日本について考えるブログ




スポンサーサイト :: --/--/--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. スポンサー広告
PKの神様は微笑まず... :: 2010/06/30(Wed)

いかにも日本っぽく「PKの神様」というものを仮定してみて,,,で,PKの神様は日本には微笑んでくれなかったようだ.涙

試合の感想だけど,パラグアイとの戦いはデンマーク戦と比べるとあまり内容はよくなかった,ように思う...誰もいない場所へのパスも多かったし(ミスなのか見えてないのかよく分からないけど...),中盤での被インターセプトも多かったし,イエローカードも3枚もらってしまった.で,最終的に負けたのは,なるほど妥当な結果になってしまったのかもと思う.うん,パラグアイのほうが強いと感じた.PKの神様もそこは微笑みの判断材料にしたのかもしれません.日本はベスト16まで行ける実力はあれど,この先はもうひとつ何か越えなくてはいけない壁があるんだろうと感じる試合だった.

たくさんの興奮をありがとう!!また応援します.

ブログランキング・にほんブログ村へ  
スポンサーサイト

テーマ:FIFAワールドカップ - ジャンル:スポーツ

  1. ニュース
  2. | trackback:0
  3. | comment:0
これがサッカーだ! :: 2010/06/26(Sat)

サッカーワールドカップ・南アフリカ大会で日本が決勝トーナメント進出を決めた.おめでとう!!

世界のメディアがデンマーク戦の日本サッカーを賞賛しているようだが,

http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/sports/gooeditor-20100625-01.html

これで悦に入るのはナンセンスなんで,,,適度にスルーしましょう.笑

****

試合の内容は一戦一戦よくなってきているように思う.今は本当に自信を持てるのではないだろうか.おそらく選手たちが一番それを感じていると思う.

オランダ戦の敗戦は皆悔しそうだった.結果は負けだったが,その現実を目の前にして,「ああ,世界の壁はやっぱり厚いなぁ..」ではなく,「勝てたかもしれないのに...」だったのだ.サッカーの内容では互角だったと,チームが思えていた証拠だろう.そうでなくてはがっくりするだけで,悔しくはないはず.

デンマーク戦は,今までの日本代表のサッカーで最も素敵な試合だったかも.

前半10分までのデンマークの猛攻.それを封じる方法をすぐに見つけたというのが,今までの日本のサッカーにはなかったこと.

今回の日本の守備は本当に固い.そりゃ時々ひやっとすることはあるが,いつもならヒヤッとする回数はもっともっと多い.

キャプテン長谷部誠の言葉がそれを裏付けている.

「正直、簡単に崩されて失点するイメージがない」

これは自分たちを鼓舞するための言葉じゃなくて,本当に今そういう状態なんだろう,とサッカーを見ていて思う.絶対失点しないなんてことはないのだが,このイメージがある以上,1点とられたからと言って,ガタガタに崩れることはないだろう.だから観戦していて安心できるし,守備を見ててすごいと思える.

そして,デンマーク戦は何と言っても二本のフリーキックを抜きには語れない.日本人は基本的にプレッシャーに弱い.だから,あのような大舞台での直接FKはどちらかというと失敗する確率が上がるのだ.それが二本決まったんだから,これは凄いことだ.まぐれでは決まらない.

プレッシャーについて考えるなら,今回のW杯は日本代表は全く期待されていなかったから,プレッシャーは少ない状態で試合に望めたのかもしれない.日の丸背負って押しつぶされてしまいそうな雰囲気は無く初戦に挑めた.そして堅守で勝った.この1勝は運もあったと思う.しかしこの1勝が自信をもたらした.自信はチームの雰囲気を良くし,本当の選手の技術が最大に引き出される環境を作り出している.個人の技術はゲームの中で利己的にではなく功利的に作用している.デンマーク戦の3点目などは僕は心底感動させてもらった.この試合を中継していたイギリスBBC放送は,本田をゲームメーカーであり,かつunselfishだ,と最大の賞賛を送っている.

そう,これがサッカーだ!「がむしゃら」な方法ではサッカーは成立しない.がむしゃらは盲目なのだ.

運から入って,でもだから,今は運ではなく実力で勝利しているように思う.サッカーというゲームがどのような構造なのか,よく見えていると感じる.

だからこそ,デンマーク戦後の本田の,

「思った以上に喜んでいない」

という言葉なのだ.3-1はちょっと実力以上の点差の勝利だった.これは,引き分けも許されなかったデンマークが前のめりになった,その場所を日本が上手く突けたからであって,,,と,そういう分析もあるかもしれない.どういうサッカーだったかよく見えているから,チームは全く浮かれていない,のかもしれない.

今回のW杯でもう一点,僕がどうしても指摘したいのは,日本のファウル(反則)が少ない,ということだ.さらにはファウルを受けたという演技めいたものもほとんどない.これも今までとは違う.

一般にW杯では,ファウルやイエロー・レッドカードが多いほど,予選敗退する傾向がある.今回のこれまでの日本はイエローカードは合計三枚.これは現在スペインについで二番目に少ない.ファウルも少ない.

ラフプレーも少ないし,残り時間が少なくなっても,あからさまに時間稼ぎをしているようなサッカーもしない.このようなフェアな精神をなぜ今回の日本チームが身につけているのか...これも今までなかったことのように思うのだが,やはり自信,のおかげか...

最後にスポニチの記事の「日本国民に何かひとこと」の記者の質問に答えた本田の一言.

「睡眠不足だと思うので、しっかり寝て次も応援して下さい」

今W杯では何かと注目を浴び続けている本田選手...僕はこういうストレートな言葉が大好きだ.笑

次は29日,パラグアイ戦です.

http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100625/scr1006251500133-n2.htm

http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/kfuln20100626002002.html

http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/sports/ssp20100625508.html

テーマ:FIFAワールドカップ - ジャンル:スポーツ

  1. ニュース
  2. | trackback:0
  3. | comment:0
いい試合が続いているかも :: 2010/06/19(Sat)

ワールドカップ・サッカー.オランダ戦までの感想.

僕はワールドカップ始まる前に友人とスコア予想した.

カメルーン戦は1-0で日本.
オランダ戦は1-1で引き分け.
デンマーク戦は1-0で日本!!

随分と常識はずれな予想,,,だったでしょうか!?
まあこれは僕の期待で...

しかし,カメルーン戦はなんとビンゴ!

オランダには....ああ...やっぱり負けたか...涙 
まあ,最小失点差ということで,よく戦ったと思う.

それにしてもW杯直前のふがいなさは影を潜め,なかなかいい試合が続いていると思う.試合内容はオランダ戦のほうがよかったとさえ思う.それに,オランダの圧倒的に侵食してくる攻撃性は,かなり封じることができていた.

僕が何よりも嬉しいのは,無責任なラストパスが今W杯は少ない.サイドを崩してセンターにボールを入れる時などに,誰もいないのにボールを入れてしまうというのは日本の得意技だったが,今W杯二試合はそういうシーンをほとんど見ない.まったく無意味じゃないか,何やってんだよぉ~,と文句言いたくなるようなプレーはほとんどないのだ.単純なミスを除いて...

岡田監督はオランダ戦のあとかなり悔しそうだったが,これはある程度いい試合ができていたからこそ,なんじゃないだろうか.「1点の差は、球際の強さやボール支配率で劣るなどチーム全体の差だ。選手はショックを受けているが、疲れを取り、メンタルを回復させて次に臨みたい。 」というコメントもとてもcoolじゃない?

次は24日,デンマーク戦.どきどきさせてくれるような素敵な試合を期待したい!

ブログランキング・にほんブログ村へ  

テーマ:FIFAワールドカップ - ジャンル:スポーツ

  1. ニュース
  2. | trackback:0
  3. | comment:0
写真・自己鍛錬・映画・そしてサイエンス :: 2010/06/13(Sun)

僕は写真が好きだけど,下手だ.

そんなことはない,と言ってくれる人もいる.しかしそれは僕にはオートマチックにお世辞に聞こえてしまう(どうもすみません...).僕は自分が撮る写真に全く満足していないし,僕が本当に撮りたいと思う風景や生き物の姿はたいてい写真に写っていない.と後で思う...だからだ.

僕は,たちの悪い完璧主義者なのかもしれない.完璧であることを求めなければどんなに楽だろうと思うし,だいたい「完璧」なんてものは無いのだから,もっと肩の力を抜けばいいのに,と自分で自分に対して問うのだが,しかしもうひとりの自分は,常に何かを求めて考え,探求する心を忘れてはいけない,と主張する...完璧,もしくは限りなく完璧を「求めようとする心」は大切にしなければならない,とも思うのだ.それが自分を進歩させる.

僕が写真が下手な理由はある程度自分で理解している.ひとつは「なぜ写真を撮るのか」という目的が希薄なことだろうと思う.もしくは写真で何が表現したいのかとか,何を残したいのか,という明確な意志がないことだろう.ただ,写真を撮るということが楽しい,そこから写真という趣味の世界に入ってしまった経緯がある.

次に,頭の搭載メモリーが少ないことも理由としてある.写真を撮ろうと思うと,なんかその「撮影する行為」にのめり込んでしまい,ファインダーをのぞく前に考えていたことが吹っ飛んで,で,結局しょうもない写真になってしまう.これが自分の日常なのだ.

まあ趣味なんてこんなもんなのだろうけど,上に書いたように,僕は完璧を求めてしまって...で,不完全な完璧主義者になってしまうようだ.^^;



私は写真を撮るのも鑑賞するのも好きなので,様々なマチュアやプロの写真家のブログやホームページを訪問する.その中でも,写真家の武田晋一氏の写真は僕にとってはやはり特別で,強く心に響き,言葉に表せないような感動をいつももらう.(前にもこのブログで紹介して,リンクも貼らせていただいています.)僕がある意味「完璧」と思う写真の世界なのだ.プロの方なのだから知識や感性など自分と比べるのはさしでがましい.それはそうなのだが,それでも僕は感動すれば,どうやったらそんな写真が撮れるのか,と考え込む.機材のレベルやRAWデータの処理はどこまで作品の質を決めているのか,見極めたい(僕は安い機材しか持っていないので...).構図,絵作り,光を読む能力は機材に関係ないから,学ぶことだらけだよなぁ,とか,そういうことをいろいろ考え込んでしまう.

僕は武田さんの写真を体験していると,モネの睡蓮を思う.モネの睡蓮は,睡蓮を描いた絵画ではない,と僕は感じている.完璧に表現された光は,睡蓮をただの睡蓮のままにはしていない.睡蓮は科学的な計算が作品の基盤部分にあると感じるが,そういうものとは一見無縁であるかのような「詩的な世界」としても存在している,と思う.そういうことだよな,と僕はつぶやく.

http://www.takeda-shinichi.com/1-Monthly/10-05/10-05.htm
(この記事は,武田さんのこの文章から刺激され,書いています....)

武田氏は,再三「写真は引き算じゃなく足し算だ」と言っておられて,これも最初に読んだときから,本当にそうだ!と思うと同時に,ある種の常識に対してこうも簡単に否定してしまえるプロって凄いと思った.否定と言っても,これはマイナスの否定ではない.ずっと重たい言葉.僕も写真好きとしては,やはり写真雑誌などを開いて,何かと情報収集をしたものだ.そして必ず「写真は引き算だ」というような言葉に出会うのである.写したいものを残して,余分なものはなるべく写真から除く.画面から外したり,絞りを開けてぼかしたり...そうすれば,すっきりと見栄えのいい写真になる.しかしそれは,ただの「見栄えのいい写真」に過ぎない.ということを武田さんの自然写真からいつも教わる.

しかし足し算していくと,僕の場合微妙な写真になるのも事実だ.僕の場合,まず光というものをよく理解していないらしい.それが写真を撮ると露呈する.なるほど,やはり素人が自己満足するには引き算なのだ.笑 しかし,それでは僕は寂しい.これからも自己鍛錬を続けようと思う.しかしその前にやはりテーマ,写真に写し込みたいと思えるテーマに出会おう.と思う.


前にテレビで,映画監督の北野武氏が「映画監督は博学じゃなきゃやれない」というようなことを言っておられたが,これも僕の心に響いた.

狭い範囲しか見ていないと,結局狭い場所に閉じこもらざるをえない.下町の人情を描く作品を撮ろうとしたときに,下町のことしか知らなければ,下町という狭い範囲でしか通じない世界を描いた作品しか撮れない.下町の素晴らしさを伝えようと思うなら,これは馬鹿げたことだ.なぜなら,伝える相手は下町の人ばかり,だったら馬鹿馬鹿しいじゃないか,ということ.

だから,高級レストランのボーイがどう客をもてなすかを知って,その素晴らしさを感じる心が必要だ.土を耕し,偉大なる自然に頭を垂れる心の美しさを感じる心も必要だ.



僕は科学者の端くれだ.しかし何事も「科学」的にしか物事を考えられなくなったら,自分は死んでいるのと同じだとも思う.サイエンティストとしてそう思っている..常識を払拭して誰も知らなかった発見をするには,科学的ばかりに物事を考えていてはいけないのじゃないか.面白いことがあって,それがgeneralな発見と位置づけられるなら,それを論文として報告するときに改めて科学の言葉に翻訳すればいい.翻訳する際に検証は必要だが,検証できない,翻訳できないなら,それは科学ではないということ.僕はそういうプロセスを経て科学論文を書く.

科学の言葉を使うときも,それはやはり完璧じゃなきゃいけない.もしくは,可能な限り完璧に近くなければならない.自分が証明しようとしていること,誰も知らなかったことを発見したなら,誰もが首を縦に振ることができるだけの客観性がなければならない.そのためにはあらゆる実験を行い,検証し,誠実でないといけない,と思う.とてもクールな検証現場がそこにある.しかしそうやって報告した発見は,自然の中に存在する何かしの在りようを明確に理解する感動をもたらしうる.そして,それは人生やものの考え方に時に影響を与える.つまり,詩を味わったり音楽を聴いて感動するとすれば,それと同じポテンシャルが科学にあると思うのだ.全ては人の中に共存しうると・・・思う.

ブログランキング・にほんブログ村へ  

テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

  1. 自然・科学・思想
  2. | trackback:0
  3. | comment:5
カワトンボの楽園 :: 2010/06/09(Wed)

カワトンボの季節.

札幌近郊には,カワトンボの楽園がいろんな場所にある.この季節を謳歌するかのように舞い飛ぶ.










札幌でカワトンボを見かけると,いよいよ夏が近づいてきているという実感を持つ.ちょうど今頃,川は雪解けの増水からほぼ開放される.そして直射日光が当たりにくい山間部の谷の雪渓も姿を消していく...

羽化から間もないカワトンボの翅はキラキラと斜陽を受けて美しく輝く.金属的な輝きを放つ体も鮮やかだ.






日本に棲むカワトンボは,その分類で学者たちを随分悩ませてきた歴史がある.すこし前までは,日本のカワトンボは,ヒガシカワトンボ,ニシカワトンボ,オオカワトンボの三種に分類されていた.それが,紆余曲折の末,近年DNA配列の解析により3種ではなく2種だということで決着したようである.ヒガシカワトンボとオオカワトンボが同一種で,ニシカワトンボが別の種だということで落ち着いた.ただし,形態上は例外もあり,かなりややこしい.おそらく交雑もあるだろう.

ちなみに現在は名が改められており,ニシカワトンボと呼ばれていた種が「アサヒナカワトンボ」,ヒガシカワトンボとオオカワトンボと呼ばれていた種が「ニホンカワトンボ」となっている.(アサヒナという名は,トンボ研究家の朝比奈正二郎氏の名からとられている.)

それにしても,このカワトンボの微妙な差は僕の認識のレベルを超えている.ここ北海道にはニホンカワトンボしか生息していないらしいので,今回の写真は全てニホンカワトンボのはず.

しかしそもそも,カワトンボは同一種であっても多様な色彩の翅を持つ.ミヤマカワトンボとカワトンボの違いはトンボ好きでなくても教えられれば認識できる.しかしカワトンボの中の多少の差異は,まじで分からない...これは基礎研究として,特に意義がなくてもいいこと,すぐに役立たなくても知的好奇心ということでOKなんだ,というのは分かるのだが.それにしても細かい...いや,認識できる人には大きな違いなのだろうか.

僕が興味あるのは,翅が透明なカワトンボはちょっと奥手で,翅がオレンジのカワトンボは主張が強くて行動派だ,というような性格の差について(実際にそういう傾向はあると思いますが,どうでしょう).ちなみに翅の色は種による差ではなく,同一種で普通に起こる.この辺もややこしい.

翅の色彩を変えているのは,おそらくその色素を生合成する遺伝子の発現制御によるものだろうと思われ,すなわち転写因子発現の個人差...じゃなくて個トンボ差,もしくは環境要因による転写因子の発現レベルの違いによるものだろう.しかしそれがなぜそれがトンボの性格に影響を与えるのか,これはなかなか面白い.

自分がトンボになったつもりで,自分の翅がオレンジだったら,透明だったら,と仮定するとどうだろう...やっぱりオレンジの方が行動派になりそうな気もする...人間だって,地味な服を着ている人より,派手な服を着ている人の方がやっぱり行動派,か....なるほど,分子生物学として考えると難しい問題だが,何てことはないのか!?





ブログランキング・にほんブログ村へ  

テーマ:昆虫の写真 - ジャンル:写真

  1. 昆虫たち
  2. | trackback:0
  3. | comment:2
余興 :: 2010/06/07(Mon)

「余興」を国語辞典で調べてみる.

改めて考えると,その言葉にどういうニュアンスがあるか,時より分からなくなるものだ.辞典で調べてなるほどそうかと思う.

「宴会などに面白みを添えるために行う演芸,アトラクション」

結婚披露宴に「余興」はつきものだ.「余」に「余る」の意味があるから,なんとなく付加的なもの,場合によっては無くてもいいもの,というマイナスのイメージを感じる人もいるかもしれない.というか,確かに,結婚披露パーティの核心が「余興」ではないだろうから,なるほど余興は余分なものには違いない.

しかし,余興は「余分である」ことが大切なのだろうとも思うのだ.単調になったり,もしくは重々しく緊張感に満ちたイベントに変化を与え,人々がリラックスしたり笑顔になるために重要な役割を果たしている,という意味で.

「余分なもの」は時に「欠かせない」ものになる.人生もそうかもしれない.

人生なんてつまんない,と思っている人がいたら,それは人生という幕に余興がないのかもしれない.一見無意味に思えたり,余分と思えることが,実は人生を豊かにしているのだと思う.無駄なことに眉をひそめて,くだらないとしか思えない心では,生きていることに喜びは少ない.

しかしどうだろう.余分なことが嫌いな人っているだろうか? みんな,何かしの余分なことを本当はしたいんじゃないだろうか.でも,それをよくないこと,何かに一途でなくてはいけない,それこそが是だと,自分を律する人はいるように思う.そういう人は肩に力が入って,そうして笑顔が消えていくように思う...

余分なことをして,余分なことを楽しんで,
その場所で生まれる「いいこと」はたくさんあるような気がする.


  どんなに美味しく高価なお酒が有ったって
  今日迄怠惰に過ごして居ちゃ味も判らない
  どんなに要領(カシコ)良く硬貨を動かして居たって
  対話が演技じゃ興味が湧かないってもんよ

  女(オンナ)だって男(オトコ)だって

  実直なほうが美しい
  わかっているくせに
  眉根をひそめる人は
  誰もここには居ない

  徒党を組んで居たり太って居る時は叱って
  こと切れる瞬間(トキ)まで何時も成長をしたいよ

  芯(ハート)だって筋(コトバ)だって

  柔らかい事は難しい
  こたえているくせに
  毎度根を詰める君の
  微笑んだ皺がキレイ
    
      「余興」より
       歌詞:椎名林檎

ブログランキング・にほんブログ村へ  

テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

  1. りんごさんのことば
  2. | trackback:0
  3. | comment:2
名前って何だろう... :: 2010/06/05(Sat)

今年は雪解けも遅れ,春も寒い日が多かった.札幌での桜の開花は5月連休明けという記録的遅さ.虫たちにとっても季節の歩みは比較的ゆっくりだったようだが,ここにきて暖かい日も多くなり,慌しく活動を開始した.溜め込まれていたエネルギーが弾けるが如く.

実はムカシトンボに会いに行ったのだが,こんな具合でまだ今年は姿を表さない.その代わり,蝶たちがたくさん飛んでいた.





キベリタテハ(黄縁立翅).深い小豆色にビロードの光沢,青い斑紋,そして黄色く縁取られた羽の色彩は息を呑むほど美しい...のだが,この写真のキベリタテハはもう羽化からかなり時間が経っているようで,すこし色褪せた感じを受けた.





オオモンシロチョウ(大紋白蝶).つい最近までは日本には生息していなかったモンシロチョウの仲間.モンシロチョウよりも大きく,力強い.幼虫は集団で暴食するため,害虫ということになっている模様.





エゾスジグロシロチョウ(蝦夷筋黒白蝶).北海道の春の使者だ.札幌ではまずこの蝶が飛び始める.





ミヤマカラスアゲハ(深山烏揚翅).金属的な羽の色彩がまぶしい.北海道の春に現れるミヤマカラスアゲハは比較的小さく,光沢が強い.



****

昆虫の和名はどうしてこうも説明的なのだろうか...魅力的で素敵な名前に思えないのだ.

上に挙げた蝶の名前,どうだろうか....いい名前というのはあるだろうか.

例えば,「エゾスジグロシロチョウ」って,とてもくどい.笑 僕はエゾスジグロシロチョウに何か素敵な名前ないかとか考えている.

そういう意味で,愛称のようなものが実はあまりないんだと思い知らされる.北海道なら,雪虫がいる.正式な和名は例えばトドノネオオワタムシなんてくどい名前がある.もっとくだければアブラムシでも間違っていない.しかし親しまれているので「ゆきむし」という名が生まれた.

他にも,シオカラトンボを「むぎわらとんぼ」と呼んだり,ギンヤンマを「ぎん」とか「ちゃん」と愛称で呼んだりする地方もあるが,愛称のほうがずっと優しくて親しみがこもっているように感じる.

...蝶に限って言えば,これは本当にいい名前!と思える「正式な和名」がいくつかある.

僕が日本の蝶で一番好きな和名は,

http://art6.photozou.jp/pub/134/151134/photo/11758807.jpg

この蝶につけられた名前,スミナガシ(墨流).

僕はこの蝶に実際会ったのは過去に一度だけ.美的感覚は人それぞれだと思うが,国内の蝶では確実にトップ10に入る美しさだと思っている.ただ,口の赤はちょっと毒々しい.

このスミナガシは,墨流しという絵画の技法からとった名前だと思うが,この青紫の色彩は実に見事で,蝶の翅の雰囲気を捉えたなかなか美しい名前だと思う.

もし森でこの蝶に会ったら「あ!すみながしだよ!」と言えばいい.しかし,「あ!エゾスジグロシロチョウだよ!」というのは何ともくどくて,気が引ける...と思ってしまうのです.蝶好き同士ならいいんだが,蝶が好きな人と興味ない人の間に垣根を作っているような気がする...


日本人は比較的虫という生き物が好きで,それに比べると欧米人は虫が嫌いな人が多いと思われがちだが,そんなことはない.僕は前に,ジュネーブの植物園でヨーロッパのギンヤンマ(コウテイギンヤンマ)に夢中になていおじさんを見た.なんだ,いるじゃん,と思った.

まあ,それはいいのだけど,外国にも虫の名前の愛称というのはけっこうある.

例えば,上のキベリタテハなら,英国ではCamberwell Beautyと呼ばれているようだ.これは「Camberwellの美人」,という意味で(CamberwellはロンドンのCamberwell地区のことだろうか...),この蝶のことを美しく思っているのが分かるけど,何か日本人には分からないニュアンスがあるのかな?どうだろう...

オオカバマダラという蝶は,monarch,つまり君主という名前.確かにそんな雰囲気あるかも.「オオカバマダラ」よりも蝶の雰囲気を捉えているような気がする.

ちなみにオニヤンマはgolden rings,シオカラトンボはblue dasherとかskimmer,ギンヤンマはemperor,ルリボシヤンマの仲間はhawkerと呼ばれています.(※日本にいるこれらのトンボたちと正確な種としては一致しません.)


ブログランキング・にほんブログ村へ  

テーマ:昆虫の写真 - ジャンル:写真

  1. 昆虫たち
  2. | trackback:0
  3. | comment:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。