日本について考えるブログ




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これは連係プレイか!? :: 2011/02/28(Mon)

ここ数日話題の京大の入試問題のネット投稿.これは面白い.

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110228-00000563-san-soci

京都大などの入試問題がインターネットの質問サイトに投稿された問題で、短文投稿サイト「ツイッター」に「京大の試験官は監視してなかった」などとの書き込みがあったことが28日、分かった。

(後略)

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どうやって試験中に携帯から投稿したのだろうかと不思議だったが,この記事を読んで,監督の甘さという点には信憑性がありそうな気がした.まあ京大をはじめとした大学教官の中には,監視監督に真剣じゃない先生は確かにいそう.おおらかで器の大きな先生ほど寛容で,学生を信じていたりするし,そもそも監督監視という行為が嫌いに思っている先生もいそう.

こういう状況であればちょっと携帯で写真を撮ることくらいできるかもしれない.しかも周囲は自分の問題を解くことに集中しているだろうから,誰も他人のことを気にしていない.監督が甘ければ余裕じゃん,ってことになりそうな気がする.

にしても,試験中に文章を投稿するのはかなり大変だろうと思うので,写真を撮って誰かにメールで送り,外部で誰かがそれをヤフー知恵袋に投稿,そしてそれを待ち構えていた頭脳仲間が問題にすぐに取り組み,回答を投稿した,という連携プレイもありえるだろうか.もしくは今は写真で撮った画像から画像認識でテキストに変換できるアプリとかあるのかな?僕は知らないのだけど...あともうひとつの問題として写真撮るとき音が出ると思うのだが,これは改造で消せるんだったかな.どうだろう.

こう考えていくとたいした労力もなくやれそうな気がする.

対策としては,監督監視を強化するという正攻法でいいんじゃないだろうか.それで今回のような事例は防げるのではないかと思う.人間大きなリスクがあればなかなかやれないもの.だからこそ,今回は本当に余裕でやれちゃったんじゃないかと推測する.


ところでカンニングの動機だけど...これはけっこう難しい.そうまでして合格したかったというよりは,世の中を馬鹿馬鹿しいと思っていたり,何か違反行為をすることで心が高揚するようなタイプの人じゃないかなぁ,と僕は思った.もし連携プレイなら,なにか賭けか何かでやらなきゃいけなくなったとか,そんな仲間間のしょうもない遊びの結末だったかもしれない.もしくは,もっと複雑な背景があったりするだろうか.塾の先生とか一枚かんでいたらかなり受けるんだけど...(いや,笑えないですが.)

いずれにせよ,この大学や世の中をちょっと馬鹿にした感じでカンニングを成功させている点,なんとも痛快に感じてしまった.でも次回からはやめてください.
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笑顔≠嬉しい・楽しい :: 2011/02/27(Sun)

犬は人間が笑顔かどうかを見分ける能力があるらしい.

http://www.asahi.com/science/update/0226/OSK201102260081.html

犬は飼い主でない見知らぬ人の写真であっても、笑顔かどうかを見分けられることが麻布大の研究でわかった。ただし、飼い主と違う性別では成績が落ちる。犬がどのように進化してきたかを探る手がかりになるという。独動物認知学専門誌電子版で発表される。

(中略)

表情は人間にとって意思疎通の重要な手段。笑顔が「うれしい」という感情を意味していることまで犬が理解しているかどうかはわからないが、表情を読み取る能力は身につけていると考えられるという。実験を担当した永沢美保特任助教は「口の形などを区別しているのではないか」と話す。

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僕もそう思う.犬は人間の表情を感じているように思う.見られているって感じる.一方,猫は人間の表情を感じてないだろうな.そもそも猫は自分がその気にならないと,人の顔なんて見てないように思う.

ところで,この記事の最後の「笑顔が「うれしい」という感情を意味していることまで犬が理解しているかどうかはわからない」という文章に,偏屈者の自分はひっかかった.


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実は,

「笑顔=嬉しい」

ということは決してない.

以前にこういう話を聞いた.女性の様々な笑った顔写真を男性に見せる,そして彼女は今どういう気持ちかを言葉で表現してもらったところ,多くの男性は「嬉しそう」とか「楽しそう」とか答えるそうだ.

ところが同じ笑顔の顔写真を女性に見せると,なんと! 「困っていそう」とか「迷惑だけど断れない状況」とか「楽しそう」とかいろいろな答が返ってきたそうだ.

この心理学実験の原著論文にあたらないと正確なことはいえないのだが,おそらくこの女性の笑顔の写真は本当に楽しい笑顔ではなく,一見して笑っているのだろうけど,非常に微妙な笑顔だったのだろう.女性同士ではその微妙な変化はしっかり認知できる一方で,男性はなかなか気づかないようだ.

この実験,世界で同じ傾向があるのか,それとも日本人男性に特有なのかとても興味深い.


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経験ある方もおられるかもしれない.好きな女性にちょっと行き過ぎたプレゼントを渡してしまって,ありがとうと笑顔で言ってくれたけど,目が笑ってなかった,とか.(笑) こういうシチュエーションで表情に笑顔が現れない女性は少ないかもしれないが,その笑顔には無数の気持ちが立ち現れているのだ.特に「目」は大切.目は本当に嘘をつかないらしく,占い師などは目を見ただけでだいたいのことを把握することができると言う.

男性は一般的に表情を読む力が弱いのだろう.僕も人のこと言えない.たぶん一般的な女性よりははるかに弱いだろうし,勘違いをすることもある.しかし手立てがないわけではない.なぜなら,現実社会ではいきなり上の実験みたいに写真だけ見せられるわけではなく「経緯」というものがあるからだ.

経緯があれば,考える材料はたくさんあるのだ.彼女が喜んでくれるか,ひょっとしたら迷惑かもしれない,などとふたつの可能性をちゃんと予め考えることが可能になるわけで,瞬間の表情から全てを判断しなくてはいけないなんてことはない.そういう事前の思考があれば,笑顔の中にある困惑のニュアンスを感じ取って,「やべぇ,ちょっとやりすぎたなぁ」と理解もできるわけ.これはコミュニケーションをとる上でとっても大切な能力だと思う.そしてもし,ちょっと勘違いしたとしても,この冷静さがあれば修正可能だ.

ところが,どーも「彼女はよろこんでくれた」と勘違いしたまま暴走する才能の持ち主がいる.(このタイプがストーカー予備軍だ.)最近増えているのか,実は昔からそうだけど,こういうタイプの人は昔は自由な恋愛をしていなかったから問題にならなかったのか,これはよく分からない.こういう暴走男は肉食系男子の中で大の問題児.自分の溢れる気持ちはがんがん出てくるのだが,相手の気持ちを考えようという意志や,物事を客観的に捉えようとする意志が希薄な傾向だ.そして自分に都合のいい解釈(いい言葉で言えば,とってもポジティブ思考)を好み,それを肯定する材料を探して自分を励まし,全く冷静でない.

こういう男性に出会うたびに,自分は同じ男性としてちょっと恥ずかしいのだけども...しかしこのタイプ,困ったことに波長が合う者同士の間ではけっこう受けがいい傾向にあると感じる.(事実,同姓同士で盛り上がっているとけっこう楽しい人が多い.)この同姓受けと積極的であることが買われて,時にばっちり昇進して,セクハラ・パワハラがとっても上手な上司のポジションにおさまったりするのだ.本来,上司のポジションには相手の目をしっかり見ることができて,人の気持ちを考えることができる人望の厚い人がいるべきなのだが,全く逆のことがよく起きるのが日本なのである.人気はあっても人望は生まれない.これは家庭でも同じことだろう.

前にテレビで熟年夫婦に,実家のことと子供のことを話題にせずに10分間会話できるか,というテストをやっていたけど,壊滅的だった.涙 まあ,カメラが回っているせいとか,壊滅的な夫婦だけを見せたという可能性もあるだろうけど...にしても酷かった.会話(対話)というのは,相手が何を考えているのかを思いやりながらでないと進まないものだと思う.ただ話題がないというだけではないだろう.

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  1. 社会
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趣味の目的 :: 2011/02/20(Sun)

趣味は楽しければそれでいいじゃん,と人は言う.もちろん同意だ.でも,趣味のどこを楽しいと感じるのか?と問うてみると,これは人によってかなり違うようで,それは前々から思うところだ.

例えば,魚釣りが趣味の人がいたとしよう.それはただ「魚釣りが楽しい」と片付けられる簡単なものじゃない.魚がかかって糸がククッと引かれるあの瞬間が楽しいのか,自給自足的な行いが嬉しいのか,1人の時間が持てるのが魂の解放なのか,たいていはそれらの組み合わせなのだろうけど,そんな具合に人それぞれだろう.

僕は写真,特に昆虫の写真をとるのが好きだけど,おおむね趣味で昆虫の写真をとっている人とは波長が合わない.楽しく感じている場所が全く違うらしいのだ.その生き物が,その生き物らしいと感じられるような写真を撮りたい.昆虫が嫌いな人に昆虫の美しさに気づけるような写真が撮りたい.そんな写真が撮れた時,本当に「楽しい」し「嬉しい」って思う.

最近はギターにはまってしまい,暇さえあれば練習している.せっかくのクラシックギターだから,クラシックギターでひくべき曲をいくつか練習しようと思い,映画・禁じられた遊びの「愛のロマンス」,そしてフランシスコ・タレガ (Francisco Tarrega)の「ラグリマ(Lagrima)」を選んで練習していたのだが,どちらも練習のかいあってどうにかひくことができるようになった.ラグリマは「涙」という意味.とてもきれいな曲なので,ユーチューブからリンクしてみた.





それにしても,練習は楽しいのだけど,ひととおり弾けるようになったら目的を見失ってしまった.

で,次の目標が必要になった.こちらはおそらくそう簡単にはたどりつけない目標.

今僕は何を考え始めているかと言うと,あのフランス映画「禁じられた遊び」をまず見なくていけない,見なくてはこの先,どうにも弾きようがない,と...それから涙って何だろうか,ということも考えてしまう.涙を感じずしてこのラグリマは弾きようがないだろう,と...涙はいろんな時に出るものだ.このタレガの「ラグリマ」はどんな時の涙を表現しようとしてるんだろうか.いろんな「涙」を表現できるだろうか.

最終的にはスペインに行かざるをえないだろう.(笑)スペインの空気を知らんとね.

一方,コード弾きで弾き語りする場合,ちょっと事情が違ってギターは伴奏に徹するものと妥協してもいい.でも今度は心をこめて歌いながらギターを弾くということの難しさを痛感する.

出現頻度の高い基本のコードはだいたい覚えたので,初見でもコード進行があればだいたいたどれるようにはなった.べたながら,ビートルズの「Let it be」.聴くだけと違って,弾き語ると違う世界が見えてくる.川嶋あいさんの「明日への扉」も改めて感動した.これ,カノン進行ということを始めて学んだが,すごい安定感.いや説得力か.この曲も聴くだけよりも何倍もその力を感じた.そして若返った.(笑)





やっぱり趣味の究極目的は,自己満足.そして自己治癒.趣味で元気になって,心にゆとりを持ち,あたたかな気持ちを持てるように.僕の場合,その過程がちょっと面倒くさい.

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  1. 何かの紹介等
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車のデザインと汚れ :: 2011/02/13(Sun)

洗車は必要なのか.どうなのか...どれくらいの頻度ですべきなのか...洗車には相反するいろんな要因が絡んでいるので,いつも僕はどうすべきか迷う.基本的には車は清潔な方が気持ちがいいのだけど,やりすぎるとボディの傷も増えそうだし,そしていつも綺麗に「人に見せたい」という思いは僕の場合ないので,頻繁な洗車は気が進まない.そういう意味では,僕は外側よりも室内の清掃の方が重要だと思う.何しろ人が乗ってくつろいだり話をしたり,そういう居住移動空間は室内だからだ.

塗装を痛めないために洗車は必要だと言われることもあるが,誇大広告も多いように思う.ただしここ札幌では冬場は融雪剤が撒かれるので,錆のリスクを軽減するために洗車はした方がいいとも思うが,それにしても長距離や高速道路を走った時にやる程度.

我が家のアルファ147は,かなり汚れていてもそれはそれでいい雰囲気である.色がシルバーなので汚れが目立たないというのもあるが,汚れのせいでせっかくのデザインが台無し...なんてことはない.






僕はむしろワックスばりばりにかかっていてピッカピカの車よりも,少し汚れた車の方が好きだ.美しさの基準なんて人それぞれだと思うけど,そういう時にこそその車のデザインがどういう味を持っているのか明らかになるような気がするのだ.

車のデザインを考えるとき,雑誌の評論などではたいてい汚れていないぴかぴか状態で論じることになると思う.しかしどうだろう,泥まみれになった状態で見比べると違った発見があるかもしれない,なんて思わないだろうか.都合がいいことに,この時期の札幌を走る車は,まあ洗車直後でもない限りはたいてい汚れまくりなので,ちょっと考察してみる.こんなに汚れるのは雪国の特権だ.涙


最近は新型プリウスが増えて,そこらじゅうで見かけるのだけど,あの車は泥んこになっているとあまり気持ちよく見えない.汚れとデザインが調和しない.まあ,そもそも現行プリウスはぴかぴかであっても,今度は周囲の風景と調和しない.だからといって積極的に何か主張する個性も感じない.しかし,これこそがプリウスの立ち位置なのかも.難しい車だ.

奇抜なデザインでも汚れがしっくりくる車もある.現行のデミオやアテンザは汚れていてもなんかいい感じで,味がある.日産ジュークも最近時々見る.この車,かなり無茶な(悪い意味ではありません)姿しているけど,不思議なことに汚れていても悪くない.面白いものだ.

外車なら僕は現行のBMWやアウディは綺麗なほうがいい.あまり汚れと相性がいいデザインではないんじゃないだろうか.特に最近のアウディ.クセのある濃いデザインは汚れによってスポイルされるように感じる.一方メルセデスは汚れていてもかっこいい.セダンもクーペも.汚れさえも取り込んでしまうような独特の包容力を僕は感じる.もしくは汚れにデザインが屈しない,ということか.

イタフラ系は基本的にどの車も汚れていてオッケー,というか汚れと仲がいいとそう感じる.フィアットやプジョー,ルノーなんか少し汚れていた方が安心だ.シトロエン...うーん難しいところだけど,やっぱりあのC6でさえ汚れることでいい出汁が出ていた.イタフラ系はどうも汚れた状態がデザイナーの頭の中にあるのかもしれない.

デザインというのは人それぞれなので,これはあくまで僕の感想ということで.

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ピレリ・ウィンターアイスコントロールで,2シーズンが過ぎようとしている.ほとんど昨年と変化なし.今日のようにアスファルトが出てくると,もうこのタイヤのなんともいえない柔らかな接地感に心が和む.





147の近況.最近は路面の不整を乗り越える時などにキュルキュルという音が顕著だ.音源はマウントブッシュだろうと思うのだが,春には車検なので,その他メンテナンスの報告も含めてまた書きたいと思う.それ以外に特にトラブルは出ていません.北海道の過酷な冬,このまま乗り切ってくれそうだ.

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八百長は統計学的に証明されていた? :: 2011/02/07(Mon)

どうやら,大相撲に八百長が存在することを強く示唆するデータは既に存在していた模様.

大相撲の八百長騒動で世の中盛り上がっているようだが,僕としては特に驚くことではない.こういう水面下の世界というのはどんな社会にも少なからずあるもので,問題にしなければならないとすれば,それがどれくらい悪質か,倫理的に問題があるか,そして犯罪と結びついているか,などである.

今回の問題は,例えば大相撲を真剣勝負の格闘技と思っていた人にとっては裏切りであり,ショックも大きいだろう.しかし大相撲を一種のショー,もしくは日本的な精神が通った何かと思っている人からすれば,何を今さら騒いでいるんだと感じる程度のことである.だいたい,八百長という言葉の語源は相撲と関係している.

それから,勘違いしている人もいるようなので書くが,八百長には「ずる賢い」のようなニュアンスは本来ない.「ずるをして勝つ」よりも「わざと負けて相手に勝ってもらう」のイメージが八百長だ.これも一種,功利を生産するための局所的システムである.

本人たちにとってはおそらく当たり前の世界だっただろうから,これは悪質ではない.そして,おそらく犯罪性もない(犯罪組織にお金が流れている,とか...)....ああしかし,だからと言って八百長オッケーで~す,と片付けることもできなくなってしまった.八百長はあくまで水面下になくてはならないのだ.公の場で「八百長」としっかり認識されてしまうと,それは「あってはならないこと」ということになる.これは私たちの古くからの精神と,現代の社会の仕組みや現代の法律等との間に相容れない部分があるからである.この混沌とした状況が今回の騒動を生み出した.おそらく過去であればもみ消して終わっていただろう.

21世紀の日本で,今後大相撲がどのようにあるべきか,考えるいい機会になればと思う.

ところで面白いニュースを見つけた.

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http://www.asahi.com/sports/update/0204/TKY201102040252.html

角界を揺るがす八百長疑惑。日本相撲協会の放駒理事長は2日の会見で「過去には一切なかった」と述べたが、11年間の星取表を調べ上げ、八百長の存在を統計的に示した2002年の学術論文が改めて注目を集めている。

 米シカゴ大のスティーブン・レビット教授(経済学)らは1989年から2000年までの十両以上の取組3万2千回以上を調べた。7勝7敗で迎えた力士の千秋楽での勝率は75%にもなった。

 勝ち越しをかけた一番で勝率が上がるのは八百長ではなく、力士が必死になるからという説明もあり得るが、同じ相手と次の場所以降で対戦したときの勝率は4割程度に下がっていた。

 教授らは、わざと負けることで借りを返したと分析。ただ、統計的には返し切れたとは言えず、残る分は金銭で埋めたのでは、とした。

(後略)

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さすがに経済学者だけあって,「金銭で埋めたのではないか」という考察が僕のツボを直撃した.そしてそれを今回の報道が一部証明したというわけだから,これまた面白い.

しかしこのレビット教授,やや悪趣味? 笑

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ドッペルゲンガー :: 2011/02/05(Sat)

この国で生きていくことのなんと奇妙なることだろうか.

奇妙とは,いたるところに矛盾なるものが当たり前のようにあること,
いやそれこそが,理であるかのようにあることだ.

理屈は屁理屈であり,

理由は言い訳であり,

本音は建前であり.

計画は白紙であり,

幸せは不幸せでもある.

いつでも誰でも簡単にすり替える.
とっても簡単なことだ.

自然体で生活することがどれほどに難しいことか,

一度気づいてしまったものはもうもとに戻らない.
ちょうどコップの水がこぼれたようにもう水は戻らない.

そこからは自己矛盾との戦いが始まる.
自分自身の中で何を自分としたらよいのか分からなくなる.

笑顔を振りまいていつでも人に同意する自分に嫌気がさしても,
いつでももの申したい自分にだって嫌気がさす.

誰を演じるかはじめは分かっている.
でも次第に霧が濃くなり,
お互いの姿を見失い,
もう1人の自分はどこにいるのか
分からなくなっていく.
そしてある時,偶然に,
歓喜と嫌悪と恐怖と憎しみをもって,
もうひとりの分身と出会うことになる.




今日は 然様なら
愛してゐる 大嫌ひ
夕暮 泪雨
懇(ねんごろ) 赤の他人
見えてしまつたよ 慾を掌つた過去形
まう罷めるよ ほらすぐ此処に示して
楽にしてあげる

「ドッペルゲンガー」より
(詞:椎名林檎)


全歌詞:ドッペルゲンガー 椎名林檎 歌詞情報 - goo 音楽


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ドッペルゲンガーはサードアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」の二曲目に収録されている.しかし僕は,この曲は1曲目の「宗教」と切断できないと思っている.どこまでが宗教でどこからがドッペルゲンガーなのか不明瞭.宗教の後半は林檎さんが違う声質のユニゾンでこだまのように歌い合う部分があるが,この辺からもうドッペルゲンガーの世界は始まっている.そういういう意味では3曲目の迷彩とも切断できないし,そもそもこのアルバムは1曲1曲に分解できない構造をしているのだが...

いちおう,CDインデックスで定義されてしまったドッペルゲンガーはこちら.





さて,この曲はファンの間ではちょっとしたいわくつきの作品だ.というのも,逆再生をするといろいろ聞こえるからである.もっとも怖いのは「誰か死ぬ」と聞こえるところだが,これは順方向で「楽にしてあげる」と歌っている部分である.

「楽にしてあげる」という言葉が,逆再生で「誰か死ぬ」に聞こえていることが怖い.誰が死ぬのか分からないというのも怖い.

そんなの偶然だろう?と励まされるところだが,僕はむしろ「たまたまそうなってしまっている」方がよほど怖いのよ.これが日本的な怖さ.

で,偶然ではないと僕は思って続きを書いてみる.

この作品はメロトロンという楽器が使われているようだ.

http://ja.wikipedia.org/wiki/メロトロン

この楽器は,それぞれの鍵盤に対応したテープがあり,鍵盤を押すとそのテープに録音された音が再生される.今回,この曲の逆再生で林檎さん自身の過去の楽曲がいくつか聞こえる.たぶん空耳ではない(と思う).熱心な方は相当数の楽曲を指摘しているが,僕には少なくとも「本能」と「積み木遊び」という二曲ははっきり聞こえる.逆再生で聞こえるわけだから,これはメロトロンにセットされたテープにそのように録音したということだろう.

また,林檎さんは左右対称,シンメトリーのような幾何学的な装飾が好きで.アルバムの楽曲も字数もたいてい左右対称だし,このアルバムは総演奏時間が44分44秒になっていたりする.時間が進む方向が,順と逆のふたつあることくらい当然考慮にあるはずだ.ドッペルゲンガーより前に発表されている「ストイシズム」という楽曲の中で,すでにそれを示唆する部分がある.

「でんよとんゃちをえまなのしたあ」
「でいなさいあをいめひなんおふ」

という,ブックレットには印刷されていないフレーズがあるのだが,これは逆から読むと意味がとれて,林檎さんの有名な曲の歌詞の一部である.これは逆再生ではないけど,かように逆向きの世界は十分に意識されている.

ということで,ドッペルゲンガーを逆向きに再生していろいろと感じるとすれば,それは偶然じゃなく意図的であってもおかしくはない.楽にしてあげるを逆から再生して誰か死ぬに聞こえることを林檎さんはあらかじめ分かっていて,ちゃんと聞こえるようにエフェクトをかけている可能性だって捨てきれない.どうだろう,怖くなくなりましたか?

(それにしても,偶然と意図的,一般にはどちらが怖いことなのだろう...!?)

問題の逆再生はユーチューブにあるのだが,とても気味が悪いので,霊感が強いとか,日本的な怖さに弱い人は決して夜中に,しかもひとりでヘッドホンで聞いたりなんかしてはいけません.お約束ください.(笑)

まあ何でも無い人は何でもないでしょうけど..




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  1. りんごさんのことば
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