登別温泉に行って参りました.アルファ147は極悪な北海道の悪天候中でもノートラブルでした.
昨日まで,登別温泉に行ってました.1年間の疲れを温泉で癒しつつ,久しぶりにのんびりとした時間を過ごして帰って参りました.やっぱり温泉はいいな~
さて,札幌から登別へは一番早い行き方は有料道路なのですが,今回はドライブも兼ねて一般道を行きました.有料道路は少し遠回りになるので,一般道のほうが距離は短いのですが,しかし,その場合はふたつの峠を超えなくてはいけません.ひとつは札幌市から羊蹄山麓へ抜ける中山峠,そしてもうひとつは壮瞥から登別に抜けるオロフレ峠.このオロフレ峠ですが,本当に景観が素晴らしい峠なんです.太平洋,洞爺湖,羊蹄山など,この地域を特徴付ける自然がすべて見渡せ,本当に圧巻...とまあ,これは夏の話なのであります.というのも...
冬はこういう状況です.これは車窓から...天気がいい日もあると思いますが,展望所は大量の雪が積もって景観を見る状況ではありません...
これは吹雪が収まった間に撮った写真です.オロフレ峠の峠越え付近.
ということで実は今回の吹雪,北海道に住みようになって運転中に出会った吹雪の中ではトップ3に入るかも,というほど凄まじかった...汗 ここ数年では最悪だったかもしれません.「ホワイトアウト」とはこのことだと久しぶりに思い知らされました.まあとにかく,スピードを落とし,フォグランプを点灯して走ればいいだけのことですが,それにしてもちょっと不安が脳裏をよぎりましたね.こういう状況で恐ろしいのは「吹き溜まり」です.
今回はアルファ147での旅となったのですが,どうしてイタ車も頼もしいものですよ.概ねずっと悪天候だった今回の旅でしたが,常に全くの涼しい顔で駆け抜けてくれました.デフロスター,車内暖房の容量も十分に頼もしく,雪上氷上などの悪路でのトラクション性能も申し分なし,ワイパー性能は大雪の中でも十分だと感じました.何年落ちか分からない(推定4年落ち?)スタッドレスタイヤでも全く不安は感じなかったし,横滑り防止装置やABSの介入も非常に適切と感じました.極悪な北海道の風雪模様に対して,特に147は苦手とはしないように感じます.
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人を部分でしか見ることができないと不幸だと思う。
恋愛格差、という言葉をご存知でしょうか。
優れた容姿とコミュニケーション能力に長けた人間が恋愛全体数の大部分を占め、容姿に恵まれず、コミュニケーション能力に乏しい人間は全く恋愛をできない、という格差を示す言葉です。これは日本社会に対しての考察から生まれた概念です。
私の職場にも容姿に非常に強いこだわりを持つ人がやはりいます。無料情報誌を開き、そこの美容室の広告に掲載されている女性たちの容姿を見ながら、こっちがタイプだ。これはありえない。とかいう、ある種の「品評会」のようなことを始めるのです。こういうのを見ていると、日本という国がいかに精神的に貧しい国かということを感じずにはいられません。
人の容姿を何らかの判断基準にすること、それは確かにあると思います。むしろ、容姿なんて恋愛とは全く関係ないな、と言っている人のほうが信じられないかもしれません。しかしだからといって、なぜ容姿だけの情報で一喜一憂できるんだろうか、とそう思うのです。
容姿の次に生じる問題はコミュニケーション能力でしょう。話が合わない人とは長くは続かない、とそういう言葉に象徴されます。なぜ話が合わないかというと、単純に趣味や好みだけの問題ではないと思います。仮に自分がそれほど興味がなかったものでも、相手が興味を持っていれば、それはいったいどんなものかと知ろうとするのが自然じゃないかと思うのです。そういう気持ちがあって、それがちゃんと伝わる言葉を話せば、自然と会話ははずむものです。それがうまくいかないということは、相手の好みや考えや価値観を理解できず、なおかつ知ろうともしないからではないでしょうか。話がかみ合わなければ恋愛は長続きしません。まあ男性(もしくは女性)が知ろうと努力していても、女性(もしくは男性)がだめだと多分うまくいきません。互いにそういう努力はある程度必要です。
ここに、容姿とコミュニケーション能力に秀でた人間だけが、いろんな恋愛をできるという構図が出来上がるのだろうと思います。
それにしても、日本では容姿はかなり重要視されていると感じます。上に書いた美容室の広告で一喜一憂するのもそのいい例です。
ちなみにこの問題は男女の温度差を私は感じます。
前にイケメンの男じゃなきゃ嫌だという女性に、イケメンじゃなきゃなんで駄目なの?と聞いたことがありますが即答でした。「だって,中身のある男なんてほとんどいないじゃん、ならせめてイケメンじゃなきゃ」とその人は言ったのですが、これはあたっているだろうなと感じました。妥協の案としてイケメンなんです。
同じような質問を「(容姿が)タイプの女の子じゃなきゃ恋愛対象にならない」という男性に聞いたときの答えは、「いろいろ大変だったとして,(容姿が)タイプの娘ならたぶん許せるから」という答えです。つまりタイプの娘であることが恋愛することの絶対条件なんです。これはずいぶんとわがままな意見、じゃないでしょうか。
妥協して容姿にこだわることと、絶対条件で容姿にこだわるのは全くイメージが違います。すべての男女がこのような温度差があるのかそれは分からないですが、やはり普段から日本人男性に問題があると感じている私としてはしっくりきます。つまり日本人男性は、物事を多面的に見ていない、という部分とリンクしてしまうのです。それが恋愛にも波及していると感じてしまいます。私は日本人男性としてこれは非常に恥ずかしいのです。
ちなみに僕は、人間というのは容姿やコミュニケーション能力だけで決まるわけではないと思っています。もちろん表情や、趣味とか生き方とか、そういう「部分」を取り出して決まるものでもない。いろんな要素が絡み合ってその中にその人の魅力が現れてくるものであり、そういう魅力を異性に見出すべきです。
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前向きであるということは,ただ単に落ち込まない,くよくよしないということではありません.物事のいい面だけを見ることでもありません.前向きであるというのは,自分のネガティブな部分をちゃんと理解し,それを克服する努力をすることだと思います.日本人には,このような前向きさが足りないと感じます.
何事も前向きに考えられることは大切なことだと思います.しかし,前向きな考えってどういうことでしょうか.
例えば,大切な試合の初戦で初歩的なミスをして負けてしまった...ありえな~い,と言って落ち込んでしまうよりも,どうしてこんなミスをしてしまったのかをよく考え,次こそは同じミスをしないような策を練るのが前向きな姿勢です.これはつまり,自分の弱点を知って,それを克服するよう努力することであり,私はこういう考え方を前向きだと感じます.
日本では,「前向き」をこのように捉えていないと感じる場面によく出くわします.例えば「くよくよしても仕方ないよね,元気ださなきゃ!」のような考え方を前向きだと言っている時があります.しかしこれは,ただくよくよしなかっただけ,開き直っただけのことで,これでは次もまた同じミスするかもしれないでしょうに...これを前向きであることとは違います.
そういう意味で,この国は建設的な前向きの考え方をあまり持たない国だと感じます.言い換えるなら,自分たちの欠点をちゃんと理解しようとする姿勢がほとんどないということです...まあ,こういうとちょっと語弊があり,個人個人を見ればすごく前向きな人もいるのだと思うのですが,しかし国全体を動かす潮流のような場所に,このような前向きさを感じることは稀です.つまり政治やマスメディアなどにおいてです.
例えば,日本人は日本人を褒めるニュースが本当に好きだなと感じます.少し前に,和食は芸術だという趣旨のテレビ番組をやっていました.世界に誇れる食の国,日本!!と言いたい雰囲気...伝統工芸や,機械工業などの科学技術,漢字と仮名,日本語という難解な言語を使いこなす日本人とか,毛筆や,人への気遣いという美しい日本文化,我慢強さや忍耐力,礼儀,エコロジーなどなど...まあ真偽はともかくとして,「日本はいい国だよ,凄い国だよ」というイメージを前面に押し出すテレビ番組や記事をけっこう見ます.しかも驚くべきことに,これらの情報は海外に発信しているのではないんです.私たち自身,つまり日本人向けなんですよ.そんなに自分たちを自分たちで褒めて何かいいことがあるんでしょうか.満足なんでしょうか...こういう感覚は前向きの正反対だと感じます.
最近もこんなニュースがありました.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000002-jct-bus_all「経営再建中の日本航空(JAL)が、思わぬ形で海外からの注目を集めている。米CNNがJALの西松遙社長兼CEOの「倹約ぶり」を取材、その様子が放送されて、反響を呼んでいる。レポートでは、西松社長が報酬をパイロット以下にカットしたことや、都営バスで通勤している様子が紹介され、「ユーチューブ」に転載された動画のコメント欄に「米国のCEOはJALを見習うべきだ」との声が相次いでいるのだ。」
米国ビッグスリーの首脳陣が自家用ジェットで議会に乗りつけたのは確かにやりすぎですね.その点,JALのCEOは社員と痛みを分かち合うことで,自らの経営責任を明確にしている.アメリカでこのJALのCEOが注目を集めたのはなぜだと思いますか?これは,アメリカ人自身がアメリカのよくない部分をちゃんと探して考えているからです.メディアがちゃんとそういう部分を探して,JALのトップに答えを見つけて発信したんです.アメリカには消費は豊かさの源であるという思想がありますから,私たちが思うよりも贅沢に罪悪感のようなものはないと思うんですよ.それでも,経営責任者たる者はJALのCEOを見習うべきだと,米国内に向けて発信し警鐘を鳴らしているわけです.
日本のメディアは,この海外からのニュースを輸入して,日本人向けに「やるじゃん,日本人」みたいな記事を書いている場合じゃないでしょう.CNNの記事と同様に,日本の駄目なところをちゃんと認識して,海外から何かを学ぼうとするような記事をもっと書いて欲しいものです.それこそが前向きであることだと思います.
余談ですが...さしあたって私は,日本の国会はなぜ議論にならないのかを徹底検証する,なんてのがいいですね.前にも書いたことですが,日本人は本当に議論,というか実りのある対話が下手だと思います( →
こちら).なんとか,この部分にメスを入れる記事とかテレビ番組をお願いしたいものです.アメリカやドイツ連邦議会の議事録なんてのは,きっと日本人にとって宝の山だと思います.前向きに考えるなら,ですけども...
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秋鮭のムニエル(和風)のレシピを書き残します.
ムニエルは,小麦粉を魚にまぶしてバターで魚を焼く調理法のこと.魚に火を通す際の基本技法のことです.料理名ではありません.よって味付けの方向性は自由度が高く,和風に仕立てることもできます.いつも洋の料理ばかりなので今回は和の方向で.
材料(二人分):
生鮭切り身・・・・・・・・・・二切れ
サラダ油・・・・・・・適量
日本酒・・・・・・・・適量
塩・・・・・・・・・・・・適量
大根・・・・・・・・・・適量
サラダ油・・・・・・・おおさじ1/2(やや多めの油で焼きます)
すだちポン酢・・・・適量
レシピ:
・まず秋鮭の下ごしらえです.鮭の表面の水分をキッチンペーパーで丁寧にふき取ります.
・塩と日本酒をさっと鮭の両面にふりかけてしばらく待ち(約10分),再び鮭の表面の水分を日本酒もろとも丁寧にふき取ります.これで鮭の臭みはほぼ消えます.
・再び鮭に塩をさっとひとふり.
・次にまんべんなく小麦粉をふりかけ,余分な小麦粉は鮭から落とします.
・フライパンにやや多めのサラダ油をしき,そこに鮭をおきます.
・片面に焼き色がついたらひっくり返し,ふたをして蒸し焼きにします.油もかなりはねるので蓋は必須です.
・火加減は鮭の厚みにもよりますが,弱火でじっくり焼くのがいいでしょう.もし焼き色があまりつかないようだったら,中火にします.
・火が通ったらできあがりです.
今回は,大根おろしに酢橘ポン酢でいただきました.秋鮭の美味しさを味わうシンプルな料理です.ちなみに,バターや白ワインを使い,香草やレモンなどとともに洋風に仕上げれば,海の向こうのいわゆるムニエルになります.
ちなみに,ポン酢は日本語ではありません.語源はオランダ語のポンス(pons)です.ポンスとは,柑橘類の絞り汁のこと.
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「日本に生まれて良かった」と思える感覚は日本独特です.問題が起こっても解決するのではなく,何でも受け入れて,納得し,幸せだと思いこめる能力に日本人は長け過ぎていると思います.このような思想は,考えて物事を解決しようとする進歩的な行動を抑制し,日本を停滞させてしまうことにつながっていると感じます.
「不況や政治の停滞、重大犯罪の多発など閉塞(へいそく)感が漂う中、国民の8割超が「日本が好き」「日本に生まれて良かった」と考えていることが17日、特定非営利活動法人(NPO法人)「広報駆け込み寺」(三隅説夫代表)のアンケート調査で分かった。調査は11月11、12の両日、インターネットを通じて20歳以上の男女を対象に実施。1030人から回答があった。「日本が好き」は84%、「日本に生まれて良かった」は86%を占めた。」
のだそうです.詳しくはこちら.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081217-00000101-jij-sociこのニュースは,というかこの調査は,何を意図しているのでしょうか.もしくは,この調査結果の数値から,私たちは日本の何がわかるというのでしょうか...84%を多いと感じるか,少ないと感じるかは人それぞれだし,84%の人が日本が好きだから何も問題ないなんて言えないでしょう.16%の人は,これだけ平和な日本であっても嫌いだと思っているわけで,そちらこそ,ちゃんと考えなければいけないかもしれませんね.
前置きはこのくらいにして,今日はこのアンケートの後者の質問のほうについて少し書きたいと思います.「日本に生まれてよかったと思いますか?」に対して,86%の人が「はい」と答えたんだと思いますが,この質問と答え,すっごく日本独特だと感じます.
「日本は好きですか?」という質問に答えるのは,自分の判断や意志や考えに基づいて答えると思います.本当に好きだと思うなら,「はい」と回答する.これは別に変じゃない.愛国心とか日本を誇りに思う感覚だって,極端でなければあってもいいものだと思うし,そう感じるなら,「日本が好きだ」と言ってもいっこうにいい.
一方の「日本に生まれてよかったと思いますか?」という質問は「日本が好きですか?」とは全く違います.この違いをよく意識しなくてはいけません.
人間は予め生まれる国を自分で選べないんだから.回答は,考えても出てくるわけじゃないでしょう,と私は思うのですが...アメリカに生まれていた自分なんて想像できますか?アマゾンのジャングルで自給自足の生活をしている自分を想像できますか?絶対に無理でしょう.今の自分がそこに行ってこれから住むのではないのですよ.生まれながらに,ずっとアメリカの空気を吸ってアメリカの価値観や考え方を肌で感じて成長していったとしたら,自分がどんな人間になっていたかなんて分からないでしょう.それなのに,他の国に生まれるより日本に生まれて良かった,などとどうして思えるでしょう.と私は真剣に思うのです.もしこの回答が「はい」「いいえ」「分からない」の三択なら,私は迷わず「分からない」を選ぶと思います.分かるわけがありません.分かるわけがないと感じるので,質問者の意図や意味合いさえ私には理解できません.
まあしかし,一般にこの質問に軽い気持ちで答える人は,決してこんなうざいこと考えないでしょうね.じゃあ,何をもって,この「日本に生まれてよかったと思いますか?」の質問に「はい」と答えているのか,という部分を考えてみます.
私はこの「はい」という感覚の裏側には,日本に生まれ,日本人である自分に対する,無条件の自己肯定(愛)があると思います.「今の自分は幸せだ.」とか「今の自分は充分に頑張っているよ」みたいな,自分で自分を持ち上げ励まし納得させる,自己愛のようなものにつながっている感覚.運命を受け入れていつも笑顔でいるために,余計なことは考えず,今この状況が一番のように考え,その先に進歩していこうとしない感覚.こういうものを感じます.おそらく,こういう思想が,この質問に対してはもちろんYesと答えさせるのではないだろうか.
私は,日本人がよく言う言葉で,すごう嫌いな表現があります.それは,下と勝手に判断した何かと比較して,自己を肯定しようという感覚です.「日本に生まれてよかった」は,これにもつながっている感じがします.たとえば前にもちょっと書きましたが,「世界には食べるものに困っている国もあるのよ,だから好き嫌いせずにちゃんと食べないさい」とか,そういう言葉です.もう涙が出そうなくらい悲しくなります.そして怖い.
全く持って「自己安住型」の考えです.問題が起こっても解決するのではなく,受け入れて,それでも幸せと思える能力に日本人は長けすぎていると感じます.もっと広い視野を持って,もっといろいろなことに疑問を持つべきだと思います.
日本に生まれてよかったという86%の数字を見ていると,日本はまだ当分国際社会から相手にされないんじゃないかと感じます.
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他人の所有物に,断りなしに勝手に粘着性のあるシールを貼るという行為は,使う側の人間を全く無視した思慮のない行為だと思う.
つい最近,愛用しているノートパソコンのハードディスクが故障したため,修理に出しました.最近はパソコン修理専門の会社がけっこうあります.ウェブサイトには丁寧に解説がなされており,信頼できそうだと感じたので,メーカーではなく,そのような修理専門の業者のひとつと連絡をとり,修理を依頼しました.で,修理は問題なく終了し,快適に動作するようになりまして,一安心です.
ところで,修理は問題なかったのですが,ぎょっとするものが修理されたパソコンにくっついてきました.それは...
修理業者のステッカー(シール)です!これが,パソコンのキーボードの下あたりに,ぴったりと貼られているではありませんか.Intel insideのステッカーよりも目立ってるし...汗 このシール,丁寧にも電話番号,ファックス番号,携帯用二次元バーコードまでデザインされているんです...まあ,もしまたトラブルになったときには便利かもしれないし,宣伝効果もあるんだろうし,剥がそうと思えば剥がせそうだし,まあ特に問題はないかと思い,そのまま貼っております...しかしですね.なんと言うかこう,人のものに勝手にシールをぴったり貼ってしまえる感覚というのは,自分には全くもって理解できかねます.修理してあげたんだから,これくらい貼らせろ,ってな感じなんでしょうか.
そういえば,現代日本はステッカー(シール)大国,それは常々感じてはいました.とにかく,シール好きな国民だと思います.
言わずもがなのプリクラ,キャラクターシールなんかを携帯電話にたくさん貼っているのはよく見ます.車にもいろんなステッカーがあるんですよね.オートバックスあたりに行くとたくさん売っていて,好きな人はけっこう貼っています.赤ちゃんが乗っています,というステッカーなんかもありますね.そういえば,車のダッシュボードや勉強机や,はたまた愛用している道具にもステッカーを貼っている人,見かけます.
家電を買ったら,新品にはいろんなシール,ついてませんか?それを剥がすのにまず一苦労.前に本屋で本にシールを貼られそうになった話を書きましたが( →
こちらの記事です),これもシールですね.袋に入れる場合はシールは必要ないのに,むき出しで持って帰るときには執拗にシールを貼ろうとする...それから,シールを集めて応募するという懸賞もよくありますね.
これ,日本人が本当にシール好きで,なおかつどんな種類のシールでも貼ったり貼られたりすることに特に抵抗がない,ということなのでしょうか.
私としては,自分のものに好きなシールを貼って楽しむのは個人の自由であり,まあ仕方ないのかなと思います.しかし,いったん人の所有物になったものに勝手に粘着性のある「シール」というものを貼ってしまえる感覚というのは,非常に問題だと思うのです.これは,愛着を持ってものを長く大切に使っている(使おうとしている)人に対して,思慮のない行為だと思いませんか?
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アルファ147には,プジョー206よりも親近感を感じる.なぜだろうと考えていたところ,日本とイタリアはけっこう似ている面を持った国であることがわかった.プジョーのキャラクターは難解であるのに対して,アルファのキャラクターは分かりやすいと感じるのは,そのせいだからだろうか.両者の違いは,まさにフランス料理とイタリア料理の違いのようにも私は感じる.
(
「フランス料理とフランス車」からの続きです.)
イタリア車というのは,日本人にとってはかなり異世界の車というイメージ,あるんじゃないでしょうか.あくまで相性という部分で.例えば,イタリア車は壊れやすいというのが現代でも通説でしょう.過去に比べればはるかに信頼度は上がっていますが,それでも日本車よりも壊れると信じられている.日本人はこういうトラブルが嫌いです.それからイタリア車というのは,高級なイメージが絶対にあります.フィアットという大衆車を除けば,出てくるのはフェラーリやらランボルギーニ,マセラティのような車たち.アルファロメオだって決して安い大衆車の位置づけではありません.日本の一般的風土に合わない感じの車ばかり.
ところが!
私はアルファ147から感じた感触...それは,プジョーよりもはるかに日本車に近いという感触だったのです.スイッチやボタンの配置とか,シフトフィールとか,メーターの形状とか.もちろん似てないこともたくさんなのですが,すごく日本車っぽい感じのする部分もある.これ,感じている自分が一番びっくり.まあ,プジョーに長く乗っていたせいもあるのでしょうけど...
↑147のメーター.日本人が普通に「かっこいい」と思えそうな雰囲気を持っている...とそう感じているときに思い出したのですが,実は日本とイタリアは似ている部分が多いのだそうです.一般にはまったく似てないだろうと思われがちですが...ピニンファリーナでフェラーリのデザインを行った奥山清行氏の著書「フェラーリと鉄瓶」の中にこの辺のことが詳細に書かれていますので,ちょっと紹介します.これを読んで,私はけっこう日本と似ているんだなぁ,と思いました.
*****
官僚政治の国:物事はトップで決まる.上で決まることはもう変えられないという感覚の国.トップダウンがすべてでボトムアップは皆無.実力主義ではありません.
あきらめの国:トップダウンがすべてであることから,あきらめるしかなくなるのでしょう.さらに,イタリアは階級社会の国で,血筋がすべてだといいます.だから社長なんかになれるのは,血筋で決まる.そしてそれを誰もおかしいと思っていなくて,むしろ高貴な家に対して憧れが今もあるのだそうです.日本も世襲的な場所は今もありますし,実力ではどうにもならないことばかりですし...
イタリア人はイタリア車にしか乗らない:イタリア人は,昔から付き合いのあるディーラーに行って,当たり前のようにフィアットを買う.それ以外の選択肢なんてないらしい.日本人もあたりまえにトヨタ以外の選択肢はないという家族,多いでしょう.
イタリア人はイタリア料理しか食べない:イタリア人は,イタリア料理しか食べないらしいです.実際,日本食や中華やフレンチレストランでさえ,イタリア国内にはあまりないらしく,みんな慣れ親しんだイタリアンを食べて毎日を過ごす.日本人も本当に日本食が好きですね.やっぱりご飯と味噌汁が一番,という話はよく聞きます.
イタリア男はマザコン:イタリア男はマザコンらしいです.結婚したい女性に求める条件は,と聞けば,「母親の味の料理を作れること」と,何はばかることなく答えが返ってくるらしい.日本にも「おふくろの味」という確固たる地位を持った言葉が存在しますよね.まあ,日本人男性も同様な感じのマザコンだと思います.
*****
私は,日本食とイタリアンも似ている面があると思っていました.最初に書いた「美味しい」の定義ですけど,私はイタリアンのほうに当てはまります.その要素は,美味しいの型があることと,素材勝負だという二点に集約されるかな.それほど創造的というわけではない.クリエイティブになると「美味しい」とはちょっと違ってくる.
さて,話をアルファロメオに戻しましょう.アルファ147にあるもの.それはこういう日本人感覚と似ている安心感なのかもと思います.たとえば,エンジンの音.この音に惚れ込んでアルファを購入した人はけっこういると思いますが,私はやはり最近安心を感じます.何に安心しているのかというと,「いい音だ!」と理解したことに誤解はないだろうという安心感です.これは例えばこういう意味でもあります.もし「アルファに負けない感動的な音を発するエンジンを作れ」とトップから指令が下ったら,たぶん日本の自動車メーカーなら何かし作れるんじゃないかってこと.指令の意味をちゃんと理解できるから.そして,いい音を作ることに集中すればいい.それは日本人の得意分野です.そんなことお金にならないから日本車メーカーは誰もやらないだけです.でも「プジョーのエンジニアを愕然とさせるくらい新しさを感じられる足回りを開発せよ」なら,日本車メーカーは少し困るでしょうね.何をどうすればいいか,きっかけさえ掴めないのじゃないだろうか.
ところで,こちらはアルファロメオのエンブレム.このエンブレムは複雑ですが,でもどういう由来か調べたらちゃんと分かりました.「創業地であるミラノ市の白地に赤い十字架とヴィスコンティ家の紋章であるサラセン人を呑み込む竜を組み合わせた紋章」だそうです.難しいけど,一応理解できる.アルファロメオはミラノの会社.その地の名門ヴィスコンティ家の家紋からとってるんだね,なるほどね,と.
一方,プジョー.
プジョーを象徴するこのライオンは,普仏戦争への抵抗を表現したフレデリク・バルトルディの彫刻「ベルフォールのライオン」に由来するようなんですが...しかし実際の彫刻はちゃんと座っています.でもプジョーのライオンは二歩足で立って,手を前に出し,口を開けて...という具合で,何か意味があるのでしょうがとにかくやっぱり難解なんです...
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