日本について考えるブログ




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化粧直し :: 2009/07/28(Tue)

人は孤独を知らずに生まれてきて,
あるとき孤独を知るのかもしれない.

好きな人と一緒にいてそして孤独を知る,
なんて,切ない.

自分の思いばかりを伝えたがる頑固者,
伝えずとも分かってもらえると信じ込む甘えん坊,
自分を等閑に相手のことばかりを思う奉公者.
そういう人々は多いかもしれない.
だが一方通行というのは孤独なもの.
自由な流れがあってこそ孤独は薄まるだろう.

人と人が出会い,親密な仲になってもなお,
この国には一方通行がいつもそばにあると感じる.
一方通行だった思い出は,すぐに霞んでしまう.


  貴方が去ったあとのこの部屋 
  白く濁っていく
  過去は遥かな霧の様で

  私のもう二度とは示せない強さ
  霞んでいく
  今朝の別れが雨なら良い

  貴方に逢って孤独を知った
  だけど失った今私は初めて
  本当のひとり

      「化粧直し」より(詞:椎名林檎)


****

この曲は,東京事変のセカンドアルバム「大人(Adult)」の3曲目に収録されている曲です.
このアルバムの1から3曲目までの流れは速い!
「秘密」で誘われ,「喧嘩上等」でブチ切れられ,「化粧直し」で別れの宣告となります.
(ただし,これは男性視点.笑  歌はもちろん女性視点です.)
切ない.でもまあ,ある話だと思う.
日本男児は時より経験するんじゃないだろうか.

林檎さんは雑誌かラジオかのインタビューで,
このアルバムの曲たちは女性なら誰でも経験するような内容です,
というようなことを語られていたそうですが,
...だとすると,
このアルバムの中に暖かで満たされた曲がないのはちょっと寂しいのです.

さて,長谷川きよしさんのパフォーマンスで「化粧直し」を.



化粧直しは,林檎さんとのデュエットがあるのですが,
You tubeにはアップロードされていませんでした.
DVD「第一回林檎班大会の模様」で見ることできます.
長谷川きよしさんと椎名林檎さんが競演することがあるなんて思ってもいなかったのでびっくり.

私は長谷川きよしさんの「別れのサンバ」が好きです.
こんなに切ないのに元気がもらえる.
何の飾りもないありのままの言葉というのはこんなに美しいものかと思う.
と同時に,自分を省みさせてくれる歌でもあります.

こちらは「第一回林檎班大会の模様」より...




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  1. りんごさんのことば
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マッシュポテト :: 2009/07/25(Sat)

マッシュポテトのレシピと愚痴.

マッシュポテトは英語でmash potatoじゃなくてmashed potatoが正解.だから,日本語は「マッシュトポテト」と言うべき...なのですが,なぜか日本語ではマッシュポテトになっています.

さて,欧米ではどんな料理にも,概ねポテトが付け合せとして出てきます.フライドポテトやマッシュトポテトです.ジャガイモにひと手間加えて美味しくなる料理たちです.日本ではマッシュポテトよりもポテトサラダのほうが有名でしょうか.しかし私は日本で一般的に作られているポテトサラダはあまり美味しいと思いません.あの,玉葱やきゅうりや人参や,そしてマヨネーズをごちゃ混ぜにしたポテトサラダは,「じゃがいもらしさ」が生かされているようには思えないのです.一方,マッシュポテトはジャガイモらしさが生きています.

材料:
ジャガイモ(男爵など崩れやすいもののほうが楽)・・・・4個
牛乳・・・・・適量
バター・・・・適量
塩・・・・・・適量
胡椒・・・・・無くてもいい

レシピ:
・ジャガイモを皮ごと茹でる.約10分ほど.
・皮をむく.火傷に注意!
・熱いうちにつぶす.マッシャーを使ってもよし.ハンドミキサーでもよし.麺棒などでがんばってつぶしてもOK.いずれも裏ごしすることできめが細かくなり,食感がよくなります.
・なめらかになったジャガイモを鍋に入れ,弱火にかけます.
・牛乳を少しずつ加え,ジャガイモをのばしていきます.バターも好みで適量加えます.
・塩をふり,味を調えます.

巷では,生クリームを加えたり,ニンニクやベーコンなどを加えたりするレシピもありますが,私はこのシンプルなのが好きです.マッシュポテトはやはりじゃがいもの料理なので,じゃがいもが生き生きと感じられる状態がいいと思います.



今回はお肉を焼いてみました.タスマニアビーフの赤身です.人参とキノコはオリーブオイルで素焼きです.(なぜだか人参を手前に置いてしまった...)

****

海外暮らしが長かった私の知人はポテト恐怖症です.というのも,あちらの料理にはたいてい付け合せにじゃがいもがついてくるからです.まあ,フライドポテトやマッシュポテトです.そして結論は「やっぱり日本人は米と味噌汁が一番よねぇ」となるのですが,米と味噌汁ってそんなに美味しいものでしょうか...

ご飯と味噌汁がない暮らしなんてありえない!という日本人は多いかもしれませんし,私も米と味噌汁は大好きです.しかし,別に食べなくったって平気ですし,米と味噌汁よりも美味しいと思う食べ物,世界中にあると思います.むしろ現在の日本を考えるに,電子レンジでチンするご飯とか,顆粒の出汁やインスタント味噌汁が溢れていたり,自分でご飯炊いたことも味噌汁作ったこともない人は大勢いるくせに,それでもなお,ご飯と味噌汁は日本の宝だ,なんて言っている日本人の感覚のほうが不安です.それはただの固執気質か依存症なだけでしょう.そもそも最初からポテトの味を理解しようと思いもしていないのではないでしょうか.

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テーマ:簡単レシピ - ジャンル:グルメ

  1. 食/ワイン
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政治は自分たち自身のこと :: 2009/07/20(Mon)

日本人の多くは政治に興味がある人も全くない人も,政治は他人事だと思っている気がします.自分は当事者ではないという意識です.この意識が国民の大部分にある以上,きっと政治は何も変わりません.私は,この国の政治は国民自身を映した鏡だと感じることがあります.

現在,政治になんて興味ない,という人は多いと思います.しかし,今の日本の政治が順調で,何の問題もないなんて思っている人はあまりいないでしょう.世界の国々と対等に対話する能力があり,国の幸福というものを真摯に考え,多くのアイデアを持ち,実行力がある政治家,なんて誰も思いつかないものです.そしてそういう若い政治家が現れて,リーダーシップを発揮してくれそうな気配もない.というか,そういう人材を育む土壌もなければ,そういう人が政界に入りにくいシステムがあるからだろうと思います.

だから,まあ,「選挙に行っても,結局何も変わらないよね...」となります.これは,当然私もそうだろうなぁ,とは感じます.

でも,なぜ「結局何も変わらない」として結論づけてしまえるのでしょうか.何も変わらないのは,私たちのせいではないのか?だって,民主政治とは私たちが主役になりうる政治.私は,いつも政治が他人事であるかのような日本人の感覚が奇妙に感じます.

このような記事がありました.

http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/politics/newsengw-20090715-01.html

こちらは,ついに日本で政権交代があるかもしれない,という内容を扱った各国の記事を集めて概観したニュースです.と同時に,英語の勉強もできてしまいます.日本を凄いと自分たちで持ち上げるニュースが多いこの国では,もっとこういうニュースというか記事があってもいいと思います.いい記事です.

さて,この中に紹介されている記事の中に,ドキッとさせられる素敵なタイトルを見つけました.

"Japan is dared to defeat the LDP"
「日本人は自民党に挫折を味わわせるだけの覚悟はあるのか」

http://www.ft.com/cms/s/0/1373799c-6fdc-11de-b835-00144feabdc0.html

英・フィナンシャルタイム誌の記事のタイトルです.これには日本語訳がありますので,英語が苦手な方はこちらから.

http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20090714-01.html

ただし,今回は内容じゃなく,このタイトルです.日本という国をよく分かっているというか,すべて見破られているというか,何かぐさっとえぐられるような力強いタイトルです.

どうでしょうか.「日本人は自民党に挫折を味わわせるだけの覚悟はあるのか」なんて言われても多くの日本人はピンとこないんじゃないでしょうか.覚悟って言われても...ねぇ...って感じで...

ピンとこない理由は,やはり日本人は投票には行けども政治は他人事という意識があるからではないかと思います.私たちは,私たちが投票することで自民党を与党の座から引きずりおろすことができるし,そしていよいよ,次の選挙で本当にそうなる可能性はありそう.しかしです.もしそうなったとしても,私たち国民は「私たちが今回は民主党を選んだ」じゃなくて,「自民党が負けて,民主党が勝った」という感覚のほうが強いと思う.私たち国民に当事者意識がないからです.主体的に政治に関わっている感覚がないことを,改めてこの記事のタイトルは気付かせてくれます.この英語のタイトルはまさに民主主義の国の言葉だと痛感します.

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206・夏タイヤ交換 :: 2009/07/18(Sat)

我が家のプジョー206の初期装着タイヤ(コンチネンタル・プレミアムコンタクト)が寿命を迎えたため,ミシュラン・エナジーセイバーに交換しました.さようなら,コンチ.5年間ありがとう.

プジョー206が我が家にやってきて約5年.新車時から装着されていたタイヤの磨耗と硬化が顕著になってきたため交換しました.206の初期装着タイヤは,ドイツ・Continental(コンチネンタル)社製のPremium Contact(プレミアムコンタクト).サイズは195/55R-15です.まずはこのタイヤを5年履いた感想から.



プレミアムコンタクトは,1600 ccのプジョー206初期装着タイヤとしては主要なタイヤのようですが,とにかく騒々しいタイヤでした.つまり走行ノイズが本当に大きいということで,室内でラジオやCDを聞こうと思っても,動き出すとロードノイズが勝ってしまうほど.しかしこれは,タイヤが悪いわけではなく,日本のアスファルトとの相性,およびプジョー206の遮音性がかなり低いことに起因しているのだろうと思うので,このことでタイヤを責めることはできません.そもそも静寂性能を謳ったタイヤではないので.

騒々しさを除けば,本当に満足できるいいタイヤだったと思います.さすがにドイツのタイヤだけに直進安定性は抜群で,それは速度が増せば増すほどに顕著に感じられます.またコーナリング時の振る舞いも非常に自然で,エッジではなく,タイヤの「面」で路面とたっぷり接地(コンタクト)する感触が印象的でした.しかしコンチネンタルタイヤを履いて何よりも感動したのは,その制動性能の素晴らしさでしょうか.かなりスピードが出ている状態からのブレーキングでは,圧倒的なパフォーマンスを示します.路面に吸い付けられるようにあっという間に速度が落ちていくのです.これは私にとって常に「期待以上」の振る舞いであり,206に深い安心感を与えました.実際,コンチネンタルタイヤ社のウェブサイトでは,猫の肉球を研究して得られた「キャッツポー・プロファイル」が紹介されています.猫の肉球は,猫が着地やダッシュするときに大きく広がって地面と接触する,という事実をタイヤ開発に応用しています.つまりブレーキ時にはタイヤの接地面積が大きく広がり,ブレーキ時にだけタイヤのサイズがアップするというイメージです.ブレーキ性能の素晴らしさはまさにこの技術を体感していたのかもしれません.猫足プジョーに肉球タイヤだったわけですから,素晴らしくないわけがありません.^^

ただ,プレミアムコンタクトは206XSにとってはやや重すぎるのか,というのも常に感じていました.よく転がるタイヤでしたが,転がり抵抗が低いというよりは,重量からくる慣性のほうが効いているのかという印象です.おそらく車の重量と成り立ちに照らせば,ややオーバースペックなタイヤだったのだろうとも思います.ちょっと重厚すぎるのかと...そこで,今回タイヤを新調するにあたり,タイヤ選びのコンセプトは重厚ならぬ「軽厚」ということにしました(こんな言葉は日本語にはありませんが...).206は安直に軽快さを演出するような車では決してありません.それは5年間の付き合いでよく分かりました.そこでイメージとしては,206が持つ独特の重たさ,粘着感を損なわない範囲で,軽快感をプラスしてくれるようなタイヤを選びたい,と,そういう感じです.といっても,確かめることなど不可能なので,妄想してタイヤ選びを楽しむ,ただそれだけなのですが...笑 そして,いくつかの候補の中から最終的に購入を決めたタイヤは,Michelin社のEnergy Saver(ミシュラン・エナジーセイバー)というタイヤです.

エナジーセイバーは,前モデル・エナジー3の後継に位置するモデルで,昨年から日本にも輸入が開始されています.タイヤの位置づけは「省燃費性と安全性を両立した次世代スタンダード」.タイヤの転がり抵抗が低いこと,タイヤの寿命が長いこと,そして重量が軽いこと,などの環境性能に加え,充分なドライ・ウェットグリップと排水性を確保した,ミシュランの次世代ベーシックタイヤです.

ちょっと走った程度なので,まだ何か語れるほどには何も分かりません.タイヤが新しくなったこと,軽くなったこと,これはもちろん感じます.当然ながらとても快適になりましたが,このタイヤの性能の奥深さはこれからゆっくりと体感していきたいと思います.ちなみに,Made in Spainと刻印されていました.

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  1. プジョー206
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ルールについて考える :: 2009/07/12(Sun)

日本で鉄道に乗る際には,切符を買わなくては改札を通って列車に乗ることはできません.一方,海外には改札のない鉄道やトラムはたくさんあり,切符を買わずに乗車できてしまいますが,切符は買わなくてはいけません.

日本人に「ルールって何だと思いますか?」と聞いたら,「守らなければいけない決まりです」という答えが返ってきそうな気がします.なぜ守らなければいけないのか,そこまで考え理由を確認し,ちゃんと自分なりに納得している人,少ない気がします.ですから,場合によってルールは,「守りさえすればいいもの」ということにもなってしまいます.

日本におけるルールの意味合いを考えるために,鉄道の切符について考えてみようと思います.これは日本の価値観の縮図だと思うのです.

日本では鉄道に乗るとき,必ず切符を買って乗ります.なぜなら,基本的に切符を持たずに改札を通過することはできないからです.これは日本において鉄道に乗ろうとする人に課せられた一種の決め事です.

ところが,どんな切符を買えばいいのでしょうか.実はそれに関しては明確な決め事はないと言えます.例えば乗車券だけ買って,特急に乗り込み,車内で特急券を買うことは許されます.指定券を買わずに指定席に座って,車内で指定券を買っても大丈夫でしょう.改札口にはたいてい精算機がありますから,乗車しようと思っている区間を越えて乗り続けても,後で修正できる仕組みです.極論するなら,入場券を買って列車に乗ることも可能です.降りるときに精算はできます.警察に突き出されることはありません.なぜなら精算しなくては「出られない」から.でも,無人駅で降りれば,それで終わりという場合もあるかもしれませんが.

私は面白い体験をしたことがあります.確か大学1年の時,富良野から札幌に帰ってくるときの話です.そのとき青春18きっぷとかいう普通列車のみいくらでも乗り放題の切符を買って,仲のいい友人たちと富良野でキャンプをしたのですが,私はバイトがあったため,最終日は早く帰らなくてはいけませんでした.そして帰路,富良野から旭川までは普通列車に乗り,旭川から札幌までは特急列車に乗ったのです.もちろん特急券などは車内で買う予定でした.ところが,車内は人も少なく,エアコンが効いていて涼しいし,疲れも出て,私は思わず眠ってしまいました.そして気付いたときにはもう札幌...あれれ,切符買えなかったぞ!?車掌さん起こしてくれなかったのか!?それとも来なかったのか...よく分からないのですが,とにかく札幌についてしまいました.さぁ,どうしよう...というのも,青春18きっぷを持っているので改札を通過して外に出ることはできるのです.普通列車に乗ってきたことにできちゃうわけですね.私が特急に乗ったといういかなる証拠もありません.ですが私は気が引けて,改札を出るときに精算しようと思いました.ところが,近距離切符の精算はできるのですが,特急券などは精算機では買えないんです.精算機にはそういう機能はなかった.だから駅員に事情を話して払おうと思いました.ところが駅員が今度は要領をえない.事情を話したらもちろん了解してはもらったのですが,駅員が非常に恐縮しているわけです.何か一般的でないことをしているのは自分のような感じでした.(まあ,確かにそうなのですが...)

あとで友人に話したら,お前はバカか,と言われました.笑 それは向こうのミスなんだから,普通に改札出ればよかったんじゃないの?と.みんな「そうだそうだ」という感じでして,「ああ,なるほど,日本の常識としてはそれでよかったのか」と思った次第です.もちろんいいことじゃないのですけど.

つまり,日本の鉄道は,改札に入る時と出る時に,違反ではない切符を所持して通過することができれば,改札の内側でしかるべき切符を持っていなくても問題は起こりにくいということです.切符なしで特急に乗ろうと指定席に座ろうと,問題はまあ起こりません.車掌がもしチェックに来なかったら,そのときは一部無賃乗車が成功する可能性もあります.また,短い区間の切符を買って,出る時は定期券なんてことも不可能ではなかったはず.しかも,このようなことは犯罪としても成立せず,万が一見つかっても,その場で「いやぁ,急に予定を変更したもんで...今切符買います」と言ってしかるべき切符を買えば問題ないわけで,所持金さえあれば,リスクは無いも同然なわけです.

さて,海外の鉄道やトラム,多くの場所で「改札」という概念は実はありません.これ,個人旅行などで海外によく行く人は常識でしょうけど,一般的には日本人はあまり知らないように思います.例えば欧州で鉄道に乗ろうとすれば,改札がないので切符を持たずにホームに行けてしまい,そのまま乗ってしまえます.もちろんそれは違反なので,しかるべき切符を買って乗りますが,短距離の場合は切符のチェックは必ずしもありませんから,目的地についても切符は買ったときと同じ状態で手元に残ったりします.トラムのような乗り物もそう.ホームに券売機が置かれていて買って乗る.車内に刻印する機械がある場合もありますが,ない場合もあります.そして誰もチェックに来ないので,そのまま目的地で降りるだけ.切符は手元に残ります.改札されるのが当然の文化の日本人の感覚では,どうもすっきりしないものです.

しかし,気をつけなければいけないのは,あちらには日本にはない確固たる「ルール」があります.それは,乗り物に乗っている場合,その区間や席種に相当する切符を「必ず持っていなくてはいけない」ということです.ですから,もし乗務員が切符をチェックにきたとき,「切符買わずに乗っちゃったので,今買います!」なんてことは許されません(許されないことが多いです).それどころか,乗車券不所持で多額の罰金がその場で課せられ,その場で払えない場合は警察に連れて行かれることさえあります.

まとめるとこうなります.日本の場合,「切符を持っていなくては絶対に乗ることができない」ようになっています.そこは破られないように改札によって管理されています.逆に言えば「とにかく切符さえ持っていれば中に入れる」のです.改札の中に入ってしまえば,もう縛りはありません.鉄道に乗り,区間や席種を変えたって怒られません.これは,日本的なルールの形だと思っているのですが,まあこれはルールと言うよりシステム(方法・形式)だと思います.

一方,諸外国の改札を持たない鉄道の場合,「切符を持っていなくても乗車は可能だが,切符を持って乗らなくてはいけない」のです.だから切符は強制的なイメージではなく,自主的にちゃんと納得のうえで買うイメージです.交通のサービスを受けるのだから,それに対してお金を払うことを納得して,たった1ドルであっても,切符のチェックなんか滅多に来ないことが分かりきっていても,自主的にわざわざ切符を買うわけです.

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草薮に紛れるヤンマ :: 2009/07/09(Thu)

アオヤンマは珍しいトンボです.しかも大型のトンボとは思えない色彩.全身が緑色でそこに黒いラインが入ります.実はこの色彩は草薮に溶けます.

初夏のこの時期,私はあるトンボに会いたくなります.その名はアオヤンマです.

アオヤンマはここ石狩がほぼ北限で,札幌ではほとんど見ることができません.札幌から最も近い,確実に出会える住みかは勇払原野.つまり苫小牧近傍です.今年は4年ぶりの再会を果たしました.

アオヤンマは,際立つ個性の持ち主です.まずは何を隠そう,この色彩.



全身エメラルドグリーン(ちょっと言いすぎか!?)に黒いラインでコーディネート.このような大型のトンボには他に例がないのではないでしょうか.だから,この色には何か意義があるのかと思ってしまうわけですね.

実はアオヤンマは,他のヤンマのようにあまり優雅に池や川の上を飛びません.池に生える葦やガマの間を縫うように,がさごそと飛びます.そして,草の間に身を入れてよく止まります.何時間も青空の下を飛び続けるようなことはありません.どーも臆病で神経質な感じ.

そして.草に止まってしまうと,草に同化してその姿は消えます.



年老いても,茂みの中が大好きです.このように草の上にどんと身を任せます.(この写真,やらせではもちろんありません.笑)

すなわちこれは「擬態」だろうと思わざるをえません.しかし本当に擬態かなぁ...昆虫は周囲の風景に自分の体を似せて,敵から身を守ります.特にバッタや蛾などでよく擬態を見ますが,このような大型の肉食のトンボで擬態する意味はあるのか,これは果たして謎です.謎ですが,この体色はまさに草に紛れるには好都合だろうと思います.

アオヤンマはその行動だけを観察していると臆病に見えるのですが,実は意外な一面も持ち合わせています.それは網を張る大型の蜘蛛を襲うことがあるらしいのです.アオヤンマは,学名ではAeschnophlebia longistigmaといいます.このAeschnophlebiaは,日本語では「アオヤンマ族」と名づけられており,この仲間は日本では二種が知られます.ひとつはこのアオヤンマ.そしてもう一種はネアカヨシヤンマといいます.この二種のヤンマは網を張る蜘蛛を網から引き剥がし狩るという習性があると言われています.残念ながら私は目撃できていないのですが,なんと臆病どころか,勇敢ではありませんか.普通は網にかかればトンボは万事休すですから,立場が逆です.

しかし一方で,アオヤンマは環境の変化に非常に弱いトンボでもあります.というのも,基本的に葦やガマが生い茂るような沼や池にしか住むことができないのです.そのような環境を保った池沼は本当に少なくなりました.葦はこのトンボが安心して身をよせることができる場所なのでしょう.ネアカヨシヤンマに至ってはさらに環境の変化に敏感で,もうほととんどの場所で絶滅したとされています.寂しい限りです.

****

こちらはギンイチモンジセセリ.どこにでもいるはずの蝶ですが,なぜだかずいぶん出会っていなかった気がします.翅の裏側の銀の筋が美しい.




!!



こちらは...






じっと見つめられ,「何用じゃ」と聞かれた気がしました.

この辺りの主でしょうか.相当に大きかった.
誠に失礼いたしました._ _

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  1. 昆虫たち
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ありあまる富 :: 2009/07/05(Sun)

物質的に豊かな一方で、精神的にはとても疲弊していると感じてしまう現代日本。この歌はそんな現代にあって、とても重たいメッセージを内包していると感じる。

「ありあまる富」は椎名林檎さんの10枚目のシングル。TBS系列のテレビドラマ「スマイル」の主題歌。

この曲のタイトルを聞いて、小難しい経済学の教科書の中の、最終章のセクションか何かに出てきそうなタイトルだと思った。

カール・マルクスは「富」というものを社会に出回る膨大な商品のすべての総和(集積)と捉えました。鉛筆やノートやパソコンやヘアバンドや地球儀や花瓶やぬいぐるみや。。。すべての「商品」は私たちの生活を豊かにしてくれる可能性を多分に秘めたものです。商品は貨幣によって購入しなくてはいけないので、富(≒商品)を手に入れるにはお金が必要ということになります。でも、お金をたくさん持っていたとしても、それは実際に生活が楽しく豊かになる可能性が大きくなっただけのことで、商品に交換しなくては現実の豊かさは得られません。富はお金ではなくあくまで商品のほうです。

このように「富」を捉えるなら、この曲のタイトルは「ありあまる商品」という意味になり、なるほど現在の状況に当てはまります。しかし歌詞を読んでいくと、すぐにそれは否定されてしまいます。

   僕らが手にしている 富は見えないよ
   彼らは奪えないし 壊すこともない
   世界はただ妬むばっかり

商品は数えられる。壊せる。奪える。
だから、商品のことを林檎さんは富と言ってはいないようです。

   もしも彼らが君の 何かを盗んだとして
   それはくだらないものだよ
   返して貰うまでもない筈
   何故なら価値は 生命に従って付いている

盗むものは返してもらえたりするらしい。
つまり、こちらこそが「商品」でしょうか。
とすると、マルクスが社会の富と位置づけた「商品」を、
林檎さんは「くだらないもの」と一掃しているように思えます。
つまり、花瓶やパソコンやノートなどはくだらないもの。
え!?そうだろうか?と思うことでしょう。
ところが、直ちにそれに対する見解が一行で示されています。

   「なぜなら価値は生命にしたがって付いている」

これがこの歌の最も重要な言葉だと思います。
つまり、価値は商品にではなく、それを持つ私たち人間側に付帯して生まれてくるもの。
そういう意味に違いありません。

   君の喜ぶものは ありあまるほどにある
   すべて君のもの 笑顔を見せて

価値は商品についているものではない。
「あなたに、生命に従って」こそ価値は生まれるんだ。
だから、あなたにとって素晴らしいと思えるものはこの世には有り余るほどある。
こういう視点で、「富はありあまっている」のです。

50万円の有田焼の花瓶と、500円で露店で買った一輪挿し。
価値が商品についているのなら、有田焼の圧勝です。
でも生命に従うのならそうはならないのです、きっと。

50万円の有田焼の花瓶、桐箱に入れて倉庫の奥に眠らせておいては意味がない。
もしくは買いあさった様々なブランド品や骨董品と並べて置いたって仕方ない。
50万円の有田焼の花瓶を生かす力量のある人はどれほどいるでしょうか?

一方の500円の一輪挿はもろくて長持ちしないかもしれないけど、
その一輪挿しに似合う素敵な野草をそっと挿して、玄関に飾る。
毎日目をやり、水がなくならないように世話をし、玄関が優しい空間に変わり、
一輪挿しと野草も一緒になってそっと来客をもてなす。

もしもその一輪挿しが奪われたって嘆くことはない。
「彼らが奪った一輪挿し」はくだらないものだよ。
あなたという人間からは何一つ奪われてはいない。
あなたはまた、どこかでささやかな一輪挿しに出会っても、
いや、100万円の花瓶に出会ったとしても、
あなたはそれらに命を吹き込むことができるんだ。

   ほらね君には富が溢れている

こういう素敵な詞なんだと僕は解釈します。

これは,先進国と発展途上国の問題にも通じると感じます。
地球上に生まれる富の大部分は先進国で暮らす人々が独占していて、
でもその商品を産む資源は途上国から安く買っているわけで、
富(商品)は均等に、公平に分配されているとはいえない。
私たちは彼らから富(商品)を奪っているのです。
でも彼らが手にしている富は私たちには見えないし、奪えない。
そうであってほしい。


全歌詞:
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=79644





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  1. りんごさんのことば
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