日本について考えるブログ




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華,存在感,演出 :: 2008/10/31(Fri)

アルファロメオ147が我が家にやってきて,2週間あまりが過ぎました.ということで,アルファ147について今の段階の感想を書き残します.我が家のもう一台の方,プジョー206と比較しつつ...





1600 cc TSエンジン:
TWIN SPARK.間もなく生産を終了するであろうこのエンジンは,自分を魅了してやまない音と振動を持っています.とにかくこのエンジン無くしてはアルファ147は成り立たない,と感じます.2000 cc のTSエンジンと比較するとバランサーシャフトを持たないこともあって少々騒々しい1600 ccですが,その分,エンジン音は低回転から室内に響き渡り,まあ音楽を聞こうなどという気には今のところなれません.笑 低回転から高回転まで,めまぐるしく表情を変えていくメカニカルな音質,吸気音のエッセンスに排気音の独特の共鳴,エンジンが冷えている時と温まっている時,アスファルトの状況,ギアの選択などによっても音が表情を変えるんですよ.ちなみにアイドリングは極めて静か.エンジンマウントが柔らかいようで,振動も室内にはほとんど入ってきません.206が振動だらけなので,なおさらそう感じます.

シャシー:
シャシーは剛性感のあるものではなく,柔らかい感触,いや,パーツは固いけど接続が柔らかい,という感じがします.ということはブッシュ類が柔らかいということでしょうか.147で高速道路を走ると,けっこうぶるぶると振動が入ってきて,決してドイツ車のような安定感はありません.一方,206も「柔」を感じる車ですが,あちらは固いゴムのように全身が変形して,瞬時に強い復元力で戻る感触です.206の執拗なまでの接地感もこの感触のひとつ.両者の「柔」の質はかなり異なります.

操舵:
ハンドリングは実に軽快であり,むしろ素っ気無いくらいです.これは,シャシーセッティングによる部分以外にも,エンジンが2000 ccよりも軽いこと,そしてタイヤのサイズも影響しているだろうと感じます.ミシュランのENERGY XMは当たりがとても軽やか.この軽やかさとマッチするかのように,とにかく鼻先軽くステアリングを切ると瞬時に方向を変えていきます.ロールは自然で,車をコントロールする感覚に不自由はありません.同乗者に不快感を与える類のものでもありません.プジョー206が非常に重たい味付けであるのとはかなり対照的です.206はコンチネンタルというドイツのタイヤを履きますが,この辺はマッチングを考えているのか,偶然なのか...

インテリア:
黒が基調の地味なインテリアですが,質感は非常に高く,これはやはりイタリアだなぁ,と感じます.特に触った感触でしょうか.ステアリングやシフトノブ,シート,ダッシュボード,ドアトリム,エアコンの噴出し口など,すべてのものの「触れた感触」が非常に素敵ですね.ボタンを押したときの押す感触もそう.優しさを感じます.シートはすわり心地は非常に柔らかいですが,これは足廻りの柔らかさとバランスをとっているだろうと思います.今まで思わなかったですが,対照的に206のシートは硬質です.まあ,長時間疲れないのは圧倒的に206のほうです.

エクステリア:
存在感のあるエクステリアですが,繊細なエクステリアでもあります.フロントマスクは大胆ですが,それ以外は意外にさりげなくて,でもよく見ると繊細な陰影が見え隠れするのがこの147.どちらかというとスタイルは静的です.206はそういう意味では細かな細工はなくて,圧倒的に動的なデザインですね.

燃費:
札幌と幌加内の往復,一部高速道路利用で,平均燃費は16.8 km/Lでした.206なら18 km/Lくらいは行くと思うので,それより多少悪いのは,主に200kgの重量増によると思われます.札幌市内のみの走行だと10 km/Lには届かないんじゃないかという感じです.

そのほか:
147はハイテク武装されており,たくさんのボタンがあります.要は,空調関係とトリップコンピュータなのですが,操作は完全には把握できていません.笑 まあ,少しずつ覚えていこうと思っています.覚えていないと言えば,セルフ給油の際に燃料キャップをあけることができず,取扱い説明書を見てしまいました....TT 燃料系の針は給油後も簡単にはフルを指しません.1時間くらいかけてゆっくり戻ります.

総括:
「自動車」という道具性に徹底的にこだわったプジョー206に比べると,アルファ147はやはり趣味性が高い車なのかもというのが印象です.華やかで,存在感があり,演出があります.デフォルトで装備されているフレグランスも演出のひとつ.同じ1600ccのラテン系の車ですが,性格は全く違うんです.そういう違いをひとつひとつ感じることもこれからの楽しみのひとつです.

 
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  1. アルファロメオ147
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第二回テンプレート変更 :: 2008/10/28(Tue)

部屋の模様替えというのは楽しいものですが,ブログも模様替え.

同一テンプレートを修正しただけですが,イメージを完全に一新したくて,今回はダーク系に挑戦.しかもあまりなさそうな色使いを目指しました.自分は勝手に気に入っていますが,正直ちょっと暗いですかね.まあ,暗い話題が多いのでいいかと...^^; あと,目にも優しく,写真も少しは映えるかと思いますし.

ちなみに,タイトルの背景は,晩夏の京都嵐山です.季節感を一切無視してしまいました...

 

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死への恐れ,憧れ(2) :: 2008/10/25(Sat)

死への恐れ,憧れ(1)からの続きです.)

死は常に私たちの隣にいます.決して避けることのできない出来事です.であるにも関わらず,現代日本人は概ね,死について思い考えることはありません.これは誰かの死を悲しむこととは全く違います.

しかし,日本人は昔から死について考えなかったかというと,決してそうではないと思います.そこで,古来から日本において存在した自然崇拝の中での死生観について,理解の範囲で少し書きたいと思います.

日本人の信仰は,自然崇拝が基本です.万物に霊は宿ります.動物,植物,石,川,雷,山...これらの存在に対して,そこに何らかの霊的な感覚を日本人は覚えていたでしょう.いや,今も感じる人はいるのではないでしょうか.これはいわゆる「やおよろず(八百万)の神」と言われる感覚です.神道というと,ちょっと違ったイメージが現代では付きまといますが,根底にはこの世界観があると思います.

万物が霊的であるなら,生きている人間もそこに含まれるでしょうか.いいえ,含まれません.生きている人間は,信仰の対象である自然からはみ出した存在だと私たちは考えたからです.

日本人にとっての世界のすべては「自然」というものです.自然は,「あるがまま」の自然(じねん)の意味.ここには,生きている人間とその行為以外の全てのもの・概念を含みます.例えば「動物は自分が生きるのに必要なだけの獲物しか捕らえない」とかそういうことも「自然」であるということです.これに比べると,人間は「自然」に少々背いているのは明白でしょう.古来の村人もそういう考え方を持っていました.あるがままでは生きられていない,余計なことをたくさん考え,厄介なことを人間はしでかすのです.木を切り倒して開墾したり,そこに種を蒔き,ちゃんと作物が育つように芽吹くと間引いたりするのです.これは「あるがまま」ではないのです.

村人は,自然に包まれそのつながりの中で暮らしていました.自分たちが生きていくために必要な恵みは,すべて自然が提供してくれます.人が生きるということは,自然に包まれて始めて可能となると考えるのです.だから日本人はおおいに自然に頼ったし,自然がもし牙をむけばなす術はないと恐れもしたし,自然の無限の恵みに対して,深い感謝の念も持っていました.

そんな世界観の中で生きた私たちにとって,死を迎えること,それは自然に帰ることです.私たちは自然の中に包まれて生きているのですから,存在できる場所は自然以外には考えられなかったでしょう.故人は,生きている者をとり囲んでいる自然に同化し,霊的に存在し続けます.ですから,時にご先祖様は村の守り神として共同体と共にいつまでもそこにいます.

日本の自然信仰においては,死は得体の知れないものではなく,普通に自分たちの周りに存在する,土や光や水や緑や,そういう自然の中に同化していくということなのです.だから,死は自分たちが考えている感覚の内側にあったはずです.自然信仰は,生まれてくる子供たちにもしっかりと受け継がれていきます.子供は成長の過程で多くの通過儀礼や祭りを経験し,立派に成人し,そのときにはこの自然と人間の関わりについて完全に理解し実感します.そして死は,そにに確実に存在していただろうと思います.

つづき → 死への恐れ,憧れ(3)

関連記事:霊的世界

 

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赤い蕎麦の畑 :: 2008/10/22(Wed)

北海道雨竜郡幌加内町.旭川よりもさらに北に位置するこの町は,日本の最低気温記録,-41.2度(1978年)の大記録を持つ町ですが...それよりも有名なのは蕎麦です.^^ 実は幌加内町は,そばの生産量,作付面積ともに日本1なんです.

先週末は,幌加内方面をドライブしました.赤いそば畑を見るためです.


   


幌加内町は,あまり高くはない山々に周囲を囲まれた盆地にあり,そこに一面のそば畑が広がります.見渡す限りのそば畑.しかし今の時期,当然そばの収穫は終わっています.じゃあ何も畑にはないのかというと,そうではなく,刈り取られた後の枯れた蕎麦の茎が畑一面に残っているのです.これがなんとも形容しがたい「赤」の色を蓄えていて,すごく不思議な風景を見せてくれます.まあ真っ赤ではないのですが,鮮やかな明るい茶色でしょうか,そこにやはり赤の色成分をわずかに感じます.(写真にはそれほど赤は写ってないのですが...^^;) この風景は刈り取り後のこの時期にしか見ることができないのですが,本当に見事です.

幌加内町は,観光客はあまり訪れません.しかも今は完全にオフシーズンですので,さらに輪をかけてだーれもいません.ただただ蕎麦の赤い畑があるばかり.

ところで,北海道の景色はやはり淡い色.これは前にも書いたのですが,本当に淡い色が多いなぁと感じます.例えば,紅葉も淡い.新緑も淡い.鮮やかで美しいのは本州のほうです.それに比べると北海道の紅葉はさほど美しくはなりません.





煙霧の中の幌加内の森.この日の幌加内もやはり淡い色.畑のあちらこちらから何かを焼いているのか煙が立ち昇っていて,なんとなく煙っています.そこに枯葉を落として冬支度を終えた木々が静かに立っています.なるほど,この淡さの中に,蕎麦の茎の赤さは少々浮いています.だからすごく印象的な景観だと感じるのかもしれません.

関連記事:北海道の春

 

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Welcome! Alfa 147 :: 2008/10/20(Mon)

先週末,予定より1日遅れで無事にアルファ147が納車されました.1日遅れの理由は,ファンベルトの鳴きが止まらなくなり,ベルト交換したためなのですが,部品は東京にストックされているらしく,航空便で送ってもらえたので1日の遅れで済みました.

走行2万6800キロ.1600 cc ツインスパーク (1.6 TS).2004年式車です.納車に際して,TSエンジンで問題となるタイミングベルトを早くも交換してもらいました.というか,ディーラーが「頼むからこれだけは今交換させてくれ」と言うもんだから...笑 まあこれが切れたら一巻の終わりですからね.


    


いよいよイタリア車との生活が始まります.日本人としては,やはり身構える部分は相当ありますわ.笑 なぜなら日本では「イタ車は壊れる」が常識でしょう.ディーラーの方までそういうノリですから...しかも今回の147は中古車で,オーナーが二回変わっているのですから,不安はあります.しかしあまり神経質になりすぎるのはよくありません.先入観は全て排除して,今後は感じたままの素のアルファ147の記録を書き残したいと思います.

ということで,まずは初日の感想です.納車後は,そのままよく行くイタリアンレストランに直行.楽しくお喋り.そして帰宅.^^; ということで,ちょっと市内を走った程度なのですが,その範囲内での感想です.

まず気付いたことは,運転中本当にいろんな音が聞こえてくること.ダッシュボードの中からジッジッジッと時計の秒針のような音が鳴ったり消えたり...どこからかキュルキュルと...どこからかゴッゴッゴッと....なるほど,これがアルファ147かという妙な実感が湧きます.これらの音は全部,日本車基準だと「異音」と言えるものでしょうね.笑 私は一切気にしない質なんでいいのですが,まあこれが気になる方なら,不安は初日からマックス間違いなしです.

一方,ひとつの課題も.それはクラッチワークです.発進時のクラッチミートがちょっと難しく,しくじると激しいジャダー(振動)が出てしまいます.これは練習が必要ですわ.147開発者がどんな運転を想定しているのかを考えなくてはいけません.

まあこういう湿っぽい話はちょっと置いておいて,何はともあれエンジンですよ!!ツインスパークエンジンはやはり素晴らしいの一言につきます.サウンド,回転上昇の質感,加速フィール...ああやはり芸術的.このエンジンは本当に贅沢です.


    


エンジンルームです.ディーラーの方に綺麗に清掃してもらいました.ここはアルファ147の命が宿る部屋ですから.^^

 

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  1. アルファロメオ147
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死への恐れ,憧れ(1) :: 2008/10/18(Sat)

人は死の存在を知ってしまいました.それは必ずやってくるものだと知っています.

私たちは生きている以上,常に死と隣り合わせです.はるか昔なら,もっとそれは現実的です.いつ病に倒れるかわかりません.いつ命がけの戦いが起こるか,いつ災害に巻き込まれるか,分かりません.死は人々の隣にあったでしょう.

しかし人間は長い時間をかけて,少しずつ少しずつ,死を遠ざけてきました.だから,現在私たちは,過去よりもはるかに死を意識せずして暮らすことができます.

ただ,いま一度考えてみてください.死は不可避なんです.誰もがいつか経験し,死を迎えます.そのことを否定する人はいません.

それなのに.その死の意味を誰も知りません.なぜなら,生きている間,それは経験不可能だからです.死の存在は知っていても,死とは何なのか分からない.人の死を見て死の存在を思い,その瞬間自分に何が訪れるのかと考え,不安を抱くばかりです.

ですから,死の存在を知った古の私たちの祖先は,死について考えようとする動機から逃れることはできませんでした.長い間死とは何か,死の先に何があるのか,と考えてきたのです.

宗教と今日呼ばれるもののひとつの側面は,死を考えることであり,これは極めて明確です.キリスト教でもイスラム教でも仏教でも,どんな少数部族の局所的な信仰であっても,死を取り扱わない宗教はありません.死について考えることは,宗教の重要な役割でもあるのです.

さて,先週,テレビ番組「世界弾丸トラベラー」で,キャスターの内田恭子さんがイギリスの湖水地方を旅されていました.ホームステイした先のイギリス人夫婦に,内田さんが「夫婦が末永く仲良く愛をもって暮らす秘訣は?」と聞きました.そうするとそのイギリス人夫婦の回答は,「毎朝,愛しているよ,と言うことね.だって次に生きて会えるとは限らないのよ.」でした*.

 どんなに愛し合っていても,次に生きて会えるとは限らない.

 だから,愛しているよ,と言う.

私は脳の奥に杭を打たれたような感覚に見舞われました.死は私たちの隣に確かに存在しています.私たち(の多く)は,それを忘れているのです.

つづき→「死への恐れ,憧れ(2)」


*完全に正確ではありませんが,このような内容の対話でした.

 

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日本人にノーベル賞 :: 2008/10/14(Tue)

今年のノーベル物理学賞と化学賞が日本人科学者に授与されます.先週はニュースを賑わせました.でもメディアがあまりに騒ぐと気持ちが萎えます...汗 科学に日本人も何も国籍は関係ありませんから.たまたま今年のノーベル賞に値する研究成果を出したのが日本人研究者だった,と冷静に考えることにします.

ところで.私の知人の奥さまが在日韓国人なのですが,聞くところによると,「日本人はノーベル賞取れるのに,韓国人はなんで未だに駄目なんだぁ...」と,韓国国内では(一部)なっているらしいのです.

韓国日報によると,単純に科学技術への政府の投資額や戦術だけが原因ではなく,日本には日本語で科学を深く学ぶ基礎が整っているからじゃないか,という意見があったそうです.韓国には韓国語で書かれた専門書というのは非常に少ないようですね.

なるほど,これは一理あるかも.言われてみれば確かにそうです.科学に関する言葉はほとんど全てに「日本語」が用意されており,英語が全くできなくても深く科学を探求することができる素地があると感じます.陽子(proton),電子(electron),中性子(neutron),共有結合(covalent bond),場(field),系(system),固有値(eigenvalue),規格化(normalization),などなど.概ねの専門用語はちゃんと厳格な意味とともに日本語で存在しています.この辺は普通の日本語と違って全く曖昧ではありません.そして,これらの日本で生まれた科学言葉の多くは,中国や韓国でも使われているようです.何も物理学だけじゃなく,化学,生物,地学,材料など,多くの分野でちゃんと専門の日本語が作られ存在しています.

これに加えてさらに興味深いことは,日本にはこれらの言葉を駆使して書かれた「日本語の科学専門書」がいくらでもあるということです.もう迷うほどに,です.笑 つまり,英語の専門書はよほどのことが無い限り必要ないんですね.私は,朝永振一郎著の「量子力学」という教科書に感動し,何度も読み返した口です.この本では,数学が暴く非現実的な量子の世界を,ただの数式の展開に終始せず,懇切丁寧に日本語で説明してくれています.どういう意味なのか,どういう結果を招くのか,どんな概念なのか,と...物理学者が,どんな思考を繰り返して量子力学的概念の構築に至ったか,本当にそれ以外の解釈はありえないのか,と,そういうことが日本語でかなり丁寧に記述されているわけです.これはとんでもなく大変な作業であっただろうと感じます.

古とは違い,現在の科学者を目指す学生さんは大変です.何がかというと,数千年分の人間が積み重ねてきた科学的発見を,数十年で学ばなければ(理解しなければ)いけないからです.ピタゴラスの定理を自分で発見するために一生を費やすわけにはいきません.笑 講義や本から学び,これまでにどんなことが分かったのか,それがどういう意味かをある程度理解した所から,未知の発見に向けた研究がようやくスタートです.これはとんでもなくしんどいですよ.だからなるべく分かり易くて読みやすい専門書は必須です.実際のところ洋書ならいくらでもあるんですが,ここにきて日本人にとって最大の敵である「英語」が立ちふさがります.日本人は一般的に英語が苦手ですよねぇ.私は,これは怠惰だからというよりは,文化的,思想的,そして日本語の特異な言語体系に原因があると思っていますが,だからこそ,日本語で全て勉強してしまえる基盤が整っているというのは,ある意味素晴らしいことだと考えられます.

ということで,韓国日報の考察はかなり的をえているという気がします.国家予算の問題だけではないでしょうね...

 

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