日本について考えるブログ




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反紅葉主義? :: 2009/10/29(Thu)

秋になると,鮮やかな紅葉にカメラを向ける人たちで溢れます.もちろん写真が好きな人に限らず,秋の紅葉狩りというのは日本では春の花見と同じような定例行事です.赤や黄色に色づく木々に魅了されている所為でしょうか.紅葉スポットなる場所は日本では極めて重要視されますし,ニュースも大々的に取り上げますね.






しかし,鮮やかさこそが秋だとは僕はあまり思っていません.鮮やかな色を現すのは,数ある植物のうちのわずかでしかなく,ある植物は次第にただ枯れていき,ある植物は枯れることなく冬を越えます.赤や黄色に染まることはありません.









色づかずとも,秋に起こる様々な変化はとても美しいと感じます.枯れるという行為は,環境が変化していくことに対するとても前向きな生命の意志です.植物にとって秋に葉が枯れていくことは,春に芽吹くことと等しく前向きなことではないでしょうか.
















とうとう札幌の週間天気予報に雪だるまのマークが登場してしまいました.世界屈指の豪雪都市に,今年もまた冬がやってきます.

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自立とは(日本人向け) :: 2009/10/24(Sat)

自立とは,何にも依存せず,自分で考え,自分で行動し,自分の力で生活する,ことでしょうか? 僕は違うと思います.

「自立」はとても難しい言葉です.例えば,ずっと親元を離れず暮らしている人は自立していないと思われ,一人暮らしをして,ちゃんと就職して収入もある人は自立していると思われがちですが,本当にそうでしょうか?

例えば,毎日夜遅くまで残業をして,食事はほとんどコンビニ弁当,家の掃除は手につかず,という一人暮らしの日本人独身男性はまあ多いと思いますが,これが果たして自立している人の生活と言えるのか,ということです.

そうするとこんな反論があるでしょう.仕事が忙しくて時間がなくて,自炊は無理だし,掃除をする時間もない,仕方ないんだ.時間にゆとりがあればできるのに...と.ならば私は即座にこう言います.じゃあ少なくとも,電気湯沸しポットだけじゃなく,仕事にゆとりができた時にそなえて,鍋やフライパンくらい買ったらどうか,と.ちなみに,あなたの得意料理は何ですか?という質問とともに...(いやな奴)

また,こんな反論もあるかもしれません.自分はコンビニ弁当が大好きで,自炊した食事よりも美味しいと思う,家は汚くてもぜんぜん気にしないし,むしろ綺麗に片付いているほうが落ち着かない,だからこれはポリシーなんだ,と...ああそうですか.じゃあ,コンビニ弁当が大好きで,家は散らかって埃っぽいほうが落ち着くという女性との出会いを探さなければいけませんねぇ.だって掃除されたり手料理作られたら,あなたは迷惑でしょう? これはなかなか大変ですよ.笑


上のような人,いちおう「自分で考え,自分で行動し,自分の力で生活している」と言えるでしょう.でもぜんぜん自立しているようには思えないわけです.

僕が考える人間の自立は,むしろ逆なんです.人は必ず依存するものですよ.だから,自立とは,依存というものをちゃんと正視し認知することです.一方,自立していない人は,依存を依存だと全く気付いていなくて,ただ当然だと思っている.この違いはとても大きな違いです.

例えば,実家を出たことない,一人暮らしをしたことない人でも,自分が実家暮らしに「依存」しているんだと認知している人は,実家での日々の生活というものにちゃんと目が向きます.そして毎日の家事の大変さも分かっているから,できる限り手伝おうと思うものです.そうして,食事を作ったり,洗濯をしたりして,実家の生活に参加している人は,自立していると思います.

一方,自分のことは何でも自分でやれる,自分の好きなようにやる,という人は,上の独身男性の例のように自立していると僕は感じません.自分で何でもやる,好きなようにやる,という,その部分が目的になっていて,でも具体的に何をやりたいのかは全く曖昧だったりするし,自分が好むやり方しか受け入れないので,どのような状況でも生きていく適応力とか精神力の強さのようなものを全く感じないわけです.そして何より,何にも依存しないぞという頑なさが社会性を無くさせ,意思疎通というものから疎遠になり,決して首を縦にふらない頑固親父ができあがってしまいます.笑

結局,正しく依存して,それを認知できている人は,気持ちが外に向いています.だから,僕が考える自立している人というのは,人の気持ちを考え,理解し,共有することが自然にできる人とも言えます.こういうことができる人は,コミュニケーション能力も磨かれています.話す言葉がとても分かりやすく,何を言っているかさっぱり分からない,なんてことはまずありません.また,世界が自分の内側だけで完結せず,外側に大きく広がっていて,自分が所属するコミュニティや社会というものに対して客観的に理解していると感じます.だから自分の立ち位置や,自分が今何をすべきか,やりたいこと,ということが自然と見つかり,行動力・実行力もあります.

一方,自立していない人というのは,自分と関わる人の気持ちを理解したり,共有することができない人です.コミュニケーション能力が低いことが多く,文章の主語がなかったり,自己主張が過度だったり,やたらと同意を求めてきたりします.基本的に世界が自分の中で完結しており,自分がどういうコミュニティに所属しているのか,社会がどういう構造になっているのか,そういうことを何も考えていません.だから与えられるものを当然だと思うよりなく,それに対する自分のアクションに関して考えることができません.自分が何をすべきかを見つけられず,行動力に乏しく,だからこそ心の奥では何かとても不安で,ある種の不幸を常に感じています.

自立は今の日本人に最も必要なことだと思います.自立は今の日本人が感じている精神的なもやもやや,不幸感,のようなものを薄める力があると僕は思います.まあただ,一般的な日本の家庭の場合,親が子供が自立しにくい環境を整えていますから,やっぱり実家を飛び出す必要はあると思います.

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  1. 社会
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Kalk Semen Kuri-no-Hana :: 2009/10/16(Fri)

「加爾基 精液 栗ノ花」(詠み方:カルキ・ザーメン・栗の花)は,椎名林檎さんの3rd アルバム(2003年2月発表)のタイトルです.私が椎名林檎さんの曲からどうにも離れられなくなったのは,このアルバムとの出会いがきっかけと言っても過言ではありません.こういうタイトルですから,ファンもこのアルバムをどう呼ぶか,それはとても難しいところで,一般には「カルキ」と略されていますが,頭文字をとってKSKという人もいます.

このアルバムに収録される曲は11曲.

宗教
ドッペルゲンガー
迷彩
おだいじに
やっつけ仕事

とりこし苦労
おこのみで
意識
ポルターガイスト
葬列



なんといっても私はこのアルバムが大好きなのです.いや,単純に好きというのとはちょっと違う次元で魅了されています.このアルバムが提示する世界観が,自分の中にある何者かと力強く共鳴している,そういう感じがします.揺さぶられるんです.このアルバムは私にとってけっこう危険な麻薬です.

例に漏れず曲目に対称性(シンメトリー)が生じており,字数や字種だけでなく,曲に参加したミュージシャンや使用楽器にまでシンメトリーが及んでいます.そして,CDを挿入し総演奏時間を表示すると,44分44秒と出るのですが,それを安直に凄いとか思われることは,彼女は多分望んでいないでしょう,と思います.これは意図されたものではないのに立ち現れた姿,表現だと感じますが...まあそんな深刻なことじゃなく,ある種の遊び,余興のようなものかもしれません.そういえば,このアルバムの中には他にも隠された様々な余興が多く存在します.言葉遊びもしかり,彼女の過去の音楽や,動物や,物理現象や,いろんなノイズ,そういう様々なものがモザイク状になって音楽に形を変えて散らばり隠されています.

具体的にこのアルバムで語られるものが何か,それは未だに私は理解できません.まあ,ありふれた言葉でいうなら,「輪廻転生」とか,そういうものが語られているように思うのですが,言葉にした瞬間に,それは違うと思ってしまうのです.

最近は,本当はテーマなどないんだという気がしています.東洋圏にはテーマという概念,ロジックはそもそもないのですよ..このアルバムでは,イメージがまず忽然と現れ,そのイメージを強化する言葉や楽器や音やノイズが選ばれると勝手に音楽として成立する.それを繰り返しているだけで,約束されたかのようにこのアルバムの世界が現れる,そういう気がします.しかしこれは一種の予定調和です.

根拠がない.論理がない.安心できる地面がない.つまりひとつひとつの言葉や音を裏付ける確固たる何かが実は何もない.これがこのアルバムを聞いて多くの人が感じるらしい「怖さ」だと私は解釈しています.論理や理由や合理性にかなり慣らされてきた現代の私たちにとって,どこか薄ら寒いのです.(制作者側から見れば,「こういう世界」を構築するための階段はしっかりと見えているのかもしれませんが...)

この怖さから私は「再度の怪」を連想します.再度の怪をご存知でしょうか? 有名な話は,のっぺらぼうです.ある行商人が山でうずくまり泣いている女性を見つける.心配で大丈夫かと声をかけたところ,ゆっくりと振り向いた女性の顔にはなんと眼も鼻も口もない.あまりの恐ろしさに商人は山をかけおり,村の蕎麦屋を見つけ飛び込む.そして蕎麦屋の主人に今体験した怖い話を息せき切って打ち明ける.しかし怖さのあまりうまくは話せず言葉が詰まるわけで...そうすると蕎麦屋の主人はゆっくりと振り向き,「つまりそれは,こういう顔でしたかい」と...なんということか,その顔にも眼も鼻も口もついていない...恐怖のあまり商人はそこで気を失う.とこういう話です.

再度の怪の恐ろしさは,二度経験することで,全ての希望を絶たれるかのように見えること.例えば,山ののっぺらぼうは狐が人を騙していたんだ,というようなロジックが蕎麦屋での体験で崩壊し,絶対にありえないことの方が真実であり,そこから全く逃げられない絶望を認知するという恐怖です.

要するにこのアルバムから感じる恐怖は,ロジックが実は通じないんだという怖さとして,私にとっては共通なんでしょう.1曲目の宗教の中の「花は咲いた 蜂を呼び寄せた」という淡々と語られるフレーズが最も怖いんです.これはもうロジックじゃなく,そういうもので壊しようがないものとしてこのアルバムの中では見せ付けられるわけです.それが何度も何度も繰り返されていく...何度も繰り返すのに結局ゼロなんです.何も生まれはしないし,得られるものなど何もない.私は花が咲くことも蜂が飛んでくることにも,無意識に理由を求めているんですね,恐らく...

ということで,このブログでいろいろ日本のことを考え,論理的にこうしたほうがいいとか,こうすればもっと社会は明るくなるんじゃないか,とか思うわけですが,そういうことをしても全て無駄ですよ,というような感覚をこのアルバムの音楽が持っているという気がします.

一方,このアルバムはもっと多面的でもあり,私が感じないものを多くの方は感じたりしているようで,それはどんな人生を送ったかによるのかもしれません.

例えば,このアルバムは女性の人生を歌っているという人がいます.その視点で聞くと,確かにそうなのかもと思います.まあ実体験的な感想はもてないのですが...また,「子孫を残そうとする生物の宿命」がテーマだと言う人もいるようですが,それもそうかもと思います.「茎」の意味は「陰茎」のことだと林檎さん本人も言われています.そして,この茎だけがペアを持たない(シンメトリーの中心)曲であり,一番生きている情感に溢れる曲であることが面白いです.この茎を中心に,両側に行けば行くほど,生きているのか死んでいるのかよく分からない,いや生死の別などが馬鹿馬鹿しくなるような,混沌の世界へと落ちていきます.

このアルバムは構成する11曲を分解することはできません.大きな壁画に描かれた部分を取り出してその絵を批評できないのと同じで,一曲ずつ取り出すと,このアルバムの世界は瞬時に壊れます.シャッフル演奏をしても変になります.

ご無沙汰だったカテゴリー「りんごさんのことば」ですが,今回,あえてアルバム自体に焦点を当ててみました.今後このアルバムから何曲か書いてみる予定です.

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恋するしっぽ :: 2009/10/11(Sun)

ちょっと時間に飛躍があり,これは一年前ごろの動画ですが...偶然You tubeで見つけたもので,思わずアップしてしまいました.





この歌は,任天堂DSのゲーム「夢ねこDS」のプロモーションに使われた歌.あのゲド戦記の手嶌葵さんが歌います.


あなたは寝ていると
思っているでしょ

違うのよ 本当はね
夢を見ているの

私が人間に
なれたらあなたは

今よりも微笑んで
くれるか不安よ


 「恋するしっぽ」より
詞:岡林和也



****

はっきり言いますと,私は一般的にこのタイプの歌は嫌いなのです.どういう歌かというと,人間以外の動物たちや植物たちの視点に立った歌.人間以外の生き物の気持ちを代弁するような歌.それは人間の思い上がりでしょ,あんたの願望でしょ,妄想でしょ,と思ったりして,むしろ人間の身勝手さを感じてしまう,そういう事が多いからです.

しかしこの歌は,出だしの数行の言葉たちによって救われています.「もし私が人間になったら,あなたは今よりも微笑んでくれるか不安よ」という猫さんの言葉に,人間の私が共感をおぼえた,というなんともいえない状況です.笑 もうこれは作詞家の腕に感服です.猫さんの視点を借りて,さりげなく私たち人間自身を見つめる歌なんだと感じる,そういう歌です.まあ,後半はそうでもないのですが...

猫さんたちのしっぽ,別の生き物のように動くしっぽ.しなやかなしっぽ.ひょうきんなしっぽ.静かなしっぽ.しっぽはこの世の中で最高に素敵な何かを連想させる! 人間にもしっぽはあったほうがよかったなぁ...と思います.

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日本において非常識なのはいったいどちら? :: 2009/10/09(Fri)

上に立ってリーダーシップを発揮する人は,人間としての器の大きさが大切です.なぜなら,現場で仕事を行う者は,リーダーを信頼できて初めて,安心して自分の仕事に取り組むことができるからです.


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091008-00000054-san-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1008/OSK200910070170.html

大阪府の橋下徹知事は8日、職員から受けたメールが「物言いが非常識」として、同日付でこの職員を厳重注意にすると明かした。橋下知事は1日夜に全職員にメールを送信。和歌山市の紀の川大堰からの利水撤退で、府の負担が約380億円にのぼったことに対する府幹部の議会答弁に謝罪の気持ちがなかったことを問題視した。これに対し、職員が反発し、「責任は(投資を)決断した人にある。こんな感覚の人が知事である方が恐ろしい、愚痴はご自身のブログ等で行ってください。メールを読む時間×全職員の時間を無駄にしていることを自覚してください」などの内容のメールを返信。橋下知事は「組織のトップに対する物言いとして逸脱している」などと職員の処分を検討するよう指示した。

(以後略)

****

ご自分のブログで愚痴ってください,とは職員の方もよく言ったもんだ...^^;

例によって,本当の現場で何があったのか,職員のメールの文面,やりとり等が分からないので何とも言えないですが,しかしこのニュースで書かれてあることがほぼ事実であるなら,私は非常識であるのは知事のほうだと思います.

上に立つ人間として「物言いが失礼」とか自分で言う,その感覚が私には理解できません.むしろ,知事に直接返信して意見するような,自分の言葉を発する職員を知事は大切にすべきです.(その意見がかりに見当はずれであったとしてもです.)...

橋下知事は,「私のメールに愚痴はやめろと反論してきたあなたは,言いたいことをはっきりと言っていただけるという点で,この組織の誇りです.」と,例えばそのような返信をするべきです.まあ,本当にそう思って書かなくてはいけませんけどね.笑 そうしたら職員も戦意喪失,もしくは,やっぱり知事になるような人は人間の器が違うのか,と思うかもしれません.もちろん職員さんもそれでも納得いかない場合は次の策を考えなくてはいけないでしょうけど,しかし当座の不安や怒りは氷解していくのです.

リーダーシップをとる人は,決して周囲の人間に緊張感を与えてはいけません.自分は上に立つ人間だというようなニュアンスを決して自分で言ってはいけません.こういう組織は多くのストレスをため,疲弊していきます.まあ,完全序列の階級制度ならいいのですが,,,いや,つまり実際そうなのかもしれませんね.

大阪府の橋下知事は元気一杯でいつも報道されていますが,これは非常に残念なニュースです.

関連記事:上に立つ人のすべき努力

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赤とんぼたちの秋・2009年(2) :: 2009/10/06(Tue)

日本で赤とんぼと言っても,どのトンボのことを赤とんぼと呼ぶかは地方によりけっこう異なります.例えば私が生まれ育った福岡では,赤とんぼと呼ばれているトンボはたいていウスバキトンボという南方系のトンボでした.一般に東日本ではアキアカネを赤とんぼと呼んでいるようですが,一般的にアカネと呼ばれるトンボとその仲間なら誰でも赤とんぼと呼ばれている可能性があります.つまり,形態分類や系統進化的の話ではないのですね.身近にいて,あれくらいの大きさの赤っぽいトンボが赤とんぼ...当たり前ですが.

ここ札幌で赤とんぼと言えば,アキアカネとノシメトンボを指しているようです.街中にはこの二種のトンボがたくさん飛び交います.札幌駅や大通りなど繁華街のど真ん中にさえ現れます.





ノシメトンボ.羽の先端に黒い模様が入っているのですぐにアキアカネとは違うことが分かりますが,どうしても私が突っ込みたいのは「ぜんぜん赤く無いじゃん」ということ.笑 よく見ると少し赤いのですが,どす黒い赤というか,あまり綺麗ではないのです.上の写真はまだ若い頃.それが...





このように,秋も深まると,maleはどす黒い赤になってしまいます.だから「アカネ」という名前がつかなかったようです.しかしこの色はこれでなかなかかっこいいと思います.ダークで渋い.


今年は,タイリクアカネの写真も運良く撮影することができました.この種はその名のとおりユーラシア大陸に広く分布する赤とんぼですが,日本にも局所的に生息していて,主に海岸に近い場所で出会うことができます.しかし数は少なく,ぱっと見てほとんどアキアカネと変わらないので判別は難しいです.



しかしタイリクアカネは,よく見ると羽の脈(翅脈)が黒でなくて赤なのです(↑).この翅脈の赤色はなかなか斬新です.さらに慣れてくると,トンボが持つ独特の雰囲気で遠くからでもすぐにタイリクだと分かるようになってきます.

タイリクアカネは海岸近くに多いというのは通説で,平地から移動しない赤とんぼだと思っていたのですが,どうやらアキアカネと同様に夏の暑い時期には海辺を離れて山に上がるようです...というのも...




これは7月にニセコのけっこう標高の高いところで出会ったタイリクアカネ.こんなところで出会うなんて考えてもいなかったのでちょっとびっくりしました.しかも,こんなに羽に黄色がさしたタイリクアカネに出会うのも初めて.ちょっとした驚きです.

羽に黄色がさすと言えば,北海道にはあと二種の赤とんぼの羽が黄色になります.エゾアカネとキトンボです.エゾアカネは本当に希少種で,出会うにはそれなりの覚悟でしかるべき場所まで遠征しなくてはいけず,私もまだ出会ったことがありません.小柄でとても美しい赤とんぼだそうです.そしてもう一種のキトンボ.こちらは今の晩秋が元気MAX.敏捷で写真に撮るのはなかなか難しく...





こういう写真しか結局今年は撮れませんでした.まあ,もっと生息数の多い場所に行けば撮影も楽なんでしょうけども...





キトンボは遠くからでもすぐにそれと気付きます.羽のオレンジ色は光の具合にもよりますが,それほどに鮮烈です.たいていアキアカネたちに紛れているのですが,トンボを知らない人でも,何か違うのが一匹混ざっているぞ,と気付くほどです.それから,動きが断然ほかの赤とんぼより速い.そしてけっこう樹の高い場所が好きだったりするのもアキアカネなどレギュラー陣との性格の違いを感じます.

よく考えてみると,やはりアキアカネというトンボは,長距離移動(里から山へ,山から里へ)のための飛翔法を追及していると感じます.空に浮き上がったら,上昇気流に任せて空を漂うように飛翔します.穏やかに羽ばたきながら,極めて省エネな巡航です.意志を持って力強く飛ぶのは地面に近い時だけでしょう.一方のキトンボは常に力強く,自分の意志どおりに動いて飛んでいるように感じます.実際,大空を遊泳したりすることはありません.

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赤とんぼたちの秋・2009年(1) :: 2009/10/04(Sun)

今年はデジタル一丸じゃなくて一眼レフを手に入れたので,週末時間があるときは近場に写真を撮りに出かけました.トンボの写真を中心に.秋の札幌は赤とんぼが街中に溢れかえっていますが,まあいったいどれほどの数なのでしょう...やっぱり昆虫って数に訴えられると怖いかも.

街中の赤とんぼは,たいていアキアカネとノシメトンボです.今日はアキアカネの写真から何枚か...




「おりゃ~~」
「なんの」




「お,いいところに...この棒で休むといたしましょうか」




青い空と赤とんぼ...


今年は,トンボの飛翔写真に初めて本格的に挑戦してみましたが,うーん,なんとか写ることは写るようです.さすが一眼レフ...何がすごいって,やはり自分に写真を撮ろうという気にさせてくれるのが凄い.やっぱり,道具なんだなぁ.使う楽しさというのもあるということを改めて感じます.一方,結果得られる写真の方は,これから先の進化が難しい.

それにしても,止まっているトンボの写真は,じっくり腰をすえて,まあ何かし考えて写真が撮る余裕がある.しかし飛んでいるトンボはそういうわけにはいかないわけです.当たり前のことだけど改めてそれを感じています.だからまずは,ピントがあってまともにトンボが写っているだけで満足...してしまいます.





しかし何度か撮っているうちに,飛んでいるトンボでも同じような写真しか撮れないことに気付きました.もちろんトンボの向きや動きはいろいろなんですが,背景がさほど変わらないわけです.

例えば,私がよく行く札幌市の公園は本当にアキアカネだらけなのですが,どうも秋も深まってくると,このような木道の上にみんな集まってきて,例えば草の上などをゆっくり飛んでくれません.木道が草原よりも暖かいのです.となると,アキアカネの飛翔写真を撮ろうと思うと,同じような写真しか撮れなくなってしまいます.いつも背景は木道,というような写真.上のはちょっと空中標本みたいで面白いのですが...




おそらく,いろんな写真を撮るには,いろんな場所に出かけなくてはいけないのだろうなぁ,と思い始めています.いろんな場所でいろんな光に出会い,いろんな背景と出会えば,いろんな表情のトンボたちが写るんだろうという気がします.同じアキアカネでも...しかしそこまでの時間はありません.涙

次回,キトンボ,ノシメトンボ,タイリクアカネたち...

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