酷い現状

経済協力開発機構(OECD)の2008年度アウトルックには,男女間における雇用の問題に関する重大なポイントがデータ化されています.

http://sankei.jp.msn.com/life/education/
080721/edc0807210818001-n1.htm


http://www.oecdtokyo2.org/
pdf/theme_pdf/employment_pdf/20080701employment_japan.pdf


このアウトルックの中に書かれていることをすべて鵜呑みにすることは危険です.その国その国のバックグラウンドをきちんと知る必要があり,特に,数値を細かく見ることはあまり意味がないと思います.だから,各国の様々な順位に関してはあまり考えないようにします.

しかしそれでも,ここに書かれていることは非常に由々しき問題の発掘,そしてその原因の提示がなされていると思います.

日本という国は,男女間に驚くほどの就業率の格差があります.またさらに,正規雇用と非正規雇用を区別すると,その差はさらに広がります.また,女性は学歴が高いからといって就業率は上がりません.大学や大学院を卒業しても,女性は結婚後退職したら,再び正規雇用に戻ることができず,せっかくの教育が社会の役に立たないことになります.ここが決定的に欧米と違うポイントです.

私はこの現状はすごくよく分かります.学生時代の話しですが,大学院修士課程を卒業する頃には多くの人が就職活動をします.男性はどうにかして就職先を決めていきますが,女性はなかなか決まりません.そんな状況を何年も見てきました.ようやく就職できても,次は企業の中でのとんでもない差別が女性たちを苦しめ続けます.前に書いた「不当解雇の現状」のような問題です.就職後,会社で与えられる仕事の内容自体に男女間で差のある会社はたくさんあります.昇給にも格差が生じます.

高学歴の女性は,転職や再就職の際も,煙たがられます.頭のいい女性を雇用することに中小企業は躊躇する気配を感じます.それは,高い給与を払うことができないので,申し訳ない,という意味合いもあるかもしれませんが...それだけかどうか分かりません.こんなふうにして,女性は資本主義経済という巨大なコミュニティから少しずつ除外されていきます.

男性のみなさんには本当に真剣に考えてもらいたいのです.自分がもし女性に生まれたら,こんな国で生きていくことを,幸せだと感じられると思いますか?優しくて素敵な男性が現われて結婚できれば,その人を100%信頼して生きていくことに,何の不安もないですか?もしくはそれだけが唯一の確実な幸せだと感じられるような世の中でいい一生を送れると思いますか?

こういうと,必ず「女性も駄目じゃないか」という反論が来ます.就職した女性は,何年か働いたら結婚して会社を辞めようと思っていたりして,全く真剣に働かない,などの理由.だから女性が仕事を辞めさせられたり,昇給が遅れたり,非正規雇用が多くなるのは,女性にも責任がある,という意見です.

こういう意見は,問題のすり替えです.土砂降りの雨の中で,「なぜ雨宿りをしているんだ?雨宿りしていては駄目だよ.」というように私には聞こえます.「こんな社会だから,そういう考えで生きていく女性も当然いる」ということをなんで男性は分からないんでしょうか.着眼点があまりに表面的です.もっと能動的に,問題の本質的な部分を捉える必要があります.

日本では,男性の手によって男性を優遇しすぎています.日本では,女性の幸せは女性が自由に決めることが許されません.そのように感じます.結婚して,仕事を辞めて,旦那さんのために美味しいご飯を作ろうと思っている女性は責められてはいけません.むしろそれも素晴らしい生き方だと思います.同様に,仕事をしながら新しいものを創り,社会にどんどん貢献しよう,という女性の権利も誰も奪うことはできません.片方の価値感が著しく否定されているのが日本の社会です.

 

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パスタの魔力

私は御飯を作る時は,いわゆる現代日本の家庭っぽい料理を作るのを避ける傾向にあります.なぜか.意外に時間がかかって,その割には美味しくない(華が無い)と感じるのです.もちろん嫌いなわけではありません.むしろ大好きです.美味しく作ろうと思えば可能ですが,例えば出汁とか手を抜かずにとらなければならず,もっと時間がかかります.

「今日の晩御飯は肉じゃが」を例に挙げてみます.肉じゃがだけを作ればいいかというと,そんなことはないのが日本の食卓.白米を炊く.味噌汁を作る.ほうれん草の胡麻和えを添える.それでもちょっと寂しいので,あと一品くらい欲しいかな...とまあ,こういう具合で,さまざまな料理を同時進行で揃えていかなくてはならないのが日本の家庭の料理です.まあ一般には作り置きの品を数日に渡って副菜として食べたりするのがパターンでしょう.にしても,いろいろ調理しなくてはなりません.あと,コンロが二口の場合,同時進行にはさらに限界があります.私のところも二口ですから,肉じゃがを作りながら,味噌汁作りながら,ほうれん草をゆでることは不可能です.(電子レンジというスペシャルなアイテムがあってよかった...笑)

この肉じゃが定食,どれくらいの時間がかかるかと考えてみると,やはり野菜を洗い切るところから考えていくと,最速でも45分はかかると思います.これ,長いと思われますか?短いと思われますか?ちなみに,現代日本人の食卓によくある他の料理(主菜)を考えると,カレーライス→約1時間,ハンバーグ(ちゃんと捏ねて作って)→1時間20分,鳥のから揚げ(漬け込み時間は除いて)→45分,とんかつ→1時間15分,魚の煮付け→1時間,焼き魚→45分,とまあ,個人差は大きいでしょうけど,私の場合こんな感じでしょうか.いずれも,ご飯と味噌汁,副菜数品付きです(カレーライスはサラダだけです).で,注意したいのは,これでもだしは顆粒だったりします.だしをちゃんととっていたら,もっと時間かかります.カレーも所詮ルーです.スパイスから調合なんて無理っていうか知識ないし...笑 一方,焼き魚なんかは後片付け,少々大変ですよ.揚げ物は油が残りますよ.と,何やら考えなければいけないこともたくさんなのです.

なぜそんなに時間を気にしているのかって??笑

実はこれら日本の家庭の料理は,夕方前ごろから少しずつ準備にとりかかるくらいがちょうどいいものなんです.それくらいの時間で最適化されていると感じます.現代は,結婚後も仕事を続けながら旦那さんや子供たちのために晩御飯を作っているパワフルな女性はけっこういると思いますが,仕事から帰ってきて,これらの料理を作る気には男性の私にはなれません.涙 本当は大変なはずですが,そういう素振りを見せずに頑張っておられるのだと推測します.もし,旦那さんや子供たちが手伝ってくれるとしても,次の問題はキッチンですね.キッチンがまた,2人で料理をする時に非常にやりにくいのが日本.日本のキッチンはいまだにひとりでもくもくと料理をすることを前提としているかのように設計され,間取りが作られています.新築の家でさえ概ねそうです.対面式で複数人数にとって使いやすい(見せかけの対面式のことではありません!)キッチンがこれからは絶対必要です.

大脱線しましたが,で,私はやっぱり,

パスタです!! (^o^)V

くどいですが,私は別に日本の家庭料理が嫌いなわけではないですよ.笑 パスタ妄信党に所属しているわけでもありません.ただ,パスタはいいんですよ.とにかくいい.何がいいかって言うと...

 ・まあ,美味しい
 ・調理手順が常に合理的
 ・調理時間が比較的短い
 ・後片付けが楽チン
 ・パスタが大嫌いな人はそうはいない

というわけです.基本的にお湯を沸かしている間に具材を切ったりして,パスタ茹でてる間にソース作ってサラダ作って,最後にソースとパスタをあえてできあがり.以上です.面倒くさそうなジェノバ風やカルボナーラでさえ,30分程度でクリアできます.



バジルがでかすぎ,というか載せすぎ


今回は,ちゃんとガーリックが入ったトマトソースです.ベーコン,茄子を使用しました.計測したところ,24分で完成しました.奥はベビーリーフとレタスのサラダ.ドレッシングは,EXVオリーブオイル,白ワインビネガー,塩,胡椒で作ります.美味しい葉野菜があるときは,このドレッシングはお勧めです.とにかく野菜の味が浮き出てきます.

 

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結果主義と過程主義

「囚人のジレンマ」
「日本のジェンダー問題を囚人のジレンマで考える」からの続きです.


囚人のジレンマが示す結論は,個人が利己的に自分の利益のみを追求した時に,集団には不利益が生じるかもしれないということ,そして,その不利益を発生させないために必要なことは,対立する(利害が一致しない)個人同士が協定を結び,協力しあうことです.協力のためには,互いに自己の利己心に対してある程度妥協し,相互理解に達する必要があるでしょう.

実は,この囚人のジレンマの話しは,明らかに合理主義的な考え方が基盤です.本質は「合理性の追求」であり,それは最善の結果をもたらすための方法論として捉えているため,結果主義的考え方とも言えるでしょう.多くの数学者や経済学者などの合理主義者たちは,それが個人の範囲内であれ社会全体であれ,最善の結果を生むことだけを目標にしているとも言えます.

では,私のような日本人が,この囚人のように囚われの身になったらいったいどうするでしょうか.ここがポイントだと思います.私は,日本人は相手と協定を結ぶことなしに,しかもジレンマに陥ることなく黙秘を続けることもあるだろうと思うのです.なぜか.「相手を裏切るよりはいい生き方だから」「正しいと思うことを貫くことが最後にいい結果をもたらすはずだ」「互いに裏切らないという信頼があるから」などなど,例えばこんな理由によって動機付けられるのではないでしょうか.

私の感覚では,このような考え方は,合理性をもとにした結果主義ではなく,「過程(プロセス)主義」だと感じます.結果として生じる刑期よりも,生き方やあり方のような継続的に存在するものを重要視するのです.結果よりも過程が大切になると,相手が裏切るかもしれないという最終的結果を予測する(リスクを真剣に考える)ことにはあまり興味がなくなります.

日本において,結果よりも過程を重視する思想は日常のいたるところに見られます.例えば「負けたけど,内容のいいサッカーを選手たちはしてくれましたね」と解説者が満足そうに言う場面.また,明確な目標や目算がないのに,延々と残業ができてしまう気質などもそうかもしれません.日本人にとって「過程」は,「結果を出すためにある過程」ではなく,過程そのものが重要な概念であり,むしろ結果は付属的なものです.

前の記事で,日本のジェンダーの問題を囚人のジレンマを使って考えました.すると結論は単純で,ジェンダーフリー派とアンチフェミニズム派が,ある程度の妥協をしてしかるべき協定を結ぶ必要性があると結論できます.しかし,現実的にはこの両者に対話はほとんど存在しません.なぜなのでしょうか.それは日本人のこの「過程主義」のせいかもしれないと感じます.人々の行動が,利益のある結果を求めるための利己的行動ではなく,過程を重視した利己的行動だとしたらどうでしょう.つまり,家事は女性の仕事だと思っている人は,その結果どのような利益が自分にありどのような不利益が自分にあるのか,そういう部分に考えの根拠があるわけではなく,そういう社会であること,そういう社会で生きていくこと,もしくはそういう生き方を単純に好んでいるのではないかと思うのです.この嗜好は,おそらく人生観や宗教観や教育を通して,様々な価値感が絡み合うことで生じており,合理性は少ないでしょう.ですから,筋の通った論理的な話し合いを行うことは大きな困難を伴うはずです.

過程主義的な考え方の新たな可能性を探ることは,今後の日本を考えるときに避けては通れないと感じます.引き続き模索の日々です.

 

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日本のジェンダー問題を「囚人のジレンマ」で考える

「囚人のジレンマ」からの続きです
 
囚人のジレンマが浮き彫りにしているのは,「個人が利益を得るために合理的に行動した場合に起こる,集団が合理的に利益を得ることができなくなる可能性」です.これを回避するには,このジレンマを何度も経験し互いに学習するか,初めから互いが協定を結ぶしかありません.つまり,米ソは冷戦の結末を既に知ったのですから,万が一またにらみ合うことがあっても,次は核配備増強ではなく何らかの協定を結ぼうと努力するかもしれない,ということです.「囚人のジレンマ」は,血も涙もないただの数学的なモデルなのですが,それでもそれの意味するところがどこかしら道徳的であるのが面白いと感じます.
 
ところで,日本のジェンダーの問題を「囚人のジレンマ」的に考えてみました.これまで記事でも書いてきたとおり,労働を行いお金を稼ぐということを万人に強いている資本主義経済の世の中であるにも関わらず,それを普通に行う時の男女の格差はとても大きいものです.女性のほうが生きるのが大変な世の中だと感じているでしょう.合理的に考えるなら,性などという概念を考慮せず,生きるすべての人間がなるべく幸福感を感じるような社会にすべきであり,そのための道を模索すべきです.さて,囚人のジレンマに習って,以下のように単純な社会構成員のモデルを考えてみます.あくまで単純に.
 
男A:男が働き女は家庭派
男B:男女ともに働く派
女A:男が働き女は家庭派
女B:男女ともに働く派
 
これらの4種の集団が互いに意見を交わすことなく,自己の欲望にしたがって行動すると仮定します.ここでは,欲望に従うことが一番心地よいので,それを達成することを利己的だと仮定します.(本来の合理的行動とは言えないですが...)A同士,B同士は意見が一致しており問題を生じませんが,AB間においてはちょっと事情が複雑です.なぜなら,この問題が男女のあり方を問うものであり,同性内においては基本的に大きな問題を生じないということです.例えば,男A・男Bの間では,どちらの考えもお互いを否定するものにはなっていません.女A・女Bにおいても同じです.ただ,いくつかの懸念はあります.男Bは,男Aの職場から女性を排除しようとする姿勢に腹を立てるかもしれません.女Aである母親は女Bの娘に対して,そろそろ仕事をやめて家事をしっかりやりなさい,などと気に障ることを言うかもしれません.よって,ここは相性は△としましょう.さて,決定的に対立するのは明らかに男A・女B,そして男B・女Aでしょう.男Aは職場において女Bを採用しなかったり,もしくは女Bを雑用役に回し,昇進の機会を与えないでしょう.女Aは,初めから結婚したら仕事をやめるつもりで就職し,会社における責任感のある行動がなく,男Bにストレスを与えるかもしれません.まとめるとこうなります.


 男A男B女A女B
男A×
男B ×
女A  
女B   


さて,各々が利己的に振舞うと,男A・女B,および男B・女Aの場所で,決定的な「不幸感」の生産が行われてしまいます.囚人のジレンマによれば,両者は協力関係になることで,事態が最悪に向かうことを回避できるはずです.協力関係を結ぶには,それぞれの利己心を乗り越える,つまり誘惑に勝たなければなりません.これは,今回のケースではどういうことを意味するのでしょう.例えば,男Aが「女性の感性が職場でもっと生かされたら,男だけの時よりももっと価値のある商品が作れて,結果的に自社の競争力が高まるかもしれない」というように考えることです.本来の欲求に対してある程度妥協をして,妥協をする代わりに互いにとってプラスになることがあるということを認識する,これはちょうど囚人が,自白によって1年の刑期で済むかもしれないという誘惑を乗り越えて,相手との協定を優先することに似ているでしょう.

残念ながら,実際の日本社会を見るに,利害が対立する集団の間に全く対話などあり得ません.ある会合の後に,自由参加の「男女共同参画シンポジウム」が開かれても,自己の利己を達成したいBグループが参加するだけで,確固たるAグループに所属する人は,おそらく出席せずに街に飲みに行ってしまうでしょう.シンポジウムが意味を持つためには,AとBの双方が同じテーブルにつき,互いの意見を理解したうえで最適な妥協点を探る作業が必要であることを,囚人のジレンマは私たちに教えてくれています.それができるなら,日本の根深いジェンダー問題はようやく平衡点が動き始めるのではないかと思うのですが...

つづき → 結果主義と過程主義

関連記事:囚人のジレンマ
      :不当解雇の現状
      :日本人は利己的か
      :ジェンダー

 

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不当解雇の現状

景気後退による企業のリストラが社会問題として盛んに報道されていたのは少し前の話し.最近はめっきり「リストラ」という言葉を聞く機会が減った気がします. しかし現在も,相変わらず生き残りをかけた企業の統合・合理化は進んでいて,人員削減を実施している企業はあることでしょう.

ところで解雇には二種類あります.それは,「不当な解雇」と「正当な解雇」です.しかしその線引きはたいてい真実が曖昧であるため,明瞭ではありません.正当な解雇とは,解雇することに合理的な理由があり,法に定められた要件を満たしている場合です.例えば,労働者が組織に大きな損害を与える振る舞いを故意に行ったりした場合,使用者は労働契約を一方的に解除,つまり解雇することができます.では,よくある経営不振による人員削減はどうなのでしょう.基本的には,経営を悪化させた責任は経営者にあります.ですから経営陣の給与カットなどがまず実施されるべきです.そして次に,現状を打破するために,運営の方針を吟味し,より効率よく利潤を生み出すための労働者の再配置などに尽力すべきです.それでも経営が上向かない場合の人員削減は,ある程度容認されるものとなります.ですので,経営陣が何の策も講じず,いきなり人員削減を決行した時は,もしリストラされた人が裁判を起こせば,それは不当解雇となり,勝訴する可能性は非常に高いです.ただ,一般に事を荒立てる人は日本人には多くないので,そのようにはなかなかなりません.

ところで,ニュースで取り上げられるような大企業のリストラとは違って,中小企業の人員削減は現実にはもっと残酷なものがあります.例えば以下のような事例があります.(実話です.)


20人ほどの小規模な企業で働くAさんは,突然解雇を言い渡されました.引き続いてBさんCさんと解雇されます.理由は「経営悪化による業務縮小を余儀なくされたから」.この企業の女性社員は5人で,この3人はいずれも女性です.AさんとBさんは,残念だと感じながらも会社を後にしましたが,Cさんはさすがに腹が立ち,それはおかしいだろうと社長に質問しました.「経営悪化は経営者の責任であり,何らの策も取らずに社員を解雇するのはおかしい.無責任だ.」と.中小企業では,社員の就業規則や給与規程など曖昧な会社は多くあります.何もかもが不透明なのです.そうすると,社長はそれに答えず,「君は会社を経営したことがあるのか?経営もしたことない奴にそんなこと言われても困る.」と突っぱね,挙句の果てに「君は会社のために何をしたっていうんだ?何もやってないじゃないか?」と逆切れに近い感情的な問いを浴びせられます.どう考えてもCさんは正論で,社長の弁は回答ではなく,Cさんに対する揚げ足取りだけなのですが...

まあ,それは置いておいて,実際Cさんは会社の役に立たなかったのか.それは客観的考察は難しいです.社長がそういえば,社長はそう感じたってことですし,Cさんが貢献したと言えばCさんは貢献したと感じているわけです.ただ,間違いなく言えることは,Cさんは女性であり,評価されることのない雑用やお茶酌み(男性は決してやらない仕事)を多くしていた,ということです.真っ当な仕事はあまり回されず,重要な部分は上司と社長や,男性社員だけで勝手に決める,という状況です.お茶酌みなんてNoといえばいい,と思う人もいるかもしれませんが,これは不可能に近い状況があります.お客さんが来て「Cさんお茶お願い」と上司に言われて,そこで押し問答をするわけにもいきません.お客さんはすでに来訪されているのですから.さらに,そこにいる人全員が当然Cさんの仕事だと,話し合うこともなく思っているわけですから,四面楚歌,勝ち目などありません.こういう「当然だという雰囲気」は非常に恐ろしいものです.

社長は揚げ足取りをした上に,しかもその揚げ足取りの中身の論理性も崩れていることが分かります.Cさんを雑用やお茶酌み役で雇用したわけでは全くなかったわけです(雇用契約の中にそのような事項はありません).それなのに,評価されるべき仕事を(意識的か無意識的かに限らず)ほとんどさせず,「君は会社のために何をしたっていうんだ?何もやってないじゃないか?」と言うのは全く筋が通りません.まさに経営者による責任転嫁です.なんというか,情けなくて言葉もありません.

これは卑劣な不当解雇ですが,残念ながら,こんなことはかなりの中小企業で普通に起こっている可能性があるでしょう.Cさんは法務局に届け出れば,もちろん不当解雇で解雇は取り消されるでしょうが,そんなことまでして,こういう社長が経営する会社に復帰する意味は見出せません.事を荒立てて時間を浪費するくらいなら,もっといい会社はないかと探すほうがよほど前向きです.ですので,このような不当解雇は決して表面化しないのが日本です.

さて,社長は初めから雑用役に(表向きは違う理由ですが)女性たちを雇用したのでしょうか.社員の中に女性もいないと形式上まずいと思ったのでしょうか.それとも,真面目に仕事をして共に成果を上げていこうと思って雇用したのでしょうか.こういうことは,証拠が残ることでもないので,常に霧の中なのです.


なぜ,このようなことが起こってしまうのでしょう.原因はどこにあるのでしょう?日本人はこういう日本特有の問題を「仕方ない」と言って目を背けるのではなく,「とんでもないことだ」と感じ,直視する必要があります.

関連カテゴリー:ジェンダー
         :議論にならないのはなぜ?

 

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選択的夫婦別姓

「選択的夫婦別姓法案」というものをご存知でしょうか.2000年前後に日本で議論が活発に交わされた法案で,2001年の世論調査では,賛成派が反対派を上回っています.特に20代から30代の若い世代の賛成派がかなりの多数を占めました.

選択的夫婦別姓は,姓を別姓にしましょう,というものではありません.
「結婚時に,姓を同一にするか別姓にするかを選択できるようにする」
というものです.よって,これまでどおり,「同一の姓がいい,結婚相手の姓に変わりたい」と考える人にとっても,「姓が変わるのは嫌だから別姓にしたい」という人にとっても何ら問題のない,誰かを切り捨ててしまうことのない法案です.国民はそれなりに理解していて,世論調査で賛成派が多数を占めるのも当然だという気がします.

日本において,姓は非常に重要な役割を果たしています.本当は「名前」というその人にしかないものが別途あるにも関わらず,親しい間柄にならなければ,姓で呼ばれる場面がほとんどですね.ですから社会というシステムで暮らす時,自分が呼ばれたのかどうかを区別する意味において,姓が重要な役割を果たしています.学校の先生も「名前を呼んだら元気に返事してください」と出席をとり始めて,「井上くん」「江藤さん」と,姓を呼び始めるでしょう.笑 つまり,日本人にとって,ほぼ「姓=名前」なんです.そう考えると,結婚時に姓が変わるというのは,むしろ「名前を変えている」と捉えるべきです.このことを本当に男性は認識していない場合が多いと思います.今の日本では法制度上,同姓にしなくてはいけませんが,女性と男性,どちらの姓であってもいいわけで,法の下には平等です.しかし,現実には97%の夫婦が夫の姓になります.まさに「法の下だけの平等」と私がいつも言うのはこの点で,97%の数値を作り出す強固な社会基盤が日本に存在しているということです.実際このような社会的常識による穏やかな強制によって姓を変えさせられる女性は,「自己喪失感」を強く感じます.また,仕事を行う上でも姓を変えることは障害を強いますし,姓の変更のための事務手続き(免許証やクレジットカードや,その他いろいろ...)をたくさん行わなければいけないのも,姓を変える側だけです.つまり,現状の同姓による不均衡は非常に不健全であり,選択的夫婦別姓はそれをほぼ完璧に解決してくれるものです.(結婚時に,別姓か同姓かをめぐって2人がもめても,それは法律の範囲外のことですが...汗)

私にとって選択的夫婦別姓は,上に書いたこと以外の意味においても,非常に進歩的で明るいイメージを感じます.それはどういう部分かというと,目に見える切迫した問題(例えば「財源が足りなくなるから,とにかく消費税は引き上げだ!」というような)などではない領域に対して,私たちの意志で積極的に踏み込もうとしている点です.そして,その踏み込む場所は,倫理的な世界です.消費税増税のような付け焼刃的な概念ではありません.社会構造の基礎の目に見えにくい部分に対して,倫理観の立場からメスを入れるという作業であり,むしろ極めて大切な作業であると感じます.日本では滅多にこの類の議論はなされませんので,非常に貴重な法案なのです.

さて,反対派の意見は非常に根強いです.反対派は権力を持った年配の男性には多い傾向があり,特に男性の国会議員の方たちは,反対派が多く存在しています.結局この法案は決議されることなく,現在は「継続審議」という形のまま,実質「うやむや」にされてしまいました.また,国民も興味を持っていたかというと,それほど持っていたとは言えません.よって,静かに忘れ去られていきかねない状況です.

ところで,選択的夫婦別姓に反対の人はどんな主張をしているのでしょうか.残念ながら,「確かに一理あるな」と思えるものは何一つありません.だいたい分類すると,「論理の破綻した持論を繰り広げる」か「賛成派の揚げ足をとる」か「そもそも誤解がある」かに分かれます.この法案の意味を真剣に考え,「この方法ではそれは上手くいかないんじゃないの?なぜなら・・・」みたいな正論でもって,選択的夫婦別姓を否定できる人に私はまだ出会っていません.主な反対派の理由は以下のようなものです.

・家庭の崩壊(家族の絆の崩壊)を促進してしまう.(論理の破綻型)
姓が(たいていの場合夫と)同じであることで,家族の絆が結ばれていると考えているのでしょうか?論理性がありません.もしくは,同一姓というものを通して家族の絆を捉えているのであれば,この意見は非常に形式的で記号論的です.現在の国民の考え方にそぐわないと思います.それから,忘れてはいけないことは,この法案は「選択的」だということです.同姓がいい人の人権はちゃんと保護されていて,そういう意味でもこの反対意見の論理性は皆無です.ところで,この類の反対意見を聞くたびにひとつの過激な意見を私はいつも思ってしまいます.「姓がばらばらになった程度で絆が喪失へ向かう家族は,ばらばらになったほうがむしろいい,お互いより不幸になるだけです!」...言ってしまった...汗

・日本の伝統を失くすべきでない.(論理の破綻+揚げ足取り)
仮に伝統であったとしても,この意見は本質的な議論にならないです.なぜなら「伝統を壊してまでも,この法案は意味がある」と賛成派は思っているのですから.ですから,この伝統にどのような意味,美的世界があるのか,その理由を提示してほしいです.しかし,その理由はいつもありません....ところで,残念ながら夫婦同姓は日本の伝統ではありません.(もうむちゃくちゃ...)明治31年に生まれた法律で,それまでは日本人のほとんどが姓を持ちません.士族の出身で姓を持っていた人も,結婚しても姓は同じになりませんでした.北条政子はずっと北条です.基本的に日本は夫婦別姓なのです.(まあ,この時代は今で言う別姓の意味合いとは違いますが...)よって,夫婦同姓は100年ほどの歴史です.

・子供の姓はどうするんだ?(揚げ足取り)
親が子供が生まれたときに決める方法と,子供が15歳になった時にさらに自由に選べるようにする,というふたつの方法が提案されています.特に問題なく,自由があっていいと思います.それよりも,この法案の本質的意味を真正面から考える意見をお願いします.

・電話帳や表札はどうするんだ?(揚げ足取り)
これも本質的議論ではないです.電話帳には2人とも載せても,1人だけ載せても自由でいいと思いますし,表札も出したい人は二つ出せばいい思います.とにかく,これは手詰まりになるほど重篤な問題ではないと思います.それよりも,この法案の本質的意味を真正面から考える意見をお願いします.

・世界的には,男性の姓に女性が変わるの国が主流なのでは?(誤解)
いいえ.少数派です.ほとんどの国が別姓か選択姓か,結合姓(姓を二つ重ねて表記する)です.お隣の韓国や中国も夫婦別姓です.ちなみに,主流かどうかは関係ありません.それよりも,この法案の本質的意味を真正面から考える意見をお願いします.

是非とももう一度国会で審議してもらい,実現して欲しいですね.あともう少しのところまで行っていたのですが,否決ではなく,もみ消し状態なのは残念です...涙 私は思うのですが,これ,決議したら可決する可能性はあるんじゃないでしょうか.世論も,現在は分からないですが賛成派が多数です.だいたい,真っ当な議論をしたら,マイナスの意味合いはこの法案の中に探すことは不可能です.ですから,極論すると,これが否決されたらどえらいことです.だから「もみけし」なんでしょう...これが現実なんです.

ところで思うのですが....絶対反対派は,同姓を通して何を守ろうとしているのでしょうか.私はどんなに注意深く話を聞いて考えても,本当に分からないんです.


追記:全く論理的ではない直感ですが,私は選択的夫婦別姓の実現は,人口減少に歯止めをかける力を持ちうると考えています.女性の社会からの抑圧が減少するのですから,女性が感じる幸福感が増えるでしょう.こういう変化こそが大切だと思うんです.これも,安心して子供を産めることにつながらないでしょうか.

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見落とされる倫理観

私は「未舗装路」の記事の中で,この世の中を生きていくのは男性より女性のほうがはるかに多く困難を感じるだろう,ということを書きました.しかし実感として,男性のほうが女性より有利で楽であるとはとても思えない,という男性も多いと思います.事実,男性にとっても楽に生きていける世の中ではないのは確かです.

男性が有利と言うなら,それは同年代の女性と比較した場合に有利なのであり,例えば20年前の男性と比較するならむしろ圧倒的に苦悩は増えていると思われます.一昔前の男性は,家庭では家事を通して自分の心身の健康を支えてくれる女性がいて,職場にはお茶酌みやコピー取りといった雑用で自分の仕事を支えてくれる女性がいました.ところが現代の男性若年層は,その両方のサポートを失くし,しかも働く女性というライバルも少しずつ増えてきているのですから,決して楽な人生だなどとは感じられません.よく聞くところの「安らげる場所がどこにもない」という文句も,こういう状況がひとつの要因になっていると感じます.

しかし,だからといって男性は女性に何を求めようというのでしょうか.この男性の感じる不満感の原因を女性に転嫁することなどできないと思います.現在起こっていることをできる限り客観的に言うなら,「男性も女性も家庭や仕事から多くのストレスを受けているだろう.ただし女性はさらに,単純にこの日本を生きていくことの困難さが男性よりはるかに大きいだろう」ということだけです.この現状において,男性はそれでもなお女性に何らかの要求をするのでしょうか?

男女の精神的対等(男女がだいたい同じくらいの「生き易さ」「幸福感」を感じられる状態)は,現在の男性が過去の男性よりさらに不利になっても,それでもなお,そのようにあるべきだと考える男性の倫理観によってのみ達成されるのです.もしこの倫理観が欠如しているなら,何らかの理由をつけては女性の欠点を指摘し,男性優位のポジションを男性はさりげなく守っていく利己性を発揮し続けるでしょう.残念ながら,これがまさに多くの日本人男性の現状だと感じます.しかしこれでは問題の解決へは全く動き出しません.

関連記事:未舗装路
      :無責任な日本人男性
      :日本人の利己は功利を生めるか
      :選択的夫婦別姓

 

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未舗装路

日本で女性が生きていくことは,男性が生きていくことよりもはるかに困難でしょう.これは非常に悲しいことです.この記事では,原因追求をすることはしません.内容が散漫になりますので.ここは現状理解に努めます.

一人の人間として,誰かに養われることなく自立した大人になる時,つまり何らかの職を得ようとする時に,女性のほうが不利であることは紛れも無い事実です.法律上は平等なので,平等だろうと思われる方もいるかもしれませんが,実際の現場はかなり様相が違います.企業は男性を採用したがりますし,ひどい場合には初めから女性は採らないと心では決めている面接官もいることでしょう.仮に就職できたとしても,その後も差は歴然と存在し続けます.男性に対する評価は仕事の内容や質であるのに対して,女性は容姿や接客態度をまず見られがちです.そのうえ,責任ある仕事は男性に回され,女性には回されない傾向があるので,結果的に女性は昇進の機会を得られにくいのです.そして数年経つと「ここは私が来るところじゃなかった,他に幸せになれる場所があるはず」と思うのが賢明な考えに思えてきます.まあ,入社前からそれを感じていて,何年か働いたら結婚しよう,と考える女性もいますから,なおさら現場は女性を採用して育てようとはしなくなるでしょう.様々な原因は置いておくとして,とにかく女性が普通に会社に入社して男性と同じように働くことは,もし他の男性と同じ能力を持っていたとしても,男性よりも比較にならないほど困難がつきまといます.とにかくその現実が存在します.

では結婚して家庭に入り,家事や子育てを行う事に,果たして大きな意義があるでしょうか.「ある」と多くの男性は思うかもしれませんが,それはかなり男性本位の見方です.昔は地域コミュニティがちゃんと機能していましたが,最近は女性が安心して参加できるコミュニティは希薄化しています.核家族化した現代の家庭では,家の中は孤独です.家事業そのものも,昔は男性からの理解と敬意があったでしょうが,今では男性は家事業を軽視している傾向を感じますから,いよいよ厄介です.現代社会においては,男性は一人で生活できるような環境が整っていますので,家事はさほど重要ではないと思ってます.さらに大きな問題は,主婦業は経済の要である「労働を行い,報酬を得る」という現代社会の大原則から完全に切断されていることです.ですから,何かのはずみで夫婦間の関係がこじれて離婚をすることになると,離婚後男性は働いて収入を得続けることができますが,女性は就職活動をしなければいけません.もちろん年を重ねてからの女性の就職は大きな困難を伴います.ですから,パートタイムでぎりぎりの生活を送るか,裁判を起こして養育費なり慰謝料なりを元夫に請求するしかありません.男性にも精神的ダメージがある,とおっしゃる方もいるかもしれませんが,精神的ダメージ+現実の生活の困難さ,の二重苦に陥る女性のほうが,はるかに苦悩が多いでしょう.

以上をまとめると,このようになります.男性は生きていくうえで,結婚しようとしまいと,報酬を得て生きていくというこの社会における基本的な営みは可能です.女性は,結婚してもしなくても,お金を得て生きていくには困難がつきまとうのです.そこに必ず男性の介在があり,直接社会に参加しにくい,と言い換えることもできます.局所的な話しではなく,社会全体でこの問題を考えたとき,女性のほうが男性よりもはるかに自由がなく生きていくことを困難と感じるだろうということです.

日本は法の整備は行われています.男性も女性も,歩むことができる道があり,どの道を選択するのか,その自由は保障されています.問題は,男性が歩む道は舗装されていて,女性が歩む道は舗装されていない,そう感じることです.砂埃が舞い飛び,わだちがあり,水溜りがあるのです.

この状況は,日本の全男性が真摯に受け止め,客観的に理解し,まずこの状況を打開する策を練ることが先決です.保育園を増やすことも,男性の育児休暇を促進することも,女性の就業率の数値目標を設定するのもその後でかまわないと思います.最も大事なことは社会基盤にメスを入れることであり,それは男性の意識改革以外にはありません.

さて,男性の反論が聞こえてきそうですね...この話題は「見落とされる倫理観」に続きます.

 

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対話の欠如が序列を要求する

日本人は自分の意見と人の意見を協調的にとらえて,新しい考え方や価値観を構築していく能力がありません.学校での授業を考えてみるといいでしょう.学校での授業は,欧米のように多くの生徒が活発に話し合うような場面にはなかなかめぐり合えないですね.でも,先生という絶対的とりまとめ役がいるので決定的問題は起こりません(いつになっても掃除当番が決定しないなんてことはありません).一方,企業での会議はどうでしょう.これは一部の優秀な企業を除いて日本の場合は「悲惨である」と言わざるをえません.議題は現場からいくらでも上がってくるでしょう.商品コンセプト,販売戦略,ラインの効率化など話し合うべき議題はたくさんあります.しかし実際にそれら議題に対して有効な話し合いができていると言えるでしょうか.私の知人の話しなどを聞くに,「会議は形式的なものであり,決定は会議以外の場所で勝手に行われている」と言います.私が知る大学の教授会でも,勇気をふりしぼって「反対!なぜなら...」と発言しかけた先生を,すぐ近くの別の先生が「まあまあ.ここはひとつ穏便に...」などと言って静止したと言います.テレビドラマの中のようなことは現実にもあるのです.

会議はおろか,もっと小さな規模における話し合いでも,日本人にとって意義ある対話というのは本当に難しいものです.例えばある会社で,自分の会社のホームページが魅力に欠けるということになり,大幅に変更する計画が持ち上がりました.そして3人の社員がそれに着手することになったとしましょう.Aさんはレイアウトやデザインをもっと工夫しなくてはいけないと考え,Bさんは文章による説明が不十分なのがよくない,と主張し,Cさんは,ホームページは問題ない,だから別に今のままでいいじゃん,問題は別の場所にあると思うんだけどね...と思っていたとします.さて,このような3人の日本人が話し合いを始めて意義ある結論が生まれるでしょうか.たいていこういう場合,結論は出ずに話し合いは迷走し,次第に打ち合わせの「先延ばし」をするようになります.そして最終的には上司が現れ,「とりあえずデザインを変えてみようか」のように,上司命令で片付いたりするのです(しかも,なぜ「デザイン」になったのかは判然としません...).これは「日本人の利己は功利を生めるか」の記事でも書いたとおり,各自の意見を持ち寄り,1人の時には考えられなかった高次の考えにたどりつけないという状況であり,功利的結論を生み出せないことの裏返しでもあります.そして,皆とても利己的に振る舞うから,話し合う意味がそもそも成立していないとも解釈できると思っています.

さて,議論や対話により功利的結論を生み出すことが苦手な日本人は,じゃあどうやって物事を判断し決定していくのでしょうか.私の考えでは,おそらく「序列」によってそれは可能になっているんだと思います.

そう.
「序列」は日本社会に必須のシステムだった!
とまあ,これは私のやや勝手な解釈ですが...

つまり極論すると,上下関係を決めておけば,対話せずに上の人間に従えばいいわけです.最も単純な上下関係は「年功序列」です.他にも「資格を持っているか否か」とか「独身か既婚者か」とか「学生か社会人か」とか「高卒か大卒か」など様々な状況に応じて序列化が存在します.肩書きや数値化されたものは本質を反映していないにも関わらず,こういうものが社会に導入され,それを中心にして社会が動いているのです.この「序列」という名の秩序は,「上」に立った人間が人間としての器が大きく,「下の者」を思いやり,実際に能力や判断力に長けている場合は決して問題になりません.しかし現在の日本を見渡すとどうでしょう.尊敬できる上司があなたの周りにいるでしょうか? 本当に尊敬できる先生に何人出会えたでしょうか? 尊敬できる政治家は日本に何人いますか?

私の考えをまとめると,日本人は,人間同士のコミュニケーション能力の不足により創造的活動が行えないので,「序列」という秩序を用いてそれを補っている,ということになります.これほど序列を好む日本人なのです,男女間にそれを導入しないわけがないですね.これが日本におけるジェンダーだと思っています.日本人の夫婦間やカップル間にどれほどの豊かで創造的な対話があるでしょうか? 日本人が,異性に対して顔や身長やスタイルを重要な判断基準に持っていることが多いのも,対話して分かり合うという営みが困難なことの裏返しのように感じます.悲しいことに,外見以外にウェイトを置く場所を見つけられないのです.日本の資本経済システムの上では男性が「上」に置かれています.しかし,家庭内では妻の地位が明確に上の場合も少なくないでしょう.しかしどちらにせよ,序列による秩序化です.

私は,やはりこの問題の解決には「利己心の弱体化」しかないと思っています.なぜ対話が成立しないのか,それはなんだかんだ言って,日本人が利己的すぎるからだと思っています.この利己は決して功利的な結論を出しません.上に書いた「創造的な対話」とは「功利的な結論を導ける会話」の意味です.しかし現代の日本人の過剰な利己心は,自ら築き上げた序列社会によって受けるストレスが原因のひとつのようにも感じます.そうだとすると問題は連鎖し,ループになり閉じています.はさみを入れるべき場所はどこなのか,これはまだ分かりませんが,見出したいものです.

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ジェンダー

「ジェンダー(gender)」とは,社会や文化によって形成された,先天的な生物学的性別の差以外の性別による差を指します.つまり,社会や文化により構築される性別の差のことです...ここではそのように定義したいと思います.というのも,本来英語のgenderには生物学的性差の意味合いも含まれている場合があり,非常に定義が難解なのです.よってここでは,日本において一般に使われる意味として上記の「社会的・文化的性差」という意味でジェンダーを使用したいと思います.

例を挙げてみましょう.男性が子供を生みたいと思っても生むことはできません.これは生まれながらの生物学的な差です.「俺だって子供を生みたいのに,ひどい!」と言ってみても,これは先天的なものなので仕方ないとして受け入れるしかありませんね.これはジェンダーではないでしょう.では,戦争はどうでしょうか.だいたい戦争をやってしまうのは男性です.世界中に徴兵制を布いている国はたくさんありますが,ほとんどの場合,男性にしか兵役は課せられません.これはジェンダーでしょうか.例えば,闘争心を助長するような遺伝子が男性にのみ発現していて,その遺伝子をノックアウトしたら男性が戦わなくなるという証明ができれば,これは生物学的性差と言ってもいいかもしれません(これは人体実験なので実証は不可能です).しかし,世界には男性にまるで闘争心のないような少数部族も存在します.ですから,今日の社会システムは男性に闘争を強いるように進化してしまったとも言えてしまいます.もしそうなら,ジェンダーだと言えるかもしれません.しかも,戦争によって,戦争など望んでいない女性の命が脅かされ奪われていることを考えると,この種のジェンダーは,極めて由々しき問題です.

しかし,まあ私は専門家ではないので,学問的にジェンダーを考えるようなことはしません.戦争とは何かをジェンダーの観点から考察するようなことは積極的には行わないつもりです.また,私がこの問題を学問的に考えたくないのにはもうひとつ理由があります.それは,学問は「定義」や「解釈」や「解析」に力を注ぐばかりで,実際の問題に対しての解決策を模索する方向に全く向かわないからです.私がここで書いていきたいことは,実生活に密着したもっと非常に単純なことです.「この日本で普通に生きていく上で,男性より女性のほうがはるかに生きていくことが困難に感じているであろう」というその推察の根拠に関する事柄のみです.そして,もしそうなら,「男性は仕事で女性は家庭」派の人間も,「男女に差はなく皆仕事をして,もっと社会福祉を充実すべきだ」派の人間も,互いに歩み寄り,今生じている大きな不均衡をどうすれば是正させられるか,ということを話し合わなければなりません.なぜか.現状,どっちを選んでも,女性のほうがより損をするような社会になってしまっていると思えるからです.この是正は,数値的均等を言っているわけではありません.精神的均等です.男性女性ともにだいたい同じくらいに生きやすいと感じられるポジションに社会を動かすべきです.にもかかわらず,どちらの立場の学者も運動家も,お互いの立場を守ることに全神経を払うばかりで,それ故にお互いの揚げ足取りに終始します.様々な数値やデータを持ち出すばかりです.

私はこの問題は,日本において核となる最も深淵な問題だと認識しています.男女間の不均衡によって生まれるストレスが,すべての領域へ波及しているという気さえしています.ということで「ジェンダー」のカテゴリーを新設しました.今回はイントロダクションということで.

   

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