日本について考えるブログ




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収納はもういらない :: 2007/11/30(Fri)

収納は日本における悪の根源です....あ,ちょっと,通りすがりの方.「戻る」をクリックせずにちょっと読んでいってください.笑

日本の住宅で「収納」はやはり重要なキーワードです.しかしそもそも日本人にとっての「収納」とは何なのでしょうか.収納は多ければ多いほどいいと思っている方は今も多数だと思いますが,それはなぜそう思うのでしょうか.

もちろん,綺麗に整頓されて全く散らかっていない家というのは気持ちいいものです.しかし,例えば一人暮らしの男子大学生,ワンルーム住まいで,救いようのないほど足の踏み場もない状態の家も同じくらい心地よいものですよ.らくちんで.笑 私がむしろ嫌悪感を感じるのは,ホームセンターなどでとにかく安いカラーラックや棚やそんなものをどこに置くのかもよく考えずに買ってきて,そんでもって,やっぱりそれには収まり切らずに物があふれ出てしまい,本来ものを置く場所でないようなところに物が積み重ねてあったり,関連性のないものがごちゃ混ぜになって,関連性のない場所に押し込められているような家です.そして,紛れもなくそのような家に住む住人が1にも2にも「収納が足りない」「収納は大切」と言っているのです.

ちゃんと整頓されている家と,足の踏み場もない家を私が心地よいと感じるのにはちゃんと共通点があります.それはコンセプトがあるということです.限られた収納スペースでいつも整頓するには,不必要になるものは買わないだとか,少々高くてもコンパクトなものを買うとか,何かし能動的な思考があるわけです.また一方,後者の家は「結果的に」的な側面も否めないかもしれないですが,でもたぶんそこに住む人の欲求は思い通りに達成されているという点では成功しているんですね.例えば「どうせ座る場所は一カ所なんだからそれ以外の場所にすぐ使うものは置いておくんだ」という思考があるんだったら,まさにそのようになっているわけですから,一応コンセプト達成です.

しかし.たくさん収納があるのに整理できない家は,要するに住人は失敗しているわけですよ.片づけたいけど,ちゃんと計画的に考えられないので片づかない.そしてそれを収納がまだ足りないからだと思いこんでいる.これはとてもおかしなことです.なぜ片づかないのか,それを真剣に考えなくてはなりません.愛着もなくしかも絶対に使わない物なのに捨てられなかったり,計画的に買い物ができなかったり,ちゃんとカテゴリーごとに分類して整理しないから毎回押し入れから全部ものを引っ張り出す羽目になったり,などなど.

はっきり言いましょう.収納はおおむね足りています.あとは考えるか考えないかの違いです.職場の机の上の惨状は,おおむねその人の頭の中の状況だ,とは私の知人の言葉です.笑

で,車も同じで,日本の車は収納多すぎですね.小物入れとかも.日本はミニバンやワゴンが多い国ですが,まずあの広大な座席空間や荷台が有効に使われている様子はあまり見かけません.オデッセイを一人で通勤に使っている人多いでしょう?レガシーワゴンはたいていワゴンにそれほど荷物載ってないですね?そんな人に「なぜこの車なの?」と聞くと,「キャンプが好きだからねぇ」とかいう答えが返ってきますが,「キャンプにはよく行くんですか?」と聞くとたいてい「最近は忙しくてね」となります.ひどい答えは「とにかく荷物が積める車のほうがいいかと思って」というもの.で,「今までこの広大なスペースは役に立ちましたか?」と聞くと「前に一度友達の引っ越しを手伝ったよ」となります.

はい,そういう方々.そんな時はレンタカーを借りて,普段はヴィッツやマーチやフィットやデミオに乗ってください!!環境に優しくて税金安くて,もうガソリン代数円の変動に一喜一憂しなくて済みますから!!私は,「オデッセイのシルエットがすごく綺麗で好きなのよ」とか「スバルの社員にコネがあってね,激安だったのよ」とかそういう答えを期待しているんです...だってそれはちゃんと真の「理由」じゃないですか?曖昧じゃない.考えた結果ですよ.

「収納」という魅惑の世界から日本人は解き放たれなければなりません.住宅業界のみなさん.これ以上日本人の思考を停止させないよう,収納の少ない家をこれからは作ってください.笑 車ももうこれ以上「収納」のこと考えないでください.私は真剣にそう思っています.

   
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テーマ:住まい - ジャンル:ライフ

  1. 暮らし・住まい
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閃光少女 :: 2007/11/29(Thu)

「閃光少女・解釈編」へ...


東京事変の新曲「閃光少女」ついに出ましたね.しかしCDではなくプロモーションビデオ(PV)のみ.これはこの作品が映像とセットでなくてはならないという意味でしょうか.

このPV,一部動画サイトで流れていたので,少しだけ知っていたのですが,いやー,改めてじっくり見ると感動します.しかし,今日ばかりは論理的にどうすごいなどと説明する気力は起こりません.正直ですね,言い過ぎだといわれてもかまわないので言いますけど,閑散とした夕方のルーブル美術館で巨大な宗教画を見上げて言葉を失った時以来の衝撃ですね.笑 理屈じゃなくて,圧倒されているわけですよ.しかし,芸術として数百年の時間を乗り越えて,なぜか分からないけどその価値が落ちない絵画というものがあるとして,それは偶然に人をだまし続けている絵だとは思えないわけです.やはり,描いた人間の苦悩や思想や,そういうものが絵の中の情景に刻み込まれているわけで,それを言語ではない何らかの方法で脳が感じ取っている,そう解釈するしかないでしょう.だから感動できるのだと.今回もきっとそうかと.

しかし私は「閃光少女」を解釈したい.言葉にならない状態から,言葉になる状態にしたい.うーん,どれくらいの時間がかかるだろうか...しかし,椎名林檎さんの詞は時に極めて広範囲に渡る「解釈の多重性」を許容するため,それをひとつひとつ紐解いていくことは簡単なことではないでしょう.すでにブログやレビューサイトでその兆候を見受けられます.「青春って感じがする」「元気が出ました」「悲しくなりました」...すでに見解はばらけてます.しかし大方全体に共通しているのは「なぜだかわからないけど涙が出そうになる」という感想.これが多いですね.いったいなぜでしょう.ここ,ポイントだと思います.

最後に私の現時点での印象を.

「閃光少女」はとてつもなく悲しい曲です.PVの映像からも歌詞からも,とてつもなく悲しいオーラが出ています.ひとつは現在の日本についての悲しみです.より良くしよう,よい生き方をしよう,というような,コンセプトのある前向きな努力はこの国ではすべて無視されているというメッセージです.そしてそれに関係のあることですが,やはり強いジェンダーに対する感情を感じます.世界に類をみない性差別大国の日本の現状,今一度皆が考え直さなければなりません.最後に,ジャケットをよく見てみてください.先行シングルとアルバムでは,ジャケットに描かれているテレビに映像が映っていますが,今回は何も映らず,砂嵐になってしまいました.アルバム「娯楽」に続いて「spa & treatment」ツアーでファンを和ませてくれた直後だけに,このジャケットはとてつもなく怖いんですけど...もう楽しい時間は終わったよ,と告げられているようで...そして中身はこの「閃光少女」ですから.

関連記事:閃光少女・解釈編

   

テーマ:東京事変 - ジャンル:音楽

  1. りんごさんのことば
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ホンダ フィット :: 2007/11/28(Wed)

今年の日本カー・オブ・ザ・イヤーは,本田技研のフィットが選ばれました.受賞理由は「先代の基本性能の高さを受け継ぎつつ,ユーティリティや乗り心地,ハンドリングそして時代の要請である環境性能など,あらゆる能力をさらに高めた.世界のどこでも評価される実力,魅力がある」となっています.なんだか,この模範解答のためにフィットが生まれたという気がしてきます.それは私だけ? 日本ではともかく,世界で本当にその魅力が評価されるか見守りたいところです.

私は新型フィットにはまだ乗ったことないので,とやかく言う資格はないのですが.それ以外のところで思うことを述べさせていただきます.

まず,車に興味がある人間が見れば誰でも分かるとおり,今回のフィットは「キープコンセプト」です.新しい,斬新なことはせず,先代モデルをリファインした,つまり雲形グラフをひとまわり大きくしたってことです.そういう車が,「今年の日本の最も優秀な車」に選ばれたってことです.過去のRJCカー・オブ・ザ・イヤー,日本カー・オブ・ザ・イヤーを見返しても,ここまでキープコンセプトの車が選ばれた年はありません.つまり,それほど魅力的な車がなかったことの裏返しでしょう.

しかし,ともあれ何か発見があるかとホンダのホームページでフィットをじっくり調べてみました.そして仰天.何ということでしょう,これは...何一つ,そう何一つ新しいことは書かれていないのです.例えば「空力を考慮した、流れるようなボディのカタチで燃費向上にも貢献しています」「街の中をキビキビと、そして、街の外へも力強く駆け出せます」「高性能サスペンションを採用し、しなやかで快適な乗り心地を実現」...もう出るわ出るわ.延々と出てくるありきたりな説明.そう.この車は確かにキープコンセプトなんです.ただのリファインなんです.

私はこれを見て「ホンダはひどい会社だ」とは実は微塵も感じません.なぜなら,ホンダがどれほど自動車を愛しているか,それは他に魅力的商品がたくさんあるから分かります.ただフィットには,とても優れた車だとは言えホンダの愛は感じませんね.私が言いたいことは「消費者は,そして自動車評論家は,ここまで舐められたのか」ということ.ホンダは,どういうふうに作れば日本で車が売れるかということを完璧に習得していると思うわけです.カー・オブ・ザ・イヤーをゲットなんて,まさにしてやったりです.実は暴露すると,私の知人にはホンダで開発をしている人がいます.「フィットは先代が売れたから何にも変わってないよ」とのことです.そう.ホンダはこの車で儲けて,F1マシンのリアウィングの形状の研究に日夜努力しているという見上げた会社なんです.ですから,ホンダは社員を雇用するために最善のことをやっているのだと思いますよ.

日本の自動車業界が発展し,世界に誇れるような車が出てくるには,消費者が成長するしかないのです.これは市場原理のひとつだと思います.しかし消費者は急に成長できるものではありません.よって,ジャーナリストの皆さんがちゃんと「新しいこと」「新しい発想」の車をイヤーカーに選んであげないといけないとけないと思います.RJCは今年「デミオ」を選んでますが,こちらのほうに私は賛同します.

最後に.この辺はまた別に詳しく考察したい話題なのですが,ひとこと.日本車は世界で認められていると多くの日本人がやや勘違いしている気がしますが,私は声をあげて言いたい.「総括的に言って現代の日本車から環境性能をとったら何も残らない」ということを.そして「環境性能の差は少しずつ確実に縮まってきている」という事実をしっかりと認識すべきです.そろそろ.

   

テーマ:新車・ニューモデル - ジャンル:車・バイク

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ビールと発泡酒と第3勢力 :: 2007/11/26(Mon)

私は今日,懺悔(ざんげ)いたします.

私は,食にはウルサイほうだろうと思います.まあ特化した味覚とはいい難いかもしれないですが,「美味しい野菜は最近売ってないねぇ...」だとか,「今日はいつもよりちょっと醤油が入りすぎてんじゃないの?」などと分かった口を数々たたいてきました.そして来るべき日がやってきました.それは利きビール大会です.とはいっても,ドイツやチェコのビールを飲み比べるような間違えても被害のない遊びではなく,発泡酒とビールと第3勢力を6種用意し,銘柄は公表しておいてどれかを当てるという危険なものです.その中身は「エビス」「一番絞り」「スーパードライ」「麒麟淡麗」「マグナムドライ」「ぐび生」.私は思いました.まあビールはさすがに分かるやろうと.実は以前にも「ビールはぜんぜん違うんだよ」と友人にあほなことを抜かしてしまっていたんです.

そしてスタート.まずグラスに注がれた黄色い液体を見てびっくり.まあ本当に色が薄いのから濃いのから.ここで,色を見て惑わされるな!とすでにあっけなく惑わされます.笑 そして飲んでびっくり!

.....わ・わ・わ・わ・わからない!!!!

いや,「エビス」と「ぐび生」は分かりました.エビスは断トツ苦い.そしてぐび生は断トツ匂いしない(というか変な匂い 汗).しかし残り4種はマジで大差ないんです.いや,感じようと思ってもがくほど分からなくなるんです.や・や・やばい.これではずしたら今まで「んなー,さっすがにビールと発泡酒は違うんよん」と言っていた自分,どんな総攻撃に会うやら...ああ,恐ろしい...

結果は・・・・実はビール発泡酒の区別は正解しました.ドライと一番絞りを逆にしてしまいました.しかし,わたしは白状します.

正解したのは「偶然」なんです.(TT)

もうほとんど頭の中は混乱して,どれがどれやら分からなくなっていました.

結論:これからは謙虚にしっかり物事について熟考するよう心がけようと思います.うかつな発言を慎み,もっと大人になります.笑

   

テーマ:ビール - ジャンル:グルメ

  1. 反省会
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緊張する日本人 :: 2007/11/24(Sat)

私は大勢の前で話をすることが時々あるのですが,何度やっても緊張します.ところで緊張ってどこからやってくるんだろう,と考えるとなかなか面白いことが見えてきます.そんなの当たり前じゃないか,大勢の前で話すんだから,と単純に考えてはいけません.そこがポイント.つまりなぜ大勢の人の前で話をすると緊張するのか,という部分.それから付け加えておきますが,アメリカやヨーロッパなど諸外国の方のプレゼンテーションを聞いていて,「この人,緊張しているな」と思うことは滅多にありません.冷静に考えてみると,これはびっくりするほどの違いなのです.

さて,私に限らず日本人は大勢の前で話をするとき緊張することが多いと思うのですが,その理由を自分なりに考えると,主に次のような要素のためかと思います.

・敬語と形式主義の存在
複雑な敬語の存在は,しかるべき言語能力と対人関係に対する確かな土台を要求します.また,形式を重んじる日本文化では,それにのっとらなければいけないという社会的強制があります.たとえば結婚式のスピーチなどで容易に想像できますが,ある種の「禁句」などが存在します.

・大多数意見への従属
日本ではふくろだたきという危険な罠が待ち受けており,なるべく少数派にならないように心がけなくてはなりません.新しいことを提示しようとするときでさえ,その提示は多くの日本人に受けるかどうかを検討し,受け入れられないときは攻撃されるかもしれない覚悟が必要です.

・分かり合えないことへの恐れ
分かり合えないことへの不安もあります.自分の話している内容がちゃんと聞き手に伝わっているのかという確信が得られにくいことです.

・間違えてはならないことへの強制
間違いは,大きな舞台になるほど大きな影響力を持ってきます.政治家の「失言」騒動を見ていれば分かりますが,あなたはそういう思想を持っているのかと追求されることなく,「そういう思想を持っている者」として当然のように扱われ,とんでもない大事件に発展しますね.ふくろだたきを助長する重要な要素であり,これを避けるために慎重になればなるほど「緊張」が訪れます.謝罪会見もこの類の緊張でしょう.ひどい場合は「申し訳ありませんでした.謹んでお詫び申し上げます」を繰り返すばかりで,その先には踏み込んでいきません.間違えをおそれているのです.

ということで,日本の思想・社会のシステムは個人の意見が尊重されるようには全くできていません.そして尊重されないのだから,日本人が個人の意見を持たないのも無理ありません.淘汰圧が働いて,意見を持たない日本人が生き残る傾向にあるのです.残念な現実です.

   

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 社会
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京都 :: 2007/11/22(Thu)

先日,京都に行ってきました.観光ではなく仕事でです.京都は今回で4回目.観光2回,仕事で2回です.少なくとも私は京都に行くと必ず癒されます.「癒し」といっても曖昧なので,もう少し具体的に言うなら,なんというか「元気がでる」とか「とにかくやる気がでる」とかそういう感じでしょうか.前向きになるんですね.しかしそれはなぜなのかと考えると,はっきりとした答えは...難しいものです.少なくとも銀閣寺や清水寺に行くことなく,ただ街をぶらぶらするだけでも癒されることは間違いありません.

そこで今回は意識的に京都のどこに癒されているのかを考えながら出張に行ってきました(何をやっとるんじゃ,と上司につっこまれないよう,これは秘密です 笑).そして導き出したひとつの答えは...きっと京都市民が「主体的に何かを考えている」ことに癒されているんだろうな,ということです.

例えば,常に京都と言えば景観の議論がなされます.昔の「美しい町並み」を壊すことなく,現代のものを取り込むことの難しさに対して,京都は果敢に挑戦しています.これは絶対に簡単なことでは無いはずです.「CoCo壱番屋」や「吉牛」が町並みにとけ込んでいることは奇跡に近いですよ.現代の日本人の思想と日本の様々な都市全体を見渡す限り,京都のこの特殊性は驚くべきことです.現在の京都駅ビルディングは著名な建築家によって創られた建築物ですが,私はこの駅ビルからでさえ心が癒されます.「大階段」の途中に立ち,広大な駅ビルの体積を肌に感じるとき,なんだか京都という街が歩んだ長大な時間の流れの先端に今自分はいるんだという感覚におそわれます.不思議な体験です.しかし,こんなに素敵な駅ビルですが,その近未来的デザインに賛否両論が荒れ狂ったんですね.ここがまた心惹かれるポイントです.というのも,そもそもそうやって議論が渦巻くこと自体が素晴らしいのだと思うからです.そういった真剣さが,この京都の町並みの中に確かに息づいていると思うのです.もしこの真剣さがなければ,お寺をモチーフにした駅ビルを作ったりなんかして,軽薄さを暴露して撃沈,必至ですね.笑 

今回は何も「景色だけが美しい」のではないということも感じました.例えば,地下鉄の放送.地下鉄という乗り物はたいてい騒々しい乗り物で,駅をすべりでて速度が乗ると,車内放送もよく聞こえないことはよくあります.京都の地下鉄は,ドアが閉まって動き出した瞬間に「次は***です」と放送が始まります(私は素人なので他にもそういう地下鉄はあるのかもしれないですが...).つまり,京都の地下鉄は車内放送がちゃんと聞こえるように考えられているんじゃないかと思いました.静かなうちに用件が済み,ホームを出て騒々しくなってきたときには放送は終わっているんです.こういうことって,主体的に「どうすべきか,どうすることがよりいいか」をまっとうに考えているからこそ可能になることだと思うんですね.真似や流行では生まれえません.

京都は紛れもなく,世界的観光都市です.今回も多くの外国の方が京都を観光されていました.こうやって多くの海外からの観光客に来てもらえるのも,京都の中に息づくこういった確かな思想がある故かと思います.そして,それは京都市民が京都を誇りに思っていることそのものを意味しているのかな,と思います.

   

テーマ:景観 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 社会
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シーチキン :: 2007/11/21(Wed)

どーでもいいことですが,大発見というものはあるもので,私は先日大発見をしました!

それは,シーチキンにまぐろだけでなく,かつおバージョンがあったってこと!品名に「かつお水煮・フレーク」と書いてあるんです.うそー!?まじでー?って感じでした.そして食べてまたびっくり.ま・ま・ま・まずーい!!明らかにまぐろよりまずいではありませんか!まあでも,これは好みの問題か...

しかしこれはどういうことかと思い,ちょっとネットで調べてみたら,やはり「かつおの水煮」は現実に存在しているようです.「シーチキンマイルド」という商品はかつおらしいです.しかし,全く同じ「シーチキン」って名前でこんなに違うものを売るのは本当にいいんだろうか,と思ったんですが,この辺も調べてみると,英語圏ではかつおもまぐろも「tuna」というらしい...ん?おおなるほど,これは「ツナ」ですね.確かにツナですよね.うんうん.味も同じようなもので区別しないのだと.なるほど,そうだったのか...

って,まじで!?ツナって,まぐろでもかつおでもいいんすか?すげぇー,その感覚.わたしゃあ,ちょっとびっくり仰天でしたよ.笑 でも.実はどちらもサバ科の魚で,どうやら親戚のようなんです.味の傾向は似ているのかもしれないですね.しかし,サバ科かぁ...と思っていたら,サバ節,かつお節はあるのに,まぐろ節はないなぁ...と急に思いつきました(意味不明な展開)...実はツナと同じようにまぐろ節もいけるんじゃないの?と思ったんです.ところが.なんとまぐろ節存在するみたいですよ.しかもけっこう高級食材のよう.

君たち,みんな仲間同士だったんだねぇ...

   

テーマ:今日の食事 - ジャンル:グルメ

  1. いろいろ
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