日本について考えるブログ




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昆虫と私 :: 2008/05/31(Sat)

私は大の車好きですが,付き合いが長いのは昆虫のほうです.大学時代に友人から,「車馬鹿も昆虫馬鹿もいると思うけど,この両方が好きだという人には今まで出会った事がない」と真顔で言われたことがあります.確かに,自分も出会ったことがないかも.笑 ...支離滅裂な自分.






昆虫との出会いは,忘れもしないモンシロチョウです.幼少のころに帽子で捕まえたモンシロチョウ.白いと思っていた蝶が,実はよく見ると黒い斑点と模様が入っていて,羽根の裏側は少し黄色がかっていて,体には羽毛が生えていることに気づき,それで昆虫好きになりました.なんじゃそりゃ?って感じですが,なぜかそういう体験で虜になってしまったんですねぇ.笑 親近感とは対極の,そのあまりの存在の遠さに魅了されたんです.と今は理解しています.

昆虫って,完全に好き嫌いが分かれる生き物ですね.まあ一般には嫌われ者でしょう.日本人はまだ好意的ですが,それでも気持ち悪いと思う人はたくさんいると思います.私は猫が好きですが,猫嫌いの人の気持ちより,昆虫嫌いの人の気持ちのほうがはるかによく分かります.笑 あの足の棘や,動きの機械的な様などを見ていると,本当に嫌悪感をおぼえるというのはよく分かります.嫌悪感に行くか,興味に向かうかのか,ってところかもしれません.私も子供の頃は平気だったのに,最近では蜘蛛を見るとちょっと気持ち悪いと感じるようになってきました.汗 それでも興味はつきません.

昆虫は,ある意味地球で一番繁栄しているとも言えます.種の数で言えば100万種をはるかに超えて,まさに遺伝子レベルのdiversity(発散度)で言えば,昆虫に勝てる生き物は地球上にはいません.それでも毎年多くの新種が発見されています.人間が馬鹿をやらかして,仮に核爆弾でもドカンとやってしまったら,まあ人間を含む哺乳類のような生き物は壊滅的だとしても,昆虫は生き残る種はたくさんいるでしょう.もちろんバクテリアやカビや植物も問題なく乗り越えると思います.そういう意味では,人間は環境の激変には極めて弱い生き物です.

人間が地球上で一番進化している,などという解釈をする人がいますが,そんなことはない思いますよ.まあ,脳を中心とした神経細胞ネットワークの複雑さなら,確かに人間が一番かもしれませんが...逆に言えばそこが唯一の頼りどころでしかありません.







これまで,ずいぶんといろんな昆虫たちとの出会いを果たしてきました.今までの思い出で言えば,パプアニューギニアのトリバネアゲハという巨大蝶や,カンボジアでトンボまみれになったのは本当にいい思い出です.日本なら,そうですねぇ...石神井公園のマルタンヤンマ.圧巻です.あと,今では数が少なくなったハンミョウ.昔は博多の街中にもいたんですけどねぇ...スミマセン.私は本当に昆虫馬鹿なんです.

というわけで,気が向いたら出会った昆虫たちとのエピソードなんかを時々書いていきたいと思います.本当に時々だと思います...

 

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テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 昆虫たち
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天井について想う :: 2008/05/28(Wed)

最近,天井って何だろうか,なんて考えています.また変なことを考えはじめてしまった...笑

天井のデザイン.天井が暮らしに果たす役割.天井が持つ可能性っていったい???屋内であれば,必ず天井という場所があるでしょう.どうも日本では天井という場所が軽視されているような気がするんですね.いや,相対的な話ではあります.つまり,床材や壁や,一般にインテリアと称されるものと比べて軽視されている,という感じを受けます.天井もインテリアなのですがね...一度気になりだした私は,どうも納得いかなくなってきました.どこに行っても天井を見てしまう自分がいます.

例えば,ヨーロッパあたりを旅行すると,やはり日本と違うなぁと思うのは...そう,天井です.(ちょっと強引...笑)思うに,調和がとれているんですよね.部屋や店舗のインテリアの方向性に沿って,天井もデザインされているという気がします.しかし日本の住宅や店舗は,天井だけは別って感じ.ライティングには凝っていたりしても,天井はたいていコンセプト不在で素っ気無いですね.天井はやはり検討するべき仲間に入れてもらえていないような気がします.

天井はあくまで天井,たいして見ないし触らない場所に凝っても意味ない,そういう意見もあるでしょう.しかし,外を歩いていて,空の色が青いか曇りかって人の精神に何かし影響を与えていると思います.ずっと青空を見ては歩かなくても,でも視野の周辺部には青い空が存在しているはずです.同じように,日本の住宅(いわゆる日本家屋は除きます),アパートやマンションに住む人は,延々と何の変化もない,たいていは白い天井を視野の周辺に入れていることでしょう.ちょっと寂しくはないでしょうか.こういう(天井なんて別にどうでもいいという)切捨ての感覚も,現代日本の住宅の貧しさではないかと思っています.

さて,どこに行っても天井ばかり見てしまう私.そんな私を最近唸らせてくれた天井を紹介します.




ボーイング737-400の機内(日本トランスオーシャン航空の機材)です.クール!日本の旅客機史上,最高にクールな天井だと思いました.ライティングも彫刻的な天井を美しく見せているし,荷物を収納する棚もそこに溶け込んでいます.シートのデザインや色と,天井のデザインが調和し,すっきりとしたインテリアを実現しています.




こちらは福岡天神地下街.私は博多で生まれ育ったのですが,昔は天井に興味がなかったので,見てなかったなぁ...汗 でもこんなに素敵な天井だったとは.この天井の模様は唐草文様.足元は南欧の街をモデルにした石畳.照明を極端に落としてあり薄暗いのが特徴で,この雰囲気は日本には非常に貴重な存在です.今年32歳の天神地下街が,全く古臭くなく今も個性を放ち続けるのは,ちゃんとしたコンセプトが存在して,天井を含めた全体の調和が存在しているからだと感じます.

これからも天井を見続けると思います.素敵な天井に出会ったらまた報告します.

 

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  1. 暮らし・住まい
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札幌・モエレ沼公園 :: 2008/05/25(Sun)

札幌市の北東にモエレ沼公園という公園があります.

http://www.sapporo-park.or.jp/moere/

この公園は,札幌市が市の周囲を緑地公園で取り囲むという「札幌環状グリーンベルト構想」の中で生まれた都市公園です.広大なゴミ埋立地の上に計画された公園であり,したがって巨大なゴミの山の上に公園ができています.設計を行ったのは日系アメリカ人彫刻家,故イサム・ノグチ氏.残念ながら彼はこの公園の完成を待つことなくこの世を去りました.公園全体は極めて広大で,敷地全体がひとつの彫刻作品のように完成されています.いわゆる日本でいう公園のイメージでは全くありません.

この公園には興味深いエピソードがあります.当初の計画には,公園の中を自然を模した小川を流す計画があったといいます.自然を模すというのは,日本の庭園や公園の中にはよく存在する概念であり,モエレ沼公園もその例外ではなかったわけです.しかし後に,この環状グリーンベルト構想に出会い,本格的な設計を行うことになったイサム・ノグチ氏は,その小川の部分を指して「自然の中で自然のまねごとをしてもだめだ」と言ったそうです.もちろん,計画から小川は削除されました.

しかし彼は,日本庭園に見られるような自然の模倣を,批判的に捉えていたわけでは決してないと私は思います.彼はユネスコ・ガーデンを作庭するにあたり,徹底的に日本庭園を研究したとされていますし,後年,求めていた彫刻は日本庭園の中にある,とさえ語っていますから...

日本庭園の中に表現される自然は,全体でひとつ,部分は存在しません.部分をどうしても持ち出すなら,「部分の関わり合いを表している」ということになりましょうか.それがすなわち,日本人の自然に対するひとつの理解の形だと思います.モエレ沼公園のような山のない広大な平野に,木を少々植えて,その間に小川を流したって,それは自然に対する理解ではなく,ただの無知な模倣です.トンボのヤゴも微生物も住むことのできない,死んだ小川になるんですよね.これを彼は「まねごと」と言ったのだと私は思います.ですからこのモエレ沼公園におけるエピソードは,「形だけのまねごとは意味がないよ」というのが真意に違いありません.

彼はまた,「僕は周りが荒れたところにきれいなものを作るのが好きだ」と言ったとされていますが,これもモエレ沼公園を考えるとすごく分かる気がします.札幌市の都市景観(住宅地も含めて)は非常によろしくありません.氏もきっと,この札幌の街を訪れて,この地に自らの手で美しい都市公園を作ることにやりがいを感じたのではないかと思います.

というわけで,モエレ沼公園,とても美しく気持ちのいい公園です.何かこう,異世界に迷い込んだような感覚になれる場所です.なれるのですが...どうしてもここで報告しなくてはいけない惨状があります.




立ち枯れたり,弱りきった樹木...こんな状態が公園入り口まで続きます...


イサム・ノグチ氏は,この公園の完成を見ぬままに他界しました.彼が生きていたらどう言ったでしょう.駐車場から公園のシンボルであるガラスのピラミッドまでの間に植えられた樹木の多くが,完成わずか数年で枯れ木となり,生きている木も弱りきっています.この地は山から離れた平野の真ん中で風も強く,環境はとても厳しい場所です.自然に対する理解なく,形だけの計画を行うからこういうことになるのです.札幌市はこれを見放し放置しておくのか,ちゃんとした計画をもう一度練り直すのか,見守りたいと思います.とにかくこれを見ると,私は怒りがこみ上げてきて...そして生まれた公園が泣いているように感じてしまいます.

関連記事:武雄・慧洲園

 

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自己責任です :: 2008/05/22(Thu)

今日はつくば市での仕事を終えて,羽田空港までバスで移動して札幌に帰りました.つくばセンターから羽田空港はいつもバスを利用します.つくばエクスプレス(TX)が開通して以来,TX-JR-モノレールという最強のコンビが誕生し,渋滞に巻き込まれることなく確実に1時間半くらいで羽田つくば間を移動できるようになりました.それなのになぜ高速バスをわざわざ利用するのかというと,理由があります.つくば出張の際はたいてい実験機材をたくさん運んでいるので,電車の頻繁な乗り換えが辛いんです,重くて...しかもラッシュアワーにぶつかるとかさばる荷物は周りにかなり迷惑です.(^^;) バスなら,乗り換えがないのでとても楽,たまに首都高の渋滞に巻き込まれても,時間にゆとりを見ておけばそれほど問題ないというわけです.

さて今朝の話しですが,首都高で大きな事故が起きて大渋滞となっているという情報を入手しました.うーん,これはTXしかないかなと思ったのですが,詳しく調べてみると,通行止めだったのは朝9時頃まで.自分がバスに乗る時間の11時は既に通行止めは解除されて2時間経っていること,日中は首都高も比較的交通量が少ないこと,そして飛行機の時間も充分に余裕があること,などを考えた結果,まあ大丈夫だろうと思いバスに乗ることを決意し,チケットを買ってバスに向かいました.

ところがです!バスに乗る際,運転手から「今日は事故の渋滞の影響で空港まで3時間以上はかかってますがよろしいですか?」と言われてしまいました.「3時間以上!?(通常は1時間半です)」....うーん,自信たっぷりに大丈夫と思っただけに,正直戸惑いました.しかも3時間以上の「以上」という部分は何じゃろうか.以上ってことは,4時間も5時間も6時間も含んでいるわけですよね.笑 3時間なら予約の飛行機に間に合いますが,4時間じゃ無理です.とにかくこの運転手の話しを信頼するなら,ここでバスに乗るという選択肢は消えます.しかしですよ.さすがに4時間はないだろうと考え,要するに自分の感覚を信じて,「大丈夫です,乗ります.」と言いました.そうしたら運転手は極めて怪訝な顔でこっちを見て,一言も発しないまま運転席に座りました.うーん.事を荒立ててしまったのか.素直に降りるべきだったか.なんでこんなにも不安にさせてくるんだろう,この運転手は...(TT)

こんな感じで,自分の感覚を信じた5名がバスに乗車.運転手の言葉を信じてバスを降りてTXに向かった人が1名.どうなることかとちょっと不安だったのですが,結局バスは渋滞の解消した首都高をすいすいと走り,ほぼ定刻で羽田空港に到着しました!結論として,自分の予測は正しかったということで,安堵.(^^)

バスの運転手の気持ちも分かります.「3時間以上」というのは自己防衛でしょう.しっかり防衛せずにもし3時間以上かかってしまったら,「こんなにかかるなんて聞いてないぞ,金返せ!」と怒鳴る客が多分日本にはいるでしょうから,運転手も過剰な自己防衛をしたくもなります.しかし正確な未来なんて運転手にも予測不能です.不当なクレームに対しては,いくらサービス業とは言えバス会社は突っぱねていいと私は思うのですが,日本ではそれは結構まずいことですね.結局頭を下げるのはバス会社です.ですから,このような妥当とは思えない言葉をあらかじめ発しなきゃいけなくなります.

こういう話は,日本人の責任感の曖昧さに原因があるように思います.自分で考え判断したことは自己責任です.バス会社は断言はできなくても誠実にアドバイスはできるでしょう.そういうサービス業としての役割が消えています.一方そもそも客も,最終的には自分の判断で乗るのですからそれは自己責任です.あくまでバス会社のアドバイスはアドバイスでしかありません.こう考えて,私が考えるスムーズな会話というのを身勝手に妄想してみました.笑

運転手「今日は事故の影響で首都高は渋滞しているんですよ.」
客「え?本当ですか?どれくらかかるでしょうか...」
運転手「1時間ほど前の情報では,空港まで3時間くらいかかっているんですよね.しかし通行止めは解除されていますし,渋滞は緩和の方向だとは思うので,多分今は3時間はかからないと思うのですが...不安でしたらTXを利用されることをお勧めしますが...」
客「なるほど,そうですか...飛行機の時間は充分にゆとりがあるので,3時間かかっても間に合いますから,大丈夫だと思うんですが....」
運転手:「でしたらどうぞお乗りください.」

まあ例えばですが,こういう会話が豊かだと思うのですが...

 

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  1. 社会
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結果主義と過程主義 :: 2008/05/21(Wed)

「囚人のジレンマ」
「日本のジェンダー問題を囚人のジレンマで考える」からの続きです.


囚人のジレンマが示す結論は,個人が利己的に自分の利益のみを追求した時に,集団には不利益が生じるかもしれないということ,そして,その不利益を発生させないために必要なことは,対立する(利害が一致しない)個人同士が協定を結び,協力しあうことです.協力のためには,互いに自己の利己心に対してある程度妥協し(妥協する能力を身につけ),相互理解に達する必要があるでしょう.

実は,この囚人のジレンマの話しは,明らかに合理主義的な考え方が基盤です.本質は「全体における合理性の追求」であり,それは最善の結果をもたらすための方法論として捉えているため,結果主義的考え方とも言えます.多くの数学者や経済学者などの合理主義者たちは,それが個人の範囲内であれ社会全体であれ,最善の結果を生むことだけを目標にしているとも言えます.

一方,日本人はこのような合理性をもとにした結果主義者ではないと常々感じます.結果ではなく,言うなれば「過程(プロセス)主義」です.例えば結果として生じる刑期よりも,生き方やあり方のような継続的に存在するものを重要視したりするのです.結果よりも過程が大切になると,相手が裏切るかもしれないという最終的結果を予測する(リスクを真剣に考える)ことにはあまり興味がなくなります.

日本において,結果よりも過程を重視する思想は日常のいたるところに見られます.例えば「負けたけど,内容のいいサッカーを選手たちはしてくれましたね」と解説者が満足そうに言う場面.また,明確な目標や目算がないのに,延々と残業ができてしまう気質などもそうかもしれません.日本人にとって「過程」は,「結果を出すためにある過程」ではなく,過程そのものが重要な概念であり,むしろ結果は付属的なものです.

前の記事で,日本のジェンダーの問題を囚人のジレンマを使って考えました.すると結論は単純で,ジェンダーフリー派とアンチフェミニズム派が,ある程度の妥協をしてしかるべき協定を結ぶ必要性があると結論できます.しかし,現実的にはこの両者に対話はほとんど存在しません.なぜなのでしょうか.それは日本人のこの「過程主義」のせいかもしれないと感じます.人々の行動が,利益のある結果を求めるための利己的行動ではなく,過程を重視した利己的行動だとしたらどうでしょう.つまり,家事は女性の仕事だと思っている人は,その結果どのような利益が自分にありどのような不利益が自分にあるのか,そういう部分に考えの根拠があるわけではなく,そういう社会であること,そういう社会で生きていくこと,もしくはそういう生き方を単純に好んでいるのではないかと思うのです.この嗜好は,おそらく人生観や宗教観や教育を通して,様々な価値感が絡み合うことで生じており,合理性は少ないと思います.ですから,筋の通った論理的な話し合いを行うことは大きな困難を伴うはずです.

過程主義的な考え方の新たな可能性を探ることは,今後の日本を考えるときに避けては通れないと感じます.引き続き模索の日々です.

 

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日本のジェンダー問題を「囚人のジレンマ」で考える :: 2008/05/18(Sun)

「囚人のジレンマ」からの続きです
 
囚人のジレンマが浮き彫りにしているのは,「個人が利益を得るために合理的に行動した場合に起こる,集団が合理的に利益を得ることができなくなる可能性」です.これを回避するには,このジレンマを何度も経験し互いに学習するか,初めから互いが協定を結ぶしかありません.つまり,米ソは冷戦の結末を既に知ったのですから,万が一またにらみ合うことがあっても,次は核配備増強ではなく何らかの協定を結ぼうと努力するかもしれない,ということです.

「囚人のジレンマ」は,血も涙もないただの数学的なモデルなのですが,それでもそれの意味するところがどこかしら道徳的であるのが興味深いと感じます.
 
次に,日本のジェンダーの問題を「囚人のジレンマ」的に考えてみました.ジェンダーに関してはこのブログで思うことをいろいろ書いている次第ですが,ここで囚人のジレンマを提要してみます.これまで記事でも書いてきたとおり,労働を行いお金を稼ぐということを万人に強いている資本主義経済の世の中であるにも関わらず,それを普通に行う時の男女の格差はとても大きいものです.女性のほうが生きるのが大変な世の中だと感じてしまうと思います.合理的に考えるなら,性などという概念を考慮せず,生きるすべての人間がなるべく幸福感を感じるような社会にすべきであり,そのための道を模索すべきです.さて,囚人のジレンマに習って,以下のように単純な社会構成員のモデルを考えてみます.あくまで単純に.
 
男A:男が働き女は家庭派
男B:男女ともに働く派
女A:男が働き女は家庭派
女B:男女ともに働く派
 
女性が働き男性は家庭派はレアケースなので,今回は除外します.これらの4種の集団が互いに意見を交わすことなく,自己の欲望にしたがって行動すると仮定します.ここでは,欲望に従うことが一番心地よいので,それを達成することを利己的だと仮定します.(本来の合理的行動とは言えないですが...)A同士,B同士は意見が一致しており問題を生じませんが,AB間においてはちょっと事情が複雑です.なぜなら,この問題が男女のあり方を問うものであり,同性内においては基本的に大きな問題を生じないということです.例えば,男A・男Bの間では,どちらの考えもお互いを否定するものにはなっていません.女A・女Bにおいても同じです.ただ,いくつかの懸念はあります.男Bは,男Aの職場から女性を排除しようとする姿勢に腹を立てるかもしれません.女Aである母親は女Bの娘に対して,そろそろ仕事をやめて家事をしっかりやりなさい,などと気に障ることを言うかもしれません.よって,ここは相性は△としましょう.さて,決定的に対立するのは明らかに男A・女B,そして男B・女Aでしょう.男Aは職場において女Bを採用しなかったり,もしくは女Bを雑用役に回し,昇進の機会を与えないでしょう.女Aは,初めから結婚したら仕事をやめるつもりで就職し,会社における責任感のある行動がなく,男Bにストレスを与えるかもしれません.まとめるとこうなります.


 男A男B女A女B
男A×
男B ×
女A  
女B   


さて,各々が利己的に振舞うと,男A・女B,および男B・女Aの場所で,決定的な「不幸感」の生産が行われてしまいます.囚人のジレンマによれば,両者は協力関係になることで,事態が最悪に向かうことを回避できるはずです.協力関係を結ぶには,それぞれの利己心を乗り越える,つまり誘惑に勝たなければなりません.これは,今回のケースではどういうことを意味するのでしょう.例えば,男Aが「女性の感性が職場でもっと生かされたら,男だけの時よりももっと価値のある商品が作れて,結果的に自社の競争力が高まるかもしれない」というように考えることです.本来の欲求に対してある程度妥協をして,妥協をする代わりに互いにとってプラスになることがあるということを認識する,これはちょうど囚人が,自白によって1年の刑期で済むかもしれないという誘惑を乗り越えて,相手との協定を優先することに似ているでしょう.

残念ながら,実際の日本社会を見るに,利害が対立する集団の間に全く意義のある対話などありません.ある会合の後に,自由参加の「男女共同参画シンポジウム」が開かれても,自己の利己を達成したいBグループが参加するだけで,確固たるAグループに所属する人は,おそらく出席せずに街に飲みに行ってしまうでしょう.つまりただの仲良しグループなだけです.シンポジウムが意味を持つためには,AとBの双方が同じテーブルにつき,互いの意見を理解したうえで最適な妥協点を探る作業が必要であることを,囚人のジレンマは私たちに教えてくれています.それができるなら,日本のジェンダー問題はようやく平衡点が動き始めるのではないかと思うのですが...

つづき → 結果主義と過程主義

関連記事:囚人のジレンマ
      :不当解雇の現状
      :日本人は利己的か
      :ジェンダー

 

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  1. ジェンダー
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囚人のジレンマ :: 2008/05/15(Thu)

社会一般において,個人に利益をもたらす個人の意思決定(選択)が,全体にとって悪い影響を及ぼすことがあります.この問題を分かり易く示したものが「囚人のジレンマ」と呼ばれる話です.新古典経済学は,個人の利益の追求が結果的に社会の利益を増大させると主張しました.しかし,囚人のジレンマは,これに対する完全な反例です.

個人の利益追求が社会の利益になる例はたくさんあります.例えば,非常に単純な例えとして,刑罰について考えます.もし自分が「誰かに殺されたくはない」と思ったとします.まあ,もちろんそう考える人がほとんどでしょう.そこで「人殺しをした人間は捕まえて死刑にします」という決まりを作りました.そうすると,誰も死刑にはなりたくないので,リスクを犯してまで誰かを殺して金品を奪おうとは考えなくなるかもしれません.「誰かに殺されたくはない」と思った人の利己心達成のために死刑制度を作ることで,仮にそんなこと考えたことのない能天気な人でも,誰かに殺されるリスクが減ります.つまり,個人的利益追求の結果生まれたこの死刑制度によって,社会で暮らす全ての人が恩恵を受けることになります.これは,社会の功利を高めるためには個人の利己心が必要であることを端的にしめす好例です.

ところが,囚人のジレンマは,この考え方が正しい結果を常に導かないことを示してしまいます.囚人のジレンマの問題は以下のような話です.(囚人は悪人ですが,この話しは囚人の立場になって考えます.)

・2人の強盗犯が現行犯逮捕され,2人別々の取調室に入れられました.
・実は2人は長いことコンビを組んでいて,たくさんの余罪があります.
・ここで警察官は2人にこのような同じ提案をしました.「もし,お前ら2人ともが黙秘を続けても,現行犯逮捕の罪は立証されていて免れない.だから,懲役2年になるだろう.もし相手が黙秘を続けているのに対し,お前が余罪まで自白したなら,その正直さに免じて,懲役1年でいい.反対に黙秘を続けた相手は懲役10年だ.つまり,お前が黙秘を続けても相手が自白していたら,お前は懲役10年ってことだぞ,いいな.それから,2人ともが自白したなら,2人とも懲役5年だ.」

さて,別々の取調室に入れられた囚人は,捕まるなんてことを想定していなかったので,黙秘するか自白するかの相談をしていませんでした.2人はどうするのが最も自己が得をするでしょう.これは場合分けをして考えると明快です.まず相手が黙秘を続けた場合,自分も黙秘を続けると(協調すると)懲役2年ですが,自白すると(裏切ると)懲役1年で済みます.一方,相手が自白した場合,自分は黙秘を続けると(協調すると)懲役10年を食らってしまいますが,自白する(裏切ると)と懲役5年で済みます...なんということでしょう! 相手が黙秘をしようと自白をしようと,自分は自白して相手を裏切るほうが,必ず得になっているではありませんか!

驚くべきことに,2人ともが同じように自己の利益だけを考えたなら,結果は2人とも自白をして懲役5年で決定してしまいます.しかしよく考えてみると,これは囚人たちにとって想定される最も利益のある結果とは到底言えません.2人とも黙秘を続けていたなら,懲役2年で済んでいたのです!よって,各々が利己的な選択を行うと,2人の利益は最大にならないということになります.2人の利益を最大化する唯一の方法は,事前に話し合い,協調し約束しあうことです.互いに黙秘を約束しあえば2人の利益は最大化されます.

囚人のジレンマは,「個人が利己的に自分の利益を追求する行動だけをとっていては,社会は大きな不利益を発生させる可能性が多分にあること」を暗示しています.囚人のジレンマの例は,米ソの冷戦です.冷戦を行いながら両国は莫大なお金を費やし,核配備を行い軍備を拡大させました.これが社会全体にとって(アメリカとソ連の双方にとって)利益のあることだったとは到底言えないでしょう.核が増える世の中を,社会の利益が増しているなんて市民は感じられません.それでも核軍備が増強され続けたのは,米ソが互いに全く理解がなく,協調という選択肢がなかったことに起因します.これは囚人のジレンマの典型だと言われています.


つづき → 日本のジェンダー問題を「囚人のジレンマ」で考える

 

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