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友人同士4人が集まって,ケーキを食べることになりました.ケーキが大好きで,腹ぺこのAさんは,一番大きなケーキを食べたいと思っています.
パターン1:
A「今日はとてもお腹が減ってるし,自分はケーキには目がないんだ.この一番おおきいやつをもらってもいいかな?」B「いいよ.私はそんなに食べられないし.わたしは一番小さなのをもらうことにする.」C「もちろんかまわないよ.自分はこっちのタルトがいいな.」D「え?実は私もその一番大きなケーキねらってたのよ!!・・・でもやめとくわ.実はこの後,彼と夕食の約束があるの.だから,大きいケーキはあなたにあげる.」A「じゃあ,いただくよ.ありがとう.」
パターン2:
A「美味しそうなケーキだね.」B「いろいろあるんだね.どれにしよう...選べないから私はあまったのでいいよ...」C「Aさんは,確かケーキに目がなかったんじゃない?この一番大きいのどうぞ.」A「じゃあ遠慮無く.いっただっきまーす.」D「Bさんはチョコレート系が苦手だったよね.私このチョコレートケーキもらってもいい?」B「ええ,どうぞ.あらちょっとAさん,のど詰まらせないでよ.笑」
パターン3:
A「一番大きなケーキをゲット!!」B「ずるーい.私もそれがよかったのに.」A「ええ?Bさんこの一番大きいのがいいの?じゃあ,ゆずるよ.」B「いいわよ.私こっちのイチゴがのったほうにするから.」A「そう?いいの?じゃあ,いただき.」C「おれはこっちにしよう.」D「私はこれでいいや.」
利己主義とは,他者の利益より自分の利益を優先する行動をとること.人間の行動は基本的に利己的だと言われます.しかし経済学では,この個人の利己心が社会全体の利益を向上させる,つまり功利的にはたらくということを仮定しています.これに基づいて,現在の資本主義経済は動いているわけです.
さて,話を元に戻します.どのケーキを食べるか決定する話し合いの例は,私が考える社会構造の模式表現です.
まず,パターン1.これは欧米型です.全員が利己的で,それなりの欲求を伝えようと発言しています.AとDが対立しますが,話し合いの結果,合理的理由を発見し,また公共の場での倫理観があるDのほうがおれます.そしてAの欲求は達成されます.注意したいのは,個人の利己は保ちながら,それぞれの欲求を他者が理解する作業が介入しているので,4人全員が大きな不満をかかえていません.最大の功利を4人は手に入れたと言えるでしょう.次にパターン2.これは日本的でありながらうまくいく例です.日本人は基本的に同一の思想を共有してコミュニティを発達させ,お互いのことをよく知り合っています.ここではCがAは一番大きいケーキがほしいだろうということをいち早く思いつき,Aに勧めます.Aは利己的ですが,自分からは表出させません.つまり謙虚です.Cは一見利他主義(他人の利益優先の行動)に見えますが,次回AはCにゆずるかもしれないので,これは一種の投資です.次にB.Bはなぜ選べないのか.これは他人が欲しいケーキを奪って悲しませたくないからであり,利己が希薄な,完全なる功利主義者です.でもDがBの隠された利己を知っていて譲ります.結局,誰も悲しい思いはしません.最大かどうかは不明ですが,いちおう功利的結論です.さて最悪のパターン3.ここではAは極めて利己的です.しかしその利己に対抗するBが現れます.しかし本質的議論はなされず,「理由なき譲歩」をし合います.Aが利己的なのは分かりますが,Bは利己的でしょうか?実際はAの傲慢さに反感を持ち,あえて「私も」と言っただけかもしれません.でもそれは欲求のままの行動であり,別の利己の発動です.一方CとDは意見を発しないので,はたしてどういう意見だったのか分かりません.ひょっとしたらAとBのやりとりに興味さえ持っていません.このパターン3が現代日本社会の私なりの状況説明です.
パターン3は功利的でしょうか.もしAにしか利己が存在しないなら,Aの希望が達成される以外に方法はありません.これを功利的というにはちょっと問題があるでしょう.資本主義経済における利己の集積による功利の生産はパターン1です.互いに状況を理解し,最大人数が最大幸福を得られる方法を模索し,時には妥協点を探ることです.パターン2は特殊です.これはすでに相互理解が成立しているから成り立つだけで,全くの他人同士が集まっても機能しません.そう,パターン3はパターン2において全くの相互理解を失くした場合の成れの果ての姿ともとれます.相互理解がないからそれを構築しようという建設的な考えを持つ者は誰一人いません.むしろ利己を守り,決して相手の意見を「理解し同意する」ことはないのです.プライドの塊です.そしてCとDでさえ,何ごとにも同意していないことに注意を払う必要があります.関わりたくない,という欲求があり,この二名も実はとても利己的だったりします.「同意なき社会」それが現在の日本です.政治においても同様です.消費税増税派と反対派の間では,相互同意が得られる建設的作業はほとんどなく,どちらかの意見を守り抜き,勝ち抜くことばかりをやります.揚げ足の取り合いをします.多数決という悪魔に魅了されています.
まとめると,現代の日本は昔のように単一の思想,考え方,共通認識を持った民族の集団ではなくなっています.それは鎖国を解き世界中の知識や思想を輸入したからです.それに加えて急速な科学技術の進歩がありました.日本人といえども嗜好や思想は多様化しているのです.しかし,お互いのその多様性を認めることは各自許していません.よって,理解し歩み寄ろうという発想が存在しません.道は二つです.自分を変えるか,社会を戻すか.自分を変える,それは西洋人のように相互理解を通して功利的結論に到達できるような議論能力を獲得すること.社会を戻す,これは再び鎖国して,話し合う前から理解のある単一思想に戻すこと.
どちらが美しい日本でしょうか?





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