日本について考えるブログ




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詐欺社会の構図(1)-日本の住宅業界- :: 2008/01/31(Thu)

自分の考えを持つ,何かを具体的にイメージするという作業は,日本人はすごく苦手ですね.しかし日本人は,自分たちのそういう部分につけこむビジネスを素晴らしく発達させてしまっています.今後こういう状況を「詐欺社会の構図」と題して記事にしていきたいと思います.

第一回の今日は,家の購入です.例えばマンションを購入しようとしたとします.まあ一般的には家が人生で一番高い買い物なので,本当に真剣に考えるべきもののはずです.マンションが欲しいと思ったら皆さんはどうされますか?まずはインターネットや新聞の折り込みチラシなどの広告を見て,「いいかも」と思う物件の情報収集でしょう.そして実際にモデルルームを見に行き,商談,そして最後に購入,とこういう順番でしょうか...だいたい多くの日本人がこんな感じ家探しをすることでしょう.

しかーし.この中にはとても大切な部分が抜け落ちているように思います.それは,情報収集を始めるその前の話し,そう,家を購入した後の「具体的な生活のイメージ」と,それに伴う具体的な設備,間取りなどに対する要望です.例えば「バスルームには窓が欲しい」とか「対面キッチンは動線が長くなり,使い勝手がよくないので嫌だ」とか「雨の日でも洗濯物を干せる場所がある家がいい(北国では冬はずっと室内ですからね)」とかそういう具合です.たいしたことではなくても,こういうひとつひとつは極めて大切な概念だと思います.

さて,もし具体的なイメージを持たずモデルルームに行くと,どうなるでしょう.そこからは「ナチュラルな詐欺」のオンパレードですよ.モデルルームは,一般に専門のインテリアコーディネータが仕上げた空間であり,かなり素敵です.実際の部屋にはそんなオプションなどついていません.しかし分かってはいても心惹かれます.とにかく漠然と好感を持ってしまいますね.次に営業の巧みな誘導.「返済プランだけでもお見積もりいたしましょう」などと言って席に座らされ,コーヒーやお菓子などが出てきて,アンケートを書かされて,がんじがらめにされていきます.こっちが初めから「見るだけ」のつもりならまだ断ることは可能ですが,少しでも購入を検討しているなら,この誘導から逃れる策はありません.ローンの返済計画の話しはかなりいい加減ですね.こっちがお金に詳しいかどうかで言葉を選んでいるのがよく分かります.そして最後の決め台詞は「迷っていたら決まらないですからね.家の購入も結局タイミングですよ~」「急がないと,すぐに決まってしまいますよ~」.

一方,家に届けられるマンションの広告の内容も悲惨なものです.以下は,私の家に最近入ったマンションの広告やビラに書かれている見出しの一部と私の感想です.笑

「モデルルーム先着10名様に1000円分の商品券プレゼント!」
  1000円の商品券で家の購入を促すようなことはやめてください.(^_^;)

「今,住まいが輝きの中心になる」
「まばゆさと心地よさの上質プライベートスタイル」
  輝きの中心?まばゆさ?上質プライベートスタイル??根拠が一切分かりません.
  言葉遊びはやめましょう.もしくは,意味と根拠を示してください.

「比べてください.この価格でこの仕様」
  仕様だけよくても意味がありません.
  しかも,そんなにお得なのかどうか全く分かりません.

「今の家賃と比べてください.自己資金なしでも月々76,401円の支払いでご購入いただけます」
  3年固定金利で一番安い2階の3LDK,
  後に高くなる可能性のある修繕費や管理費のこともちゃんと書いてください.
  詐欺ですよ.

このような宣伝文句が日本の住宅業界の貧しさを如実に物語っていると言っても過言ではありません.そして,これでうまいこと業界が回っているということは,粗品につられてモデルルームに出向き,購入につながることは現実にあるということです.しかし考えてもみてください.たくさんのお金を支払って購入するわけですよ.本当に暮らしやすい,豊かな空間にしたいともっと思うべきでしょう.そしてもっと具体的なイメージを持ち,それを実現できそうなマンションなり,住宅メーカーを探すべきです.皆がそういう姿勢を持ち始めると,メーカーももっと考えられた家作りをするようになると思います.

前にもちょっと書きましたが,市場経済において物の商品の質は消費者の質を反映しています.日本のマンションの間取りが,コピー&ペーストのように同じものばかりなのは,それで消費者がそれなりに満足しているという裏返しでもあります.おそらく日本人にとって家を買うことは,儀式です.自分の家を持ってはじめて一人前だと思っていたり,マイホームで暮らすことではなく,マイホームを手に入れること自体が目的になっているように感じます.儀式のための家購入なら,間取りなんて確かにどうだっていいわけです.しかし.ここではさらに由々しき問題を指摘しておきます.それは,メーカー側のそんな消費者を手玉にとる極めて利己的な体質です.露骨にとことんコストを下げようとしますし,中身は適当でも消費者にはばれなければオーケーだという精神を感じます.バスルームはほぼ例外なくプラスチック製の檻(私はユニットバスをこう名付けています)でしょう.壁は,大量消費することで低価格設定ができる白の壁紙が基本です.適当に間取りを作っているので,テレビを置く場所がないリビングになったり,ベッドを置くとクローゼットの扉と干渉する部屋ができたりします.未だにスケルトンインフィル*が標準になりません.日本の住宅業界は非常に寒々しい状態だと思います.

*構造体(骨組み)と内装設備などを独立に構築する工法.これにより,配管などのメンテナンスが容易になり,また大幅なリフォームにも対応できます.同一の構造体の中で,時代とともに様々な要求に合わせて住まいを再構築することが可能となるのです.欧米と違い日本の住宅寿命が極端に短いのは,この工法をとらないことも大きな要因だと言われています.

   
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ホミサイド :: 2008/01/29(Tue)

   殺しか?さあ出動だ.
   一癖も二癖もある有能なデカがボルチモアには揃っている.
     (中略)
   ホミサイド.殺人捜査課.
   捜査に銃はいらない.
   勘と経験を頼りに物的証拠を挙げ,
   犯人に気持ちよく自白してもらう.
   それが俺たちデカの仕事だ.
   私たちは推理ドラマや派手なアクションドラマなんて信じない.
   信じるのは生身の人間の心理ドラマだ.

このナレーションで始まる「ホミサイド」.これは1993-1998年までの間,アメリカNBCが放送した刑事ドラマです(ホミサイドとは,アメリカの警察における「殺人捜査課」のこと). このドラマ,実際に銃を使う派手なシーンなどほとんど皆無です.登場する犯人も,計画的な知能犯はほとんどいなくて,日本にありがちな推理小説的要素は全くありません.捜査をする刑事たちの日常は「犯人を追い詰めていく」のではなく「犯人を探し出す」というもの.犯人に対する過剰な恩情もなければ軽蔑も何もありません.また,刑事も人間であり,時に失敗します.プライベートの悩みを仕事に引きずったりします.そして,それがとんでもない結果を招いたりすることもあります.水戸黄門的安心感はありません.しかしそれだけに,真っ直ぐに人間と向き合うとても温かな人間ドラマであって,むしろとても素晴らしい刑事たちの姿が描かれています.同僚たちは常にコミュニケーションをとりながら(時に喧嘩もしながら)真に心を通わせ,事件解決に向けて努力を続けます.事件は一話ごとに完結するのではなく,いくつもの事件が同時並行的に発生し,話にまたがりながら進んでいきます.そしてある時突然解決したりましますが,未解決のまま残るものもあります.極めてリアルです.

私はこのドラマの全シリーズを見たわけではないのですが,とにかく最初に見たときの衝撃は今でも忘れられません.アメリカのテレビドラマの質は日本とは根底から違うんだな,と思いました.日本人の多くは,アメリカは銃社会だと思っており,残念なことに危険な国だと認識していそうですが,そういう方は是非このドラマを見ることをお勧めします.こんな刑事たちがいるのなら,日本よりはずっと安心なんじゃないのか,と思うはずです.そしてこのようなドラマをお茶の間で見ることができる幸せというのは本当に素晴らしいことです.

いいものというのは,文化の違いなんかで感じ方が変わってしまうような浅いものではありません.ホミサイドはアメリカで製作されたドラマですが,東洋人である私の心にとても深い感慨を与えてくれます.日本のテレビドラマや映画からは,残念ながらあまり感銘を受けるものは出てきませんが,一方,ホミサイドともし肩を並べることができそうなものが日本にあるとすれば,それは漫画でしょう.日本の漫画やアニメーションは多く輸出されて,欧米やアジア圏など多くの国で受け入れられる傾向があります.同じ日本人が描いているのに,不思議ですね.なぜ日本の漫画には社会や文化の違いを乗り越えられる作品がちゃんと存在するのか,という疑問について私はずっと考えてきました.これには持論がありますので,そのうち記事にしたいと思います.

ということで,ホミサイド.放送権買って,どこかの民放あたりで放送してくれないかなぁ...もう一度見たいです.レンタルショップにはなさそうだし...

ところで,毎年思うのですが,正月の深夜にすごくいい映画をよく放送しているじゃないですか.あれ,日中の番組どれかひとつと交代できないのかな,と思います.こっちは正月で酒を飲みすぎているので健康のために早く寝たいんです.なぜに「いいもの」が深夜に回されてしまうんでしょうね.納得がいきません...とまあこんなわけで,テレビ局の皆さんにお願いです.週に1度でいいので,「いいもの」をゴールデンタイムに放送してください!「いいもの」とは,文化の違いを超えられる内容を伴った番組です.別に芸術性が云々と言っているわけではありません.できれば,各放送局談合して,月曜夜8時から1時間は「いいものしか放送しない」というのがいいですね.笑

またまた最後は脱線してしまいました.(^_^;) 

   

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サイドブレーキが・・・ :: 2008/01/26(Sat)

※この記事には,「冬 サイドブレーキ」のキーワードで検索されて読まれている方が多いようなので,正しい情報を追記します.以下の記事の内容は,間違いです.後日サイドブレーキを引かなくても凍ってしまいました.原因はサイドブレーキではないようです.検証と考察の結果,朝に10センチほど降った職場の敷地内の新雪の上をやや速度を上げて(時速20キロくらい)走ると,パウダースノーがリアのサスペンションかブレーキシステムにかかり,溶けて再凍結し,動かなくなったものと思われます.でもまあ,さまりに酷い坂でもない限り,サイドブレーキは引かないほうが無難でしょう.(2008年12月6日)


この冬の札幌はとても雪が少なく,過ごしやすかったのですが,ここ1週間は本当によく降ります.涙 昨夜からの雪も全く今もやむ気配なく,とうとう大雪警報が出てしまいました.まあ,毎度のこと,何に警戒しろと言っているのかはよく分からないですが(笑).まあ,とにかく大雪です.統計によると札幌の年間降雪量は約5メートル.こんなところに約190万人もの人間がよく住んでるなぁ,と不思議と関心してしまいます.というか,除雪のことを考えると,ちょっと効率的ではないですね.苦笑

さて,数日前の話です.仕事を終えて帰ろうと自分の車のエンジンをかけ,発進させたところ...「あれれれ・・・発進しないぞ.タイヤが空転してる.おかしいぞ...」
びっくりして調べてみると,なんと!後輪が回転していないではないですか!!

しまった,サイドブレーキを凍結させてしまった!!(T_T)

冬は凍結すると厄介なのでサイドブレーキは引かないほうがいい,という話は知っていました.しかし,「サイドブレーキをひかないというのは昔の話だよ.最近は道路の除雪もちゃん機能してるし,基本的に凍ることはないよ」ということで,けっこうな人が冬だからと言って気にせずサイドブレーキかけてます.で,私も最近は気にすることなく,サイドブレーキをかけて駐車していました.凍ったことなど今まで一度もなかったのですが...

ああ,毎度のこと,私はなんでこんなにも不運...じゃなくて詰めが甘いんでしょう...

結局,牽引ロープで引っ張ってもらって,圧雪の上を後輪ロックさせたままずりずりと近くのガソリンスタンドへ.そこで,突然「ゴリッ」と音がして,氷が割れたらしく,復活を遂げました.いやー,牽引されるという貴重な体験ができてよかったです(なんて前向きなんだ...笑).

結論:やっぱり冬にサイドブレーキは引いてはだめですね.油断禁物です.雪国の方はご注意を!

   

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ジェンダー :: 2008/01/25(Fri)

「ジェンダー(gender)」とは,社会や文化によって形成された,先天的な生物学的性別の差以外の性別による差を指します.つまり,社会や文化により構築される性別の差のことです...ここではそのように定義したいと思います.というのも,本来英語のgenderには生物学的性差の意味合いも含まれている場合があり,非常に定義が難解なのです.よってここでは,日本において一般に使われる意味として上記の「社会的・文化的性差」という意味でジェンダーを使用したいと思います.

例を挙げてみましょう.男性が子供を生みたいと思っても生むことはできません.これは生まれながらの生物学的な差です.「俺だって子供を生みたいのに,ひどい!」と言ってみても,これは先天的なものなので仕方ないとして受け入れるしかありませんね.これはジェンダーではないでしょう.では,戦争はどうでしょうか.だいたい戦争をやってしまうのは男性です.世界中に徴兵制を布いている国はたくさんありますが,ほとんどの場合,男性にしか兵役は課せられません.これはジェンダーでしょうか.例えば,闘争心を助長するような遺伝子が男性にのみ発現していて,その遺伝子をノックアウトしたら男性が戦わなくなるという証明ができれば,これは生物学的性差と言ってもいいかもしれません(これは人体実験なので実証は不可能です).しかし,世界には男性にまるで闘争心のないような少数部族も存在します.ですから,今日の社会システムは男性に闘争を強いるように進化してしまったとも言えてしまいます.もしそうなら,ジェンダーだと言えるかもしれません.しかも,戦争によって,戦争など望んでいない女性の命が脅かされ奪われていることを考えると,この種のジェンダーは,極めて由々しき問題です.

しかし,まあ私は専門家ではないので,学問的にジェンダーを考えるようなことはしません.戦争とは何かをジェンダーの観点から考察するようなことは積極的には行わないつもりです.また,私がこの問題を学問的に考えたくないのにはもうひとつ理由があります.それは,学問は「定義」や「解釈」や「解析」に力を注ぐばかりで,実際の問題に対しての解決策を模索する方向に全く向かわないからです.私がここで書いていきたいことは,実生活に密着したもっと非常に単純なことです.「この日本で普通に生きていく上で,男性より女性のほうがはるかに生きていくことが困難に感じているであろう」というその推察の根拠に関する事柄のみです.そして,もしそうなら,「男性は仕事で女性は家庭」派の人間も,「男女に差はなく皆仕事をして,もっと社会福祉を充実すべきだ」派の人間も,互いに歩み寄り,今生じている大きな不均衡をどうすれば是正させられるか,ということを話し合わなければなりません.なぜか.現状,どっちを選んでも,女性のほうがより損をするような社会になってしまっていると思えるからです.この是正は,数値的均等を言っているわけではありません.精神的均等です.男性女性ともにだいたい同じくらいに生きやすいと感じられるポジションに社会を動かすべきです.にもかかわらず,どちらの立場の学者も運動家も,お互いの立場を守ることに全神経を払うばかりで,それ故にお互いの揚げ足取りに終始します.様々な数値やデータを持ち出すばかりです.

私はこの問題は,日本において核となる最も深淵な問題だと認識しています.男女間の不均衡によって生まれるストレスが,すべての領域へ波及しているという気さえしています.ということで「ジェンダー」のカテゴリーを新設しました.今回はイントロダクションということで.

   

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. ジェンダー
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イチローの考え方 :: 2008/01/23(Wed)

昨年末のニュースに関する話です.ちょっと今さらという気もするのですが,お許しください.笑

で,そのニュースはというと,野球における一塁へのヘッドスライディングに関する話です.昨年の野球五輪予選はずいぶん盛り上がりましたが,あの時,ソフトバンクの川崎選手が一塁に向かってヘッドスライディングしたことに対して,イチローが激怒.川崎に説教をしたというニュースです.例えばこちらをご覧ください...

http://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20071228-300737.html

ちょっと詳しくない方のために解説します.野球では,打者は一塁を駆け抜けることはOKなので(二塁・三塁は塁から離れるとタッチアウトになりますが...),駆け抜けるのが一番セーフになる確率が高いわけです.スライディングでは地面との摩擦のせいで速度が落ち,駆け抜けるほうが速いことが確かめられています.おまけに,ヘッドスライディングは怪我をするリスクも大きいし,どう考えても一塁へのヘッドスライディングは「無意味」ということになります.これをイチローは「かっこ悪いことはやめろ!」と言ったのです.どうでしょう.一塁へヘッドスライディングする選手を見て,どのように思われますか?かっこ悪いでしょうか.それとも気合を感じてより一層頑張れ!と応援したくなるでしょうか.そう,ここが分かれ道なんですよね.

一塁へのヘッドスライディングに唯一のメリットがあるとすれば,それは後者のような考え方の人間が集まったチームの場合でしょう.それならばいわゆる「士気が高まる」というような効果をもたらすはずです.ヘッドスライディングしている仲間を見て,俺も頑張らねば,という具合に皆が真剣にプレーし始めるとしたら,確かに意味がないとは言いません.しかしですねぇ,やはりどう考えてもこの一塁へのヘッドスライディングには,私にとって日本的で厄介な匂いがするのです.

まず第一の問題点.一塁へのヘッドスライディングは,極論すると「カミカゼ特攻隊」とたいして変わらないという点です.生産性がほとんどない自己犠牲の精神という意味です.プロ野球選手にとって怪我は選手生命を奪いかねないものであることを知りながら,それでもヘッドスライディングをして仲間の士気を上げる必要があるでしょうか?しかも駆け抜けた方が速いわけです.全く「知性」を感じないじゃないですか.ヨーロッパ諸国で日本語の代表格は今でも「Kamikaze」なんです.「今の時代の話じゃないよねぇ,勘違いしないでほしいなぁ」なんて悠長なこと言ってはいられません.おそらく日本人の行動にあのカミカゼ的振る舞いをヨーロッパ人は感じるのではないでしょうか.「命を投げ打って敵陣に飛び込むことにつながる思想」のことを言っているのだと感じます.それから第二の問題点,それは「責任逃れ」でしょう.なぜか.もし普通に駆け抜けてアウトになったら,「あいつはなんで初球から打ったんだ?もっとボールを良く見て,投手にプレッシャーをかけなきゃいけない場面なのに...」などと問い詰められそうです.しかしヘッドスライディングをかませば「気合いれて頑張ってるな.アウトになったけど仕方ない」というように肯定され,責任を追及される可能性は(日本では)かなり低くなります.よって責任を回避するための「俺は頑張ってるぜ!」という過剰な自己アピールという意味合いを否定できません.いや,意識してやらないにしても,社会が受け入れてくれるならそういう自己防衛が生まれても仕方ありません.

「イチローの美学」などとテレビでもてはやされていますが,本当に「美学」でしょうか.私は前々から「美学」という言葉を使うことに納得がいきません.イチローの考え方は,いつも合理的かつ能動的で,そして自分がどういうタイプの人間かをよく熟知しているなぁ,と思いますが,言ってみればそれだけです.すごいのは思想じゃなくて,やはり野球の技術のほうだと思うんですね.もちろんそういう思想によって野球の技術にも磨きがかかるのだろうと思いますが.まあ,これを「美学」と言わなければいけないほど,日本人の感覚は合理性に欠け,受動的だということでしょう.

「自分で無意識にやっていることを,もっと意識しなくてはならない.」
「世の中の常識を少しでも変えることは,人間としての生き甲斐でもある.」
「数字に満足してはいけない.なぜなら数字は内容を反映しているとは限らないから.」
これらイチローの言葉は野球に向けての言葉です.しかし,この社会で日々生活する時にもこれらの言葉は重要な意味を与えてくれると感じます.日本人はこういうことを「天才の世界の言葉」ではなく,現実的に意識しなくてはいけないと思います.

   

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我慢が日本人を駄目にする :: 2008/01/22(Tue)

現代日本人にとって「我慢」という言葉は非常に馴染み深いものです.子供が「○○ちゃんがゲーム代わってくれないよぉ~」と訴えると,お母さんは「我慢しなさい」と言います.サッカー日本代表が,相手チームにガンガン攻め込まれている時に,よくサッカー解説者が「我慢の時間帯ですねぇ」などと言います.さて「我慢」とはいかなる意味合いを持つのでしょうか?そしてほぼ同義語の「耐える・忍耐」との違いは?

ということでさっそく語源を調べてみました.例えば以下をご参照ください.

http://gogen-allguide.com/ka/gaman.html

仏教では「思いあがりの心」を「慢」と言い,これには七種類があるのだといいます(これを七慢と言います).そのうちのひとつが「我慢」で,その本来の意味は自分に執着することから起こる「慢」.つまり現代語で言うところの「高慢」「自惚れ」とほぼ同義語だったそうです.それが転じて「強情」の意味になり,さらに強情な人は弱みを人に見せまいと耐え忍ぶように見えるため,現在の意味である「耐え忍ぶ」という意味合いになったそうです.ところで実際は「耐え忍ぶ」「忍耐」という単語もちゃんとあるわけですよね.どう違うのでしょう.同じでしょうか...

私は,「耐える」と「我慢する」はかなり違う意味合いであると感じます.例えば「修行に耐える」とは言いますが「修行を我慢する」とは決して言わないでしょう.「耐える」「忍耐」からは,その先に大きな実りが待っている予感があります.修行に耐え抜くことによって,きっと人間として成長できるでしょう.厳しい練習に耐えることで,金メダルも夢ではなくなるかもしれません.一方「我慢」はマイナスイメージだと思いませんか?最初の例のように親が子供に「我慢しなさい」と言った場合「世の中の理不尽なことを受け入れなさい」と一方的に言っているようなものです.全くもって前向きではないです.サッカーで我慢の時間帯というのも変です.相手が急に調子が上がってきたのならいざ知らず,たいていは日本のチームプレーが急に乱れて,そこを突かれ始めると「今は我慢の時間だ」なんて言うんですよね.我慢したからといって何か実りがあるでしょうか.そのまま押しに押されて負けちゃう気がします.どう考えてもサッカーは我慢して勝てるスポーツではありません.それから修行です.修行をもし「我慢」したのだとしたら,どう考えても嫌々修行しているんだなと思いますよね.修行を我慢してやっても,人間的な成長は望めないでしょう.

このように考えてみると,我慢をすることにいかなる「メリット」も見出せないのです.昔の日本には「忍耐を善とする世界」はあったかもしれません.しかし現代の日本人はそれを「我慢の世界」に変えてしまっている気がします.考えたり努力したりすれば解決できる可能性があることを,わざわざやらずに「我慢」するんです.ですから,「我慢」は「あくまで解決策は模索しないぞ!」という固い決意のようにも感じてしまいます.そう,語源の話に戻りますが,我慢の中にある「強情」のニュアンスはまさに正しい気がします.なるほどこれが語源だったのかと妙に納得できてしまいます.○○ちゃんがゲーム代わってくれない,と子供が訴えたら,親は解決策を模索しなくてはいけません.もしくは「我慢」以外の言葉で説明を試みるべきなんです.(子供に大人が何も説明しようとしないという話は,前に「国立公園での出来事」でも書きました.)

日本人は常に考える必要があります.ただの「我慢」なのか,実りのある「耐える」行為なのか,その違いを.そしてもし前者だとしたら,我慢せずに解決策を模索する,これが大切です.こうすることで,コミュニケーション能力や,パターン依存ではなくちゃんと思考しようとする意識を,日本人は少しずつ取り戻していくのではないかと思います.


ところで余談ですが,こういう意見を時々聞きます.「いやいや,最近の日本人はむしろ我慢できてないだろう?」と.例えば,若者が公共の場所でも平然と携帯電話を大声でかけたり,我先にと電車の座席に座ったりする例などを言われているのでしょう.私からすると,これは一種の「モラルの低下」だと思います.「我慢ができていない」という意味合いとは少し違う気がするんですよね.むしろこういったモラルの低下は,我慢大国日本で「我慢」し続けてきたストレスの副作用かもしれません.

   

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お金について :: 2008/01/19(Sat)

突然ですが,お金で買えないものがあるでしょうか?私の答えは「No」です.

というと,そんなことは無いと思われる方も多いかもしれません.愛は?勇気は?と.確かにそのようなものに価格はありません.お金で買えるものではないですね.しかしこのような考え方をしてみてはどうでしょう.この現代の日本において,お金を介さずに生きている人間はおそらく一人もいません.完全な自給自足は無理です.勝手に開墾して畑を作るわけにはいきません.仮に作れたとして種はどうやって手に入れるのでしょう.しかるべき量の食料をはじめ,生活に必要な衣類,家など基本的物資をお金で調達してはじめて(つまり生命が継続保障され,健康が維持されてはじめて),人間は創作意欲や勤労意欲や愛や勇気を持てるものです.そう考えると,最も基盤の部分にやはりお金が存在しています.貨幣を媒介とする現代の経済において,何かしの「価値」はお金という媒体に変換されます.価値あるものは,人間の生命活動に欠かせないものを多く含みますから,当然お金はとても重要になるわけです.というかこの社会で暮らす以上不可欠なものです.それでも日本人は未だに「お金では買えない尊いものがある」と固く信じている傾向にあり,お金に冷たいイメージを持っている気がします.


私が心から尊敬する人の中に,アマルティア・センという経済学者がいます.彼はインドの出身で,子供の頃にベンガルの大飢饉を経験しました.その経験が彼を経済学へと駆り立て,現代の飢饉は天災やそこに暮らす人間の怠惰から起こるものではなく,市場経済の失敗によって起こるということを,理論的に解き明かした人物です.彼は,飢餓に対する食糧援助は意味を成さないと言っています.食糧は飢餓の現場で人々の空腹を緩和させる力はあるが,それは次にやってくる空腹までのひと時の出来事にすぎません.最善の方策は資金援助です.資金援助は,援助を受ける国に対する一種の長期投資として働きます.つまり,食糧を配送する輸送システムやインフラの構築はその国に委ねられ,目先の食糧問題だけでなく,国が次のステップへ踏み出すための自由がお金によってもたらされるのです.しかし,この理論には大きな反発がありました.資金援助では,ただちに飢餓の現場に大量の食糧が供給できないこと,また食糧の供給が迅速に行われなければ,食糧に対する支出増加に伴うインフレも懸念されるからです.しかしセンは,本質的問題から目を背けません.「食糧援助は投資ではない」のです.しかし「投資無しに発展途上国はこの貨幣が支配する現代社会を生きていくことができない」のです.センの理論を,このような問いに置き換えるとどうでしょう.今後発展が期待される有望な会社と,負債をかかえて今後の動向が全く分からない会社と,あなたはどちらの株を買いますか?こう問われると,センの理論が市場経済信奉者にとってどれほど過激な見解かが分かるでしょう.しかし彼は,突飛な理屈をこねているわけではありません.証明に用いている理論は経済学において基本的な手法なのです.

アマルティア・センは1998年にノーベル経済学賞を受賞します.受賞理由は,「経済学と哲学の手法を融合させることにより,人間の生死に関わる経済学的諸問題の考察に倫理的要素を持ち込むことに成功した」.(私はこの受賞理由を読み返す度に胸が熱くなります.)彼は自分の性格を「たくさんのボールを手際よく扱おうとする」と述べ,また「ひとつのボールを巧みに扱ってみせるより,複数のボールをぎこちない手つきで扱うほうが好きだ」とも述べています*.自国の発展を最優先にし,決して現状を正確にとらえようとしない先進国に対し,彼は持てるすべての能力をつぎ込んで(多くのボールを操って)告発をしたのだと私は感じます.

お金は,人間が倫理観を失わない限りは,決して冷たいイメージのものではないと思います.人の命に関わり,自由と自立を促し,そしてそれにより,人間の無限の可能性を開花させるために人間自身が発明した概念だということを,日本人は理解しなくてはなりません.日本人がお金に冷たいイメージを持つのは,決定的に倫理観が欠如し,自身が完全なる利己主義行動に走っているせいかもしれません.

関連記事:ダーウィンの悪夢

*マリル・ハートマッカーティ著「現代経済思想」を一部参考にしています.

   

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