日本について考えるブログ




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長居植物園にて :: 2008/08/30(Sat)

学会のセッションの合間に,ちょっと大阪市立長居植物園に行ってきました.

なぜ長居植物園かというと...まずgoogleに「大阪市内 トンボ 穴場」と入力して検索.ヒットしたページを適当に見ていたら,長居植物園を発見.御堂筋線でちょろっと走れば行ける場所ではありませんか!我ながらどうしようもないです...汗




こちらはタイワンウチワヤンマという名前のトンボです.大きな池に住んでいて,棒などの先端に体を水平にして止まり,じっとしています.かっこいいトンボですが,ちょっと顔は恐いんです...^^;


     

こちらはチョウトンボ.体が短く,羽の面積が相対的に広く,しかも羽に色がついているため,飛んでいる時一瞬蝶のように見えるトンボです.青の中の金属的な輝きはかなり派手です.

****
チョウトンボには思い出があります.子供の頃,森で昆虫を探して遊んでいた時,突然草原に出ました.そこは,海が見える高台で,素晴らしい景色だったのですが,一瞬の後,頭上に何か気配を感じ空を見上げたのです.そうすると,私の上を無数のチョウトンボが舞っていました.無数は言い過ぎで,たぶん数十だと思うのですが,ゆったりと,円弧を描くように,ゆったりと舞っていました.そしてその上をカモメが飛んでいました.それが最初のチョウトンボとの出会い.しばらく動けずにじっと見とれていました.あんなにたくさんのチョウトンボを下から見上げたことはそれ以来ありません.その場所は福岡の能古島ですが,今は確かその草原もありません.

チョウトンボは,羽の金属的な輝きより,下から空を見上げたときに美しいとそれ以来思っています.実は同じ体験を数年前,カンボジアでしました.こちらはベッコウチョウトンボという種類で,羽の色は全く違うのですが,やはりチョウトンボの仲間です.写真は,たくさんのベッコウチョウトンボが飛んでいる場所でうまく撮れなかったので,一匹だけの時です...




アンコール遺跡群の上を数十のベッコウチョウトンボがゆったりと舞っている風景は,まさにあの時の感動を思い起こさせてくれました.色は違えど能古島の思い出がよみがえり,すごく懐かしくなりました.やっぱりチョウトンボは大空をゆったりと舞っている,そのゆったりとした姿が私は好きです.あのゆったりと自信に満ちた飛翔には,心動かされます.

 

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準結晶の世界 :: 2008/08/29(Fri)

結晶というものをご存知でしょうか。身近なものとしては、宝石。例えばダイヤモンド、サファイア。あと、スーパーで売っている塩だって結晶です。

結晶の本質とは繰り返しです。何かが、繰り返されて、そして生まれる秩序。それが結晶というものです。秩序が生まれると、結晶と相互作用をしたものまでも秩序化されます。結晶と相互作用した光は回折という現象を起こしますが、それは一種の秩序化ともいえるでしょう。連続的な「散乱」でなく、離散的な「回折像」に変化します。秩序は新たな秩序を生むんです。





これが結晶の一例です。オレンジの長方形で囲った部分が繰り返しの最小単位。これが縦横に繰り返されています。この繰り返しは平行移動です。平行移動のことを結晶学では「並進(translation)」と言います。

結晶とは最小ユニットの並進によって生まれると信じられてきました。しかし近年、不思議な物質が見つかったのです。秩序があるのに、並進を伴わない結晶。これを準結晶(quasi crystal)と呼びます。20世紀の後半、イスラエルの科学者ダニエル・シェヒトマンにより、ある合金がそのような構造を持っていることが発見されました。





この絵は、イギリスの物理学者、ロジャー・ベンローズが考案した非周期的(aperiodic)な秩序。つまり並進操作が存在しない秩序で、準結晶モデルのひとつです。

ところが興味深いことに、この概念ははるか昔からアラブ世界には存在していました。girihと呼ばれる中世イスラム建築によく見られる幾何学模様です。デザインの世界では準結晶的世界は既に存在していたんですね。ロジャー・ベンローズの功績により、このgirihがどのような方法で作られたのかがある程度推測できるようになりました。

単純化されたものは、複雑とは対極にあるので、多様性・発散性を許容しません。しかしその代償として、どこまでも見通せるような透明感があり、不完全なものに対して時に感じる不安を私たちの中から取り除く力を持っているように感じます。。。なんて感じるのは私だけかもしれませんが。。。



追記(2011年10月)
Novel prize in chemistry 2011 awarded for discovery of quasi-crystal. Congratulations, Dr. Daniel Shechtman!!!

2011年のノーベル化学賞は、物質世界において最初に準結晶の存在を発見した、ダニエル・シェヒトマン博士に贈られます!


 

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「世界の約束」が頭から離れない...^^; :: 2008/08/26(Tue)

ああ...行きの飛行機の中で聞いた「世界の約束」が頭から離れません...もう3日も経つのに...^^; 歌詞から単純に考えれば,ただの別れの歌なのですが,なんだかすごく大きなものを包みこんでいる気がするのです.「世界の約束」という言葉が,恐ろしいほどの力で私の中に入ってくるんです.ハウルの動く城を見たときは,あまり何も思わなかったのですけどね.笑

  
  涙の奥にゆらぐほほえみは
  時の始めからの世界の約束

  いまは一人でも二人の昨日から
  今日は生まれきらめく
  初めて会った日のように

  思い出のうちにあなたはいない
  そよかぜとなって頬に触れてくる



日本では,すぐに男女の間の別れとか想像する人が多いですが,そんなことどこにも書いてないですよね.多くのものたちと出会い,そして別れる.優しくて厳しいルール.

****

ところで音楽と言えば,先々週,rising sun rock festival 2008 in EZOに行ってきました.札幌北部の石狩湾岸で行われるこのイベント,今回で10回目を数えるのですが,今回初めて行きました.すごく楽しかったです.日ごろの束縛を忘れ,音とリズムに酔いしれて,ずっと長い時間を過ごすというのはなかなか素晴らしいものです.

お目当ては,もちろん東京事変と椎名林檎さんだったのですが,他にもいろんなアーティストのステージを観ました.BARBEE BOYSはすっごくかっこよかった.あと,深夜にミドリというバンドのステージを初めて見たのですが,なんか凄いオーラでした.悲鳴のようなヴォーカルの後ろで,全く乱されずに自由に発散していくウッドベース,そして鍵盤...たぶんライブでないと,この雰囲気は出ないのかもしれないですね.ヤラレました.機会があれば,ミドリのライブ,見にいってみたいと思いました.(でも北海道には来ないかなぁ...涙)

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雨男です :: 2008/08/24(Sun)

今日から1週間,大阪です.国際結晶学会(IUCr2008)でのプレゼンテーションのため関西に来ています.雨です.よく言われるのですが,どうやら雨男です.最近着いた先は,まず初日は雨が降っています.笑 まあ,それもよし.傘さえあれば全く問題ありません.^^

今回の国際会議の(私的な)目玉は「art and crystallography」.シンメトリーとart.学術的な学会で,こういうセッションを企画してくれるIUCrに敬意を表したいと思います.



ところで,大阪に向かう機内の音楽プログラムで,スタジオジブリ作品の特集をやっていました.崖の上のポニョで言いたいことを言っちゃった私ですが,基本的には宮崎映画のファンです.東洋的世界観を深く抉ってくる感じが好き.

スタジオジブリの歴代作品のテーマ曲を空の上で聴くというのは,なかなか格別でした.ハウルの動く城の「世界の約束」,千と千尋の神隠しの「いつも何時でも」は,お気に入りの曲たちです.自然体で生きる感覚を,私にもたらしてくれる曲たちです.

今日はまとまり無い,ただの日記ということで...^^;

 

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科学=虚構,非科学=現実 :: 2008/08/20(Wed)

「妖怪と科学」からの続きです.

科学には,否定されがたい砦があります.それは科学が持つ「客観性」です.客観.これは科学の大きなアドバンテージです.

客観とは,AさんもBさんもCさんにも,同意させ,なるほどと思わせる力があるということ.例えば,りんごはなぜ樹から落ちるのかと考えた時に,質量があるものの間には引力が働くという説明.これを覆す反例は私たちの周りでは未だに見つかりません.つまり,これは思いついた人の勝手な創造物ではなく,いつでもどこでも,誰がやろうと,誰が観察しようと,必ずそうなるのであり,これを客観性があると捉えます.この客観性は,強大な統制力を持ち,科学を信仰させるだけのパワーをもたらすでしょう.

ですから,この切り口で科学に反発できる概念は恐らくありません.日本語で科学の反対語は?と聞かれても最適なものは思いつきません.それは相対する概念が無いということです.せいぜい「非科学」でしょうか.笑 英語でもscienceの対となる言葉は明確ではない気がします.せいぜいfiction(虚構)ということになります.科学は揺るがぬ地位を築いていると思います.

ここまでは,OKです.私も科学の素晴らしさはいつも身をもって体感しています.しかし,私が疑問を持つのは,ここから先です.いくら強固で安定感のある「科学」だからと言って,なぜに「科学で説明できないことはない」と思われがちなのでしょうか.と,このことが言いたくて,いろんな例を挙げました.私たちの「自由意志」というものについて.死後の世界や妖怪のような概念と科学の関係について.

科学が決して説明できない状態,それは「複雑なこと」です.複雑であることに対して,科学は力を発揮しません.私たちの神経細胞の活動や,大気の動きや,水の流れや,無数の星の運動はすべて果てしなく複雑です.いや,そんな壮大な話しでなくても,目の前にある机や椅子や床やガラスを見てみてください.どこに完璧な「直線」があるでしょう.どこに完璧な「球」があるでしょう.どこに,一様の摩擦係数を持つ完璧な「平面」が存在するでしょう...すべて複雑な姿をしています.

科学の本質は「単純化の作業」です.本当は複雑なんだけど,そこを無理して単純化していく作業.単純化されたものは「数字」であり「法則」です.しかし間違えてはいけないことは,実はこれら単純化されたものは,もはや私たちの想像の世界にしか存在しない,ということです.現実の世界では,数字はいくらでも微小にずれていき,それに起因して法則に反する結果はいくらでも起きます...例えば.リンゴは樹から落ちます.このことは単純化された科学によって見事に説明され,反例はありません.しかし,リンゴには大きさがあり,周囲には空気があり,光があり,磁場があったりするため,リンゴが落ちるまでの時間や軌跡を正確に予測することは不可能です.つまり,単純化されないこの現実世界では,「リンゴはどのように落ちるか」なんて問いに科学は決して答えることができません.

だから,科学は真理の探究ではなく,ただの道具であると思います.大雑把な法則を見つけ,多少の未来を予測し,生活が多少楽になるためには便利な道具です.しかし,万能ではありません.包丁で切ることのできないものがあるように,科学で説明できないものはたくさんあります.

科学と妖怪をどちらも信じることが可能でしょうか.私たちの心の中に同居させることは可能でしょうか.

科学がただの道具である以上,たぶん可能なはずです.しかし.私たち日本人は,おそらく片方を捨て,科学を選びました.それが高度経済成長の始まりの頃だと思います.この頃,どんな山村からも一斉に妖怪が姿を消し,キツネはもはや人を騙さなくなりました.私たちは,感謝の意とともに生命(魂,霊)を頂くのではなく,炭水化物やビタミンのような栄養素を摂取するだけになったんだと思います.

 

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崖の上のポニョ :: 2008/08/17(Sun)

崖の上のポニョ,見ました.
感想や思ったことなどを残します.

注:今後映画館に行こうと思われている方は読まないでくださいませ.以下には映画の内容に関わることを書いておりますので...



思ったことをまずはダラダラ書きます.


********

映画を見るまでは何とも感じなかったけど,実際映画の中で動くポニョは本当にかわいい.ポニョのしぐさや表情,命が吹き込まれてると思いました.

最初の海中の映像から始まり,オープニング曲とともにデフォルメされた海と陸の絵が流れるシーンまでの流れは圧倒されました.美しい!!「ポーニョポーニョ♪」の歌からはおよそ想像していなかった壮大なオープニングシーンです.

宗介はなかなか立派な少年です.彼はまだ5歳ですが,自分で考え,判断して行動する.ただ,宮崎映画に登場する男の子の特徴である,「優等生ぶり」が今回もずいぶんと際立ちます.もうちょっと欠点なんかあれば人間味が増して深みがでると思うのですが.

宗介の母であるリサも素敵な大人です.宗介をひとりの自立した人間として見ていて,そして深い愛がある.親子が名前で呼び合っているのもいい.宗介は,デイケアセンターのお婆さんたちに対しても苗字じゃなく名前で呼んでいますね.

この作品の中には,どんな些細な悪意さえ登場しないように思います.悪意はこの浮世にはつきものなので,この作品の中は完全なユートピアで,現実世界ではないですね.それを見せているのだと思う.この映画を子供に見て欲しい映画だと言うのなら,なるほどそうかもしれません.でも大人も充分に楽しめました.

この映画はCGを一切使っていないそうですが,そのおかげもあってエンディングロールがとても短いです.例の「ポーニョ,ポーニョ,ポニョ魚の子...♪」の歌が流れてそれで終わり.ものの数分.早くてとても気持ちいいです.最近の映画は,大作ぶりをアピールするかのように,延々とエンディングロールを流す映画が多いですが,あれは少々気持ちが萎えます.まあ仕方ないケースも多いのだろうけど.

********



とまあ,こんな感じなのですが,これはあくまで,この映画を単なるファンタジーとして捉えた場合です.実は,もうちょっと細かく見ていくと,気になることがたくさんありました.いや,そここそが今回とてもひっかかったポイントです.ここからは,いつもどおりごちゃごちゃ書きますが,暇でしたらお付き合いください.汗 ちなみに私は宮崎アニメはけっこう好きです.ただ,だからと言っていつも「いい映画だったなぁ」とはならないんですよね.思ったことは正直に書きます.

まず,宮崎駿氏は,この映画に関して,単なるファンタジーという位置づけではありません.氏はこの映画に対して,

「少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである」

と述べられています.このフレーズはこの映画のテーマであると感じます.明らかに現代社会に対して具体的メッセージを伴っており,実際そのように感じます.しかし,私はそのような視点で見たときに,あまりに自分の感覚とはこの映画は異なるなぁと感じました.

少年と少女とは,この映画では,宗介とポニョでしょう.宗介は,知的で落ち着きのある責任感のある少年として描かれていますが,ポニョはどうでしょう.可愛らしく,思慮深くなく,感情的に突っ走る存在として描かれています.このふたりを「少年と少女」として代表させるのは非常に問題を感じます.

この部分は,宮崎氏のこの映画に対する説明にある,

「海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語」

という言葉にも表れています.つまり「わがまま」という言葉.なぜこんな壮大なテーマの中に「わがままをつらぬき通す」が登場するのでしょうか.どのような意味が込められているのでしょう...

それから「愛と責任」.もちろん「愛」も「責任」もこの映画のいろんな場面で出てきますが,肝心な宗介とポニョの間にどんな愛と責任があったんだろうか,と思うと非常に疑問です.一番残念なのは,なぜポニョは宗介を好きになって,なぜ宗介はポニョのことを守ろうと思うようになったのかが,私には推測さえできないということです.この部分を無視しながら,愛も責任も実現するのでしょうか.私の感覚では,これは「愛と責任」じゃなく「ひと目惚れと約束」ですね.責任は果たされているかどうか分かりません.むしろ物語の描く範囲内では無責任だとさえ感じます.私は,ポニョがこの先,人間になったことで幸せな一生を送れたかどうか,不安でなりません.しかし,そこに多くの人は興味を持っていないようで,恐いです.

という具合に,私が心配してしまうのは,常にポニョのことなんですが,別にポニョの可愛さにやられたからじゃあないですよ.笑 これは,ポニョの描き方がそうなっているからだと思います.つまり,ポニョはとても可愛らしく,おちゃめで自由奔放に描かれている一方で,知性とか意志とか責任とかが全く与えられていないんですよ.これじゃあ,私は不安です.そんなポニョを人間にしようと取り決めている周囲の人たちは,ポニョが不幸になったらどう責任を取るんだろうと思いますね.自己責任だとでも言うつもりでしょうか.

ということで,宮崎監督は「不安に立ち向かう」と言われていますが,私はむしろ不安になりました.涙 ただのファンタジーならすごくいい映画だと自信を持って言えますが,社会に対するメッセージ性を絡めるなら,私はこの映画は非常に問題だと感じます.人魚姫が題材ですから,多少は仕方ないのかもしれませんが,もう少し,現代的解釈を付加して欲しかった.

 

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エゾチッチゼミ :: 2008/08/12(Tue)

先週末,最近の運動不足解消のため,札幌市内の山に登りました.南区にある八剣山.ここは,のんびり歩いてもたかだか片道1時間程度の山ですが,その成り立ちはけっこう激しく,まさに下から見上げると八つの剣が地面から突き出しているように見えます.これが「八剣山」という名前の由来です.山頂付近は,断崖絶壁で足がすくむほど.私は高所恐怖症ではないですが,それでもちょっとぞっとする風景です.




山頂から南の定山渓温泉方面を望む


さて,白状すると,ここは私の貴重な昆虫観察の場なのですが,先週末は,長い間ひと目見てみたいと思っていた蝉の姿をはじめて見ることができました.その名はエゾチッチゼミ.




写真の中央に写っているのがそう.拡大すると...


  

おお!間違いなくエゾチッチゼミです.デジカメって便利だな.(そういう感想なのかい?笑)

こんな感じのとても地味な色合いの小さな蝉です.本州以南にはチッチゼミという近縁種がいます.こちらはもっと小さく,鳴き声もまさに「ちっちっちっちっ」ですが,エゾチッチゼミは,それに比べるとかなり大柄で,鳴き声も全く「ちっちっち」ではありません.バッタやキリギリスの仲間の声に似ていて,「ししししし...」とかなりテンポよく鳴きます.まさか蝉とは思えない声なのですが,そこがまた面白いんですけどね.北海道の山ではけっこうどこにでもいるセミですが,何せ数は少なく,たいてい高い樹の高い場所にとまっているので,その姿を見たのは今回が初めてでした.

八剣山は,ゼフィルスと呼ばれる,樹上生活性のシジミチョウもたくさん見ることができます.




こちらは,おそらくジョウザンミドリシジミ.羽を開くと金属的な青い輝きを放ちます.このチョウはとても小さいのですが,とても強気です.縄張り意識があり,このように樹木の葉の先端に止まり,樹木と反対側を向いて,一定の範囲内に進入してくる他の蝶などを追い払います.カラスアゲハのような巨大な蝶が通りかかっても,果敢に飛び立ち,追いかけ,追い払います.追い払ったら,またもとの葉に戻り,またじっと見張りに戻ります.ただカラスアゲハ自身は,追い払われたという気はしてなくて,ただそこを通過しただけだよと思っているんじゃないかなぁ...笑 




こちらはクジャクチョウ.クジャクチョウは本当に綺麗な蝶ですが,こういう石ころだけの地面に静止して,突然羽を開いた瞬間は特に感銘を受けます.あの羽を彩る深い赤はどんな色にも似ていないと思う...

 

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