値札を見てはいけません

日本人はどうも,物の値段の話題が好きですね.

前にテレビで,有名シェフが作った料理を芸能人が食べて,その値段をズバリ当てるというクイズ番組をやっていました.とにかく,値段を当てるというだけで,すごい盛り上がりです.皆真剣に考え,はずして大ショックを受けたり...汗

身近な場所でも,値段の話しはよく出てきます.スーパーマーケットの会員様感謝デー5%オフの日が重要な日だったり,発泡酒・その他の雑種と,少しでも税金が安くなるお酒が生まれてきたりします.ガソリンが値上がりする前日にスタンドに車の列ができるのも,1円でも安く買いたいという欲求でしょう.こんなこともあります.「それ素敵なバッグだね.」と聞くと,「これで1万円だったんだよ」などと聞いてもいないのに値段の話で答える人がいます.笑

私は,値段は商品につけられているものであって,商品と一体のものだと思います.例えば,ある店のコーヒー1杯が400円だとすれば,市場がそのコーヒーに400円の価値を見出したという結果でしょう.400円という絶対値はただの数値にすぎず,「そのコーヒーの味,香り」などの情報なしに,「400円」という価格の意味は存在できないはずです.ですから,この味で400円は高いとか,安いとか,妥当だとかいう感覚が当然生まれると思うし,それは人によって違ってくるものでしょう.もっと深い世界に入るなら,コーヒーの入れ方や,コーヒーカップのデザインの好み,店員の心のこもったサービスなどを,人は価格の中に含めるかもしれません.

しかし残念ながら,そういう商品そのものに対する価値判断が介入することなく,値札だけが勝手に一人歩きしてしまうことがありそうな気がします.

ある絵を見せられて「なんだ!?この絵は???」と思ったとします.つまり全く心に響かなかったと...しかしその後に人から,「この絵は1000万円の値がついているんだよ」と教えられたら,多くの人は「まじで?」と衝撃を受けるでしょう.しかし私は,自分の感性を信じて「全く分かんない」と言い切るべきだと思います.だって,そう感じたのなら,その人にとっての価値は例えば1000円くらいだったとしても,いいじゃないですか.もし,1000万円の価値を自分は見落としたんだとか,知りたいと思ったのなら,もう一度その絵をよく鑑賞しなおせばいい,それだけのことです.それでも分からないなら,分からなくても別にいいんです.それはそれで市場に対する一票です.

私が最も問題だと感じるのは,その価値を理解しないままに,「この絵は1000万円の値がつく価値ある絵なんだ」などと,すっかり納得することです.もし納得してしまうと,理解のないままの価値が育まれ,それは値札に置き換えられて一人歩きを始めます.この納得は,「こういう点が1000万円の値がつく理由だ」のような納得ではなく,「これが1000万円の値札がつけられている絵だ」という納得です.こういう人が「欲しい」という欲求を持つなら,それはその価値の理解から生じたのではもちろんなく,価値があるらしいその絵を所有することで生じるステータスや賞賛を浴びるだろう期待から生じていることは間違いありません.

こうして,中身の価値を知らずして「ブランド」というものがやたらともてはやされる日本の現状が生まれます.ルイ・ヴィトン,プラダ,グッチ,アルマーニ...メルセデス,BMW,VOLVO...価値があるらしいこれらの商品を所有することが目的なだけであり,それらの価値に魅了されて購入している人は決して多くはないでしょう.

冒頭に書いたテレビのクイズ番組の話しに戻ると,食べずして盛り上がれる周囲の人々,そしてお茶の間でそれを楽しんでいる視聴者は,明らかに料理の価値に興味があるのではなく,ただ値札を追いかけているに過ぎない気がします.

日本人はもっと,「値札」ではなく「商品の価値」に目を凝らすべきです.消費者はものを買うとき,その商品の価値を値札から読み取るのではなく,その商品そのものから読み取り,それと値札を比較して,意思決定しなくてはいけません.これは消費行動の基本です.これを消費者が行わないと,商品の質は劣化し続け,世界に発信できるような日本製のものは消えていってしまう気がします.

関連記事:お金について
      :日本人は利己的か
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      :詐欺社会の構図(2)


 

テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

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ガソリンの値上げの前日の夜に、何時間も並んで安く入れようとしている人達の列を見て、知り合いの欧米人が「そのために何時間もエンジンかけたままで並ぶのは勿体なくないのか」と極当たり前なツッコミを入れてました(笑)数字には異常なまでに反応する国民性でしょうか・・・
カフェやレストランのコーヒーに対して、よく「家で飲めば(豆代は)数十円」なんて言う人が居ますが、手に取れる物の単価でしか無いのでしょうね。数字には敏感なのに、何かにとても鈍感な気がします・・・(汗)

moritoさん,こんにちは!

数字に敏感な現代日本人の国民性,その原因を探るのは難しいですね.私が最近思うことは,やはり日本人は自信が全く無いんだろうなぁ,ということです.何をするにも自信がないから他人を気にして合わせるし,また共有すべき絶対的なものを求めた結果が数字への固執なのかな,と...しかしその反動でストレスをためて,結果的に身勝手だったり子供っぽい人格を形成させてしまう...昔の日本人は自信を持っていたのかと聞かれれば,確かにはっきりは分からないです.ただ前にも書いたように,過去は日本人も何かしらの信仰を持っていたと思うし,ここで書いた「自信」とはそういう場所から生まれるものかもしれないと思ったりします.

貨幣価値

なかなかイイコトを書いていらっしゃると思う。

モンテもん吉さま.

そう言っていただけると励みになります.
ありがとうございます.m(__)m

表コメントでははじめまして。
神奈川のJIJIです。
リンクの件、ありがとうございました。
また、こちらの記事を引用させていただいた先も、あなた様の説得力ある記事効果で沈静化したようです。

さて、ちょっと角度は違いますが、この記事については私も心底同様の気持ちを持っておりました。
ものずくりの場を生業としている私にとっては、本当に切実に思うところです。

先日の某番組において、著名な日本人デザイナーが、こう言っていました。

ものをつくるということは、すなわちなにかを破壊することから始まる。
環境破壊、資源利用、などなど
だからこそ、貴重なそれらを無駄にしないために、最低限利用した資源や素材以上に価値のあるものをつくりださなければならないと。
すぐ廃棄されてしまうようなものを安易に作り出してはいけないと。

JIJIさん.こんばんは.
コメントありがとうございます♪

私も,すごく共感いたします.現在の日本では「いいもの」を長く使うより,適当に安いものを買って,あまり長く使わずに捨てていくというのが常ですね.まあ,すべてじゃないですが,そういう習慣は普遍的に存在すると思います.これからの時代,問題となる習慣でしょう.エコを叫びながらも,こういう最も基盤となる部分が欠けているのは非常に残念なことだと感じます.JIJIさんのほうの会社では,素敵な住空間をたくさん提案されているようで,素晴らしいですね!公式HPも拝見させていただきました.

あっ!ちょっと説明が不足し誤解があったようです。
私の生業は別で、あそこの住宅メーカーで自邸を建築したのです。
1オーナーとして応援しているだけです。
住性能には大変満足しています。

こちらのほとんどの記事を一晩で閲覧したほど惹かれる記事が多数あり、どれも共感できます。私のバイブルとしてさらに読み返し、その本質に迫りたいと思います。
私の心を目覚めさせてくれたこのブログに感謝です。

JIJIさん.

いやー,やってしまいました.間違った思い込みをしてしまい申し訳ありませんでした...どうもおっちょこちょいでして...(^^;)

私の記事にいろいろと共感していただけたようで,改めてとてもうれしく思います.たまに意味不明だったり,誤解を招くような表現もあると思うので(特に過去の記事ほど...汗),そういうときは遠慮なくごコメントいただければと思います.

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