日本について考えるブログ




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言葉と文化は一体 :: 2009/02/28(Sat)

外国語の習得は,単語や文法を覚えようと思ってもうまくいかないのだろうと思います.言葉は,その国や民族の文化や思想と深い関係があるから,それを知ろうとすることも必要でしょう.日本語を流暢に話す外国の方は,例外なく日本人の考え方や文化をよく理解しておられると感じます.

先日,ギニア出身の人と飲む機会がありました.ちょっとしたきっかけで彼とは知り合ったのですが,研究関係以外の外国の方と話す機会は最近は減ったこともあり,とても楽しい時間を過ごしました.

彼は,もう日本語を完璧にマスターしていて,会話はすべて日本語だったのですが,それにしても改めて凄いことだな,と思います.彼は日本に来て確か7年になると言っていましたが,ギニアで日本語の教育を受けたわけではもちろんないわけで...スペイン語をほとんど知らない私がスペインにいきなり行って,7年住んだらスペイン語がぺらぺらになるか,正直なところ自信はありません.

彼と話していて,文化と言語は本当に一体なんだなぁ,と改めて感じました.日本語を完全にマスターするということは,それは日本的な習慣や考え方をマスターすることでもあるのでしょう.「あんまり気にしていても始まらないよね.」とか「僕だって同じだよ.」とか「いやいや,それは本当に悪いので割り勘にしましょうよ.」とか,すっごく日本人的なことを彼は,正しいタイミングで使ってくる.しかも無理してではなく,すごく自然に.

まあこれは彼に限らず,日本語を流暢に話す外国の方は皆そうだと感じます.

一方,自分に目を向けてみると,やはり思い当たることがあります.海外であちらの人とばかり毎日毎日英語でしゃべっていると,自分の性格が少し変わっていることに気づくことがあるのです.端的に言えば,中途半端な「遠慮」のようなものがなくなり,何事にも理由付けを行って自主的に行動し発言するようになる.そしてそれは英語という言葉ととても合っている気がします.

自動車デザイナーの奥山清行氏も自著の中で述べられていました.長期休暇で日本に帰国するとき,飛行機の中で自分の頬がゆるみ,日本人に戻っていくのを感じる,と.笑 ああ,そうなんだろうなあ,とすごく思いました.

英語をしゃべる時に性格が変わらなきゃいけないほど,日本が特殊環境であり,気持ちが内向きなのでしょう.そして,文化や思想と言語は一体のものであるなら,日本人がこれほど英語が苦手なのは,文法が違うからとか,発音が全く違うからというよりも,むしろこの文化思想の隔たりが主な要因であるかもしれません.であるなら,小学校から英語教育をやっても無駄であることは自明ですね.笑 小学校も高学年なら,みんなもう立派な日本人だ.

私の研究室のメンバーが家族で2年ほどドイツ・ミュンヘンに行っていたのですが,ドイツ語会話を習得することはやはり難しいようです.まあ,職場には外国人だらけで基本的に皆英語をしゃべるので,ドイツ語は上達しないというのもあると思います.しかし,一番下の小学校に上がる前の子供は,ドイツ語のテレビを見て楽しく笑えるし,何と言っても発音がすばらしくいいのだそうです.たった2年で!そして,食の好みにも変化が...肉が大好きになってしまって,「肉が欲しい,肉が欲しい」と言うのだそうですよ.周囲の環境を感じ取り,学び吸収する能力というのは,小さな子供ほどすごいものです.一方,上の子は小学生なのですが,ドイツ語は全く身につかなかったのだそうです.ひょっとしたら,ソーセージはもう見たくないと思っているかもしれません.笑

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隻手の音声 :: 2009/02/25(Wed)

白隠が修行者に対して出したと言われる公案.それについて思うこと.

「隻手に声あり,その声を聞け」
(両手を打ち鳴らすと音がする.じゃあ.片手ではどんな音がするか? 分かったら(悟りに達したら)報告しに来なさい)

公案とは,悟りを得ようと修行に励む修行者に対して与えられた課題であり,考えるうちに悟りへと自然と導かれる手引き.

禅における悟りは,究極的には自分とそれ以外との間の境界線を消しさること.つまり世界と自分が一体となる感覚を得ること.このとき,自我とそれに端を発する執着心から自己は解き放たれ,心に真の平和(静けさ)が訪れる.また,悟りは言葉に変換することが不可能でもある.言葉は何かを説明し主張し,単純化された情報を人と共有するためのもの.悟りが世界すべてと同化する体験であるなら,どんな言葉もそれをカバーすることはできない,ということ.言葉にした時点で,悟りは手ですくった水のように,すぐに指の間からこぼれ落ちていく.だから,禅は言葉で書かれた「経典」を持たない.

私にとって,悟りのイメージは,いかなる偏重も取り除かれた,とても軽やかな世界のイメージです.偏重の源はもちろん自我であるだろうと推測します.誰もがこのような悟りに達するなんてことは不可能だろうけど,「悟り」というような概念をもっと身近において暮らすことはできるのではないだろうか,などと思っています.そうしたら,社会の中にはもっと優しさがあふれ,円滑になるのではという気がするのです.

「隻手の音声」に答えはもちろんありません.言葉に変換できるものではないのですから.それぞれが,悟らなければいけません.

私はこう考えました.

****

人は,何かと何かを比較するという性質がある.例えば,蝶と蛾がいて,それらを見比べているうちに,蝶は美しい,蛾は気持ち悪いという感覚が生まれたりする.そうして,この両者に格付けを勝手に行い,一種の固定観念が形成されていく.あとは多くの場合,この固定観念の囚人となり,蛾を見れば顔をしかめ,蝶を見れば微笑むようになる.この単純化された状況はとても分かりやすい.私はこの場合に,蝶と蛾がふたつの手と考え,それが出会い,固定観念という音が出る,と考えた.この音ははっきりと聞こえるし分かりやすい.じゃあ,この世の中に蛾しかいなかったなら,どうだっただろうか,と考える.きっと私たちは似たものがいなければ容易に比較して優劣を付けないから,蛾は蛾でしかなかっただろう.固定観念が除かれれば,見えないことが見えてくるかもしれない.蛾にもいろんな模様の種がいるんだとか,派手なものもいれば地味なものもいるし,飛び方や姿形もいろいろ.つまり蛾とひとくくりに処理することはしなくなるかもしれない.しかし,むしろそれが「蛾」という命の本当の姿.固定観念という音声は出てこない代わりに,聞こえない音はたくさん「現れてくる」のではないか.何かを比較したりする行為は悟りからは最も離れた行為なのだろうが,それは人はついついやってしまうことである.

****

ちなみに白隠はこのように言っています.これは隻手の音声の内容ではなく,隻手の音声を聞くための「手引き」でしょうか...

「唯隻手を挙ぐる時は音もなく香もなし
是れ彼の孔夫子の所謂烝天の事といはんか
将又彼の山姥が云ひけん丁丁空しき谷の響は
無生音をきく便りと成るとは此等の大事にや
是れ全く耳を以てきくべきにあらず
思慮分別を交へず見聞覚知を離れて
単々に行住座臥の上に於て
透間もなく参究しもて行き侍れば
理尽き詞究まる処に於て
忽然として生死の業根を抜翻し
無明の窟宅を劈破し
無明の窟宅を劈破し
鳳金網を離れ
鶴籠を抛つ底の安堵を得」

簡単に説明すると...
「音は聞くことはできない.じゃあどうやって聞くことができるかというと,それは,耳を使って聞いてもいけないし,思慮分別を交えてもいけないし,感覚や知覚を離れて,それでもって,座っている時も歩いている時も,寝ている時もどんな時も,絶えず不断に心しておれば,理が尽き,言葉が窮まったところで,にわかに感じることができるものだ」

本当に感じることができるのか??少なくとも現在の私には無理そう...当たり前ですね.笑 (←こんなブログをやることが,悟りとは相容れないだろう,という意味です...)

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泣き止まないなら置いていくよ! :: 2009/02/21(Sat)

泣き止まない子供に対して親が言う「泣きやまないなら置いていくよ」という言葉は,「金を出さないなら殺すぞ」と同じ構文.つまりこれは,親が子供を従わせるために「脅迫」しているのであり,子供に対する人権侵害ではないのですか?

スーパーマーケットなどで,時より見かけるのですが.子供が駄々をこねていて,泣いている.そうすると苛々が頂点に達した母親が,「泣き止まないならおいていくよ」と言うのです.それでまた子供の泣く声の音量が一段とパワーアップ.それで,本当に置いていこうとするお母さんがいます.

そして最近,ついに本当に怒って子供を置いて一人で帰っていった母親を目撃してしまいました.まあ,本当に帰ったんじゃないと思うんだけど,しばらく母親は現れない.子供はもう何がなんだか分からなくて大泣き.それで,すぐ近くでお惣菜を売っていたおじさんが店から出てきて,子供に話しかけ,お母さんを呼んでもらおうと言って,多分迷子センターかどこかへ連れていきました.それで,しばらくした後に放送が流れました.

「迷子のお知らせをします.○○からお越しの○○ちゃんのお母さん.至急....」

・・・・・

本当にこの国は狂っているのか?とここまで思うのは自分だけなのでしょうか.でも本当にこういうのは私はありえないと思う.お惣菜屋さんの優しさを感じる対応だけが救いです...

私はよく聞く「泣き止まないなら置いていくよ」には本当に憤りをおぼえる.まず「置いていく」という言葉.子供はモノなのか?置いていくという言葉,そんな使わないでしょう.しかも真剣な意味で人に対して他に使いますか?私は子供に言っているこの言葉は冗談には聞こえない.たいてい親もすごい剣幕でいらいらしているんですから.

そう.真剣に置いていくぞ,と脅しているのです.「泣き止まないなら置いていくよ」は「金を出さないなら殺すよ」と全く同じ構文になっていること,誰も自覚してないんだろうな.つまり,これは脅迫ですよ.脅迫.こんなことを,小さな子供に向かって親が言って,そして泣かせているわけです.

どんな事情があろうと,こんなこと言っては決していけません.子供の人権はどこにやら.

しかし最後に全身の力が抜けてしまったのは,「迷子のお知らせをします」という放送.どこが迷子じゃ.子供は迷子になんかなっていない.「○○ちゃんのお母さん.○○ちゃんがお母さんを探しています.至急...」と放送しなければいけない.実際,そういう放送私は聞いたことありますよ.どうして迷子にさりげなくすりかえられるのでしょう.子供は全部見て聞いて,そしてこの日本社会のことをこうして知っていくんだろうな...涙

関連記事:練習という名の悪魔
      :飛行機が墜落する?
      :国立公園での出来事

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生ハムと菜の花のサラダ :: 2009/02/17(Tue)

生ハムと菜の花のサラダです.それと,セイコーマートのワインの宣伝.

特に工夫のないサラダですが,けっこう美味しかったので書き残すことにします.

 


菜の花の苦味と生ハムは合います.ドレッシングには,蜂蜜を入れてみました.優しいドレッシングで,これも適当に作った割にはグッド.一番難しいのは多分盛り付け.笑 これが私の苦手分野.

材料(量はご自由に):
・ベビーリーフ
・生ハム(春雪さぶーる)
・菜の花(香川産)
・トマト(熊本産)
ドレッシング(量は自由.今回は目分量だったので記録なし.)
・白ワインビネガー(ペルシュロン)
・EXバージンオリーブオイル(ボスコ)
・塩(イタリア産・ミニエラフィーノ)
・黒こしょう(ギャバン業務用)
・蜂蜜(ありふれた市販品)

レシピ:
・まずお湯を沸かし,菜の花を塩茹でします.
・菜の花はすぐに冷水で冷やし,よく絞り,適当な大きさに切ります.
・生ハムを適度な大きさにちぎります.
・ドレッシングを作ります.オリーブオイルにワインビネガーと塩を加え,エマルジョン状になるようよく混ぜます.そこに蜂蜜を加え,さらによく混ぜます.
・ベビーリーフと生ハム,菜の花を合わせ盛り付けます.トマトを添えます.
・そこにドレッシングをかけます.
・最後に黒こしょうを挽きながらかけます.

サラダって不思議なもので,真剣に作ると本当においしい.適当でも少し頭を使って作るとまあ美味しい.でも全く何も考えないと,本当に美味しくない.笑

今日の料理は,サラダのほかに,ジャガイモのニョッキ,ガーリックトースト.そしてセイコーマートという北海道のコンビニエンスストアで買ってきた500円ワイン.セイコーマートのワインは本当に美味しいので,ついつい買ってしまいます.もちろん値段を考慮すればの話ですが,それでもかなり美味しいと思う.でも時々コルクが乾燥しています.汗

http://www.seicomart.co.jp/company/wine.html

セイコーマートは自社でワインを輸入しており,担当者が産地まで直接出かけて品定めをしているらしい.なるほど,どおりで...

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ジェンダー問題の解決に向けて :: 2009/02/15(Sun)

ジェンダー,男女平等に関する諸問題を日本において解決の方向に向かわせるには,フェミニスト(どちらかというとフェミニスト側の人)と反フェミニスト(どちらかというと反フェミニスト側の人)が,互いに言葉を交わさなくてはいけないと思う.

私はこのブログで,ジェンダーというカテゴリーを作って,いろいろ書いています.どちらかというと,男女平等を主張する,フェミニストの立場に立って書いていると自認しています.

フェミニストの主張.それは,男女平等です.平等であることは,現代の民主主義国家としては当然内包されるべき理であり,人々は性に関わるいかなる差別も受けるべきではないでしょう.社会が作りだした性差(ジェンダー)に対して,それを無くすべきだと私も思います.現状日本では,生き方の自由度において男性有利だと感じるので,これを何とかしなくては女性のほうが不幸感を感じることが多いだろうと思います.ですから男女平等は正しい理だと思います.

ところが.私は日本一般のフェミニストの意見にだけ賛同しているわけではありません.フェミニストの中にはずいぶん過激で偏った見方もあるように思い,時に嫌悪感を感じることもあります.逆に,反フェミニストの方の考えであっても,共感できると感じること,あります.反フェミニストのよく主張する意見として「平等など幻想だ.男女に差はある.もっと男性や女性がそれぞれの性の特徴を生かして輝ける社会(役割分担がなされた社会)を作るべきだ」というようなものがありますが,なるほど的お得ているのではないかと思います.男女は全く違いがないなんてことは決してない.それは多分正しいだろう.だから,それぞれの性に合った役割があるのだと言われれば,それはあるとも思う.

私は何を考えているのかというと,「このふたつの対立しているかのように見える思想が同居する社会は可能なんじゃないか」と常々思っているわけです.

私が考える「男女平等」と「男女差」の言葉の意味と,なぜそれらが同居できるのかを説明したいと思います.

私は,男女平等の「平等」は数値のことを言っているわけではありません.人が感じる「安心感」や「幸福感」のようなもの,これが男女ともに同じくらいになるべきだと思っています.これが私の言う「男女平等」です.日本の法律は男女に差を作っていません.当然です.しかし,実際はあるはずの権利が女性であるばかりに虐げられている場合は多いでしょう.これが女性の「不安」や「不幸感」を生んでいると思うわけです.原因はこの社会にある社会常識であり,それを形成させてしまっているのは,私たち日本人の意識です.ですから,意識改革以外にこの問題を解決する手立てはありません.人々の自由意志というものに対し,日本人はそれが男性であれ女性であれ,敬意と尊重を持って,その人にエールを送ることができる,そんな思想が必要です.

一方,男女差の「差」の方はどうでしょう.これは作るものではなく,もしあるのなら「はじめからある」と私は思っています.だから平等な社会が実現しても,数値がフィフティ・フィフティになるわけではないだろうということです.男女「差」は平等な社会の中においても矛盾なく存在できると思います.欧州社会を見てみると,あちらは,性差に基づく差別は日本に比べたらかなり少ないけど,じゃあ専業主婦はほとんどいないのか?と聞かれたら,答えはNoです.でもこれは,日本のように社会常識のひとつとして女性に専業主婦を強制した結果ではないだろうと思うのです.専業主婦をやめて働こうと女性がするなら,再就職活動において男女差別を感じることはほとんどない素地を社会は持っていると感じます.適性があれば女性だってリーダーシップをとることもできるでしょう.そこに男だから女だからという記号的識別は日本よりはるかに少ないはずです.

私が言いたいのは,3点です.

1.フェミニストの中には,平等であることを,数値や記号に頼りすぎている人がいるように感じます.数値目標では何も生まれません.「男女」じゃなく「女男」という言い方を作るようなことはただの言葉遊びです.大切なことは中身,私たちの精神が男女で同じくらい安心を感じられるような社会にすべきなのであって,そういうことは,反フェミニスト的思想の中にもあるのだということを知るべきです.

2.反フェミニストは,自己の信じる「理想の社会」を万人に強いてはいけません.現在の男女平等思想の上に成り立つ法や社会制度の上において,性差に基づく何らかの強制を敷くことは,社会が根本的な矛盾を抱えたままで進んでいくことになるのだということを知らなければいけません.

3.フェミニストも反フェミニストも,自己の主張の拠り所が自己満足や自己防衛であってはいけません.そのような拠り所は両者を水と油のように分かちます.フェミニストと反フェミニストは,互いに歩み寄り握手を交わし,どうすれば多くの人が幸福で安心できる社会となるのかを真剣に話し合わなければいけません.それ以外にこの分断を決定的に取り除くことはできないと思うのです.

****

と言ってはみたものの,「歩み寄り」...これはしかし今の日本人の現状を見ていると難しいだろうなぁ.親子だって価値観がいったんずれたら会話さえ成立しなくなる燦燦たる状況だから...多くの日本人は鉄格子の檻を自らの周囲に設けて,「私はここが好きだ.ここからは一歩も動かないぞ!」と言っているように私には思える.だからたまに自由に動き回れる人がいても,檻の外に誰をも連れ出すことができない...

突然ですが,禅が言うところの「悟り」が必要だと思います.頓悟でなく漸悟で.小さな悟りの積み重ねです.ただ,悟りというのは言葉にすると泡のごとく消えてしまう.難しいものです.

江戸時代の有名な禅僧,白隠が,修行者に対して言った有名な公案なのですが,ご存知でしょうか...

「隻手に声あり,その声を聞け」

(意味:両手を打ち鳴らすと音がする.では片手ではどんな音がするか,分かったら(悟りに達したら)報告しに来なさい)

「隻手の音声」へつづく

関連記事:自分の世界から出ようとしない
      :議論にならないのはなぜ?
      :結果主義と過程主義

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子供が欲しくないと思うことはおかしなこと? :: 2009/02/12(Thu)

個人が子供が欲しいとか欲しくないと思うことは自由です。現代では、子供を産みたくないと思ったとしても、それはおかしなこと(正しくないこと、道義に反すること、異常なこと)ではありません。

子供は欲しくない、子供は産みたくない、と思っている女性は現代にはいます。でもそのようなことはあまり誰にでも打ち明けられることではありません。「女性は当然子供が欲しいと思うもの、当然お母さんになりたいと思っているもの。それこそが女性の幸福だ」という常識が日本社会にあると感じているからでしょう。ですから、そういう人は社会との間に間違いなく齟齬を感じています。男性の中にも子供は欲しくないと思っている人はいると思いますが、男性の場合は社会との間にそれほど大きな軋轢は生じにくいのではと思います。

私は、子供が欲しくないと女性が思っても、何ひとつ変なことだとは思いません。漠然とした理由であっても私はその理由は理解できるし、全くそうだなとむしろ共感してしまうことも多いです。

例えば、

これからの未来に大きな不安があって、そういう未来を生きていくことになる我が子を思えば、とても不安で子供を産みたいと思えない、という理由。。。

実感として幸福というものを全く生きていて感じられないから、子供を産みたいなんて到底思えないえないという感覚。。。

いい会社に就職することができ、仕事も人間関係も充実していて、社会に自分の能力が貢献できているから、結婚して子供を産むことよりも仕事を通して世の中の役に立つほうが自分に合っていると思う、という理由。。。

子供を産んでいったん仕事を離れると、もう二度と社会復帰できないんじゃないかという不安。。。

子供を産むことに何の意味も見出せない、という理由。。。

子供が欲しいと本気で思えるような信頼できる男性にめぐり合えないから、子供が欲しいなんて全く考えられない、という理由。。。

自分のことで手一杯なのに子育てなんて無理、という理由。。。


これら全て,おかしなことではないと私は思います.

多くの人は、子供を産むこと、子供が欲しいと思うことは当然だと思っています。簡単な言葉で言うなら「そういうものだ」と思っているのでしょう。だから結婚したら子供が生まれるのは当然だと考えて、「子供は何人が理想?」「お子さんはまだなの?」なんて質問が普通に飛び出してきます。

「そういうもの」というのはどういうことでしょうか。これにはふたつの意味が存在すると思います。

一つ目の意味。それは生物としての「本能」。人間は生物であり、子孫を残そうとする、これは生物として当然です。これを本能と言うなら、確かに本能と言えます。本能には逆らえないので、「そういうものだ」「自然なことだ」と思いやすいのです。

しかし,「本能」とはこういうものだと定義したり説明したりする行為は、私は何か危ういものを感じます。

私たちに本能はそりゃあります。食べなきゃ生きられないので、食欲はとても根源的な本能です。睡眠もそうでしょう。いろいろと複雑なことを考える人間ではありますが、自己の生命維持にかかわる部分には人間も大きな本能依存の性質を持っています。

一方、私たちの行動が全て「本能」という言葉で説明できるなんて幻想を抱いてはいけません。食や睡眠のような緊急の問題から離れていくと、いわゆる「社会性」と呼ばれるものの中に本能は融合して存在していると感じます。私たちはだから性欲のままに行動したりはしません。男女が惹かれあうのは、最初から互いの子供が欲しいからという理由であるわけではありません。危険だと分かっていても、誰か取り残されていないか心配で火事の中に飛び込もうとする人はいるでしょう。

緊急性のない「子供が欲しい」という気持ちも、決して「本能」のような言葉で説明できるほど単純なものではないはずです。いや、子孫を残すという本能は、けっこう多様性を持っているものだろうと思います。他の生物を観察してみると、生物は常に増殖するだけではなく、巧みに数(population)を減らす仕組みを持った種もたくさんいるものです。そういうことも生きていくには必要なことだったりするからです。

もう一つの「そういうものだ」の意味。それは日本古来からの自然信仰と関係すると思います。つまり子供が生まれることは、私たちの知性でコントロールするようなものでなく、自然の一部だと実感していたわけです。「じねん」(あるがまま)ということで、それは霊的であり美しいもの。だから過去において子供は産むものではなく,授かるものでした。

ところが私たちはもはや神霊とともに生きているわけではありません。実感できる状況にありませんから、せいぜいこの手の信仰は知識として持っている程度と言わざるをえません。すなわち「授かる」という言い方はただの知識です。実際はもはや子供は授かるのではなく、作っています。子供を「作る」のであれば、それは目的が必要だったり、条件が整っていなくてはいけないし、子供がいる生活に期待や明るさを見いだせなくてはいけない。それはもちろん、生まれてくる子供のことを思えばこそ、でしょう。そして何か問題が生じそうであれば、懸念があるならば、リスクを回避するために子供は作らないでおこう、というアイデアは当然のように訪れうるものだと思います。

私は「子供が欲しい」人が正しくて、「子供が欲しくない」人はおかしい(もしくは可哀相な人だ)というような考え方は、現代においては非常に偏った見方であり、極めて倫理観に欠けると思います。

※追記:2009年12月にこのようなニュースが出ています
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091205-00000078-jij-soci

関連記事:見落とされる倫理観
    :霊的世界(1)

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モンドセレクション :: 2009/02/09(Mon)

ベルギー・モンドセレクションに注目しています.

自分で創意工夫の末に作った料理は,もちろん成功すればすごく美味しく,このブログでもレシピをときより書き残していますが,今回はスーパーマーケットなどで普通に買うことができる,いわゆる日本の食品メーカーが作った工業製品の中で,「これはなかなかいけてる!」と思ったものを紹介します.

・ハウス・プライムジャワカレー・辛口(カロリーオフシリーズ)
http://vmt.jp/prime/main.html

日本で売られているカレールーというのは,とにかく油っこくて,決して美味しいとは思えないのですが,このカレールーはpretty good! カロリーオフをうたった商品ですが,こちらを標準の商品にして,一般的なカレールーのほうを「カロリープラスシリーズ」に改名したほうがいいんじゃない.笑 というくらい,とても真面目なカレーだと思います.体にもやさしいだろうし,確実に風味もこちらが勝っていると感じます.しかし,子供はちょっと物足りないと感じるのかなぁ...ちなみに,私の感覚では,このカレーは作りたてが美味しいと感じます.普通のルーカレーは味がなじんできた翌日以降のほうが美味しく感じるのでこれと逆の現象.つまり,作り立てが美味しい東南アジアやインドの本場のカレーと同じだということ.カレーはスパイスを味わう料理であり,煮込み料理ではありません.時間が経てば香りは飛んで行き,美味しくなくなる.このプライムジャワカレーはそういう意味でも,本物のカレーのほうに少し近いと感じます.あと,油分が少ないので後片付けがとても快適です.台所用洗剤も少なくて済みます.

・明治乳業・十勝カマンベールチーズ
http://www.meinyu.jp/product/cheese_butter/tokachi_camembert/

これは最初食べたとき,正直に言いまして衝撃を受けました.本当に美味しいと私は思います.何度買っても風味は安定しており,値段が倍だったとしても買ってしまうかも.このカマンベールチーズと一緒に食べると,いまいちのフランスパンもすごく美味しく感じます.いかようなワインにも合うと思います.国産の大量生産される工業食品にありがちな薄っぺらさは全くなく,とても真面目で正統派のカマンベールチーズですね.ちなみに,美味しく食べるためのコツですが,食べる10分前には冷蔵庫から出します.ちょっと温まってやわらかくなったほうが圧倒的に美味しいです.

ところでこの二つの商品には,全く偶然にも,日本人の大好きな「マーク」が付いています.つまり,とある賞を受賞した商品であるといいうことを示すロゴマーク(受賞を示すラベル)が印刷されているのです.その名は「モンドセレクション」.

モンドセレクション(Monde Selection)とは,ベルギーの民間団体が行っている食品分野を中心とした製品の技術的水準を審査する組織で,絶対評価の点数合計によって,特別金賞,金賞,銀賞,銅賞があります.(審査方法の詳細は非公開のようです.)また3年連続金賞以上で,国際優秀品質賞という称号が与えられます.今回紹介したプライムジャワカレー辛口は金賞を,明治十勝カマンベールチーズは最高金賞を2008年に受賞しています.

これ,企業がお金を払って審査を希望するという形で行われているようで(モンドセレクションが勝手に審査しているのではない),近年日本では,サントリープレミアムモルツが3年連続金賞受賞し,広く認知されました.そのせいで,日本からの審査希望がすごく多くなってしまい,今では応募される全商品の5割が日本からの出品だそうです.汗 やっぱり日本人は水戸黄門の印籠が好きなんだなぁ.モンドセレクション受賞マークをパッケージに誇らしげに貼ることは,消費者行動に影響を及ぼすのでしょうね.

まあしかし,かなり美味しいと思った食品が偶然にもどちらもモンドセレクション受賞商品だったわけで,私の味覚とモンドセレクションは相性が合っているのかもしれません.モンドセレクションの受賞マークを見たらまた買ってしまう気がします.

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