私の友人に,霊が見えると言う人がいます.私には見えません(感じません).でもその人は見えると言います.その人から何か奇跡的な体験をさせられたこともありませんが,私はその人の言うことは,本当に信じています.まあ,霊を信じているというよりは,自分に全く理解できないからとか,社会通念上嘘だと思われているからとか,科学的でないからと言って,間違いだと決め付けることの根拠を自分は見つけられないからです.
私は科学を職業にしているのですが,実は科学の限界を常に感じています.それはパソコンの計算速度をもう少し向上させるようなことには役立ちますが,もはや人類がそもそも科学に求めていた「真理の探求」なんてことは不可能だろうという意味です.20世紀で最も美しい科学実験に選ばれた「二重スリット実験」は,私たちに「科学で真理を探究することは無理がある.科学はただ人が分かる言葉に置き換えた解釈のようなものだ」という認識を新たにさせます.すべては不確実な状態の上に成り立っていることが皮肉にも科学的に証明されてしまうのです.(不確実さこそが真理?そんな真理なんてあっていいものでしょうか!)
ここにきて,科学は真理を探究する崇高な存在から,生活を楽にする「道具」に成り下がりました.少なくとも最先端の基礎的領域を専門とする科学者の多くはそれを感じています.しかしそもそも客観性のある真理などというものは無いことは分かっていました.なぜなら私たちは生きていて,そこに主観を除くことなど不可能だから,完璧な客観性など無いも同然です.
死後の世界はあると思われますか?科学的に考えるなら,ナンセンスな話です.そんなものは無い.私たちが生き,考え,笑い,泣いたりするのは,すべて脳の神経細胞の複雑な信号のやりとりが引き起こす特殊な状況ですし,脳波を測定すれば,なるほどそれは科学的に正しい説明だと分かります.死ぬと,細胞が自発的な活動を止めますが,神経細胞上の情報はどこにもそっくり移すことはできません.神経細胞といったって物質からできています.つまり炭素とか酸素とか窒素原子なのです.死体を放っておけば,バクテリアに分解され,神経細胞もアンモニアや二酸化炭素になっていくでしょう.焼かれれば,炭や二酸化炭素になるでしょう.とにかくそうやって還っていきます.「死んだら土に還る」が科学的には一番近いですね.ただ複雑に関係しあうことで生まれていた「情報」は消失するので,記憶を引き継いでその先を進んでいく「死後の世界」を科学的に考えることはできません.死んでなお続く世界など想像できないでしょう.
しかしです.科学的にだけ考えて,だから死後の世界がないなどと本当に言えるでしょうか.私たちは,なぜ,死後の世界について科学で語ろうとしなくてはならないのでしょうか.科学がただの道具なら,そんなもので死について真剣に考えるなんて馬鹿げています.誰がそういう義務を課したのでしょう.科学は,ある現象に対して,ある方向から強い光を当て,光が当たった場所だけを克明に見ているようなものだと私は考えます.光が当てられた場所だけは,全く矛盾がありません.しかし,光が当たらない(当てられない)場所を考え出すと,科学は無力化していきます.何も「死後の世界」などという極端な話しを持ち出さなくても,それは日常に存在します.1年後の今日,雨が降るかどうかは,科学では絶対に分からない(説明できない)のです.あなたが今,月を見て何を想うのか,科学では絶対に分からない(説明できない)のです.
関連記事:「私たちに自由意志はあるのか」

私は科学を職業にしているのですが,実は科学の限界を常に感じています.それはパソコンの計算速度をもう少し向上させるようなことには役立ちますが,もはや人類がそもそも科学に求めていた「真理の探求」なんてことは不可能だろうという意味です.20世紀で最も美しい科学実験に選ばれた「二重スリット実験」は,私たちに「科学で真理を探究することは無理がある.科学はただ人が分かる言葉に置き換えた解釈のようなものだ」という認識を新たにさせます.すべては不確実な状態の上に成り立っていることが皮肉にも科学的に証明されてしまうのです.(不確実さこそが真理?そんな真理なんてあっていいものでしょうか!)
ここにきて,科学は真理を探究する崇高な存在から,生活を楽にする「道具」に成り下がりました.少なくとも最先端の基礎的領域を専門とする科学者の多くはそれを感じています.しかしそもそも客観性のある真理などというものは無いことは分かっていました.なぜなら私たちは生きていて,そこに主観を除くことなど不可能だから,完璧な客観性など無いも同然です.
死後の世界はあると思われますか?科学的に考えるなら,ナンセンスな話です.そんなものは無い.私たちが生き,考え,笑い,泣いたりするのは,すべて脳の神経細胞の複雑な信号のやりとりが引き起こす特殊な状況ですし,脳波を測定すれば,なるほどそれは科学的に正しい説明だと分かります.死ぬと,細胞が自発的な活動を止めますが,神経細胞上の情報はどこにもそっくり移すことはできません.神経細胞といったって物質からできています.つまり炭素とか酸素とか窒素原子なのです.死体を放っておけば,バクテリアに分解され,神経細胞もアンモニアや二酸化炭素になっていくでしょう.焼かれれば,炭や二酸化炭素になるでしょう.とにかくそうやって還っていきます.「死んだら土に還る」が科学的には一番近いですね.ただ複雑に関係しあうことで生まれていた「情報」は消失するので,記憶を引き継いでその先を進んでいく「死後の世界」を科学的に考えることはできません.死んでなお続く世界など想像できないでしょう.
しかしです.科学的にだけ考えて,だから死後の世界がないなどと本当に言えるでしょうか.私たちは,なぜ,死後の世界について科学で語ろうとしなくてはならないのでしょうか.科学がただの道具なら,そんなもので死について真剣に考えるなんて馬鹿げています.誰がそういう義務を課したのでしょう.科学は,ある現象に対して,ある方向から強い光を当て,光が当たった場所だけを克明に見ているようなものだと私は考えます.光が当てられた場所だけは,全く矛盾がありません.しかし,光が当たらない(当てられない)場所を考え出すと,科学は無力化していきます.何も「死後の世界」などという極端な話しを持ち出さなくても,それは日常に存在します.1年後の今日,雨が降るかどうかは,科学では絶対に分からない(説明できない)のです.あなたが今,月を見て何を想うのか,科学では絶対に分からない(説明できない)のです.
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