そう,私が不思議に思っていたこと,それは仏様に供えるお花はなぜこちらを向いているのか,ということです.仏花は飾るためのものではなく,供えるためのものです.自然に考えて仏様に供えるものなら,仏様のほうを向けるはずでしょう.なのになぜ,手を合わせる私たちから綺麗に見えるように,こちら向きに花を供えるのかが疑問だったのです.なぜこれが常識になっているのか,という点について...
さて調べてみると,同様の疑問を持っている方はおられるようでしたが,非常に少数のようです.それでも,いちおう回答らしきものがお寺のホームページなどにありました.主なものとしては以下のようなものです.
「供えた花は,そのまま私に注がれている如来さまのお心を表している」
http://www.terakoya.com/butsuji/butsuji_1_11.html
「ためしに一度向こう向きに供えてみてください.なんだか楽屋裏(がくやうら)をのぞいているようで変でしょう.ではこちら向きになおしてみます.やはりこの方がずっときれいで気持ちも落着きます.きれいに飾られると,仏さまの荘厳(そうごん)さもより増すことでしょう.それにお参りする人もきっときれいな気持ちになって,お参りしたという実感がわきます.清々(すがすが)しいこころを仏さまやご先祖さまが受け取ってくださり,その喜ばれたみこころがまたこちらへ伝わって供えた方の喜びになります.行ったり来たりですね.」
http://www.tendai.or.jp/houwashuu/index.php
なるほど!と納得したいところですが,納得できません.生理的にです...泣 例えば,タイは仏教国で,家庭にも簡単な仏壇のようなものがあり,花も供えます.しかし,花は質素なもので,どの方角からも同じように見えるような類です.それを供えるので,仏様側からも参る人側からもそれほど見え方は変わりません.キリスト教でも献花は行いますが,花を手前に茎を向こう側にして置くのが基本で,やはり死者から正しい方向に見えるようにします.あれほどたくさんの花を,手を合わせる自分に向けて供えるのは日本だけではないでしょうか.
上のふたつの回答に示されている「仏様のみこころを示している」という仏教思想はいいのです.私は,自分たちで勝手に豪華にこちら向きに飾って,それで「仏様のみこころ」と言っている神経が理解できません.自作自演です.タイの家庭の仏壇のように,どの方角からも同じように見えるような花を供えて,それを御心と言うのなら,とてもよく分かります.
私はこの仏壇の花の向きから,私が憎んでいる日本的な何かをとても強く感じます.このブログでさんざん書いている日本人の「利己的」な匂いもします.全体を捉えることが下手で,自分に都合のいい解釈をするのです.多くの日本人がこの花の向きに疑問を持つことがないでしょう.つまり,この向きが日本人にとって非常に安心感のある当たり前の形なのです.現代の日本人は,こちら向きに供えた花から仏の御心を感じるようなことも実際はないでしょうし,ただ「そうするものだ」と常識に従って供えているんだと思います.もし供えた花から仏の御心を感じるほど信心深い人がいるなら,絶対にこの向きに疑問を持つと思います.だって,これはどう考えても「何かがおかしい」はずです.










