日本について考えるブログ




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佐世保の事件に思う :: 2014/07/30(Wed)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140730-00000125-jij-soci


「命大切にする教育」生かせず、なんて記事も出ていたようだが、現在の報道を見る限り、そういう次元の事件ではなさそうだ。中学時代から人を殺したい欲求があったということだが、これは本当なのだろうか。。。いや、具体的だし、本当なのかもなぁ。

親の愛情や家庭環境のことを言っている人もいるようだが、仮にそういう要素があったとして、人を殺して解体したい欲求にかられるなんてことは普通ありえない。この事件はやはり、過去にも起きている猟奇的な事件同様だろうと思う。何億人といれば、このような狂気に満ちてしまう人間が現れてしまうものなのかもしれない。

この事件から学ぶとすれば、ちょっとおかしいとか、普通ではない異様な雰囲気を感じたら、たとえよく知っている人間であっても適切な距離を置くべきだということかもしれない。日本の教育現場でそういうことはあまり言わないだろう。クラスみんな仲良く思いやりを大切に、って指導しているだろうから。。。この被害者は、それを実践したのかもしれない。実際にこの加害者から周囲にどれくらい普通でない雰囲気が出ていたか分からないけども、ちょっと変わってて友達が少なそうだった加害者といろいろ話そうとして、打ち解けようとして、、、そんなやさしさが被害者にあったんじゃないかと感じた。それでこの結末は悲しすぎる。本当に言葉がない。





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全責任は機長に? :: 2013/07/09(Tue)

「アシアナ事故機は目標速度25%下回る、社長「全責任は機長に」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130709-00000038-reut-kr

という記事が目に入った。これを読むと、アシアナの社長は「私には責任はない。全責任は機長にある」と言ったと感じないだろうか。僕は一瞬そう思い、ずいぶんと無責任な発言をする社長だなぁ、と思った。しかし本文を読むとそうでもない。

内容はというと、今回操縦桿を握っていたのがボーイング777型機の習熟訓練中のパイロットで、機長ではなかったということが判明。しかしそれはごく普通にありえることで、すべての運航責任は教官役を務めた機長にある、と社長は語った、というものだ。つまり、訓練中のパイロットに「よし。今日の着陸はお前やってみろ」と任せる裁量は機長にある、ということだろう。

それで、またタイトルを読んでみる。解せない。これだと妙な誤解を生じるのじゃないだろうか、と。。。

案の定、予想できたことだがコメント欄はひどい有様だ。アシアナの社長は責任逃れの発言をしたことになっており、それが韓国人の特性だ、というような吐き気を覚えるようなコメントが延々と続く。

最近、在日朝鮮人に対するヘイストピーチがニュースでも取り上げられていたが、全くどうしたものか。もちろん、日本人のごく一部の人であるだろうけど、しかしこういう負の心は人々の中に眠っているのかもしれない。何かの拍子にそのエネルギーが爆発して、同じ方向に向いて互いに安心しあった状態が生まれると、歯止めがきかなくなる。新大久保のデモを見ていると、まさに中国や韓国での反日デモとよく似た空気を感じる。ああ、我々は結局、似た気質を持った民族なのだなぁ、と。

話が脱線したので元に戻すが、それにしてもこの「全責任は機長に」というタイトルは不適切だろう。

そこでふと気づいた。このニュース、ロイターだ。ということは原文はきっと英語だろう?
よし、原文を探そう。

そして見つけた。

http://www.reuters.com/article/2013/07/09/us-usa-crash-asiana-idUSBRE9650E220130709


「Asiana plane was far below target speed before San Francisco crash」

ほらみろ、後半の「責任は機長に」は(上の英語記事原文タイトルの中の)どこにもない。

あるわけない。だって文脈からそんなニュアンスは全く感じられないのだから、タイトルにできるわけがない。日本語に訳した記者か誰かがかけたバイアスだ。こういう事例をもって「マスコミは歪んでいる」と言うのだろうか。

もし、マスコミは真実を書かない、韓国寄りの報道しかしない、などと批判している方々がここにコメントしているのならば、滑稽以外の何者でもないぞ。

僕は前に、マスコミ批判をしても仕方がないと書いた。マスコミが歪むのは私たちが歪んでいるからだ、と思っている。マスコミは私たちが欲しい情報を提供しようとする。サービス業の側面があるのだ。

なので、ここは記事の批判はせずに、僕もコメントした。「ロイターの記事の原文には責任は機長に、という言葉はないようです」と。。。

そう思うにも、そう思わないにも、一票も入らないこの切なさ。。(涙)

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橋下氏の慰安婦発言と日本 :: 2013/05/19(Sun)

先週は橋下市長の従軍慰安婦に関連する発言でメディアは大騒ぎだった。私は、この一連の発言について非常に不快であり、日本人として恥ずかしい。橋下氏は、こんなにも幼くて不完全な人だったのかと、驚いた。しかし、頭ごなしに批判をしても建設的ではない。この発言にどのような価値観が潜んでいるのか、そして、それを通して日本がどのように世界から見られたか、考えてみた。

発言の要旨がここにあるのでリンクする。

http://jp.wsj.com/article/JJ10727286322102653728217332175240537994858.html


「あれだけ銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度というものが必要なのは誰だって分かる。」

分からない。諸外国の多くの人は冷ややかに「分からない」と答えるはずだ。日本の一般市民はどうだろうか。橋下氏は、分からないと答える日本人に対して、それは本音じゃないだろう?と問いつめるつもりだろうか。

「慰安婦制度は必要だった。軍の規律を維持するためには、当時は必要だった。歴史をひも解いたら、いろいろな戦争で、勝った側が負けた側の方をレイプするという事実は山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったということも厳然たる事実だと思う。」

橋下氏は、このような制度は当時は当たり前のことで必要だった、と主張している。もちろん、今も必要とは言っていない。当時は必要だったと言っているだけだが、結局、彼は何が言いたいのだろうか。

彼は今、民主主義国家となった現代日本を生きているのである。現代において、決して従軍慰安婦に該当するようなものが必要、正しいとはされない。それどころか、重大な人権侵害であり、卑劣な価値観だとされるだろう。もし彼もそのような現代の人権感覚をしっかりと認識し持っているならば、果たして「当時はしかし、必要だったのだ」などとと繰り返し言えるだろうか?そこで、次の発言である。

「(沖縄県宜野湾市の)米軍普天間飛行場に行った時、司令官にもっと風俗業を活用してほしいと言った。司令官は凍り付いたように苦笑いになってしまって。性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にはあるわけだから。」

私はこの発言から、彼が、女性が男性に対して性的サービスを行うことをひとつの「よいシステム」だと捉えているように感じる。以前に問題になった「女性は子供を生む機械」発言に通じる、冷ややかで人間味の亡い言葉だ。この一連の流れで、当時の従軍慰安婦という制度と、現代の合法な風俗業を、内容は違えど彼は同列の枠組みで捉えているような気がする。

だから結局、今回の橋下氏の発言は「過去も現在も、男性の性的欲求を解消するためのサービスを女性が担うことを肯定、是認、もしくは推奨している」と海外は受け取っただろう。

日本が国家としてレイプをやっていたという、ものすごい批判が世界にあるのは、それはまさに、今回の橋下氏のような発言が普通に飛び出してくような国だからではないだろうか。当時は日本だけじゃなく、みんなやってたことだ、などという発言もとても稚拙で情けなくなる。

日本の工業製品は信頼され、芸術や文化には多くの興味を持ってもらっている。しかしおそらく、日本の政治は全く信用されていない。こういうことを言葉にしていては、国と国、対等な信頼関係など構築できるわけがない。

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ぶら下がり取材の是非よりも :: 2011/11/20(Sun)

野田総理は今のところ、いわゆる「ぶら下がり取材」には応じない方針のようだ。

****

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20111117-00022040-r25

野田首相が「ぶら下がり取材」に応じない方針を打ち出している。ぶら下がりとは、記者に囲まれたり、歩きながら首相が質問に答える取材方法で、歴代首相はみんな応じてきた。しかし野田首相は、記者会見などで情報発信していくという理由でそれを拒否。マスコミに「国民への説明責任を果たしていない」と言われているのだ。

(中略)

じつは、大統領や首相がぶら下がり取材に毎日応じたり、定例会見を行ったりする主要国はほとんどない。

(中略)

「問題は回数ではなく、その中身です。米大統領は会見で説明すべきことをとことん説明するし、質疑応答の時間を30分ぐらい作り、記者もどんどん質問をぶつけ、それにもちゃんと答える。そのかわり、大統領は言うべきではないことは絶対に言いません。一方、日本の首相の会見は演説に近く、記者もあまり質問しない。そして、会見後にぶら下がりで質問したりする。」

(後略)

****


この記事では、主要国の首相の記者会見回数がどれくらいかが述べられ、日本の野田首相が少ない訳ではないと書かれている。それは事実なのだろうけど、主要国と日本の首相の会見数なんかを比較しても意味が無いと僕は思う。それぞれの国の事情、交わされる言葉の密度も違うわけだから。

ぶら下がり取材には、うまく機能すれば素晴らしい面もあると僕は思っていた。こんなことやっているのは日本くらいだろう。昔、外国からの記者団が日本のぶら下がり取材というものを知った時、一国の総理大臣と記者との距離のあまりの近さに驚いたという。毎日のように、好きなことを直接首相に質問できるこの取材形式は、政治を開かれたものにし、身近なものにできるというメリットもあると思う。ユニークであることは僕は好きだ。だから、できればやめないで欲しいというのが率直な意見である。

しかし、そうも行かない事情があるようだ。この記事の中で語られている小田氏の言葉はとても興味深い。「記者たちは会見ではあまり質問せず、ぶら下がりでたくさん質問するんだ」という部分。僕はもちろん現場に居合せることなどできないのだが、想像に難くないと感じた次第だ。

公式の記者会見では日本のマスコミはあまり質問しないし、質問するにしても形式的で、内容を深くえぐるような内容ではないのだろう。おそらく公式会見の場では主導権が首相側にあり、記者達は目立った発言ができない空気が充満しているのだと思う。

これがぶら下がり取材となると一転し、記者はどんどん質問するようになるわけだ。本当に突っ込んだ内容もここで聞いているのだろう。そして、不意打ちを食らって失言でも出ようものなら大騒ぎとなる。ぶら下がり取材では、主導権を完全に記者側が握っているのである。まあ、こうやって均衡がとれていたのかもしれない。

ところが、野田首相はこのぶら下がり取材を無くす方針とのこと。ぶら下がりでの自分の失言を警戒しているのか、本当に忙しいのか。。。これに対し、マスコミが大騒ぎするのはうなずける。要するに、言いたいことだけ記者会見で言って、自分たちが主導権を握ることができる場がなくなった、というそういう反発なのかもしれない。

記者の皆さんには、これをいい機会と捉え、公の記者会見でどんどんと質問してもらいたい。そして、首相側が握っている主導権を希釈し、ちゃんとオープンな質疑応答の場に変えて行ってもらいたいものである。そして、記者と首相サイドの間で建設的な議論、質疑応答のコミュニケーションが可能な状態となり、互いに信頼関係が生まれた後で、またぶら下がりをやってもらいたい。その時には「ぶら下がり」などという言葉はふさわしくないものになっているかも。


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山口組組長・一問一答 :: 2011/10/01(Sat)

多くの市民は(自分も含め)、やくざの世界を知らない。知らないにも関わらず、やくざは危険な人たち、反社会的集団、いなくなれば平和になる、社会が浄化されると信じているだろう。しかしなぜやくざが存在するのか、その理由について考えたことがあるだろうか。

僕は、やくざの世界が生まれるのはこの社会の必然だと思っている。残念ながら社会は完璧な包容力を持てない。必然として生まれる組織なのであれば、必然たらしめる私たちの社会を変えずして、組織だけを排除しようとすることは大きな矛盾をはらむ。

以下のサンケイの記事は、価値ある記事だと思う。場合によっては「タブー」と言われかねない領域に踏み込んでいる。暴排条例施行に際して、山口組組長の発したこの記事の中の言葉達は非常に重い。言葉に論理性があって、含蓄がある。尊敬されている人間が発する言葉だと正直に思った。はっきり言って、政治家はこの質疑応答、発言する言葉のロジックを見習うべきだ。(ある意味、質問のかわし方も政治家よりずっと上手い。)必読。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111001/crm11100112010000-n1.htm

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永続的にこの記事が残るか分からないので、印象に残った言葉を抜粋したい。

「われわれが法を犯して取り締まられるのは構わないが、われわれにも親がいれば子供もいる、親戚もいる、幼なじみもいる。こうした人たちとお茶を飲んだり、歓談したりするというだけでも周辺者とみなされかねないというのは、やくざは人ではないということなのだろう。しかも一般市民、善良な市民として生活しているそうした人たちがわれわれと同じ枠組みで処罰されるということに異常さを感じている。」

「大半の人たちはわれわれを犯罪者集団と突き放していることはわかっている。その一因が私たちの側にあるのも事実で、そうした批判は謙虚に受け止める。しかし、やくざやその予備軍が生まれるのは社会的な理由がある。そうである以上、俺にできることは、これまで以上の任侠道に邁進する組織にすることだ。」

「今回の条例は法の下の平等を無視し、法を犯してなくても当局が反社会的勢力だと認定した者には制裁を科すという一種の身分政策だ。」

「山口組には家庭環境に恵まれず、いわゆる落ちこぼれが多く、在日韓国、朝鮮人や被差別部落出身者も少なくない。こうした者に社会は冷たく、差別もなくなっていない。心構えがしっかりしていればやくざにならないというのは正論だが、残念ながら人は必ずしも強くはない。こうした者たちが寄り添い合うのはどこの国でも同じだ。それはどこかに理由がある。社会から落ちこぼれた若者たちが無軌道になって、かたぎに迷惑をかけないように目を光らせることもわれわれの務めだと思っている。」

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笑えること、笑えないこと :: 2011/08/30(Tue)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110830-00000097-jij-soci

 東海テレビ放送(名古屋市)は30日、ローカル情報番組「ぴーかんテレビ」の岩手県産米のプレゼントコーナーで「セシウムさん」などと不適切なテロップが流れた問題についての検証報告書を公表した。
 記者会見した同社の浅野碩也社長は「私たちの間違いは大変重い。再発防止策を確実に実行、放送倫理を胸に刻み、信頼回復に全力を挙げていく」と改めて謝罪した。
 報告によると、テロップは50歳代の男性外部スタッフが「ふざけ心」から作成。「特定の意図はなく、むしろ社会常識の欠如が散見される」とした。このスタッフについては同日午前、東海3県で放送された検証番組内で、懲戒解雇となったことが公表された。

(引用ここまで)

おおもとのニュース:
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1108/04/news053.html

****

この問題では、心底憤った人もいたようだ。しかし僕は特にどのような感想も持たなかった。あえて言うなら、この映像を初めて見た時ちょっと可笑しいと感じた。

こういうふざけ心というのは日本では時より遭遇する。しかし本気で社会の不安を煽ろうとか、被災地をおとしめようとしたわけではないだろう。このテロップがリハーサルで使われていたのか、全く使う予定などない本当に遊びで作られたテロップだったのかよく分からないが、これを手違いで本番に流してしまったというそのお粗末な結末が何とも可笑しかったのである。

日本ではブラックユーモアは NGであることが多い。このセシウムさんのテロップは、そもそもユーモアを言うタイミングでも番組でもないのだからもちろん論外なのだが、そうじゃなくてもこの手の重たい時事ネタを公の場でユーモアとしてあえて笑い飛ばすような感覚は全くない。

笑いは苦笑であってもいい。自嘲的な笑いであってもいい。もしくは、前向きさのあまりに笑って、心の中では少し悲しくたっていい。しかし目くじら立てて憤っても何も産まれないような気が僕はするのだ。

一方、僕は一般の日本人が普通に笑って楽しんでいるお笑い番組のシーンで全く笑えないことがよくある。誰かのわざとではない失敗をげらげら笑っているシーン。そこにいない芸人の車をぼこぼこに壊して腹をかかえて笑っている場面とか。「死ねばいいのに」という有名なつっこみ、僕はどのように笑えばいいのかいまだに分からない。

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政策 vs 人物 :: 2011/07/31(Sun)

原発に関する世論調査の結果があった。


【7月24日 AFP】共同通信(Kyodo News)が24日発表した世論調査によると、菅直人(Naoto Kan)首相が表明した「脱原発」方針に対し、「賛成」もしくは「どちらかと言えば賛成」と答えた人が計70.3%を占めた。一方で、菅首相の退陣時期については、8月末までの退陣を求める人が66.9%に上った。

http://www.afpbb.com/article/politics/2815546/7494328

(引用ここまで)


この結果は、十分に予測できるものではあるが、大きな矛盾をはらんでもいると思う。

原発推進派なら菅首相の退陣を求めるのは理にかなっている。しかし、脱原発の方針に賛成して、なおかつ菅首相には辞めて欲しいという意見は、少々理解しずらい。

もしも脱原発の方針に賛成の意向であるならば、菅首相を支持する選択肢も十分にありえる。菅首相以外に脱原発を推し進めてくれる首相が出てくる保障は全く無いのだし、国民は脱原発を支持していると示す最適な機会にもなる。

菅首相が不甲斐ないと感じている人は多いだろう。もちろん彼が首相に適任の人物だとは僕も全く思わない。実行力がない人が首相にずっととどまっていても意味がないのは確かだが、実行力を発揮できない状況が、彼の能力のせいなのか、それとも政界に彼を疎外する空気が生まれ、うまく実行力を発揮できない状態に陥っているのか、僕には分からない。もちろん、首相なんだからそんなことに左右されてはいけないという考えもあると思うが、しかし現在はかなり特殊な状況だ。脱原発なんて言ったら、おそらく四面楚歌に近いんじゃないだろうか。

国民は、人物像から支持・不支持を決める人が多いのかもしれないが、あくまで提言している政策方針に基づいて支持・不支持を決めるのもありだ。

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現在は、原発事故の今後の処理と、安全の確保、広がる放射性物質汚染にどのように迅速に対応していくか、極めて切迫した状況である。そんなときに、あっちでもこっちでも聞こえてくる辞任の話、本当に情けなくなる。海江田さん泣いていたが、泣いている場合じゃない。

必要なのは批判体制じゃなく協力体制だ。こんな難題山積みの状況で、協力しあわないとまず何も動くわけがない、無理だ。与野党含めて、専門家も集めて議論し、迅速に法の整備と政策決定をやってほしい。要するに、誰も辞めなくていいから、しっかり仕事してほしい、ということだ。


****


前の記事のコメントで、ユーチューブの動画のリンクをいただいた。これは2011年7月27日 (水) の衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」における参考人説明。訴えているのは東大の児玉龍彦教授。見るべきものだと思うので、リンクを張ることにした。

http://youtu.be/DcDs4woeplI


注目すべきは、まず原稿を読んでいない、ということ。複雑な数値を言うときに少しだけメモを見ている程度。つまり、訴えたいことは全て頭の中でまとまっているのだ。そして、具体的な問題点と、どう対処すればいいのか、解決策にまで踏み込んでいる。第一に、第二に、、、と区分けされていて分かりやすい。主語と述語の関係がはっきりしていて、曖昧な単語がほとんどなく、正確に意味が伝わる。話しの最後には、改めて要約された内容を明快に言われている。政治家は何から何まで大いに見習うべきだ。そしてもちろん、迅速な対応を期待したい。

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鯨たちよ :: 2011/03/20(Sun)

今回の大地震とその後の大津波によって,多くの方の命が失われました.そして今も避難所等で困難な生活を送られている方が大勢おられます.被災された方々に心よりお見舞い申し上げます.


今回の地震に関して,専門家の方々はあちらこちらで「想定外」を口にされている.そのとおりなのだろう.南北500km,東西200kmに渡って断層が破壊されるような巨大地震が日本のすぐ近傍で起ころうとは,「ありえない」とは言えなくても,「とても可能性は低い」ということになっていたのだろう.想定されていた津波の高さは数メートルだったと聞く.

可能性・確率,という言葉は残酷だ.私たちは,車に乗るとき事故で死ぬかもしれないけれど,それでも乗るだろう.なぜなら事故に会う確率はとっても低いと思っているからだ.だけど,対向車線から居眠り運転のトラックがはみ出してきて正面衝突すれば,おそらく確実に死ぬ.事故が起こる前には確率というあやふやな霧が立ち込めているばかりなのに,起こってしまえば確実な現実が目の前に現れる.今回はこんなとっても低い可能性でしかなかったものが,北関東から青森までの広範囲で一瞬にして起きてしまった.

今回の地震の前,僕はこのブログに書こうかと思っていたことがあった.それは以下のニュースだ.

****

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110305-OYT1T00340.htm

茨城県鹿嶋市の下津海岸で4日夜、クジラ約50頭が打ち上げられているのが見つかった。

5日朝から地元住民や同市職員らが救出活動にあたったが、既に半数以上が死んでいた。

茨城県大洗水族館(大洗町)によると、クジラは体長2~3メートルで、小型クジラのカズハゴンドウとみられる。同館の島田正幸・海獣展示課長(56)は「餌の小魚などを追いかけて遠浅の海に入り込み、方向感覚を失ったのかもしれない」と推測する。死んだクジラは砂浜へ埋めるという。

****


「餌の小魚などを追いかけて遠浅の海に入り込み方向感覚を失った」のではおそらくない.これは地震の前兆だろうと僕は思った.少し前のニュージーランド地震の際にも,地震の2日前にたくさんの鯨たちが浜に打ち上げられる事件が起きている.

鯨がなぜ地震の前兆を感じ取ることができるのかわからないが,地震直前,つまり巨大な力に岩盤が耐え切れずにずれ始めようとする時,なんらかの物理量の変化が起き(いわゆる磁場の変化や電磁波のような類),それが鯨を混乱させるのだとか,そういうことは考えられる.

ところがこのことは書かずに終わっていた.なぜなら,実は3月9日,三陸沖を震源とするやや大きな地震が起きたからだ.震度5弱で津波注意報も出た.鯨たちはこの地震が起きることを感じ取ったのか,と僕は思い,そして感心してしまっていた.この後,9日・10日の二日間,震度1から4くらいの地震が三陸沖で続いていた.もちろん余震だと思っていた.

ああ,鯨たちよ...あなたたちが命を失った場所が茨城県の浜であり,三陸ではなかったことを僕は見落とした.その後起きたこの巨大地震の断層破壊は,確かに茨城沖にまで達していたのに...予知なんてできるわけないのだけれど,それでも被害の甚大さが明らかになるにつれて,無力感と脱力感と悔しさで体が動かなくなった.そして0.1%にも満たなかっただろう可能性が100%の現実になってしまう残酷さを改めて思い知った.


****


最後に,原発事故の件...現場で問題解決に従事されている技術者,消防,自衛隊,そのほか様々な関係者の方々,その卓越したプロの仕事に最大限の敬意を表したいと思う.

時間を巻き戻して原発事故を防ぐことはできない.だからせめて,これを機に原子力というものがどういうものか,多くの人に真剣に考えていただきたいと思う.

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これは連係プレイか!? :: 2011/02/28(Mon)

ここ数日話題の京大の入試問題のネット投稿.これは面白い.

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110228-00000563-san-soci

京都大などの入試問題がインターネットの質問サイトに投稿された問題で、短文投稿サイト「ツイッター」に「京大の試験官は監視してなかった」などとの書き込みがあったことが28日、分かった。

(後略)

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どうやって試験中に携帯から投稿したのだろうかと不思議だったが,この記事を読んで,監督の甘さという点には信憑性がありそうな気がした.まあ京大をはじめとした大学教官の中には,監視監督に真剣じゃない先生は確かにいそう.おおらかで器の大きな先生ほど寛容で,学生を信じていたりするし,そもそも監督監視という行為が嫌いに思っている先生もいそう.

こういう状況であればちょっと携帯で写真を撮ることくらいできるかもしれない.しかも周囲は自分の問題を解くことに集中しているだろうから,誰も他人のことを気にしていない.監督が甘ければ余裕じゃん,ってことになりそうな気がする.

にしても,試験中に文章を投稿するのはかなり大変だろうと思うので,写真を撮って誰かにメールで送り,外部で誰かがそれをヤフー知恵袋に投稿,そしてそれを待ち構えていた頭脳仲間が問題にすぐに取り組み,回答を投稿した,という連携プレイもありえるだろうか.もしくは今は写真で撮った画像から画像認識でテキストに変換できるアプリとかあるのかな?僕は知らないのだけど...あともうひとつの問題として写真撮るとき音が出ると思うのだが,これは改造で消せるんだったかな.どうだろう.

こう考えていくとたいした労力もなくやれそうな気がする.

対策としては,監督監視を強化するという正攻法でいいんじゃないだろうか.それで今回のような事例は防げるのではないかと思う.人間大きなリスクがあればなかなかやれないもの.だからこそ,今回は本当に余裕でやれちゃったんじゃないかと推測する.


ところでカンニングの動機だけど...これはけっこう難しい.そうまでして合格したかったというよりは,世の中を馬鹿馬鹿しいと思っていたり,何か違反行為をすることで心が高揚するようなタイプの人じゃないかなぁ,と僕は思った.もし連携プレイなら,なにか賭けか何かでやらなきゃいけなくなったとか,そんな仲間間のしょうもない遊びの結末だったかもしれない.もしくは,もっと複雑な背景があったりするだろうか.塾の先生とか一枚かんでいたらかなり受けるんだけど...(いや,笑えないですが.)

いずれにせよ,この大学や世の中をちょっと馬鹿にした感じでカンニングを成功させている点,なんとも痛快に感じてしまった.でも次回からはやめてください.

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八百長は統計学的に証明されていた? :: 2011/02/07(Mon)

どうやら,大相撲に八百長が存在することを強く示唆するデータは既に存在していた模様.

大相撲の八百長騒動で世の中盛り上がっているようだが,僕としては特に驚くことではない.こういう水面下の世界というのはどんな社会にも少なからずあるもので,問題にしなければならないとすれば,それがどれくらい悪質か,倫理的に問題があるか,そして犯罪と結びついているか,などである.

今回の問題は,例えば大相撲を真剣勝負の格闘技と思っていた人にとっては裏切りであり,ショックも大きいだろう.しかし大相撲を一種のショー,もしくは日本的な精神が通った何かと思っている人からすれば,何を今さら騒いでいるんだと感じる程度のことである.だいたい,八百長という言葉の語源は相撲と関係している.

それから,勘違いしている人もいるようなので書くが,八百長には「ずる賢い」のようなニュアンスは本来ない.「ずるをして勝つ」よりも「わざと負けて相手に勝ってもらう」のイメージが八百長だ.これも一種,功利を生産するための局所的システムである.

本人たちにとってはおそらく当たり前の世界だっただろうから,これは悪質ではない.そして,おそらく犯罪性もない(犯罪組織にお金が流れている,とか...)....ああしかし,だからと言って八百長オッケーで~す,と片付けることもできなくなってしまった.八百長はあくまで水面下になくてはならないのだ.公の場で「八百長」としっかり認識されてしまうと,それは「あってはならないこと」ということになる.これは私たちの古くからの精神と,現代の社会の仕組みや現代の法律等との間に相容れない部分があるからである.この混沌とした状況が今回の騒動を生み出した.おそらく過去であればもみ消して終わっていただろう.

21世紀の日本で,今後大相撲がどのようにあるべきか,考えるいい機会になればと思う.

ところで面白いニュースを見つけた.

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http://www.asahi.com/sports/update/0204/TKY201102040252.html

角界を揺るがす八百長疑惑。日本相撲協会の放駒理事長は2日の会見で「過去には一切なかった」と述べたが、11年間の星取表を調べ上げ、八百長の存在を統計的に示した2002年の学術論文が改めて注目を集めている。

 米シカゴ大のスティーブン・レビット教授(経済学)らは1989年から2000年までの十両以上の取組3万2千回以上を調べた。7勝7敗で迎えた力士の千秋楽での勝率は75%にもなった。

 勝ち越しをかけた一番で勝率が上がるのは八百長ではなく、力士が必死になるからという説明もあり得るが、同じ相手と次の場所以降で対戦したときの勝率は4割程度に下がっていた。

 教授らは、わざと負けることで借りを返したと分析。ただ、統計的には返し切れたとは言えず、残る分は金銭で埋めたのでは、とした。

(後略)

****

さすがに経済学者だけあって,「金銭で埋めたのではないか」という考察が僕のツボを直撃した.そしてそれを今回の報道が一部証明したというわけだから,これまた面白い.

しかしこのレビット教授,やや悪趣味? 笑

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