しく可憐に走行することでしょう.インプレッサもこの領域に持ち込めば,心から「楽しい」と思えそうですが,まあこれは公道で行うわけにはいきません.漫画イニシャルDの中でバーチャル体験するか,サーキットに行くしかないですねぇ.笑

私はそんなわけで,走り指向の車を愛していながら,そういうハイパフォーマンスカーにはどうも心が惹かれませんでした.「機械」としてはあこがれても,「車」としては惹かれないんです.そしてそんな私が大学時代にお金をためて最初に買った車はS13型シルビアという車です.忘れもしない,昭和63年車.28万円.^^; 

シルビアという車は,当時一部の走り屋やドリフト属ご用達の車であり,あまりいいイメージが持たれていませんが,その素性は素晴らしいものだったと思います.車を運転することの基本である荷重移動や,オーバーステア,アンダーステアという概念,基本的なドライビング技術は,このシルビアから全て学んだと思います.FRであるが故に重く,同じ排気量のFF車のほうが圧倒的に速かったし,重量バランスが悪くてトラクション性能も褒められたものではなかったですが(だからみんな改造してたんでしょうが...汗),その反面,ドライブフィールはとても自然で,走行情報量の多い車でした.走りながら車と対話することが楽しくて仕方なかった,そう記憶しています.私の体は今でもイチサンのドライブフィールをはっきり憶えています.あのとても優しくて心地よい感覚を.(このS13型シルビアは,車好きの間では「イチサン」という愛称で呼ばれています.)

私が最初からプジョーなんかに乗っていたら,多分206がどんな車かなんて,何も分からなかったという気がします.シルビアという車から基礎となる初等教育を受けたから,今の車好きの自分がいるんだと感じます.笑 今私は,フランス人が作ったこの小型車を運転し,この車が伝えてくる言葉に懸命に耳を傾け,対話をする努力をしているところです.文化の壁を乗り越えて,片言の仏語で意思疎通を図り,少しずつ打ち解けていくような楽しい時間を206と過ごしている,とまあそんな感じです.


 

テーマ : 愛車 - ジャンル : 車・バイク

レクサスの戦い

「微笑むプレミアム」.これは,レクサスが日本において販売を開始した頃に,テレビCMで使われていたキャッチコピーです.ずいぶん安っぽいキャッチコピーだなぁ,と思っていると...次はさらにギョッとする CMを見てしまいました.赤いレクサスISが,タンクローリーの後ろをゆっくりと走ります.タンクローリーの後部に映り込む自分の車の姿を見ながら,「ゆったり流すようになった.その気になれば速いのだから.」というセリフが流れます.そしてその後,それを確かめるように一気に加速してタンクローリーを抜き去る,こういうCMです....

「貧しい!いくらなんでも貧しすぎるよ...(TT)」.

これがこのCMに対する正直な私の感想です.レクサスは,全世界に展開するトヨタが本気で作りこんだ高級車ブランドなんですよ.それなのに...

しかしよく考えてみると,今や「世界のトヨタ」です.世界で最も利益を上げている自動車会社です.日本においても,堅実な経営とマーケティングで,国産車No. 1の座は常にゆるがないトヨタ自動車ですよ.そのトヨタが,本気で作った世界戦略車に対して,テレビCMでわざわざこのようなセリフを言う.つまりこの言葉が,潜在的なレクサス購買層に対して非常に重要な意味を持つかもしれないとトヨタの首脳陣は判断したと解釈することができます.インターネットで検索をしてみると確かに,「その気になれば速い」というこのセリフに感動した,最高!という個人のブログに多くお目にかかれます.一方,このセリフを聞いて残念に思っている人は少数派のようです.やっぱり私は少数派だったか.泣

なるほど,とここで合点がいきました.いいものを作ったからといって売れるとは限らない,日本の市場をよく表しているのだと思います.レクサスの価値を真正面から理解できる日本人は非常に少数なのでしょう.少数の人にレクサスを購入いただいても,世界のトヨタとしては納得できないわけです.どうせ日本にもレクサスブランドを展開するのなら,ちゃんと売れて欲しいわけですし,トヨタは本気で売るつもりでしょう.

本気で「たくさん」売るなら,戦略が必要です.どこかのメーカーからオーナーを奪わなければなりません.紛れもなくそのメーカーは独御三家,メルセデス,BMW,アウディ,ということになります.価格帯,そしてセダンという形体をとっても,このドイツ勢はひとまずライバルになるわけです.この辺のドイツブランドからレクサスに乗り換える人が出てくれば,レクサスは日本において成功したと言えるでしょうね.ところで,これらドイツ車を買う人たちは,本当にその価値を分かって買っているのでしょうか.私は非常に疑問です.ドイツ車の真の価値は,アウトバーンのような超高速域でようやくはっきりと実感できますが,日本のような狭い道路をちまちまと走っていても,むしろ鈍重に感じられるシーンが大半です.堅牢さは感じられますが,過度な堅牢さと捉えることもできます.本当にそれが好きでドイツ車を買っている人はいいのですが,たいていの人はそうではないでしょう.私の印象では,やはりブランドイメージにお金を払っているのだと思います.あのエンブレムを手に入れ,憧れのBMWオーナーになる,そのステータス性にお金を払っているのであり,決してBMWがプロダクトに込めた深い哲学に魅了されたがためではないでしょう.

こうなると,残念なことにレクサスには手も足も出ません.手詰まりです.なぜなら,レクサスには日本において確立されたブランドイメージがなく,しかも結局トヨタという国産のレッテルが貼られます.せいぜい「レクサス」という米国でのブランド名を持ち込んで,トヨタのエンブレムではなくレクサスの「L」のエンブレムをつけて,レクサス専用のディーラーを立ち上げるくらいしか手立てがありません.実際そのようになっていますが,それでも日本での販売台数は未知数だったことでしょう.そして,どのようなキャッチコピーが日本における潜在的購買層の心に響くか,トヨタ自身も完全に予測できなかったのではないでしょうか.ですから「その気になれば...」のような,およそ車の持つイメージからは程遠いキャッチコピーが流れたのかもしれません.

自動車雑誌では当時,さんざんドイツ軍団とレクサスの比較特集をやっていました.やれ加速性能がどうだ,静寂性がどうだ,と...レクサスの敵は,メルセデス・BMW・アウディだと信じて疑わない論調です.しかし私は,日本におけるレクサスの真の敵は独車ではなく,「日本人」だと思っています.レクサスとはどういう哲学を伴った車なのか,それを消費者自身が能動的に見ようとしなければ,外車ではないレクサスは日本市場においては不戦敗なのです.レクサスの目指すものはドイツ車とは全く異なるベクトルの上に乗っており,数値化して比較することに意味を感じません.私はGSやISに試乗・同乗し,欧州車の後追いではない,前にも書いたような日本臭い個性を感じます.しかしそれは充分に磨かれ熟成されたもので,ドイツ車と対等なポジションに存在できることは確かだとも感じます.もしこのレクサスの世界に魅了されたのなら,もはや国産か外車かなんてどうでもいいことです.こういう価値観でもって消費者がレクサスを見なくては,レクサスは決して日本市場では成功できないのです.

ところで余談ですが,レクサスのディーラー,素晴らしいですね.何が素晴らしいかって,外観ですよ.日本の自動車ディーラーがあまりに醜いせいもあります.大きな垂れ幕で「新型○○誕生」「△△キャンペーン実施中」って,あれは何なのでしょうか.そういう意味において,レクサスのディーラーは,日本の街の景観に対しても問題提起をしているように感じます. 一方,ディーラー内では旧態依然の「接客業」が存在します.日本人を相手に商売をするので,ここは仕方ないのでしょうか.

関連記事:レクサスが提示する価値
    :レクサスのデザイン
    :ドイツアウトバーンに学ぶ

 

テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

レクサスのデザイン

私は車好きですが,車を見る時,そのデザインってすごく自分にとって重要な要素だと気づきます.すごく美しいとか,すごくどう猛そうだとか,そういう何気ない車が持つ雰囲気を楽しむのがとても好きです.もちろんメカや走りも好きですけど...(^_^;)

私は,レクサスが日本で販売を開始した時,そのデザインに対して最初に感じたことは今でも覚えています.いわゆる第一印象,それは...

「ずいぶんあっさりしてるなぁ,でもすごく綺麗」

これは当時日本において販売を開始したISとGSというモデルから共通に感じた感想です.このような雰囲気はあまり他の外国車から感じたことがありません.一般的な日本車とも全く違う雰囲気を持っている気がするのですが,でもどこから見ても日本車だと分かる雰囲気も同時に感じます.こういう一連の感覚はどこから来ているんだろうか,何が私にそう思わせているのか,これはすごく興味があったのです.(私はまず直感的に何かを感じて,その理由を客観的に言葉に変換して探そうとするタイプなんです.)後になって追加されたLSという最上級モデルからも,統一感のあるレクサスのデザインを感じます.

レクサスから感じるデザインの綺麗さ,それは面(平面および柔らかな曲面)と線(プレスのラインとボディのチリ)の妙なんだと今は思っています.面と線の組み合わせが凄く綺麗.ここが決定的に外国の車と違うところだと思います.欧州やアメリカの車は,やはり造形で見せている気がします.車という「塊」がどのような姿をしているか,ということ.つまり,石を彫刻していくように,ひとつの塊の中に具現化した造形を創造するわけです.プジョーやフィアットのようなラテン系の車はもちろん,メルセデスのようなドイツ車もそうです.極論ですが,「ダビデ像」のような世界を感じます.表現の主体は完成された車の「姿」そのものなんです.一方,レクサスが見せているデザイン.これは完成された車の「姿」というより,「要素」だと思います.具体的に探すと,それは面や線の見せ方.そして,その世界をしっかり表現するための,鋼のプレス技術や塗装技術,パーツごとのチリ(隙間)を正確に合わせる高い技術力を感じます.このようなデザインコンセプトから成り立つレクサスは,全体で捉えるととても薄味です.全体としては「そつなくまとめた」といった感覚です.主張がなく,逆に言えば間口が広く見えます.どのような人がそこに乗り込もうとも,抱擁してくれるような優しさにつながります.

最終的には,好き嫌いの問題でしょう.私はというと,レクサスのデザインは好きです.主張がないという点が好きという意味ではありません.欧州勢の後追的なデザインに終始していない点に価値を感じますし,そして実際に,世界中探しても現行のレクサスに似た車はないと思います.そういう個性が素敵ですね.

ところで,凹凸がなく,面と線からなるものといえば,和服(着物)です.一枚の布から仕立てる平面造形の着物は,着付けによって,体の曲線に馴染むように柔らかな面と線が現れます.まさにこれだ!と思ったのは...私だけでしょうか.笑 レクサスのデザイナーがそんなこと考えたかどうか知る由もないのですが,でも本当に,真面目な話し,私は着物というものが持つ美しさを現行のレクサスのデザインから感じます.一方,肉体的なBMWやアルファロメオや,こういった海の向こうの車たちは,立体造形の洋服だと思いますね.

いい写真が手元にないので,またまたリンクですみません.ISの公式サイトのギャラリーです.興味のある方はどうぞ → http://lexus.jp/models/is/design/gallery.html

※この記事のレクサスのデザインとは,新しくデザインされた現行のレクサス主力車種であるセダン系,LS,GS,ISを指しています.日本に導入されているモデルです.クーペSC,SUV系のデザインの方向性は別のもので,これは除外しています.

関連記事:レクサスが提示する価値
      :日本車のデザインが駄目な理由


 

テーマ : アート・デザイン - ジャンル : 学問・文化・芸術

レクサスが提示する価値

レクサスは,トヨタ自動車が全世界に向けて供給する高級車ブランドです.「高級の本質を追求し続けること」をブランドフィロソフィーに位置づけ,そのための手段として,これまでに自動車という枠の中に存在しない全く新しい価値の提示を行っていくと言います.具体性のない「追求するその過程」をフィロソフィーに掲げているところは,いかにも日本らしい控えめなコンセプトですね.しかしこの高級車,煮え切らない曖昧な車などではなく,トヨタの強い信念のようなものをむしろ感じます.例えば,レクサスは国ごとに安易に仕様を変えるようなことはしていません.つまり民族や文化に合わせたごまかしの小変更はせず,共通の仕様で世界に供給しているわけです.「私たちが考え抜いた高級車とはこういうものだが,どう思うか?」と世界中の人々に問いかけているように感じます.世界トップシェアの座を争う自動車企業が,自社の持てる能力の粋をつぎこんで作るプロダクト,レクサスはそのような意味においても,はたしていかなる車なのかと,興味をかきたてられる存在です.

レクサスのテーマのひとつは「環境」であることは間違いありません.Web siteでもそれは公言されています.高級車はどうしても重量が増えてしまい,環境性能とは相容れない存在です.そういう意味で,高級車に環境の付加価値を盛り込むという新しい試みをレクサスは行っています.このような重量級の車にハイブリッドシステムが搭載されているのは,世界中を探してもレクサスだけです.しかし,よくよく考えてみてください.本当に環境を意識する人がこんな大排気量の車は買わないでしょう...苦笑 はじめから小型車か公共交通機関で決まりです.ですからレクサスにおけるハイブリッドシステムは,重量級の車が欲しいけど,環境のことも考えたい,という大人の「わがまま」に対して,その願いを叶えてあげたいというトヨタの底なしの良心によって生まれたように感じられるのです.これは本当に「新しい価値の提示」などと言っていいのでしょうか?

私は過去に,レクサスGS 450hのテストドライブを行ったことがあります.この車,排気量3500 ccのV型6気筒エンジンに,ニッケル水素バッテリーを補助動力源として用いたハイブリッドシステムを搭載します.バッテリーは減速時にその運動エネルギーを用いて蓄電し,走行時に電力によるパワー補助を行い,燃料の消費を軽減させます.450hの450の意味は,電気の力を借りることで4500 ccエンジン相当の出力を生み出すという意味であり,一方燃費は2000 ccクラスの車と同等であるとアナウンスされています.これは驚きです.

さて率直に書くと,GS 450hのテストドライブは思い出すだけでも鳥肌ものです.この車のステアリングを握り,アクセルを踏み込んだ瞬間,この車の新しい価値の提示というものは,高級車にもハイブリッドシステムを搭載しましたよ,というような安直な概念ではないことを悟らされました.アクセルを踏み込むと,全く一切のタイムラグを伴うことなく,車は速度を上げはじめます.レシプロエンジンが必ず見せる何かしのタイムラグは電力によって完全に補完され,アクセルの一瞬の動作に対し車が「同時に」反応するのです.この電気の力によって瞬時にもたらされる強大なトルクはまさに感動ものです.一方,もしアクセルを深く踏み込めば,かなり過激な加速力を示しますが,その力感はあくまで滑らかで緻密です.電気という静寂の中から,エンジンの存在が次第に浮かび上がってくる,そんな感じですが,しかしエンジンの存在はやや遠方に感じられ,どこか涼しげな印象でもあります.これは,レシプロエンジンのみを使うことで達成する一種のドラマチックな世界観(つまり一般の車が持つ走りの世界観)とは全く異質です.世界中探してもこんな個性的なフィーリングの車は存在しないでしょう.私としては,ロータリーエンジンよりもはるかに衝撃的でした.

GS 450hにおける新しい価値の提示は「高級車にハイブリッドシステムを搭載したこと」ではなく,「ハイブリッドシステムを利用することで既存の自動車にはない未体験のテイストを創出していること」だと感じます.つまり,ハイブリッドシステムを搭載した車を買うというより,この乗り味に惚れ込んで買うのだと思います.そうしたらハイブリッド車だった,という順番...この流れは私は好きです.環境という名のもとに生まれる一種の閉塞感ではなく,車を作る新しい発想が環境と結びついているという進歩性.なんというか,自由がなくなっていく感じではなく,自由が生まれている感じがするんです.

レクサスは,これまでの日本車にはない何かをやろうとしているのだと思います.なかなか素敵な車です.

http://lexus.jp/models/hybrid/index.html


関連記事:レクサスのデザイン

 

テーマ : 車選び - ジャンル : 車・バイク

シトロエンC4

機能を極めて重要視する傾向は,日本の工業製品を考える上で非常に重大な問題だと思います.日本人は本当に「機能」が好きですね.家電のパンフレットを見ても,たくさんの機能が列挙され,どんなに便利か高性能かを消費者に訴えています.炊飯器なら,「AI炊飯」「8段圧力」「無洗米コース」「お知らせメロディ」などの機能フレーズがところ狭しとパンフレットに並んでいます.で,調べてみると本当に欲しい機能はなかったりします.笑

さて,国産自動車の場合も,機能的であることに抜かりはありません.車内の小物入れの多さや,室内の広さ,何人乗れるか,シートはどれくらい倒れるのかなど,一般車においてはかなり「機能」が重要視されています.エクステリアはどうでしょう.本当は,車のエクステリアには機能にとらわれることなく,純粋にデザインが存在してもいいと思うのですが,ここにも妙な考えが存在します.それは「機能美」です.具体的に言うと,空力のいいボディは,そういう能力を秘めた必然的美しさがある,高速走行時に強いダウンフォースを生じさせるリアウィングは,そういう性能に基づく美しさがある,と思っているわけです.この概念自体には私は賛同できます.確かに空力性能のいいボディはそういう性能を身につけた美しさがあるし,スポーツカーのリアウィングを見て,醜いなどとは思いません.ただ,問題は,

「車はそれだけの要素ではない」

ということです.「美しい」とか「かっこいい」と単純に感じる感性は,局所ではなく全体から受けるものです.ですから結局,これら機能美に溺れた車は「物理的な性質」が優先されているにすぎないのです.日産GT-Rやトヨタプリウスが,お世辞にも「美しい」,「かっこいい」と思えないのは,この機能美崇拝主義のせいだと思います.

都内某所で,シトロエンC4に出会いました.C4はすでに日本で販売されて時間が経っているので時より見かける車です.すでにどんな車なのか知った上でのことなのですが,それでも思わず息を呑む雰囲気を持っています.素晴らしく美しい.これまでは特徴的なフロントマスクやリアビューに目が行きがちだったのですが,今回の発見は,サイドビューの美しさ.思わず見とれてしまいます.

    


公式サイトはこちら.ただ写真や解説からはあの美しさはそれほど伝わってきません...
http://www.citroen.co.jp/products/c4/index.html

シトロエンは「独創性」を最重要視していると断言していますが,その独創性は,独創性を目指した結果ではない,とも言っています.つまりどういうことかというと,走行性能,安全性能,快適性能,実用性能,環境性能,そしてスタイル,これら多くの要素を磨きぬけば,結果的に独創的な車ができあがる,というのです.意外に平凡な結論だとお思いの方もおられるでしょう.いや,これでは独創的とは言えないよ,と思われますか? 私は,シトロエンが明言していない裏の意味を感じます.それは,これらすべての要素を同時に磨きぬくには,大きな矛盾を伴う,だからこれらをすべて協調的に磨き上げるには,独創的な発想が必要なのだと.走行性能と環境性能が相反することは分かり易いですね.安全性能を磨くと車は重くなりますから,環境性能や走行性能にはやはり不利です.そして何はともあれ,スタイルはすべての要素に対して大きな問題を提起するでしょう.空気抵抗,人間工学に基づく乗降のし易さ,タイヤのサイズなど,ありとあらゆる要素に対してデザインは干渉しうるのです.これらをバランスよくまとめ上げ,大きな妥協によって要素を捨て去るようなことをしない高い志がシトロエンの技術者やデザイナーにはあるのでしょう.こうして生み出された車たちは,もはや冷たい工業製品ではなく,温かな有機体のように私には感じられます.この安心感は絶大です.

※車の要素はそれだけではない,とほぼ等価の意味です.

関連記事:シトロエンC6
      :プジョー206のトラクション性能

 

テーマ : フランス車 - ジャンル : 車・バイク

ドイツ・アウトバーンに学ぶ

ドイツには「アウトバーン」と呼ばれる高速道路があります.ご存知のとおりこのアウトバーン,半分以上の区間で制限速度が設けられていない貴重な高速道路です.しかし近年の環境問題に対する世論が高まる中,ついにアウトバーンの速度無制限を撤廃しようという法案が提出され,私は注目しています.あのアウトバーンに速度制限ができるのか!?

速度制限ができるとまず最初に考えてしまうのが,ドイツの車作りはどうなるんだろうか,という点す.ドイツ車はこのアウトバーンという苛酷な環境に育てられているといっても過言ではありません.速度が乗るほどに安定感を増し,例えば時速200km付近においても全くふらつくことなく安心して巡航できます.これがアウトバーンによって磨かれた自動車の品質であり,ドイツ車の堅牢さの秘密です.日本で仮にBMWのオーナーになったとしても,その速度領域に達することができる場所はありません,免許取り消し覚悟で飛ばさない限りは...苦笑 よって,ほとんどの人はBMWの真の価値を知らないままに乗っているのだろうと推測します.とてももったいないのです.で,話しは戻って,速度制限ができてしまうと,そういう車作りは失われてしまうのでしょうか.そう考えると速度無制限撤廃はドイツ車の成り立ちとは相容れません.

さらに.ドイツ人はかなりの合理主義者です.そもそもアウトバーンは,そのように無制限に速度を上げても大丈夫なように,勾配もカーブも極めて小さくなるように初めから設計されています.そこにきて,車は充分に高速で走ることが可能な代物です.そして何よりも「時は金なり」でしょう.だからといって,こんな無法地帯だから自動車事故が多いのかと思いきや,決して多くはありません.住民あたりの事故遭遇率・死亡率が高いのはフランスのほうです.こう考えてみると,速度無制限撤廃などドイツ人が納得しそうな気がしません...

ところがです.環境問題.そう,この法案の発端をすっかり忘れていましたが,CO2対策の一環として,速度制限を導入しようとしたわけです.環境問題となればヨーロッパ人は黙ってはいません.車というのは,最も効率よく(燃費よく)走れる速度が車種によってだいたい決まっています.これはエンジンの特性と動力をタイヤに伝えるまでの減速比(ギア比),車体の空気抵抗によって決まります.ポルシェのような本格的なスポーツカーでさえ,最も燃費よく定速巡航できるのは,時速100から150kmの間くらいなのです.一般に速度を上げるほどに,路面の摩擦と空気抵抗,エンジンの回転数増加は容赦なくガソリンを消費させます.ですから,環境のことを最優先にするなら,確かに速度無制限はよろしくないのです.うーん,やはり無制限はよくないのか...??

そういうわけで,私はこの法案の行方がとても気になっていました.ドイツ人はどんな方向性を打ち出すのか,と.

さて,最近この件について久しぶりに調べてみたら,どうやらドイツ政府は「速度制限を設けない」方向で調整しているのだそうです.言い分をまとめるとこうなります.「アウトバーンを走行する車が排出する排気ガスは全体で考えれば微々たる量.さらなる自動車技術の進歩,および燃料の質向上のほうが,大きな効果をもたらすはず.速度無制限のアウトバーンはドイツ車の品質を支えるものであり,そこに制限を加えるまでの価値は見出せない.ただし,アウトバーンでの推奨速度として,時速130kmを提案する」.

素晴らしいですね.極めて合理的であり,かつ不明瞭な部分がほとんどありません.私はドイツ政府の見解をこう感じます.「私たちがあなたたちの権利を奪わなければならないほど,この速度制限に意味を見出せない.ただし,個人が個人の責任において,自主的に速度を抑えるのなら,推奨する速度は時速130kmくらいであることをアドバイスいたします」と.

結局,法律で縛っても駄目なんです.日本は決め事を作り,中身を議論しないまま束縛する(される)ことが好きな国民ですが,自主性がないと根本的な人間の尊厳は保たれないし,精神はストレスをため続けることになります.私は過去に「ホスピタリティ」の記事で,節水シャワーヘッドの貧しさについて書きましたが,これと同じことです.日本人は速度無制限のアウトバーンがなぜ存在できるのかを,今一度考えてみる必要があると思います.

関連記事:人と車を分離しない!


テーマ : 地球温暖化・地球問題について考えよう。 - ジャンル : ライフ

日本車のデザインがダメな理由

 私が車のデザインを見て,この車いいなぁと感じる場合,たいていそれは「車」という概念とそのデザインの調和を見ている気がします.つまり,車そのものの造形ではありません.車という概念はどういうものかと考えると,やはり突き詰めて考えるなら「動いて人や物を運ぶ」というその動作を指すのではないでしょうか.ですから,そういう動作に調和していることが最終的に車のデザインの美しさにつながると感じます.(このことはシトロエンC6の記事でも書きました.)

私は,この車の「動作」に関して,ふたつの要素に分けて考えます.ひとつは動くということ自体とデザインの調和.そしてもうひとつは,動くことで生じる背景の変化との調和.

まず前者です.こちらは,あくまで動くということに矛盾しないデザインでなければなりません.飾られている時より動いている時に美しく見えるようなデザインです.私はフランスやイタリアの車から,すべからくその事実を思い知らされますが,日本車では突出して日産のデザインが走るということを意識しているように感じます.日産のデザインは理屈では説明しにくいのですが,ほとんどの車種で動いていて見苦しくありません.マーチやフェアレディはもちろんのこと,角ばったキューブやエルグランドでさえ,動いているときに違和感がありません.これは不思議です.明らかに動いている時のイメージがデザインの過程で少なからず存在しているんじゃないかと推測しています.

次に後者.これは非常に難しい問題をはらんでいます.大自然の中を走るのと,街中の路地を走るのとでは背景はまるで違います.ですから,すべての背景に調和するデザインなんて存在するんだろうか,と思うからです.しかし!!これには信じられない解決策があるんです.それは...車に意志があるかのように見える場合,どこに行っても調和が生まれるということです.これはちょうど,羽を持って飛ぶことができるスズメが,自分の意志で移動することにより,街中のアスファルトの上にいても,森の木々のこずえにいても不自然ではないことに似ています.概ね海外の車には意志を感じます.フォルクスワーゲンにしろルノーにしろダッジにしろ,デザインに意志を感じるんです.そしてドライバーが車を動かすことによって,デザインの段階で仮定された意志は具現化し,動き出します.そしていろんな場所を旅するんですね.とても自然なことなんです.アルファロメオ147が,郡上八幡で見かけても首都高湾岸線で見かけてもサロベツ原野で見かけても,いずれも背景と調和して美しく見えるのは,動くという能動的意志が吹き込まれているからに違いないんですよ.この後者の部分,これは日本車にはかけらも感じられません.なぜでしょうか.それは日本人が概して意志を持っていないからだと思えます.少なくともどういう車を作りたいかという具体的イメージはなく,もしくは個人は持っていても多数の人が集まるとそれをまとめることが結局できず,動こうという意志を持つことのない大量生産された工業的機械が生まれているにすぎないのです(もちろん実際にはちゃんと動きます.だから不自然に感じるとも言えます..苦笑).

で,いろいろ書きましたが,これって車のデザインに限ったことではないんですよねぇ.調和はデザインにおけるひとつの基盤のようなものだと感じます.


関連記事:レクサスのデザイン

この記事は鳥獣遊画「調和こそがデザインの意味」にトラックバックさせていただいています.


   

テーマ : デザイン - ジャンル : 学問・文化・芸術

シトロエンC6

いやー,ついに見てしまいました,シトロエンC6.C6をご存知ない方はこちらからどうぞ.この車,発表当時からとても気になっていたのですが,ついに見てしまったんです!!もう発表されているんだから見たことあるだろう,って? いえいえ,「ショーで飾られているC6ではなく,web上でのC6でもなく,ちょい汚れて,そんでもってちゃんとオーナーが運転して走行しているC6」を街中で見たのです.ショーで見るより繊細で,意外にも景色に溶け込んでいたのは不思議です.私は車のデザインの重要なファクターのひとつは,動いている時にどう見えるかだと思っています.まさか観葉植物じゃないわけです.ガレージで鑑賞するために買うわけでもない.(これは私の勝手な妄想ですけど... 笑)モーターショーの記事でさんざんデザインのことを書いておきながらこう言うのも何ですが,ショールームで見る車ほどつまらないものはないんです.

私はこの車,ジャーナリストの方々が言うほどぶっ飛んだデザインではないと思っています.その根拠は「車の常識的な容姿」という固定概念をなるべく捨てようとしただけだと思えるからです.基本的に車のデザインは極めて制約が多いと思います.衝突安全,空力,重量バランスなど物理的制約を大きく受けますし,ウィンカーやタイヤなど必須アイテムを必ず取り付けなければならず,またある程度大量生産を前提とするなら,ボディーのプレス技術の限界およびコストとのバランスがあるでしょう.ですから,まあ制約だらけの中でデザイナーは格闘しているんだろうと推測しています.しかしあまりに制約が多いので,あきらめも多いのではないでしょうか.そしてある程度「車というものはこういう姿だ」という既成概念が築かれていくだろうと思います.それは同時に見る側,買う側の私たちにも,です.そういう意味で,シトロエンのデザイナーの挑戦は私にとってとても刺激的です.現在のシトロエンのデザインは,とにかく車という既成概念をできるだけ希釈しようとしているように感じます.それはともすれば「変な車」になりかねないわけで,常識と非常識の妥協点を一所懸命に探しているかのように感じます.なので,例えばヘッドライトは前方に左右二個配置するという常識を最初に破ってくれるとすれば私はシトロエンだと思っていますよ.こういう感覚は,他のどんなメーカーの車からも感じられません.シトロエンはとにかく私にとってかなり「素敵な車」なんです.

またまた日本車批判で申し訳ないですが,それに比べて概ね(すべてとはもちろん言いませんが)日本車のデザインは悲惨です.適当に「ちょっとずらしたり」「ちょっと傾けたり」「途中で止めたり」しているだけで,そこに何の意味も感じないんですね.どのようなイメージも湧いてきません.というかどのようなイメージを持ってデザインしているんだろうか,と不思議に思えてきます.イメージなくしてなぜデザインがそこに存在できるのか,と問いたいのですが....

テーマ : 新車・ニューモデル - ジャンル : 車・バイク

ホンダ フィット

今年の日本カー・オブ・ザ・イヤーは,本田技研のフィットが選ばれました.受賞理由は「先代の基本性能の高さを受け継ぎつつ,ユーティリティや乗り心地,ハンドリングそして時代の要請である環境性能など,あらゆる能力をさらに高めた.世界のどこでも評価される実力,魅力がある」となっています.なんだか,この模範解答のためにフィットが生まれたという気がしてきます.それは私だけ? 日本ではともかく,世界で本当にその魅力が評価されるか見守りたいところです.

私は新型フィットにはまだ乗ったことないので,とやかく言う資格はないのですが.それ以外のところで思うことを述べさせていただきます.

まず,車に興味がある人間が見れば誰でも分かるとおり,今回のフィットは「キープコンセプト」です.新しい,斬新なことはせず,先代モデルをリファインした,つまり雲形グラフをひとまわり大きくしたってことです.そういう車が,「今年の日本の最も優秀な車」に選ばれたってことです.過去のRJCカー・オブ・ザ・イヤー,日本カー・オブ・ザ・イヤーを見返しても,ここまでキープコンセプトの車が選ばれた年はありません.つまり,それほど魅力的な車がなかったことの裏返しでしょう.

しかし,ともあれ何か発見があるかとホンダのホームページでフィットをじっくり調べてみました.そして仰天.何ということでしょう,これは...何一つ,そう何一つ新しいことは書かれていないのです.例えば「空力を考慮した、流れるようなボディのカタチで燃費向上にも貢献しています」「街の中をキビキビと、そして、街の外へも力強く駆け出せます」「高性能サスペンションを採用し、しなやかで快適な乗り心地を実現」...もう出るわ出るわ.延々と出てくるありきたりな説明.そう.この車は確かにキープコンセプトなんです.ただのリファインなんです.

私はこれを見て「ホンダはひどい会社だ」とは実は微塵も感じません.なぜなら,ホンダがどれほど自動車を愛しているか,それは他に魅力的商品がたくさんあるから分かります.ただフィットには,とても優れた車だとは言えホンダの愛は感じませんね.私が言いたいことは「消費者は,そして自動車評論家は,ここまで舐められたのか」ということ.ホンダは,どういうふうに作れば日本で車が売れるかということを完璧に習得していると思うわけです.カー・オブ・ザ・イヤーをゲットなんて,まさにしてやったりです.実は暴露すると,私の知人にはホンダで開発をしている人がいます.「フィットは先代が売れたから何にも変わってないよ」とのことです.そう.ホンダはこの車で儲けて,F1マシンのリアウィングの形状の研究に日夜努力しているという見上げた会社なんです.ですから,ホンダは社員を雇用するために最善のことをやっているのだと思いますよ.

日本の自動車業界が発展し,世界に誇れるような車が出てくるには,消費者が成長するしかないのです.これは市場原理のひとつだと思います.しかし消費者は急に成長できるものではありません.よって,ジャーナリストの皆さんがちゃんと「新しいこと」「新しい発想」の車をイヤーカーに選んであげないといけないとけないと思います.RJCは今年「デミオ」を選んでますが,こちらのほうに私は賛同します.

最後に.この辺はまた別に詳しく考察したい話題なのですが,ひとこと.日本車は世界で認められていると多くの日本人がやや勘違いしている気がしますが,私は声をあげて言いたい.「総括的に言って現代の日本車から環境性能をとったら何も残らない」ということを.そして「環境性能の差は少しずつ確実に縮まってきている」という事実をしっかりと認識すべきです.そろそろ.

   

テーマ : 新車・ニューモデル - ジャンル : 車・バイク

オーナーズラウンジって...

さて,東京モーターショーでのつぶやき,その第二段は,オーナーズラウンジというものについてです.呼び方は各ブースそれぞれですが,まあとにかくそのメーカーの車を所有しているお客様にラウンジを用意して,コーヒーなどをサービスする,つまり特別待遇をはかるものです.

これの本来の目的は何かと考えると,モーターショーはすごい人ごみで当然体力も消耗しますから,ちょっと休憩できる場所が欲しいのですが,そのような場所はそんなに多くありません.そこで,ブースの一部にスペースを作って,自社の車に乗っていただいているお客様には,ちょっとした休息の場所を提供し,元気を取り戻してまたショーを見て回っていただこうという趣旨なんだと思います.

しかーし!これが脱線すると思わぬ事態が発生します.例えばベントレー.ベントレーといえばもちろん数千万円するような高級車ばかりですが,もちろん一般市民は近づくことができないように柵があり,車もその柵の中の壇上に展示されています.それを遠巻きに「すげーなぁ.すげーなぁ」といって見ているわけです.まあここまではOKなんですけど,問題はベントレーのオーナーズラウンジの入り口ですよ.なんと,この柵の中央に柵が開くようになっている場所があり,ここから入るんです!そして,いったん展示車と同じ壇上に上がってから,奥のラウンジに向かうわけです.みんなの注目を浴びながら...ちょうど私がベントレーの展示車を見ていたとき,一人のおじさまがそのラウンジへの入り口までやってきて,「どうもこんにちは.景気はどうだね?」ってな感じでベントレーブースの係員に軽く話しかけ,壇上に上がりました.そして壇上を歩き回りながら車を見て回り,係員となにやら談笑中です.そうするともちろん,一般市民はこうなります.「ああ.あの人オーナーなんだね.社長さんなのかな.なんか違う世界の人って感じするよね.すごいなぁ.羨ましいなぁ...」

では言わせていただきます.もし万が一,万が一ですよ.私があこがれのベントレーオーナーになったとして,最も行きたくない場所,それはこの,柵の内側ですね.なぜって?ベントレーという車の哲学から最も遠い場所だと思うからです.もうイギリス紳士もベントレーも号泣してますよ.笑 もしベントレーを持つことでステータスを得ることができるとして,その地位は,この壇上を歩き回ることで完全に失墜しますね.オーナーズラウンジ,それはそれはさりげなくブースの裏にあるべきものです.

間違えてもらいたくないのですが,私はベントレーを一切責めていません.おそらくベントレーという車を買う方の質が日本ではこういう傾向なんだということ,そしてそれを容認し,特にベントレーについて深く知らないまま憧れを持つ人間が少なからずいるだろうことが悲しいわけです.それからもう一点.私を含め給料の安い一般市民は,はなから一切を放棄せずに,ベントレーとは何者なのか考えなくてはならないのです.こだわりと美意識,一貫した哲学から生まれるこの価格の意味を! だって,ひょとしたらオーナーになるかもしれない.その時この壇上を徘徊せずにすむように今から学習するのです!もしかりに,給料が安いまま一生を終えることになったとしても,ベントレーという車のことを深く知ることができたなら,きっとそれは日常の振る舞いや考え方に影響を与えると思います.総じて何も知らないよりも豊かな人生だと思うのですが,どうでしょうか.

   

テーマ : 東京モーターショー - ジャンル : 車・バイク