ミニバン全盛の日本で,しかもこれほど環境問題が意識されてきては,もはやスポーツカーのような車が生き残る道はないのでしょうか.確かに,時代に逆行していると言えばそのとおりかもしれませんが,少し寂しい気もします.がしかし,ワゴンやミニバンのような「重たい」車を,たいていひとりで通勤に使っていても文句言われないのに,走り系の車を楽しそうに運転していると白い目で見られるような境遇は少々残念です.涙
ところで,日本で一般にスポーツ走行のような走り好きのドライバーは,何を車に求め,何が楽しくて,何に感動しているんだろうか,とよく考えます.というのも,雑誌などを読んでいると,どこか自分と温度差を感じるからです.こんなこと考えるのは,もう車馬鹿の暇つぶしでしかないのですが,どうも考えてしまうんですよね.
巷の自動車雑誌なんかを見ていると,スポーツドライブを語るとき,「思い通り」とか「意のままに」という言葉がひとつのキーワードになっているように感じます.車がドライバーの思い通りに加速し,思い通りに曲がり,思い通りに止まる.このような走りを達成することができる高性能な車を運転すると,「思い通り」という感覚が強く意識され,その先に「車を自在にコントロールできている」という満足に到達するのだと思います.そしてこの感覚を味わうことがスポーツドライビングの醍醐味であるかのように謳われています.
「意のまま」とはそんなに素敵なことなんでしょうかねぇ.実はどうも納得できません.
車は機械であり,物理法則を超越するような振る舞いは決して起こしません.「意のまま」などと言った所で,その物理法則の範囲内だけで通用することです.そういう範囲内であれば,動力性能・シャシー性能・制動性能が高く,走行インフォメーションの多いスポーツカーのような車は,基本的に意のままにドライブできて当然です.
日本の車雑誌によく現れる「思い通りの走り」「意のままに操る喜び」のような言葉が出てくる状況,それは,車の性能が乗り手の技術のはるか先に存在する時に,限界のずいぶん手前でドライバーが勝手に喜んでいる状態だと私は感じてしまいます.確かにNSXやS2000やインプレッサWRXのようなレーシングカー様な車をドライブすると,わずかなスロットルワークやステアリング操作に対して車がリニアに反応する様に,思わず「すごい!」と感動します.しかし同時に,車の作られている次元はこんな低次元な世界ではなさそうだ,とも感じるため,心のどこかで冷めてしまうんです.なんというか,「すごい」とは思えても「楽しさ」はないんですよね.車の成り立っているステージが違いすぎる.つまり,意のままに操っても,私は楽しさを見出せないんです.
スポーツドライブの本当の醍醐味は,物理法則が破綻するかどうかのぎりぎりの状況に存在すると思っています.タイヤがグリップ性能の限界を超えれば,もはや車は思い通りに曲がらなくなるので,それを知覚と知性と体力によってぎりぎりつなぎ止めてタイムを削る.例えばこういうことができた時,車は持てるポテンシャルの100%を発揮して美しく可憐に走行することでしょう.インプレッサもこの領域に持ち込めば,心から「楽しい」と思えそうですが,まあこれは公道で行うわけにはいきません.漫画イニシャルDの中でバーチャル体験するか,サーキットに行くしかないですねぇ.笑
私はそんなわけで,走り指向の車を愛していながら,そういうハイパフォーマンスカーにはどうも心が惹かれませんでした.「機械」としてはあこがれても,「車」としては惹かれないんです.そしてそんな私が大学時代にお金をためて最初に買った車はS13型シルビアという車です.忘れもしない,昭和63年車.28万円.^^;
シルビアという車は,当時一部の走り屋やドリフト属ご用達の車であり,あまりいいイメージが持たれていませんが,その素性は素晴らしいものだったと思います.車を運転することの基本である荷重移動や,オーバーステア,アンダーステアという概念,基本的なドライビング技術は,このシルビアから全て学んだと思います.FRであるが故に重く,同じ排気量のFF車のほうが圧倒的に速かったし,重量バランスが悪くてトラクション性能も褒められたものではなかったですが(だからみんな改造してたんでしょうが...汗),その反面,ドライブフィールはとても自然で,走行情報量の多い車でした.走りながら車と対話することが楽しくて仕方なかった,そう記憶しています.私の体は今でもイチサンのドライブフィールをはっきり憶えています.あのとても優しくて心地よい感覚を.(このS13型シルビアは,車好きの間では「イチサン」という愛称で呼ばれています.)
私が最初からプジョーなんかに乗っていたら,多分206がどんな車かなんて,何も分からなかったという気がします.シルビアという車から基礎となる初等教育を受けたから,今の車好きの自分がいるんだと感じます.笑 今私は,フランス人が作ったこの小型車を運転し,この車が伝えてくる言葉に懸命に耳を傾け,対話をする努力をしているところです.文化の壁を乗り越えて,片言の仏語で意思疎通を図り,少しずつ打ち解けていくような楽しい時間を206と過ごしている,とまあそんな感じです.











