日本について考えるブログ




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マナーとは :: 2008/09/28(Sun)

マナーという言葉,日本では頻繁に聞きますが,この言葉からどのようなイメージを受けるでしょう.用例としては...
「車内では携帯電話の電源を切るのがマナーだ.」
「歩きタバコはマナー違反だ」
とこんな感じでしょうか.

ところで,この「マナー」という言葉を,「ルール(規則)」と置き換えても意味は通じませんか? 日本ではほぼ,「マナー違反だ」=「ルール違反だ」でしょう.そんな気がします.

「マナーを守りましょう.」という標語,たまに見聞きしますが,すごく不思議な感じがするのは私だけでしょうか.マナーは身に付け実践すべきものであっても,守るものではないだろうと思うんですが.ということで,やっぱり「マナーを守る」=「ルールを守る」.ルールの意味合いなんだろうな,と感じます.

というわけで,いちおう礼儀作法の国である日本において,マナーはかなり重要な概念であるはずですけど,おそらく本来のマナーのニュアンスは消えているだろうと感じます.確かに,マナーは日本語ではないですからね.ウィキペディアによると,「マナーとは「他者を気遣う」という気持ちの現れであり、相手を不快にさせないよう個人個人が考えを巡らして行動すべきもの.」とあります.他者を不快にさせないために行うべき方法,手段です.うん,私もそうだと感じます.これこそがマナーの意味です.

そもそも英語のmannerという単語には,上記のいわゆる「マナー」の意味以外に,単純に「やり方」「手段」「方法」という意味もあります.In this manner (このように)や,a unique manner (独自のやり方)のように使われます.やはり,どこからも規則めいたニュアンスは出てきませんね.

さて,歩きタバコの話しですが,これはマナーに反しているとするなら,人が周囲にいる時の話です.これは危険だし,受動喫煙の問題もありますから.でも,誰もいない広い公園などで,煙草をふかしながらちょっと散歩をするというのは,いったいマナーに反しているのでしょうか.私は全く問題だと感じません.私は,禁煙ではない居酒屋で,煙草を吸わない人が同席しているにも関わらず,延々と煙草を吸う人達のほうがよほどマナーに反していると感じるのですが.

携帯電話もそう.車内での携帯電話の電源オフを推進しているのは日本くらいのものです.携帯電話による心臓ペースメーカーの誤作動事故は,私が知る限り,世界中探しても1件も起きていません.むしろ度々聞かされる「心臓ペースメーカーに影響を与える恐れがあるので...」のフレーズに,心臓ペースメーカー使用者が大きな不安を感じ,どれほどストレスを受けたか,これは誰も考えていないように感じます.車内で携帯電話の電源をオフにするのはマナーではなくて,ただの規則です.規則にしてしまうには,根拠が貧弱です.しかも,規則はあっても破っている人だらけです.一方,このような規則がなくても,今より車内で携帯電話を使用する頻度を自主的に減らす,これこそがマナーです.だから,日本人は概ねマナーの意味を知っていないと感じます.

ところで,エールフランスは,機内での携帯電話使用を試験的に開始しました.運行上安全性に問題ないシステムの構築は既に済んでおり,近いうちにエールフランスは携帯電話が使えるようになるでしょう.おそらく海外の航空会社はその方向だと感じます.乗客にマナーがあるのなら,携帯電話の利点(どこでも話せる.緊急のときに役立つ)をさらに拡大しようとすることが,当然の方策だからです.

 

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ハウルの動く城 :: 2008/09/25(Thu)

風の谷のナウシカや天空の城ラピュタに魅了された友人,私の世代にはけっこういます.それに比べると,自分はそこまでジブリ作品に惹かれた口ではありません.でも,ファンタジーとしては本当に面白いし,絵も素晴らしく美しいので,見ているとどんどん引き込まれていくんですよね.

前に飛行機の中の音楽番組でハウルの動く城の主題歌「世界の約束」を聞いて以来,どうしてももう一度映画のほうも見たくなり,とうとうレンタルして見てしまいました.^^ 映画館以来,二回目のハウルの動く城です.実は,ハウルの動く城は私が最も心揺さぶられた宮崎作品だろうと思っています.ナウシカよりもラピュタよりもトトロよりも.ただ,なぜそんなに魅かれたのか?という点は全く自己分析してなかったんで,改めて考えてみました.

(※映画の内容に関わることを以下には書いています.)

この映画はけっこう難解です.何が難解かというと,場面設定や背景などの説明がほとんどないという点です.例えば,なぜ戦争が起こっているのか,とか,カブにはどのような呪いがかかっていたのか,とか,結局ソフィーの魔法は解けたのか,とか...探し出せばきりがありません.そういう因果関係や物語の背景などは,概ね明快には分からないようになっています.たぶん,意図的にだと感じます.

で,考えました.この不透明性は自分の社会に対する世界観に似ているんだろうなぁ,と.この世界は単純ではない.何事にも原因と結果のようなものはあると思うのですが,それは1対1の対応ではなく,たくさんの原因とたくさんの結果が複雑に絡み合っていると思うんです.だから,単純な形で理解することはできません.

例えば,イラク戦争がなぜ起こったのかを,本当のところ私は知りません.アルカイダのせいなのか,ブッシュさんのせいなのか,お金のせいなのか,宗教が起こす一種の必然なのか.全部関係しているようで,でもどれが絶対的要因かなんて分からない.それを無視して,「○○のせいで,戦争が起きました.」なんて単純化するのはむしろ虚偽.ハウルの動く城の中の戦争は,そういう感覚に近いと感じました.生活者から見た戦争.でも確実に起きている戦争.

魔法もそう.魔法は何しろ「魔法」ですからね.ソフィーにかけられた魔法に関して,それはどんな種類だとか,どういう意味だとか,解けたのか解けてないのか,とかいう話は実際は意味を成さないでしょう.分かりようがない.そういうふうに描かれている気がします.

そんな混沌とした世界の中で輝くのが,ちゃんと自分の考えを持ち,他者への思いやりをもち,身分や性別など関係なく,言いたいことはきちんと発言しながら生きていく,そんな登場人物たちの姿!! ここに心惹かれたのかもなぁ,と自己分析しています.ソフィーの妹の「自分のことは自分で決めなきゃだめよ.」という言葉がすごく印象に残りました.

まあ,この映画に魅かれる理由が,それこそ,これだけなわけはないのですが...笑 やっぱりハウルの魅力かもしれませんね.男性から見ても彼は本当に素敵ですよ.

ところで,ハウルの動く城といえば,世界の約束も素晴らしい曲ですが,映画の中では始終流れる「人生のメリーゴーランド」も素晴らしいですね.(タイトルがちょっとくどいですが...汗) 映画の冒頭に,ピアノだけでゆっくりとこの曲が始まるシーンで,はやくもじーんときます.なんで感動してしまうんだろうか.You tubeにあったので,リンクを埋めました.

関連日記:世界の約束が頭から離れない...^^;





 

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空の表情 :: 2008/09/21(Sun)

昨日は支笏湖まで久しぶりに出かけました.手前の湖は支笏湖,山は恵庭岳です.





自分の車を運転して札幌郊外に出たのは本当に久しぶりです.土曜の日中はずっと晴れていたのですが,急に雲が西の空からやってきて,支笏湖畔に着いた夕方頃には,いつのまにか冴えない曇空に...むむむ,ちょっと残念だったのですが,振り向きざまに見た恵庭岳の姿が,いやいや,むしろすごく綺麗.^^ 山の向こうに沈んだ太陽に光,山にかかるガス,上層の雲と下層の雲のコラボレーションですね.それにしても,こういうシーン,見たときの感動を写真に残すのって本当に難しい...

夜は,久しぶりの回転寿司へ♪ 札幌に住んでもう10年以上経ちますが,本当に札幌の回転寿司は美味しいと今だに思います.今日の注目ネタは,アオゾイ,ギンガレイ,サメガレイ.銀ガレイは冷凍ものが普通に流通していますが,近海産の非冷凍モノは初めてでした.すごく脂がのっていて美味しかった.あと,秋刀魚も.こちらはこの時期,寿司ネタとしてサンマは生で普通に食べることができます.もう秋です~ そういえば,テレビではもうスタッドレスタイヤのCMを盛んにやっています.このCMを見ると,もう間もなく雪が降る感覚です.確かに,札幌の初雪はだいたい10月末なので,もうあと約1ヶ月.今年は今のところすごく暖かいので嘘のようなのですが,でももう間もなく北海道は冬に突入です.

 

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自分の世界から出ようとしない :: 2008/09/19(Fri)

日本人は自分の考えを構築してしまうと,そこから外に出ない人が多いなぁ,と思います.特に男性から感じます.時々,ころころ考えを変える人もいますが,それは影響を受け易いから変化しているだけであって,基本的にその時その時は,ひとつの立場だけという気がします.つまり,ある時に限定すると,バリエーションが少なく,考え方に幅を持てない.複数の選択肢を容認しない,理解していない,という感じ.

いい例かどうか分からないのですが,些細な日常の中でなら,コーヒーを飲むときにブラックで飲むか,それとも砂糖やクリームも入れるか.私は,日本人はどちらかに決めてしまっている傾向を感じるのです.「コーヒーはブラックが好きなんだよ.甘いのは苦手だな.」とか「私は砂糖がないとコーヒー駄目な人なの.」とか,こういう感じ.

本当に,甘いコーヒーが駄目なのか.本当に甘くないとコーヒーは飲めないのか.そこは,本当のところ分からないのですが,日本人はどちらかに決まっている(決めている)場合がとても多いと感じます.

日本に長く住む知り合いの外国人は,このように言います.「日本の店で出されるコーヒーはほとんどブラックだから,砂糖やクリームを入れるかどうかはその時の気分で決められるのがいいね.」と.つまり,どちらかに決めているわけではないのです.

私は,どちらかというとブラック派です.しかし,正直な見解は,「美味しいコーヒーは,砂糖を入れても入れなくても美味しい.まずいコーヒーは,砂糖を入れたらもっとまずくなる.」というもの.だから,どちらかというとブラック派になっています.笑 これはあくまで私の感覚で,人それぞれだと思いますが.私は美味しいコーヒーに出会ったら,最初ブラックでも途中から砂糖やミルクを入れたい衝動に駆られます.そうすると,いろんな風味のコーヒーを楽しめるからです.

コーヒーの飲み方なんて,どうでもいいことですが,仮に,両者が議論したらどうなるでしょう.つまり「A:いつもブラック派」と「B:いつも甘くする派」の人間が,例えば「どちらの飲み方が,よりコーヒーらしいのか」という話題で,互いに話しをするんです.A:「コーヒーの醍醐味は苦味だから,甘さはそれの邪魔をするんじゃない?だからブラックがいいんだよ.」B:「いや,そうじゃなくて,ただ苦いだけよりも,甘さが加わることで苦味が引き立つんだよ.私はそう感じるのよ.」と,こんな具合で,ずっと互いに平行線.何もまとまらずに終わってしまいそうじゃないですか.日本人の場合.

なぜ有意義な話し合いにならないのか.ひとつめの理由は,Aは甘いコーヒーの美味しさを知らないし,Bはブラックのコーヒーの美味しさを知らないから.まあしかし,これは仕方ないとします.しかし大きな問題はふたつ目の理由.Aは甘いコーヒーの美味しさを知ろうとしないし,Bはブラックのコーヒーの美味しさを知ろうとしない,ということです.つまり,自分が好きな世界に住んでいて,外には出ないんですよ.

有意義な話し合いになるための一番の方法は,話している途中で,互いが美味しいと思っているコーヒーを作り,それを交換し,飲む.そして相手がその美味しさの説明をする.その時,自分の好みのことは忘れて,相手の説明に耳を傾け,その説明どおりの感覚が今口に含んでいるコーヒーの味や香りから感じるかどうかを模索する.そうすると,「あれ,甘いコーヒーも美味しいものだねぇ.」とか「うーん,ブラックというのもありなのかも.」と思える可能性がようやく生まれます.

社会において重要なことを話し合うときも,たいていこんな感じだと感じます.国会中継や,メディアの政治討論.まずもって,口を開いている人間がしゃべっている内容の要旨は,「自己主張している」か「他人の意見を否定している」かのどちらかです.だいたいそのどちらかに分類できます.「ブラックのコーヒーは美味しい」「甘いコーヒーはコーヒーじゃない」と言っているだけなのです.相互理解への努力の現場を見ることなどまず皆無です.これでどうして話し合いになるというのでしょう.

自己主張は大切なことだと思いますが,相手を否定することは全く重要ではありません.否定は,誰かの主張や意図によって生まれるものではなく,全体の合意もしくは決議によって,自動的に生まれればいいのです.それよりも大切なことは,相手の考えの理解です.理解は同意することではありません.理解したうえで,自分の主張と照らし合わせ,新たな考えを構築していくといいのです.そうすれば,相手も「なるほど」と思ってくれる考えに到達できる可能性があります.その時には同意が生まれるかもしれない.

自分の世界から出ないと,決して自分にはない考えを理解することはできません.

私は前に,選択的夫婦別姓について書きました.いろんな場所で,この件は議論しているのですが,別姓絶対反対の人は,決して夫婦別姓のことを理解しようとしてくれない気がします.私は別に同姓が嫌いなわけではなく(否定しているのではなく),時代背景と社会構造を考えるに,選択的夫婦別姓のほうが,はるかに理にかなっていると思うので,支持しているだけです.しかし,別姓反対の人は,とにかくそんなものはありえない,と全否定を続けるだけです.なぜにそこまで自分の世界から出ようとしないのか,不思議でなりません.同意はなくとも,なぜ理解してみようと思わないのか.まあ,ジェンダー問題がらみの場合は,このようなケースが顕著ですね.

現在の日本は,共通の価値観の上に成り立っていた過去の村社会ではありません.そういう側面もまだ残っているとは感じますが,一方,はるかにいろんな思想や価値観に溢れているとも感じます.このまま自分の世界に安住するようなスタンスで生き続ければ,親しい隣人の考えも何一つ理解できずただの表面的付き合いになり,孤独に苛まれ,どんどんと不幸になっていくような気がしてなりません.というか,もう,そうなりつつあると感じます.一刻もはやく,他者を否定するのではなく,理解するスキルを身につけなくてはいけないと思います.

関連記事:選択的夫婦別姓
      :議論にならないのはなぜ?

 

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 社会
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定山渓天狗岳 :: 2008/09/14(Sun)

昨日,定山渓天狗山(定山渓天狗岳)に登りました.定山渓は,札幌中心部から車で40分くらい南に下った場所にある有名な温泉地ですが,その近傍に天狗山は座しています.座している,というのは,そんなふうに見えるからなのですが...

   

これは登山口付近の林道から天狗山を撮った写真.樹海の中に,ドンと岩を置いたように見えます.


   

こちらは同じ林道をもう少し下って,違う角度から見た天狗山.包容力と厳しさを共に感じさせてくれる山です.


   

山頂からは,ご覧のとおり,樹海と笹原が眼下に広がります.天気が良かったので,羊蹄山もはっきり見えました.余市岳の横には遠く日本海も見ることができました.

******

私は,山頂に登った達成感よりも,登っていくその過程が好きです.だから登山が好きというより,山歩きを楽しむ,という感じなんだと思います.途中で出会う生き物,植物の種類が標高とともに少しずつ変化するのを感じたり,尾根筋に出ることで,急に風が吹いてきたりする変化を感じるのが好きです.

「なぜ山に登るのか?」
「そこに山があるからだ.」

この問答をご存知でしょうか.登山家ジョージ・マロリーが,最初のエベレスト登頂に挑み,失敗した後のインタビューでの問答です.日本では哲学的な言葉として多少有名ですが,実は完全な日本人の誤訳です.実際の問答は,

 Why do you want to climb Mt. Everest?
 Because it is there.

です.山という一般化された概念じゃなく,あくまでエベレストについての話し.「なぜエベレストに登るんだ?(こだわるんだ?)」「エベレストがそこにあるからだよ.」という意味のようです.一説によると,彼は全く哲学的に答えたのではなく,たくさんの報道陣からの質問が面倒くさくて答えた言葉だとも言われているようですが,真相は知りません.

そうでしょう.西洋人が,こんな日本的な受け答えをするなんておかしいと思います.やはり誤訳なんです.誰も登ったことがないエベレストという山がそこにあるから,私は挑戦する,とそういうことなんだと推測します.まだ誰もやったことのないことを成し遂げたいという冒険心ですね.

「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからだ.」は,すごく現代日本的だと感じます.思考が無いというか.こちらが思考するきっかけになるわけでもない.改めて考えると,全く哲学的な言葉ではないじゃないか,と思ったのですが,そんなことはないでしょうか.笑

 

テーマ:アウトドア - ジャンル:趣味・実用

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サラダをもっと美味しく :: 2008/09/13(Sat)

日本では,肉と野菜,どちらの地位が上かと聞かれたら,たぶん肉が上でしょうか.コンビニエンスストアの弁当を見ても,野菜がとても少ない弁当ってあります.もちろん最近は健康志向で,ヘルシー弁当のようなものや,サラダのバリエーションも多いと思いますが,やはり,野菜よりも肉のほうが幅を利かせていると感じます.「野菜不足」は現代ではよく聞く言葉ですが,まあつまり,そういうことなんですよねぇ...

日本人は本来,肉をがつがつと食べる民族ではなく,「菜」は大切なものです.共生している腸内細菌も,体の代謝系も,「菜」との相性はいいんじゃないかと思います.もっと野菜を食べるといいのに,と思います.

ということで,サラダです.もともと日本人は生野菜を食べる習慣はあまり無いらしいのですが,しかしこの多忙な現代において,調理することなく手軽に作れる「サラダ」は,やはり貴重です.

しかし問題は,コンビニのサラダも,弁当にちょっと入っているサラダのようなものも,あまり美味しくないということです.サラダは美味しい食べ物ではない,健康のためには仕方なく食べた方がいい,という誤解を生みかねません.

サラダは何だかんだ言っても,「野菜」と「ドレッシング」です.新鮮で味がちゃんとする野菜と,その味を引き立てるドレッシングです.野菜はいいとして,ドレッシングは一般的に市販のものを使うという方が多いと思いますが,市販のドレッシングはどれも,なんか味がごちゃごちゃと複雑で全く野菜を引き立てているように感じません.ドレッシングは,シンプルなものを自分で作る,これです!と私は勝手に思っています.

ということで,今日は,ものの1分で完成するドレッシングを紹介します.これはドレッシングの基本形のようなものですが,侮ってはいけません.なぜなら,生野菜の風味をとても引き立てていると感じるからです.

材料:
・お好みの生野菜.今回はベビーリーフ,レタス,トマトを適量.
・EXバージンオリーブオイル
・白ワインビネガー
・塩(できれば美味しい塩)
・黒胡椒

手順:
・レタスを手でちぎり,トマトを好きなサイズに切る.
・レタスとベビーリーフをボールに入れ,傷つかないように,優しく手で合わせる.
・トマトをそこに入れ,優しく合わせる.
・ドレッシングを作る.EXオイル,白ワインビネガーを1:1の比でよく混ぜ,白濁状(エマルジョン)にする.そこに塩と胡椒を好みの量だけ入れ,さらによく混ぜる.私の場合,EXオイルが10 cc,ビネガー10 ccなら,塩は2つまみ程度.
・ボールのサラダにドレッシングをかけ,優しく合わせ,ドレッシングを均一に野菜に馴染ませる.
・お皿に盛り付ける.





ドレッシングは,後からかけてもOKですが,最初に合わせておくと,味のむらができにくくなります.和食系の料理とはあまり合いませんが,パスタやパン,肉や魚のグリルとは,完璧な相性です.^^

 

テーマ:野菜 - ジャンル:グルメ

  1. 食/ワイン
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デジタル一眼レフカメラ :: 2008/09/10(Wed)

私が現在使っているカメラはニコンのCOOLPIX P4というコンパクトデジカメです.このブログに載せている写真の8割くらいは,このカメラで撮りました.残りの写真は携帯電話についているカメラで撮った写真.こちらはノキアの705NKという機種に付いているカメラ.

しかし,これらのカメラではどうしても撮ることが困難な被写体があって,それは何かというと,大好きなトンボたちの飛んでいる姿. COOLPIXでも撮れなくはないですが,被写界深度が深いので,どうしてもごちゃごちゃとした背景が写りこんでしまい,まとまりのない絵になってしまいます.フォーカスも微妙.前回のオオルリボシヤンマの写真は,昔から使っているニコンのFM10というフィルム式の一眼レフカメラに,望遠系レンズを付けて撮ったもの.このような背景のボケは,コンパクトカメラでは望めません.やっぱり飛んでいるトンボを追うには,一眼レフカメラの必要性を感じます.

まあこれは強引に理由を見つけただけでして,要は,デジタル一眼レフカメラが欲しいなぁ,とずっと前から思っているのです.しかし,ここからが悩みです.デジタル一眼レフカメラを道具として使うには,自分にとってはどうしても解決できない大きな問題があります.それは,「重くて,かさばる」ということ.しかもレンズ数本持ち歩くならなおさらです.

私は写真を撮ることがすごく好きですが,写真を撮るためだけにどこかに出かけることはそんなに多くはありません.つまり,観光だったり,仕事だったり,山に登るためだったり,どこかに行く途中だったり,目的はたいてい別にあって,でもカメラも持ち歩きたいというのが正直なところ.それから,写真にのめり込みすぎると,一緒に行った人との会話が楽しめなかったり,見ることができたはずの情景を見逃したりしそうで,あまり写真を撮ることばかりをしたくない,という感じがあります.

だからCOOLPIXです.もっとコンパクトなデジカメもありますが,操作性と機能をある程度満たして,コンパクトなカメラが欲しかった,ということで.

こういう感覚でカメラと付き合いたいので,一眼レフカメラはやはり私のライフスタイルに馴染みません.ニセコのオオルリボシヤンマの時は,まさにトンボの写真を撮りに1人でニセコに行っていたのですが,あんなことは1年に1度あるか無いか.たいていは,カメラは鞄にさりげなく忍ばせていていたい,というのが本音です.

あと,もうひとつのデジタル一眼レフ購入に踏み切れない理由.それは,これまで長い間写真を撮ってきて,少なくとも自分のレベルでは,いい写真が撮れるかどうかは機材とは全く関係ないなぁ,と心底思っているからです.表現の幅が広がったら,その分考えるべきことが増えてしまい,自分の頭のメモリーが足りなくなる,って思うんですよね.そして,自分の心が反映された構図でシャッターを切ることに失敗するみたい.だから宝の持ち腐れのような気がしてしまい,デジタル一眼カメラのほうも不幸だろう,と思ってしまいます.

なのに「欲しくなくなった」と思うことができないこの自己矛盾.やっぱり,道具としてだけでなく,機械としてのカメラにも魅力を感じているってことなんでしょうか.確かに,カメラ屋で手にとってああだこうだ考えている時はけっこう幸せだったりしますから...^^;

 

テーマ:日記 - ジャンル:日記

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