北海道道28号.当別−青山ダム−浜益港線.この道は,私が札幌近郊でドライブをするとすれば,最も美しいコースだと思っている道です.残念ながら当別側はダムの建設により風景は変わってしまうと思われますが,青山ダムから浜益の間は深い樹海が延々と続き,南暑寒岳の残雪を森の間に眺めるこの時期の風景は非常に素晴らしいし,浜益に出るところで日本海が突然眼前に広がるところも想定外の展開だけにダイナミック.そして何より交通量が少ないので,静かなドライブを満喫できます.

白樺の森を駆け抜ける
道道28号は勾配はそれほどなく,いわゆる峠道とは言えませんが,低中速コーナーがひたすらに連続し,また地盤が悪いのか路面が大きくうねり,結構荒れています.この道を206である程度ペースを上げて走ると,206との楽しい語らいの時間を過ごすことができます.
私がこれまでに得た感覚では,この206という車は,「思いどおり」「意のまま」に操るタイプの車ではなさそうです.ステアリングを切り込んでもリニアには回頭しません.アクセルを深く踏み込んでも,実はそれほどのダッシュは見せません.ブレーキのタッチは素晴らしいですが,コントロール性はそれほど高いわけではありません.いずれも切れ味抜群ではなく,やや控えめな印象です.
現代の車はボディ剛性が高く,その剛性によって高性能シャシーを最大限機能させ,安心感のある操舵感・巡航感を生んでいると思います.それはパッセンジャーの安心感にもつながります.車がそれだけの剛性を携えているので,それに依存すれば人は安心感を感じますし,逆に言えば,この剛性から生まれうる正確無比なハンドリングにより,車を意のままに操縦する感覚を味わうこともできると言えるでしょう.
ところが,私は206からそのような「剛性」のニュアンスを全く感じないのです.よって,剛性から生まれる正確な操舵感などは206にはあまりないと思います.私はこの206のドライビングを包括できる言葉を探していたのですが,今は「躍動」かなぁ,と思っています.走ると車が躍動している気がする.そして,その感覚が私を元気にさせてくれるから不思議です.しかし206も現代水準の剛性は当然確保しています.どうやってこの世界観が可能になるのでしょうね.モノコックボディやサスペンションシステムの特性? マウントブッシュにも秘密がある? このような躍動感を生む支配的要因があるのか,はたまた全体の複雑な絡み合いで生まれるのか,そこは開発者じゃないのでさっぱり分かりません.
現在の日本の自動車評論において,「剛性感のない車」などと言うと笑われてしまうでしょう.206に対するモータージャーナリストの評価は決して悪くはないですが,「剛性感が足りない」という言葉を評論家が使うとき,そこには「それは206の数少ない欠点だ」という意味合いで使われます.それほど「剛性(感)=高いほどいい」という図式が成り立っています.しかし私は,206は必要な剛性を保ちながら,剛性感をある程度消すことに成功しているのかもと思ったりします.
プジョーの足廻りは,そのしなやかな特性と高い接地感から「猫足」と表現されますが,私はどうも「猫足」というよりは「猫」なんじゃないかと思ってきています.猫のしなやかな動きは足だけでは生まれません.しなやかな体,ひげ,そしてしっぽも必要です.すべてが調和して,猫という美しくしなやかな生き物が生まれるんです.プジョーも同じじゃないかなぁ...サスペンションだけじゃなく,ボディへのマウント方法,ボディの特性,エンジン,シートなどなど...そういうものが調和してプジョーなんだと思います...前にも似たようなことを書いた気が...笑
関連記事:車と走り,車と対話する


白樺の森を駆け抜ける
道道28号は勾配はそれほどなく,いわゆる峠道とは言えませんが,低中速コーナーがひたすらに連続し,また地盤が悪いのか路面が大きくうねり,結構荒れています.この道を206である程度ペースを上げて走ると,206との楽しい語らいの時間を過ごすことができます.
私がこれまでに得た感覚では,この206という車は,「思いどおり」「意のまま」に操るタイプの車ではなさそうです.ステアリングを切り込んでもリニアには回頭しません.アクセルを深く踏み込んでも,実はそれほどのダッシュは見せません.ブレーキのタッチは素晴らしいですが,コントロール性はそれほど高いわけではありません.いずれも切れ味抜群ではなく,やや控えめな印象です.
現代の車はボディ剛性が高く,その剛性によって高性能シャシーを最大限機能させ,安心感のある操舵感・巡航感を生んでいると思います.それはパッセンジャーの安心感にもつながります.車がそれだけの剛性を携えているので,それに依存すれば人は安心感を感じますし,逆に言えば,この剛性から生まれうる正確無比なハンドリングにより,車を意のままに操縦する感覚を味わうこともできると言えるでしょう.
ところが,私は206からそのような「剛性」のニュアンスを全く感じないのです.よって,剛性から生まれる正確な操舵感などは206にはあまりないと思います.私はこの206のドライビングを包括できる言葉を探していたのですが,今は「躍動」かなぁ,と思っています.走ると車が躍動している気がする.そして,その感覚が私を元気にさせてくれるから不思議です.しかし206も現代水準の剛性は当然確保しています.どうやってこの世界観が可能になるのでしょうね.モノコックボディやサスペンションシステムの特性? マウントブッシュにも秘密がある? このような躍動感を生む支配的要因があるのか,はたまた全体の複雑な絡み合いで生まれるのか,そこは開発者じゃないのでさっぱり分かりません.
現在の日本の自動車評論において,「剛性感のない車」などと言うと笑われてしまうでしょう.206に対するモータージャーナリストの評価は決して悪くはないですが,「剛性感が足りない」という言葉を評論家が使うとき,そこには「それは206の数少ない欠点だ」という意味合いで使われます.それほど「剛性(感)=高いほどいい」という図式が成り立っています.しかし私は,206は必要な剛性を保ちながら,剛性感をある程度消すことに成功しているのかもと思ったりします.
プジョーの足廻りは,そのしなやかな特性と高い接地感から「猫足」と表現されますが,私はどうも「猫足」というよりは「猫」なんじゃないかと思ってきています.猫のしなやかな動きは足だけでは生まれません.しなやかな体,ひげ,そしてしっぽも必要です.すべてが調和して,猫という美しくしなやかな生き物が生まれるんです.プジョーも同じじゃないかなぁ...サスペンションだけじゃなく,ボディへのマウント方法,ボディの特性,エンジン,シートなどなど...そういうものが調和してプジョーなんだと思います...前にも似たようなことを書いた気が...笑
関連記事:車と走り,車と対話する









