熊野で思ったこと

紀伊半島の旅(その2) 2008年3月20-22日 

紀伊半島に位置する,古代からの霊場と参詣道.二日目は,熊野三山のうちの二つである速玉大社と那智大社を訪ね,そして長大な熊野古道のほんの一部である大門坂を歩いてきました.初日に伊勢神宮ですっかり感動してしまったせいもありますが,正直なところ,想像していたような厳粛な雰囲気は全く感じられなかったです.まあ,熊野古道を何日もかけて歩くという「苦行」が大切なのだと言われれば,確かに私のような旅では何も感じられないのかもしれません.でも現在の熊野古道は一部国道に吸収され,もしくは国道に沿って走り,景観も決して人工物がない山中ばかりを眺めるわけではないので,俗世から隔絶されることは難しいでしょう.熊野古道は,世界遺産に登録はされましたが,本来の姿はもはやとどめていないのではないかと感じました.しかし,多くの熊野ガイドブックや熊野を訪ねた人のブログを見ても,マイナスイメージの記述は存在しないです.世界遺産を誰も敵には回さないでしょうからね.笑 ですから,苦言を発するのは私が初めてかもしれません.でも,正直に感じたことを書くことを旨としていますので,お許しください.

まず何はともあれ一番がっかりしたのは,那智大社の「日本一じゃんぼみくじ」のようなノリと,「こちらは出口です.入り口はあちらです」のようなところ狭しと並ぶ看板・説明の文句...しかも,せっかくの景色をわざと壊すようにそれらが並ぶのはなぜなのでしょう.現在の日本では,このようなノリや説明はもはや当たり前で,特に珍しいわけではないですが,自分の期待が大きすぎました.熊野もこうなのかと残念な気分です...泣 那智の滝は,まさに御神体が滝そのものなのですが,その前に団体写真をとる段が設けてあったり,滝壺に近づくだけでお金をとられたり,なんというか,商売の匂いが立ち込めています.




観光客,鳥居,料金徴収ゲート,そして那智の滝.



熊野古道の一部である大門坂は,そういう看板などもなく気持ちよく歩くことができました.両側に立ち並ぶ杉の巨木が天に向かって伸び,それを下から見上げるのはなかなか壮観なものです.しかし注意深く見てみると,大門坂沿いにはそのような野生と思われる杉が残されていますが,そのすぐ外側は,人工の杉林.細くて枝打ちされた杉が並んでいて,全く「自然」とは呼べないものです.まあ,人工林を非難したいのではなくて,この不連続さはなんとかならないのかと思うのです.大門坂のその通り沿いだけ自然ならそれでいいのでしょうか.なんだか残された杉の巨木が孤独そうに感じてしまいます.




熊野古道,美しい石段が続きます.





大門坂に沿って残る天然杉の巨木.


ところで,熊野に出発前から考えていた「なぜこの地がこれほど長い間,信仰が途絶えることなく霊的な地域として存続し続けたのか」という点について.現地に行って思ったのですが,やはり京あたりと比べると,明らかに気候も違うし景観も違う.真っ青な海に断崖絶壁,杉の巨木,たくさんの雨.京都や奈良からそう遠くない場所でこれほどの変化を見せてくれるのは紀伊半島南部だけでしょう.ですから,この地を踏めば何らかの非日常的な感覚を古代の人も覚えたことでしょうし,そういう「特別感」が自然信仰と結びつき,熊野をさらに特別な地にしていったのかもしれませんね.

関連記事:伊勢神宮の美しさ
      :熊野古道へ・・・

 

テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

何時も訪問有難うございます。伊勢、熊野は是非言ってみたい所です。神秘の世界です、南北朝時代の話を思い出します。余り商売に利用してもらいたくありません。

荒野鷹虎さん

こちらこそコメントありがとうございます.熊野といっても,いろんな熊野が時間の流れとともに存在していたことでしょう.古代の自然信仰の場,時には戦に巻き込まれ,蟻の熊野詣り,そして今は「祝・世界遺産登録」ですから...商売をやってもらってもいっこうに構わないとは思うのですが,あまりに短絡的というか.世界遺産の登録を喜んでいる人が,一番その意味を知らないのでは,もしくは改めて考えたことがないのではと思ってしまいます...

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