日本について考えるブログ




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霊的世界(2) :: 2008/02/27(Wed)

「霊的世界(1)」からの続きです.

私の生まれは福岡市の街中で,幼少の頃から家の周りは工場や住宅地ばかりでした.開発が進み,自然と呼べるものはもうほとんど消えてしまった後です.一方,私の母の故郷は筑豊地方の山あいで,祖母や母からは時より河童に足を引かれた話や,きつねにだまされた話しを聞きました.私が「河童は本当にいるの?」というような質問をすると,祖母は苦笑いをするばかり.そして最後には「今はもうおらんねぇ(今はもういないねぇ).」と言っていたと記憶しています.

日本は今,物質的にはとても豊かでも,精神的に幸福な時代とは決して言えない,という下りの話しはよく耳にします.そして,時代の転換期はいつだったのか,などという議論も時より耳にしますね.ある人は「高度経済成長」だと言い,ある人は「太平洋戦争」だと言います.またある者は「明治維新」を指摘します.しかし哲学者内山節氏によると,これらのイベントはすべて「発展史」でしかありません.生存を勝ち取った者の主観から見た,発展(展開)を基盤とした歴史観である,と.政府と深いかかわりを持たずに,民衆の中から静かに消えて行ったものは,決して歴史年表には記されません.この「発展史」という捉え方は本当に深く考えさせられます.消滅するものが,現在のこの場所に大きな影響を与えうることを見過ごすな,という深い暗示を感じるのです.

日本において,わずか数十年前まで生息していた河童が,今はどこにもいません.どんな農村部においても,もはや河童との遭遇はかなわないでしょう.あくまで伝説的に語られるだけです.しかし,考えてもみてください.日本人は,はるか昔からずっと自然信仰と共に暮らしてきたのですから,ここわずか数十年という短い期間に河童がいなくなったという事実は,想像を絶する激しい変化です.高度経済成長のような発展史は常に語られますが,このような信仰の消滅は滅多に語られません.いや,多くの人はなんとなく認識してはいるでしょう.しかし仮に語られたとしても,決して多くの人々の注目を浴びるような重要な話題にはならないんですよね.

少し考えをまとめたいと思います.日本人の多くは自然崇拝を基本とした信仰を本来持っていて,その信仰の中で己を抑制してきたと思われます.しかし現在はその信仰はほとんど失われ,日本人は己を抑制する方法を失ってしまっていると思えます.日本人にとっての自然崇拝は,人間が人間である証としての「知性」を否定する傾向がありました.つまり,「知性」は人間の「欲望」のような厄介なものを含むものだと捉えていたわけです.今日,自然崇拝を捨て,己を抑制することをやめた日本人は,己の欲望のままに行動するようになります.欲望を知性でコントロールする術は育まれていません.欲望のままと言ってもこれは決定的な犯罪の話しではなく(そこには,別の抑止力が存在すると思うので...),日々の些細な行動においての話しなのです.私が現代の日本に感じ,このブログでも考え続けている多くの問題点は,このような信仰の喪失が原因になりえるのではないだろうかと思うのです.軽度の詐欺体質,何かと利己的な行動,形式だけの相互同意,そしてジェンダー...

霊的世界(3)へ.

 


追記です(2007/2/29).

最終段落の文章の流れに理論的破綻があったので,修正しました.
また,「律する」は知的行為の語感も人によってはありうるので,,
この記事では「抑制する」に変更しました.
もしくは「滅する」のほうが意味合いとして正しいのか...
うーん.日本語は難しいです.

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

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