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日本人の利己は功利を生めるか :: 2008/01/10(Thu)


関連記事:日本人は利己的か?


友人同士4人が集まって,ケーキを食べることになりました.ケーキが大好きで,腹ぺこのAさんは,一番大きなケーキを食べたいと思っています.

パターン1:
A「今日はとてもお腹が減ってるし,自分はケーキには目がないんだ.この一番おおきいやつをもらってもいいかな?」B「いいよ.私はそんなに食べられないし.わたしは一番小さなのをもらうことにする.」C「もちろんかまわないよ.自分はこっちのタルトがいいな.」D「え?実は私もその一番大きなケーキねらってたのよ!!・・・でもやめとくわ.実はこの後,彼と夕食の約束があるの.だから,大きいケーキはあなたにあげる.」A「じゃあ,いただくよ.ありがとう.」

パターン2:
A「美味しそうなケーキだね.」B「いろいろあるんだね.どれにしよう...選べないから私はあまったのでいいよ...」C「Aさんは,確かケーキに目がなかったんじゃない?この一番大きいのどうぞ.」A「じゃあ遠慮無く.いっただっきまーす.」D「Bさんはチョコレート系が苦手だったよね.私このチョコレートケーキもらってもいい?」B「ええ,どうぞ.あらちょっとAさん,のど詰まらせないでよ.笑」

パターン3:
A「一番大きなケーキをゲット!!」B「ずるーい.私もそれがよかったのに.」A「ええ?Bさんこの一番大きいのがいいの?じゃあ,ゆずるよ.」B「いいわよ.私こっちのイチゴがのったほうにするから.」A「そう?いいの?じゃあ,いただき.」C「おれはこっちにしよう.」D「私はこれでいいや.」

利己主義とは,他者の利益より自分の利益を優先する行動をとること.人間の行動は基本的に利己的だと言われます.しかし経済学では,この個人の利己心が社会全体の利益を向上させる,つまり功利的にはたらくということを仮定しています.これに基づいて,現在の資本主義経済は動いているわけです.

さて,話を元に戻します.どのケーキを食べるか決定する話し合いの例は,私が考える社会構造の模式表現です.

まず,パターン1.これは欧米型です.全員が利己的で,それなりの欲求を伝えようと発言しています.AとDが対立しますが,話し合いの結果,合理的理由を発見し,また公共の場での倫理観があるDのほうがおれます.そしてAの欲求は達成されます.注意したいのは,個人の利己は保ちながら,それぞれの欲求を他者が理解する作業が介入しているので,4人全員が大きな不満をかかえていません.最大の功利を4人は手に入れたと言えるでしょう.次にパターン2.これは日本的でありながらうまくいく例です.日本人は基本的に同一の思想を共有してコミュニティを発達させ,お互いのことをよく知り合っています.ここではCがAは一番大きいケーキがほしいだろうということをいち早く思いつき,Aに勧めます.Aは利己的ですが,自分からは表出させません.つまり謙虚です.Cは一見利他主義(他人の利益優先の行動)に見えますが,次回AはCにゆずるかもしれないので,これは一種の投資です.次にB.Bはなぜ選べないのか.これは他人が欲しいケーキを奪って悲しませたくないからであり,利己が希薄な,完全なる功利主義者です.でもDがBの隠された利己を知っていて譲ります.結局,誰も悲しい思いはしません.最大かどうかは不明ですが,いちおう功利的結論です.さて最悪のパターン3.ここではAは極めて利己的です.しかしその利己に対抗するBが現れます.しかし本質的議論はなされず,「理由なき譲歩」をし合います.Aが利己的なのは分かりますが,Bは利己的でしょうか?実際はAの傲慢さに反感を持ち,あえて「私も」と言っただけかもしれません.でもそれは欲求のままの行動であり,別の利己の発動です.一方CとDは意見を発しないので,はたしてどういう意見だったのか分かりません.ひょっとしたらAとBのやりとりに興味さえ持っていません.このパターン3が現代日本社会の私なりの状況説明です.

パターン3は功利的でしょうか.もしAにしか利己が存在しないなら,Aの希望が達成される以外に方法はありません.これを功利的というにはちょっと問題があるでしょう.資本主義経済における利己の集積による功利の生産はパターン1です.互いに状況を理解し,最大人数が最大幸福を得られる方法を模索し,時には妥協点を探ることです.パターン2は特殊です.これはすでに相互理解が成立しているから成り立つだけで,全くの他人同士が集まっても機能しません.そう,パターン3はパターン2において全くの相互理解を失くした場合の成れの果ての姿ともとれます.相互理解がないからそれを構築しようという建設的な考えを持つ者は誰一人いません.むしろ利己を守り,決して相手の意見を「理解し同意する」ことはないのです.プライドの塊です.そしてCとDでさえ,何ごとにも同意していないことに注意を払う必要があります.関わりたくない,という欲求があり,この二名も実はとても利己的だったりします.「同意なき社会」それが現在の日本です.政治においても同様です.消費税増税派と反対派の間では,相互同意が得られる建設的作業はほとんどなく,どちらかの意見を守り抜き,勝ち抜くことばかりをやります.揚げ足の取り合いをします.多数決という悪魔に魅了されています.

まとめると,現代の日本は昔のように単一の思想,考え方,共通認識を持った民族の集団ではなくなっています.それは鎖国を解き世界中の知識や思想を輸入したからです.それに加えて急速な科学技術の進歩がありました.日本人といえども嗜好や思想は多様化しているのです.しかし,お互いのその多様性を認めることは各自許していません.よって,理解し歩み寄ろうという発想が存在しません.道は二つです.自分を変えるか,社会を戻すか.自分を変える,それは西洋人のように相互理解を通して功利的結論に到達できるような議論能力を獲得すること.社会を戻す,これは再び鎖国して,話し合う前から理解のある単一思想に戻すこと.

どちらが美しい日本でしょうか?

   
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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 社会
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なんだか専属コメンテーターになりつつある今日このごろ(笑)
今日もあんまり考えがまとまってない状態でつらつら書かせていただきます。
「日本人の趣向の多様化」というような事は日本人によって、日本人の良い点として語られる事が多いような気がするのですが、僕はそれって本当に「多様化」なのだろうか?って疑問に思ってます。
例えば、「いろんなタイプのアーティストで出てきた」と言いつつ、日本人がJ-POPしか聴かなくなったという事実など。クリスマス・ケーキは「家族みんなの好みがバラバラなので、それぞれが好きなショートケーキを人数分買うという傾向になって来ている」と最近NHKで観ましたが、それも多様化というより「家族で一緒に何かひとつの事をする家族が少なくなった」という単一化のような気がします。また、2人の兄弟が別々の部屋で違うTVゲームをするというのも「多様化」と言って良いのだろうか?と疑問に思うんです。レストランでよく見かける日本人家族が、両親はそれぞれ携帯電話とにらめっこ、娘は漫画を読み、息子はDSに夢中などというのは多様化というより崩壊ですよね(笑)自分勝手で調和を求めない人が増えるのを「多様化」とプラス的な言葉でカバーしちゃう日本は、何だかとても危険な気がするのです。結局はまた「調和」の話になっちゃうんですが、「調和」はパワーだと思うんですよね。
  1. 2008/01/10(Thu) 01:06:53 |
  2. URL |
  3. morito #1wIl0x2Y
  4. [ 編集 ]

そうですね.ひょっとしたら私の多様化の定義がちょっと狭いかもしれません.ただ,moritoさんのコメントは基本的に私の憂いと同一のような気がします.「両親はそれぞれ携帯電話とにらめっこ、娘は漫画を読み、息子はDSに夢中」というのなんて,まさにレストラン内で可能な各自の利己的行動以外のなにものでもありません.利己的行動は生物には備わっているもので,自分の欲求にすべて従えばそれで終わりです.社会という存在は必要なくなります.そしてもちろん他人の利益は関係ありません.皆が勝手に利己心にしたがって振舞えば,ご指摘のレストランのようになるのだと思います.一方,互いの理解と同意があれば,人間はある程度功利的に行動します.自分の世界に引きこもることに功利性は見出せません.親はDSや漫画の面白さをよく理解し,何らかの相互同意を得なくてはいけません.よく分かり合えた人間同士は会話もはずみます.自然と家族間にも会話が戻ってくると思います.私が「同意」といっていることをmoritoさんは「調和」と言われているのではないでしょうか.どうでしょう...

最後に,「多様化」は確かに一般にポジティブな印象ですが,今回の記事であまりそういう意味では書いていません...お互いに多様であることを一切認めることなく徐々に多様になっているという気がします.よく考えるとこの状況自体がとても利己的だと思われませんか.
  1. 2008/01/10(Thu) 01:52:05 |
  2. URL |
  3. えりざべす #m5Dxg7h6
  4. [ 編集 ]

大昔から民族間の紛争を経験してきた彼らにとっては、それぞれの利己心をぶつけ合って功利的結論に導く事が互いの繁栄のために必然の要求であった事が予想される一方で、その対極として鎖国文化に育まれた単一思想がここでは挙げられていますね。
しかし、そもそも話し合う前から共通の認識を持てる程にまでに相互理解を深めておくという事自体、実はかなりの努力の賜物であるとも言えると思います。互いを尊重しつつ理解し歩み寄る発想でないと、こうした認識は形成出来そうにありません。「忍耐、我慢」の2文字が表すように、我が国では議論による西洋型相互理解よりもむしろ、まずは己の利己を押し殺す事を美徳として他との調和を図ってきたのかもしれませんが、これとて積極性はありませんが功利的な意味合いは充分に含んでいると思います。
小生がここで注目しているのは、単一思想と呼ばれているそのものではなく、それを形成し得るに至った人間同士の意見交流の様式なんですが、かつては「向こう三軒両隣」と言われ、家族の枠を越えたご近所との相互扶助関係に代表されるローカルな功利的関係すら維持できないほどに、近年では人同士の関わり合いが希薄になって各々がそれぞれバラバラな方向を向いている事を実感しています。「パターン3」やmoritoさんのコメントに登場する家族の姿は、こうした現状を指し示したものと小生は理解しました。「お互いに多様である事を一切認める事無く多様になっている」という部分には苦笑いですね。そもそも多様性を認めるという行動は、その対象が生物であれ無生物であれ、集団の中に含まれているそれぞれの異なる特質を一つのものとして認めるという行為(意志)に付随するものであり、それゆえそれら個性の承認無くして多様性という言葉の存在意義はあり得ないからです。この一文で指し示されているところの「多様化」は本来の意味から遠く離れた偽物であり、互いを認めるどころか、逆にその存在を無視する行為ですよね、これでは・・・。その意味で、moritoさんの言うところの「単一化」という言葉の方が、その根っこにある利己的な意志を表現しており、現状に即している気がいたします(苦笑)
こうした流れを間違った「多様化」という言葉の用法で黙認し続けるとしたら、各々が議論するでもなく、我慢するでもなく・・・現代の日本社会で衰退している利己心を功利的結論に導く能力は育まれないでしょう。少なくとも、カタチだけ鎖国しても、もう元には戻らない事だけは確かです。
  1. 2008/01/10(Thu) 18:27:42 |
  2. URL |
  3. 250 #g3Kmjhgc
  4. [ 編集 ]

250さん,お久しぶりです!コメントありがとうございます.

どうやら,私は多様化の語感を間違えていたようですね.moritoさんや250さんが許容しない意味合いで「多様化」と使用してしまったようで,訂正いたします...といってもいったん書いた記事の体裁を整えるのはよくないと思うので,そのままにしておきますが...苦笑

うーん.多様を使用する階層が低すぎたのかな....みんな違ったケーキを買ってくるというのはちょっとした多様ではありますが,クリスマスにはケーキを食べなければいけない,という単一思想の中に存在する悲しき多様.しかもその多様は,お互いのコミュニケーションなき孤独な利己心に根付くもの.こう言葉にしてみるとかなり最悪ですね,現在のこの状況...苦

私は二択のような記事を書いてしまいましたが,250さんのご指摘どおり,カタチだけの鎖国では,もちろんもとには戻らないでしょう.苦笑 とにかく建設的な次のステップを歩みだすべきなんです.ただ,具体的に何をすればいいのか...これがいつも難しいんですよね.
  1. 2008/01/11(Fri) 00:52:29 |
  2. URL |
  3. えりざべす #m5Dxg7h6
  4. [ 編集 ]

お返事どうもありがとうございます。こちらこそ、ながらくご無沙汰いたしておりました。

多様化の用法の件ですが、もちろんこれはえりざべすさんを責めてのコメントではなく、そうした間違った多様化の名のもとで、周囲への理解と尊敬の努力を忘れて各人の孤立化が進みつつある様に感じられる現状を表現したいと思いコメントさせていただいたものです。もしお気を悪くされたようでしたら、申し訳ありません。

ところで、別に今回に限らず、おっしゃるとおり具体的に取るべき対策を直ちに見出すのは本当に難しいですね・・・しかし、実はこれこそが皆で議論していく過程において見出されるべき事ですね(振り出しに戻ってしまいました。すみません)。利己の押しつけ合い(無関心を決め込むことだって、立派に孤独な利己の発動だと思います)だけから功利的結論は導けそうにありませんが、とにかく各人が(議論でも我慢(?)でもどちらでも構わないから、まずは)コミュニケーションを保つ努力さえ続ければ、多くの方々がそれぞれにお持ちの多様な意見を皆で整理していく過程において、次第に答えが明らかとなってくるものと思います。なので、えりざべすさんがそうした議論の場としてこのブログを立ち上げたこと自体、充分に建設的な一歩だと思います(笑)いろいろな意見が出てくるうちに、賛成意見やら反対意見やら、自分なりの別意見やらが人々の心の中に湧き起こってくる・・・まずはその感情が「思考停止」を解除する鍵なのでしょう。小生は映画「12人の優しい日本人」を観たことがないのですが、その作品の様になって行けば良いなぁと期待しています。
  1. 2008/01/11(Fri) 12:52:39 |
  2. URL |
  3. 250 #QrcInMbs
  4. [ 編集 ]

気など悪くしておりません.むしろ,意見をいただいて確かにそうだと思ったなら新たな理解や同意に達することができますし,違うと思ったらそうではないと思う,と率直にコメントしたいと思っています.まあ基本的にブログという形態なので,総合討論会のようにはなれないですが...笑

「12人の・・・」はもし時間がありましたら是非とも.とにかく笑えます.そして三谷幸喜さんの天才ぶりを感じられます.あの作品の中の議論はパターン1でも2でも3でもなく,ある意味不可思議な世界です.ただ私はあんなことはこの現実には起こらないだろうなと,その点ちょっと冷めていたりもするのですけど...(^_^;)
  1. 2008/01/11(Fri) 22:09:54 |
  2. URL |
  3. えりざべす #m5Dxg7h6
  4. [ 編集 ]

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